懺悔のように
⋯⋯生きてる、のか。
フェイが目を覚まして最初の感想は、自分の生存についてだった。
確実に、死んだと思った。
安心感を覚えかけ──すぐに、「まだ早い」と思い直し、気を引き締める。
あれほどの一撃を受けたのだ。無事であるはずがない、と考え、まずは体の状態を確認した。
右手を何度か握ったり閉じたりを繰り返すが、特に違和感はない。正常のようだ。
外れたはずの右肩はきちんとはまり、そして砕けたはずの奥歯まで再生している。
どうやら体の損傷は一切ないようだ──意外なことに。
次に状況を確認する。
平原でピッケルに殴られたはずだが、今はどこか宿屋らしき部屋の一室だ。
見覚えがある、酔って足腰が立たないフリをして、何度か泊まったことがある──虎吼亭だ。
もし見覚えがなかったとしても、ここが虎吼亭だと気が付いただろう。
部屋に近づいてくる、なじみの気配を感じる──おそらく相手も、自分が目を覚ました気配を感じたのだろうが。
ノックもなしに扉が開き、虎吼亭の主人が声をかけてきた。
「お前、無茶するなぁ。ああなるのわかってただろ?」
主人はどかどかとベッドに歩み寄り、そのまま近くの椅子に腰をかけた。
「いやいやいやいや、流石にもう少しイケると思ってましたよ? ──ま、焦ったのは認めますが」
本来なら、もう少し準備をしたかった⋯⋯と言いたいところだが、今日の結果からみればどちらにせよ同じだった気もする。
旅の資金稼ぎについて話し合っている時。
わざわざメロンの販売を提案したのも、少しでも時間が稼げれば、という思いだった。
卸しと違い販売なら、もしかしたら数日の時を稼げるかもしれない。
市場への出店に、ミネルバがアスナスや虎吼亭の主人に人脈を頼ったとしても、二、三日はかかるだろうし、代理販売なら人を雇って妨害するなり、それこそ店に鉄球を投げ込むことも考えていた。
しかし今朝、一行がロイ商会に入るのを確認した。
時間経過遅延の魔法の存在、そしてミネルバの交渉力を考えれば、これは資金の目途はすぐにつくだろう、と確信した。
だから焦った、という面は否めない。
今にして思えば、何をしたところで自分がピッケルをどうこうできるとも思えないが。
そんなフェイの心を読んだかのように、主人が言ってきた。
「イケるわけねぇだろ? お前があいつをやれるんなら、俺がとっくにクワトロのやつをボコってるぜ」
「そう言わないで下さいよ、こっちにもいろいろ事情があるんですよ」
「事情ねぇ。⋯⋯そりゃあ、今まで俺にまで強さを隠してたのが、バレちまうのも覚悟で戦うほどか?」
「⋯⋯」
発言の瞬間も虎吼亭の主人の表情は特に変わらないが、少し気配が変わった。
フェイもしばらく主人を黙って見ていたが──確認する。
「オレを治療したのは⋯⋯あいつですか?」
「俺だ。こう見えて、昔は戦女神の神官戦士だったからな、破門されちまったけどよ」
「ありがとうございます、骨はともかく、歯まで再生するなんて凄いっすね。酒場なんてやってないで、歯医者をやった方が稼げるんじゃ?」
「フン、金稼ぎで治癒魔法は使わん。俺を寺院の守銭奴と一緒にするな」
「へへ、聖人みたいなこと言いますね」
「うるせぇ、軽口効かせてごまかそうってんなら、もう一度、歯を砕いてやろうか? 奥歯といわず全部な」
「やめてくださいよ、せっかく治してもらったのに。
むしろ感触的には、ちょっと噛み合わせが良くなったとさえ思ってるんですから。
食べ物も、人の話も、噛み締めるのは苦手だったんでちょうど良かったですよ」
「噛み合わせがよくなったにしちゃあ、今も減らず口をベラベラ叩いてるなあ?」
あまり無駄口を聞いていると、本当に歯が折れるほどぶん殴りそうな気配を感じ、フェイは話題を戻すことにした。
「⋯⋯でも、まぁ、治療費ってわけじゃないですけど、オレの事情聞いて貰えますかね?」
「話したきゃ、話せ」
「いや、聞いといて⋯⋯いや、拳の関節バキバキ鳴らさないで下さいよ! 話しますって!」
