違和感
冒険者御用達の酒場兼宿屋【虎吼亭】では、夜の営業に合わせた仕込みを、昼前から開始する。
夜遅くまで騒ぐ冒険者たちの相手をしているため、感覚としては早朝と変わらない。
そう考えれば、彼らの夜更かしを助長する街灯の存在も一長一短ね、などと思いながら、イリアは虎吼亭の主人の指示のもと、仕込みを手伝っていた。
この時間に仕込むのは、虎吼亭名物の煮込み料理だ。
主人は看板メニューである、この煮込み料理に並々ならぬ熱意を注いでおり、イリアは材料の切り分けは手伝うが、火加減や水の量、味付けは任されたことがことがない。
主人の言葉によれば、その日の材料が含む水分と、湿度や温度などを計算して料理しているらしい。
大げさにいっちゃって、などと思うが、練習を兼ねて同じ材料、同じ味付け、同じ手順で家で煮込みを作っても、主人の味に遠く及ばないのだから、言い分を認めるしかない。
材料の準備が終わり、いよいよ調理、とイリアが主人を見ながら次の指示を待っていると⋯⋯
主人の肩がピクッ、と揺れた。
──と思った次の瞬間。
「あいつら、こんな街中で騒ぎ起こす気じゃねぇだろうなぁ!」
突然叫びながら、主人が厨房を飛び出した。
「えっ!? マスター、どうしたんですか!?」
慌ててイリアがその背に声をかける。
主人は店の前で立ち止まり、しばらく向かいの建物を見上げながら、首を振ってきょろきょろとしていたが⋯⋯
やがて、くるっと振り返り
「イリア! 今日の仕込みは任せる!」
と言ってきた。
そのまま駆け出そうとする主人の後ろ姿に、このまま主人を行かせる訳にはいかない! と危機感を覚え、イリアは慌てて叫んだ。
「マスター! せめて、せめて水の量!」
(急に任されたって、自信ないもん)
そんな気持ちから発した彼女の言葉に、主人は「ピタッ」と動きをとめ、右手の小指を舐め、しばらくかざしたあと⋯⋯
「いつもの量にコップ半分増やせ!」
と返してきた。
主人の言葉を信じるなら、つばの蒸発具合で、その日の煮込みに最適な水量を量っているとのことだ。
ふたたび主人は駆け出す気配を見せたが⋯⋯
「どのコップ!?」
間髪入れず、イリアが叫ぶ。
主人は再び、「ピタッ」と動きを止めた。
「あーもう!」
結局主人は厨房に戻り、棚からコップを取り出し、イリアへと渡してきた。
コップを受け取りながらも、イリアは
(そもそもいつもの量ってのも、曖昧だけど)
と思いつつ⋯⋯
「塩と、胡椒の量は!?」
「隠し味のワインの量は!?」
いちいち「ピタッ」と止まる主人が面白くて、次々と尋ねた。
結局、調味料を含め、一通りの分量を指定した主人は、それ以上は煮込みに後ろ髪を惹かれないようにするためなのか、耳をふさぐようにしながら駆け出した。
虎吼亭に勤めて初めてと言っていい、普段物事に動じない、主人の珍しい慌てぶりを見ながら⋯⋯
「しかし、マスターが煮込みの調理を人任せにするなんて⋯⋯何かとんでもないことでも起きてるのかしら?」
いやな予感をさせつつ、考え事をしながらイリアが鍋に水をいれていると⋯⋯
「あ、入れすぎちゃった」
と、呟いた。
そのあとも、なんどか調味料の分量をミスしたものの、「ま、いっか」と気を取り直す。
今日の夜、煮込み料理を注文する客への謝罪の言葉を考えながら、調理を続けた。
ちょっとした失敗に、いちいちくよくよしない、彼女の美点である前向きさ。
──それが虎吼亭の主人と、彼女が作る煮込み料理の味の差を生み出すこと、そして主人が基本、彼女に調理を任せない理由だと、気付くこともなく⋯⋯。
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「今思えば、なんだけど⋯⋯」
街中での騒ぎを抜け出すために拾った辻馬車は、一頭立てで四人乗りとやや狭いが、客車は外から中が見えない個室となっている。
ミネルバは思い出したように──あるいは、考えをまとめるための相談をするかのように、向かいの座席に座るガンツへと語り始めた。
「王都に来てすぐ、ピッケルが『視線を感じる』って言ってたじゃない? あれって私は勘違いしてたんだけど⋯⋯『どこか遠くから監視されてる』って意味だったのかも」
「監視? なぜ?」
「わからない、けど。
ピッケルの感覚は、常人とは違うわ。
普段も、まだ姿を見せてもいないような遠くにいるモンスターの接近にもすぐに気が付くし⋯⋯なんどか立ち止まってきょろきょろ見てたし、もしかしたら、と思って」
「うーん⋯⋯俺も、お嬢もだと思うが、多少の気配なら掴めるだろ?」
ガンツが言うように、モンスターを相手に戦う冒険者の多くは、その経験の中で「気配」を掴む感覚を獲得する。
冒険者たちの間で【索敵】と呼ばれる技能だ。
そして同じように、他者に気が付かれないように「気配」を消す、【隠伏】がある。
どちらも、凶悪なモンスターとの戦いには必須の技能だ。
【索敵】の技能を磨いた冒険者の中には、視界に映らないほど遠く離れた場所の、モンスターや人間の存在を感知できる者もいる。
もちろんそれは、相手が気配を隠そうとすればするほど難しくなるが。
ガンツの言葉に、ミネルバは頷きつつも⋯⋯
「でも、ピッケルから見れば、私たちの索敵や隠伏なんて、何もしてないのと一緒よ。
あなたとミランも、四矛四盾の⋯⋯ヤン? だっけ、そいつにあっさり見つかったんでしょ?」
「まぁ、そうだが⋯⋯」
「あなたも王都についてから、何かピッケルのことで、おかしなことがなかったか思い出して」
襲撃者について何かヒントがないか、ガンツに尋ねる。
ガンツは「ふむ⋯⋯」と、しばらく思案する様子を見せたあと⋯⋯
「変なこと、ってほどのものでもないけど、相変わらず非常識だな、と思ったな」
と、苦笑いを浮かべて言った。
その言葉に、ミネルバは多少顔を曇らせながらも、ガンツが正しいことを認めながら頷いた。
「⋯⋯まぁ、多少はそういうところもあるけど。いつそう思ったの?」
「いや、お嬢も聞いてたと思うが⋯⋯いや、お嬢はちょうど虎吼亭のマスターの手伝いをしてたか、そのときピッケルが言ってたのは──」
ガンツの言葉を聞いたミネルバは、目を見開いて声を上げた。
「ピッケルがそんなこと言うはずがないわ!」
ミネルバの突然の大声と剣幕に驚きながらも、ガンツは言い訳するように言い返した。
「いや、確かに言ってたんだって! 間違いない」
ガンツの言葉に納得いかない様子で、ミネルバが理由を説明し始めた。
「だってこの一年、さんざんピッケルに教えたのよ。
あなたと、あなたの家族と、普通の人は全然違う、って。
ピッケルは、生まれた環境のせいで確かに物知らずというか、非常識なところがあるわ。
でも⋯⋯馬鹿じゃない。
むしろ、物覚えは私なんかよりずっといいわ。
だから──」
ガンツの顔をじっと見ながら
「そんな言葉、何の理由もなく彼が言う訳がないわ⋯⋯一年前ならともかく」
ミネルバは断言し、しばらく考え込むように口を閉ざした。




