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擬態と正体

「相手と自分、どちらが強いか⋯⋯なんて比較は、無意味で危険だ」


 尊敬する父、クワトロの教えはたいていが単純明快で、だからこそ複雑だった。

 特に、何もわからない子供の頃はそうだった。

 「そうすべきだ」という話はするが、「なぜそうなのか」という理由は、ほとんど語らない。

 そんな父に、不満を覚えたこともあった。

 自分で考え、体験し、気づきを得ることを重視していたのではないか──と、今にしてみればピッケルは思う。


 クワトロの教えが身に染みた出来事があった。


 まだピッケルが10歳の頃だ。

 裏山で、一匹のモンスターを発見した。

 剣ウサギと呼ばれる種だ。

 体は熊ほどの大きさで、肉食で、人を襲う。

 鋭い前歯が剣のように発達しているのが名前の由来だ。


 多くの人間を葬り去ってきたそのウサギには別名がある──「首狩りウサギ」。


 だが、ピッケルはそれまでに何度も剣ウサギを狩っていたし、母の好物でもある剣ウサギを今日も仕留めようと思っていた。

 もちろん自分も好物だが、母の喜ぶ姿はより一層、料理を美味しく感じさせる。

 ピッケルは、剣ウサギは俺より弱い、手頃な獲物だ、と決めつけていた。

 気をつけなければいけないのは、最初の一撃だ。

 それさえ避ければ隙だらけ、あとは攻撃を叩き込めばいい。

 そのはずだった。

 だが、剣ウサギはピッケルに背を向けて走り出した。

 なぜかこちらに襲い掛かってくることもなく、逃げだした剣ウサギを追いかけた。

 それまでには見たことのない行動だった。

 剣ウサギは凶暴で、普段なら見境なく襲ってくる。

 剣ウサギはピッケルから見ればやや鈍重で、動きもそれほど速いと思ったことがなかった。

 なのですぐに追いつけるだろう、と思っていた。

 しかしこの剣ウサギは、予想外に逃げ足のしぶとさを見せ──ピッケルはいつの間にか、まだそれまで行ったことのなかった深い場所まで、山に入り込んでしまっていた。


「お前にはまだ早い」


 と、クワトロに行くのは止められていた場所だ。

 大きな岩が点在し、視界の悪い場所だった。

 それまでピッケルから逃げていた剣ウサギは、岩に飛び上がり、突然、姿を変えた。

 体の表面が、ずるり、と果物の皮を剥いたように滑り落ちたのだ。


 剣ウサギの正体は、「皮剥ぎ狼」だった。


 皮剥ぎ狼は、狩った獲物の皮を器用に被り、そのうえ視界を欺く魔法まで使用し、擬態する。

 そして、獲物に仲間だと思わせ油断させたり、弱い生き物だと勘違いさせ、狩ろうと近づいてくる相手を、逆に狩る。

 知能が高く狡猾で、わざと逃げるふりをして、自らが得意とする狩場まで獲物を誘導することもある。

 視界の悪い岩場は、相手の匂いを嗅いで獲物を狩る、皮剥ぎ狼の縄張りであり、主戦場だったのだ。

 獲物の誘導に成功した狼は、遠吠えを上げ、仲間を呼んだ。

 相手は、まだ10歳の少年でしかないピッケルの強さを、見た目に騙されることなく見抜き──全力で仕留めにきたのだ。

 