しぶしぶ話す態を装ったが⋯⋯もしかしたら、話したかったのかも知れない。
ぶっきらぼうではあるが、そこは「元」とはいえ神官としての経験だろう、とフェイは思った。
神官は大抵聞き上手な人物が多い。
信者からの懺悔を聞くために、話を引き出す訓練、あるいは話したがってるかどうかを察することに長けている。
主人なら懺悔をされても「うるせぇ、うじうじするな」とゲンコツでもしてきそうだが⋯⋯。
「つってもまぁ、どこから話せばいいやら⋯⋯」
「最初から話せ」
「最初から? ちと長くなりますよ?」
「短くわかりやすくしろ、情報屋だろ?」
無茶苦茶な理屈だな、と思いながらもフェイは話し始めた。
______________
親に殴られないように。
親に褒められるために。
少年時代は日々、人の懐から金をスリ取った。
帝都で自分が最高のスリだと気が付いたのは、10歳の頃。
どんな相手でも、フェイが狙えば懐の金は消えた。
両親は働かず、フェイの稼ぎが一家を支えた。
少額だと両親はフェイのことを見向きもしない──殴り、なじりはするが、見ていない。
それなりの額を持って帰れば、機嫌を良くした。
大金を持って帰れば、「ああフェイ、お前は私たちの自慢の息子だ」と抱きしめてくれた。
フェイではなく金を見ていただけだったのかもしれないが、両親が喜ぶのを見ると、自分も嬉しかった。
ある日、スリを始めて以来、初めて捕まった。
狙ったのは、身なりの良い、体格のがっしりとした朱色の着物を来た男だった。
「仕事」をする前、その男からは二つの予感がした。
いい予感と、いやな予感だ。
それまでの経験で、フェイは自分の勘に自信があった。
今まで、嫌な予感がした相手には「仕事」をしなかった。
同業の男が、フェイが嫌な予感を覚えた相手に仕掛けて、捕まった姿を何度も見てきた。
いい予感は、間違いなくこの男は大金を持っている、ということ。
その日の稼ぎは、両親が満足する額、つまりフェイが愛されるのに少し足りなかった。
すれ違いざまに男の懐に手を差し込んだ瞬間、腕を掴まれた。
初めての経験にフェイは恐怖した。
同じスリ仲間が、同じように捕まった結果、腕を切り落とされたのを知っていたからだ。
泣きたくなる気持ちで相手を見上げると──男が泣いていた。
「⋯⋯黄竜よ、感謝いたします」
男の呟きに、先ほどまでの恐怖が少し和らぐとともに、フェイは思わず聞いた。
「おっちゃん⋯⋯どうして、泣いているの?」
「え、私は泣いているのか⋯⋯ああ、すまない、本当だ、嬉しくてね」
フェイを掴んでいる手とは反対の手で目頭をぬぐいながら、男が言った。
「嬉しい? どうして?」
フェイの問いに、男は次に笑みを浮かべて言った。
「君が、武に愛されているからだ」
両親はフェイが出ていくことにそれほど関心を示さなかったが、男が用意した支度金には大いに関心を示した。
両親は、この男に自分を売ったのだ、ということはすぐに分かった。
「あの⋯⋯オレはどうすれば」
「君は私の息子になる」
男はハオランと名乗った。
その日フェイには新しい父と、ヤンという弟ができた。
____
「フェイ、西に行ってもらう」
養父であり師、ハオランが声をかけてきたのは、練武場でフェイが高弟達に稽古をつけている所だった。
高弟といっても、殆どがフェイより年上だ。
フェイは修行を開始して三年で、高弟たちはもとより、師の実子であるヤンも越え、ハオランに次ぐ実力となっていた。
代稽古を任されることも多かった。
フェイがハオランの子となって八年目にあたる、三年前のその日、師は「謁見」の予定が入っているとのことで、代理で稽古を執り行っていたのだ。
詳しい話があるだろうと門人たちに休憩を言い渡した。
稽古を監督するためにある、師の席へとハオランが座り、フェイはその前に正座した。
「西に、何をしに行けば?」
「わからん。だが黄竜の予言だ、間違いないだろう。
私もお前に出会ったのは『大金を持ってスラムをうろつけ』という指示だけだった」
