情報屋フェイ
ピッケルはイリアに指定された場所にリヤカー停め、店の前に戻ってきた。
「リヤカー停めてきたよ⋯⋯どうしたの? 中に入らないの?」
まだ店外にいた二人に向けて問いかける。
すると、返事をしようとしたミネルバに割り込むように、自分と同年代らしき男が近づいてきた。
そのまま、挑むような勢いで話しかけられた。
「アンタか? オレの大事なお嬢を連れ去った男は! ちょっとドラゴンを追い返したくらいでいい気に⋯⋯痛たたたたっ!?」
「いい加減、ちと黙ってろ。フェイ」
ガシッ! と。
詰め寄って来た男の顔面を、大柄の男が鷲掴みにして──持ち上げた。
持ち上げた男が、じっとこちらを見てくる。
持ち上げられた男は、泳ぐように足をバタバタと動かした。
なぜこの男はされるがまま持ち上げられたのか、ピッケルは不思議な気持ちだった。
男を持ち上げたまま向けてくる、大柄の男の、こちらを値踏みするような視線に気まずさを感じていると⋯⋯
「うん、ちょうど中に入るところよ。
久し振りに知り合いに会ったから、ちょっと話しをしてたの。
そのぶら下がってるのがフェイ、ぶら下げてるのがこのお店のマスターよ。昔からの知り合いなの」
ミネルバが、なんでもない事のように説明してきた。
「そうなんだ。はじめまして、俺はピッケルです、ミネルバがお世話になってます」
店のマスターと紹介された男は、挨拶に返事をすることもなくこちらを見てくる。
ぶら下がってる男は顔を塞がれているので、挨拶に返事などしないだろう、と思った。
しばらくして、主人が口を開いた。
「クワトロは、親父は元気か?」
「はい、元気です。⋯⋯父をご存知なんですか?」
「ああ、よーく知ってるよ。
あのヤローは、俺を冒険者から無理やり引退させて、この店をやるキッカケを作った男だ」
主人の表情は特に変わらなかった。
そのため、ピッケルは主人が父に対してどのような感情を持っているのかわからなかったが
「そうなんですか、父がご迷惑を掛けたようで、すみません」
取りあえず、謝罪の言葉を口にした。
ピッケルの言葉を聞いて、主人はふん、と鼻息を鳴らした。
持ち上げられているフェイは、少し動きが緩慢になった気がした。
「いや、別に怒っちゃいねえよ」
「なら良かったです⋯⋯でも、よく俺が息子だってわかりましたね?」
「見りゃあわかる、お前はアイツの若い頃にそっくりだ」
虎吼亭の主人は、少し目を細めた。
もしかしたら、笑ったのかも知れない──その強面の表情からは、はっきりと窺い知ることは出来なかったが。
ピッケルと虎吼亭の主人の話から判明した、義父と彼が知り合いだという事実に、ミネルバは驚いた。
虎吼亭には王都で活動し始めてから足繁く通っていたが、クワトロの話など聞いたことがなかった。
だが、クワトロとピッケルが親子だという話は、王都ではあまりしないほうが良いだろう。
それに加え、もう一つ理由があって、ミネルバは二人の話の間に割り込んだ。
「⋯⋯マスター、話はその辺にしない?」
「なんだミネルバ、そんなに腹空かせてるのか?」
「まぁ、お腹も空いてるけど⋯⋯それよりも」
ミネルバは指を差した。
主人がそちらに顔を向けると⋯⋯
顔を掴んでいるフェイが、もがき疲れたのか──それとも顔を掴まれているせいで満足に呼吸ができなかったのか──四肢の力が抜け、少し痙攣しながら、人形のようにぐったりとしていた。
店先での会話を切り上げ、店内へと入った。
王都に住んでいた頃、空席であれば常に座っていたテーブルがおあつらえ向きに空いていた。
冒険者になってすぐ、初めて虎吼亭へと食事に訪れた際に、ヨセフと食事をした席だ。
以来、空いていれば自然とこの席に座るようになった。
今日もまた、ミネルバは心の中で勝手に決めている指定席を自然と選び、ピッケルとガンツが少し遅れて座る。
今後、仮にピッケルが自分抜きでここで食事をする機会があれば、ここを選んでくれるといいなと思ったが、できればいつも一緒がいいなと思い直した。
そんな一人芝居のような惚気を頭に浮かべていると⋯⋯
「いやー、死ぬかと思ったよ、死んだばあちゃんの顔見えた気がしたわ」
臨死体験の告白をしつつ、顔を両手でさすりながら、フェイが空いている最後の席に腰を掛けた。