 ピッケルが20匹もの狼と半日死闘を繰り広げ、全てを倒したころには、満身創痍となっていた。

 「相手は自分より弱い」と決めつけたことが引き起こした、失敗だ。

 喜ばせようと思った母は、傷ついたピッケルを見て恐慌をきたしたように泣いた。

 その体験によって、ピッケルは父の言葉の意味を理解したのだ。



 今追跡している相手は、「皮剥ぎ狼」に似ている。



 王都の建物の上を、わざと付かず離れずの距離を維持しながら移動している。

 鉄球による奇襲の失敗後、相手が本気を出して逃亡すれば、このように追いかけることは出来なかっただろう。

 ピッケルが馬車の暴走を止めることで、追跡までに時間差があったからだ。

 だから、あの襲撃は本番ではない。

 狩場に誘い込むための、布石なのだろう──かつて皮剥ぎ狼にされたように。


 王都についてすぐ、ピッケルは「観察されている」ということを感じた。

 それは狼が獲物を見定める作業と同じだったのだろう。

 そして、観察してきている相手は、かなり強い、とすぐにわかった。

 あまり心配させても、という思いから、ミネルバには曖昧に返事をした。

 相手がこちらを観察するのと同様に、こちらも相手を慎重に見定めることにした。



 油断はしない。

 だが、自信もある。


 父はこうも言ったからだ。


「強さは見抜け、だが比較なんて、不要だ。

 相手がどんな強さであれ、お前ならきっと対処できる。

 何故かって? そんなの簡単だ」


 その時は、珍しく理由も説明してくれた。


「──お前は、俺の自慢の息子だからな」




 王都の外、街道から少し離れた、人気のない平原で男は立ち止まった。

 ここが、男の用意した狩場、ということだろう。


 相手はピッケルに対して強さを隠そうとしていたが、何も考えずに剣ウサギを追いかけていた、昔とは違う。

 これからも、こちらを言いくるめるような言葉にはまだまだ騙されるかもしれないが──表面に被った皮に騙されず、相手の強さを見抜くのは、散々練習した、もう得意技だ。

 


 クワトロの教えと、自らの経験。

 その二つから、相手が自分より「強いかどうか」は比べたりしない。

 ただ、今まで多くの「害虫」と接してきた経験から、「強い生物」かどうかは、たとえ初めて遭遇した相手であれ、すぐに肌で感じることができる。


 例えば虎吼亭の主人は、かなり強い。

 虎吼亭の主人は、別に強さを隠そうとはしていなかった。

 一目で、「この人は強い」と確信できた。


 だがそれでも──おそらくピッケル一行が、イリアと道で会ったのを見たことで、自分たちの目的地を察し、先回りしていた男が──虎吼亭のマスターに、一方的に頭を掴まれて持ち上げられるような、弱い相手には見えなかった。

 なぜ、弱いふりをするのか。

 そして、なぜそれを続けるのか。

 読めない相手の意図が、自らの心に疑念として積みあがっていた。

 ミネルバとガンツ、二人の知り合いだということで、少し遠慮していた。

 変な態度だと思われているのは感じていた。

 そのせいで、うやむやになってしまった質問がある。

 その後メロンを褒められて、追及をためらった、ということもある。

 だから改めて、今回はきちんと聞いた──聞くまでもなく、わかりきったことの確認でしかないが。


「ドラゴンを投げ飛ばすなんて、簡単だろ──フェイ、君なら」


 離れて対峙し、両手の手のひらの上で鉄球を放り上げて弄んでいたフェイが、虎吼亭での質問を思い出したのか、笑みを返した。

 皮肉にもあの時と同じ、人懐っこさを感じる笑みだ。

 質問の肯定を意味するのだろう、声に出しての返事ではなかったが、ピッケルは自分が正しいことを確信し、本題に入る。


「で、君は⋯⋯本当は何者なんだ?」


 続けざまのピッケルの質問に、フェイは鉄球遊びをやめ、少し困ったような表情を浮かべて応えてきた。


「何者って言われてもなぁ⋯⋯別に『情報屋』のフェイも、『盗賊シーフ』のフェイも偽者ってわけじゃなんだけどな。

 まぁだけど、あえて肩書を増やすなら⋯⋯」


 フェイは、右手に持った鉄球を再び──それまでより高く上に投げたあと──「パンッ」という小気味よい音を立て、掴み取りながら言った。


四矛四盾(シムシジュン)『二盾』、フェイだ。

 よろしくな、ピッケル。

 まあ、長い付き合いになるかは、知らねえけどよ」


 名乗りを上げたフェイが、獰猛な笑みを浮かべた──擬態していた狼が、ウサギの皮を脱ぐように。


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