あとから知ったのだが、ハオランはほとんど毎日懐に大金を忍ばせ、スラムをうろついていたらしい。
帝都のスラムは広いので、出会うのに約一年かかった、と聞いた。
「指示は? 何をしろと?」
「うむ、私の時よりも漠然としている──『猛禽を思わせるも翼を持たざる女、番を得て飛翔する』ということらしい」
「⋯⋯まーた、えらく漠然としてますね?」
「ああ、しかし過去の事例からすれば、『飛翔』のような、上昇や飛ぶことを意味する場合、『神人』や『聖仙』が関わってくることが多いらしい」
「なるほど。で、オレはそこで何をすればいいんですか?」
答えながらも、胡散臭い話だ、という感がぬぐえなかった。
別に神に関する話がお伽話だと笑うつもりもない。
実際、識王など、邪神と実際に戦ったものがいまなお生存しているからだ。
「黄竜の意思は昔から一つだけだ。お前も『拝謁』した時に聞いているはずだ」
「⋯⋯ええ、まぁ」
黄竜には、『二盾』に任命された時に一度拝謁している。
一気に二盾になるのは異例の抜擢とのことだ。
そこで告げられたことは四矛四盾、いや「仙家」の本来の目的。
大陸から、『神』の影響力を排除する。
──修行を通じて『神』を目指し、他の『神』を駆逐することだ。
_______________
「つまりオレたちは、神を殺すために、神になるための修行を積んでる、ってことです。
いるかどうかもわからない神のために、なれるかどうかもわからない神を目指す。滑稽ですよね」
最後は皮肉を交えつつ話を一通り終わらせると、虎吼亭の主人は顔の下に手を添えてしばらく考えていた様子だったが、やがて口を開いた。
「猛禽を思わせる女、これはミネルバで間違いないだろうな。
いや、当たり前だが王都の女全員を知っているわけじゃねえけどよ、あまりにイメージと符号する」
「そうですね、だからオレが『つがい』になれればいろいろ解決するんじゃないか、って思ってたんです。まぁ変な下心見抜かれてたのか、相手にされませんでしたけどね。
オレが来て二年してから、『三矛』が黄竜から追加の予言を受けて、黒竜を王都に追い込んだ。
その結果、ハーン帝国はピッケルの存在を特定した、って感じですね。
⋯⋯でもこんな話、信じてもらえます? 黄竜の予言だ、なんだって」
話しているフェイ本人でさえ、荒唐無稽な話だと思っているが、虎吼亭の主人は特に驚く様子もなかった。
「ん? ああ、黄竜の奴なら知っている。
昔クワトロとハーンにいって、ぶち殺そうと思った相手だからな。ヤロウが当時の『二盾』を口説いたせいで、うやむやになっちまったが」
「ぶち殺すって⋯⋯」
「だって俺は戦女神の敬虔な信徒だぜ? 神の排除をたくらむやつなんて、生かしておけねぇだろ?」
「敬虔な信徒は、破門なんてされませんって」
「まぁいい。ここまでの話で、お前に足りないものがわかったからな」
どうやら、本当に懺悔だったようだ、となれば何か助言でも与えらえるのかもしれない。
助言を貰うまでもなくわかりきった、自分に足りないものに今日気づかされたが。
「強さが足りない、なんてのは、今回わからされまくりましたけど?」
「ばーか、そんなんじゃねぇ。お前に足りないのはいろいろあるが⋯⋯」
主人一度言葉を止め、強調するように言った。
「せめて敵くらい、他人の言いなりにならねぇで、自分で探せってことだ」
「⋯⋯」
あまりにも神官らしくないセリフに、あるいは信奉してるのが戦女神だということなので、らしすぎる言葉なのか、フェイが言葉を失っていると──。
話は終わったのだろう、主人は立ち上がり部屋を出ようとして──思い出したように振り返ってから言った。
「⋯⋯まぁ、仲間でもいいけどよ。そいつが喧嘩仲間なら、最高だ」
言いっぱなしで、フェイの表情を確認することなく、そのまま主人は退室していった。
敗北によって気が弱っていたせいか、主人の言葉を噛み締めるように反芻したあと──先ほどの自分の軽口を思い出し、フェイは一人、苦笑いを浮かべた。




