二本の紐
その後、話し合いはスムーズに進んだ。
まず、ロイ商会側としては、魔法がきちんと効力があるのかどうか確認したい、という点。
ミネルバはこれに対し、メロンを二つ置いていく、という提案をした。
まず一つは、常温で一日放置し、翌日も魔法が効果があるか試すためのもの。
もう一つは、期間は任せるが後日の確認用。
ただし、ミラン救出には時間がなにより貴重だということから、一つ目のメロンの効果を確認の後、つまり明日、ロイ商会から一定の援助を受けたいということなどだ。
ロイ商会側としては、仮に一日の効果であっても有用だということで、これは了承された。
援助される金額は、三千ゴート。
用意していたメロンが残り十個程度だと伝えたところ
「実は、一つ三百ほどで買い取ろうと思っていたのだがね」
とロイから伝えられたので、この金額となった。
なんなら、今でもその金額で残りも買い取ろうか? と持ちかけられたが⋯⋯
「すみません、実は俺、できればメロンを高く売りたくは無いんです」
と言って、ピッケルがその理由を語り始めた。
「メロンは、王都では高価な果物だ、というのは父から聞いて知っています。
でも、いやだからこそ、普通の人がちょっと頑張って買ってくれて、それで美味しいと思って貰えたら⋯⋯そう思っています。
変に高く卸せば、買える人は限られるでしょうし、高いから、とありがたがって食べてもらいたい訳ではないんです」
その言葉を聞いて感心したようなロイの表情を見ながら、ミネルバは昨日、メロンを高値で売るという相談をしていた時の、ピッケルの表情の意味を誤解していたことを知った。
自分たちの名前がどうこう、ということではなかった。
単純に自分が作ったものを、恋愛成就だ、高価だからだ、とありがたがって食べてほしい訳ではなく、普通に食べ、美味しいと思って欲しかっただけなのだ。
それはピッケルだけでなく、義父も、義母もそうだろう。
時間経過遅延の魔法にしても、作ったものを、少しでも美味しく食べて貰いたいという、思いやりの産物なのだ。
それを、ピッケルに事前の相談もなく、売り物として扱ったことを少し反省しかけた⋯⋯が。
時間経過遅延の魔法が一般化し、人々の暮らし向きが良くなるとすれば、喜びこそすれ「勝手な事を」と怒るようなピッケルや義両親でないだろう、という思いとともに脳裏に浮かんだ光景。
昨日の出立前。
出来上がったリヤカーに、わざわざ布を被せて姿を隠してから発表し、それを欠かせないことだと熱弁するクワトロと、しきりに頷いていたピッケルのことを振り返り──
まあ、これはこれで、ヴォルス家の嫁らしい振る舞いだろう。
と、自身を納得させることにした。
商談を通じ、ロイはこの青年に好感を持った。
ロイは貧しい村の出身だった。
まだ幼い頃、村で飢饉が発生すると、多くの村人が飢え、命を落とした。
その中に、彼が可愛がっていた妹も含まれていた。
妹のような、そして自分と同じような思いをする人間がいなくなるように。
その思いで、一人で行商を始めたころから、守銭奴と陰口を叩かれようとも、
「食料の健全な流通を担い、飢える者を無くしたい」
という野望を胸に、日々の商売を行った。
結果、大陸一と評される商会を築いた今をもってしても、その野望が叶ったとはとても言えない。
まだまだ、道半ばだ。
目の前の青年の言葉から、ロイに近い信念を感じるとともに、自らこの場を設けてよかった、と思った。
今日伝え聞いた魔法の話は、有意義だった。
実用化すればまた一歩、ロイの野望の実現へと進む。
しかし、それと同じくらい、ピッケルとの出会いは意味があった。
彼が今後、立場を得て、何かを成そうとすることがあるならば。
是非力を貸したい、と思った。
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商談を終えたピッケル一行とロイ、秘書の五人は、ロイ商会の表へと移動した。
話し合いで決まったメロン二つを受け渡しするためだ。
魔法の存在が必要以上に広まらないようにするため、現状ではロイと秘書の胸にその存在を秘すということで、メロンを手ずから受け渡しすることになった。
「魔法の効果の確認だけでなく、できれば食べてもらえればありがたいです」
「ああ、ちゃんと頂くよ。君たちのファンだという受付嬢にも食べさせよう。
もちろん、魔法のことは内緒だがね」
ピッケルから秘書がメロンを受け取るのを見ながら、ロイが頷く。
その後、リヤカーの荷台に置いてある他の農作物をちらっとロイが一瞥し、ミネルバに聞いた。
「これらの農作物は、どうするつもりだ?」
「はい、市場で卸そうと思います。
一応これらにも魔法は掛けてありますが、メロンよりはもともと日持ちするものなので、不自然に思われることもないと思います」
「ふむ⋯⋯」
ミネルバの答えを聞きながら、ロイは少し考える様子を見せたあと、ニヤリとした表情を浮かべた。
「なら、ウチで買い取ろうか? あくまでも、王都での相場、ということになるが」
その表情と、申し出に、ミネルバは目を見開いたあと。
「ありがとうございます、会頭。
私ったら、肝心なところが抜けていたようです」
売るとも、売らないとも返事をせず、頭を下げながら告げた。
「ふふふ、儂も、言われっぱなしってのは性に合わないからな」
と、自分の言葉に含ませた意図に、ミネルバが気付いたことを確信したのか、ロイは満足げな表情を浮かべたあとで、さらに続けた。
「ミネルバさん。君のような人は貴重だ。
どうだろう、落ち着いたらうちで働かんかね?」
「そうですね⋯⋯彼に捨てられたら、その時は是非」
ピッケルを見ながら、笑顔で申し出を断るミネルバに釣られるように、ロイもピッケルに視線を移した。
「ピッケル⋯⋯君。この嫁さんは君の宝だ。手放してはいかんぞ」
ロイの忠告に、ピッケルもまた笑顔を浮かべ
「はい、俺には過ぎた嫁だと重々承知しています。せいぜい愛想を付かされないように、頑張ります」
その後、ロイからの昼食の誘いは固く辞し、明日の朝魔法の効果を確認後、秘書が【栄光】へと訪ねてくるという約束をし、三人はロイ商会を後にした。
_______________
「んじゃ、このあとはこれを卸しに行くのか?」
ロイ商会からの帰路。
ピッケルの引く【走快リヤカー】の座席に座ったガンツが、横に座るミネルバへと聞いた。
ガンツの言葉に、ミネルバは首を振った。
「ううん、その予定は中止ね」
「なぜだ? 確かに三千もあれば資金は充分だが、金はいくらあっても困らないだろ?」
「うん、だから中止」
「だからってのがよくわからんが⋯⋯じゃあ、これどうするんだ?」
座席の後ろに大量に積まれた農作物を指さしながら聞いてくるガンツに、ミネルバは応えた。
「思い出してみて、ガンツ。
あなたとミラン、エンダムに着いた時、何を考えたって言ってたっけ?」
「エンダムで?」
ミネルバの質問に、ガンツは辺境との境であるエンダムに滞在中のことを思い出しながら、考えを巡らせたあと、「あっ」と声を上げた。
「そうか、東部で卸せば良いのか!
それなら王都で卸すより、高値が付く!」
「そういうこと。それにさっさと気が付いていたら、ロイ商会に行く必要もなかったかもね」
王都で農作物を卸す、という予定に思考が縛られ、柔軟性が失われていたのは、ミネルバにとって大きな反省点だった。
物価が倍になっているから単純に倍で卸せる、という訳にはもちろんいかないだろうが、それでも目標だった千六百ゴートは超える可能性は高い、とミネルバは考えつつ、肩を竦めながら返事をした。
「でも、それに気が付いたのも、会頭がわざわざ『王都の相場で』と、こちらが気が付くように言ってくれたからだし、仕方ないわ。
それに、栄光にとって今回の件は、上手くいけばお金も人脈も得るチャンスよ? もしそうなったら感謝してよね?」
胸を張るようにして手柄を自慢するミネルバに、ガンツは頷いた。
「ああ、そのために二本ほど、紐でも用意するかな」
「紐?」
「まず一本目は、ウチのマスターが、『デスマウンテン』と聞いて、ピッケルの母親に魔法を習いに行くのを渋った時に、首にくくって引っ張るための紐だ」
「ふふ、もう一本はわかったわ、財布の紐、でしょ?」
「その通りだ! いくら大金を得ても、右から左じゃ意味がない!」
「頼むわよ、そもそも無駄遣いしてなきゃ、辺境にも行ってないかもしれないんだから。
それに今回の商談は、ピッケルのためにもなりそうだし、良かったわ」
「ピッケルのため?」
「そうよ。あなた、私が『会頭は話を打ち切ることなんてしない』って言ったとき、不思議がってたでしょ?
それにはピッケルが関わってくるの。
会頭はね、恐らくピッケルの両親、つまり、彼の出自を気にしていたわ」
ミネルバは【虎吼亭】の主人が、初対面のピッケルをクワトロの子だと指摘したことによって、一つの気付きを得た。
若い頃のクワトロを良く知る人物がピッケルを見れば、出自はすぐにバレる、ということだ。
確かに、ピッケルとクワトロは並べてみれば、すぐに親子だとわかるほど似ている。
その上、若いころのクワトロはピッケルに瓜二つだとのことだ。
ならば、アスナスがピッケルの情報から「ヴォルス」の家名は削除したとはいえ、すでに王都ではピッケルのことを「クワトロの子」と見抜いている者も少なからずいるだろう。
黒竜撃退の祝賀会で、その姿を目にした者も多いからだ。
そして、当初ミネルバと話していたロイも、折に触れピッケルを観察していた、というのはその視線からわかった。
もちろん、似ているというだけでは、それは証拠ではない。
ピッケルが認めない限り、決定的な証拠とはならないだろう。
だが、ピッケルのことだ、両親の名を問われれば
「父はクワトロ、母はシャルロットです」
とあっさり答えかねない。
それもあって、ロイの昼食の誘いは断った。
ロイ商会としては現在、少なくとも「時間経過遅延」の魔法の件が済むまでは、これを追及し、ましてや公にしようと画策することはないだろう。
ピッケルが変な騒動に巻き込まれれば、話自体が立ち消えする可能性もある。
むしろ、それまでは噂の広がりを抑える側に回るかもしれない。
とにかく今はミランの救出、そして、そのあとのブルードラゴン探しが重要で、他に構う余裕などないのだ。
「だからピッケル、今はできるだけご両親の事はあまり公にしないほうが良いと思うわ」
「うん、わかった。俺自身はともかく、両親にはあそこで他人に煩わされるようなことなく、静かに暮らして欲しいからね」
この一年、ミネルバはピッケルに対して、置かれた環境や出自の特殊さ、そして彼の強さが他者とは隔絶していることを伝え続けた。
ピッケルも、今では自分が少し特殊だ、という自覚はあるようだ。
ミネルバの仮説と、夫婦のやり取りをフムフムと聞きながら、ガンツは聞いた。
「んじゃ、今日はこれからどうするんだ? 明日までギルドで過ごすか?」
「んー。せっかくだから【鳶鷹】にも顔を出したいし、どうしようかしら」
二人が今後の相談をしていると、ピッケルが振り向いた。
「あ、アスナスさんの所は? 父さんが顔を出しとけって言ってたけど」
ピッケルの言葉に、ミネルバは少し顔をしかめた。
「アスナス様かぁ⋯⋯あの人、私ちょっと苦手なのよね」
「え、なんで? いい人だよ? 俺いろいろ助けて貰ったし⋯⋯」
「そうなんだけど⋯⋯私もすごくお世話になってるんだけど」
実際、アスナスには足を向けて寝られないほど世話になっている。
現役時代、ミネルバが冒険者ギルド【鳶鷹】を設立するにあたって、物心両面で支えて貰ったし、アスナスの交渉技術をそばで見て、大いに学ばせて貰った。
ミネルバの交渉の師匠、と言ってもいい。
「ただ⋯⋯」とミネルバは腕を組みながら、心の内を吐き出すようにして呟いた。
「厄介ごとを押し付けるのが上手いのよねぇ⋯⋯現役時代、何度してやられたか⋯⋯」
東部の騒乱は、冒険者ギルド監督官であるアスナスにとっても頭痛の種だろう。
ガンツにピッケルの住まいを伝えたのも、親切心だけでなく、なにかしらの意図があることは確実だ。
東部へとミラン救出のためピッケルを赴かせるついでに、何かの依頼を請け負わせようと考えているのかもしれない。
それ自体は、別に構わない。
ブルードラゴンの件がなければ協力したかもしれない。
むしろ本来なら、せっかく東部に向かうなら、ついでに、と支障のない範囲の依頼を受けたかもしれない。
だが、東部でミランを救出したあと、ピッケルとミネルバはブルードラゴンの元に行く必要がある、ということをアスナスは知らない。
「考え過ぎじゃない?」
と笑顔を浮かべ、再び前を向き、リヤカーを引き始めたピッケルの背に向けて。
「そうだと、いいけどね⋯⋯」
胸にイヤな予感を抱きつつ、ミネルバは溜息交じりで答えた。