「人形を軒先に吊して、晴れを祈願する村があるらしいぜ? お前のおかげで明日は晴れだな」
「ガンツさん、ヒデーなぁ、ちょっとは心配してくださいよ」
ガンツとフェイの馬鹿話の間も、知らない人間が同席したのが不思議なのか、言葉を発する事もなく、ピッケルがフェイを見ている。
知り合い同士がたまたま店で出会って同席することなど珍しくはないが、ピッケルにとっては未体験だろう。
ピッケルは人見知りをするのだろうか。
今更ながら、考える。
一年前の、市場での出会いを彼と話すと、大抵ミネルバのことを手放しで「お姫様かと思った」などと誉めちぎるので、いつも照れて終わってしまう。
ミネルバからすればピッケルの初対面の印象は、お人好し過ぎて危なっかしい、純朴そうな田舎者の青年だ。
ただメロンを食べる自分の姿を見る時の優しい微笑みは、思い出すまでもなく、今は大好きな表情の一つだ。
自分たちの出会いは、彼が人見知りをするのか判断するのにあまり参考にならない。
とりあえず二人が気まずくなる前に仲を取り持とうと考え、ミネルバがフェイに声をかけた。
「フェイ、どうしたの? アントニーはいいの? あ、もしかして新婚祝いでおごってくれたりするわけ?」
流石にフェイも先ほどの事に懲りて、少しは大人しくするだろうとミネルバは軽口を叩いた。
そのほうが、この場は少し明るくなるだろう。
軽口を返してくると思いきや、フェイの口から出た発言は意外にも肯定だった。
「ああ、ここはオゴるぜ。
⋯⋯いや、変に騒いで悪かったなって。
お嬢が誰を選ぼうが、オレがあーだこーだいう資格なんてそもそもねぇもんな」
その通りよ、と強く同意したいが、やめておく。
少しふてくされた様子で自分とピッケルを交互に見るフェイに、思ったより明るい雰囲気にならず、当てが外れたような気持ちになる。
次の話をどう切り出そうか迷っていると、フェイは肩を竦める仕草をして話し始めた。
「さっきのは、ちょっと言ってみただけだ。
もうとっくに割り切ってるよ、流石に。
せっかくだし、お嬢のお眼鏡に叶った男と、一緒に飲み直したいと思ってね。
アントニーは今日は早く帰るらしい。オレが来たときにはもうかなり出来上がってたからな」
フェイがミネルバから視線を外し、ピッケルの方へと顔を向けた。
「オレはフェイ、盗賊兼情報屋だ。
王都では三年ほど仕事をしてて、お嬢にも何度か情報を買って貰った事があるんだ。よろしくな」
それまでとは違い、人懐っこい笑顔を浮かべてフェイが挨拶をした。
それには答えず、ピッケルは返事もせずにフェイの顔をじっと見ている。
表情は普通だが、なにも話さない旦那の事が気になり、ミネルバはしばらく考え──ポンと手のひらの上に拳を乗せて言った。
「ピッケル、盗賊って言っても人から物を盗んだり、傷つけたりする訳じゃないわ。
迷宮や遺跡で宝探しする時に、仕掛けられた罠の解除や、隠し扉の発見に長けた人をそう呼ぶのよ、紛らわしいけどね」
「え? ああ、そうなんだ。俺はピッケル。よろしく」
人見知り、という感じでもないが、どこかギクシャクした空気を感じる。
何か気になる事でもあるのか聞こうとすると、その前にフェイが話し始めた。
「で、今回ちょいと珍しい組み合わせだが、二人は夫婦だから当然として、なんでガンツさんが一緒に?」
世間話というわけでもないが、普通に話をした方が変な空気も解消されるだろう、とミネルバが思っていると⋯⋯
「それは俺から話そう」
と、ガンツも同じ考えだったのか、単純に特に内緒にする必要もないと判断したのか、事情を話し始めた。
ガンツとミランが東部で遭遇した出来事や、そのためにピッケル夫婦と共に東へ向かう、という内容だ。
話している間にミネルバはイリアへと酒と食事を注文し、出来上がった料理がテーブルに幾つか配膳される程度の時間、ガンツは話していた。
フェイは料理より先に届いた酒を、右手でチビチビと飲み、ウンウンと頷きながら⋯⋯
「しっかし、よりによって、相手が四矛四盾とはねぇ」
と、酒を持っていない左手で頭を掻きながら、眉間に皺を寄せた。
「知ってるの?」
「ああ、王国での知名度は低いが、帝国では有名だからな、耳には入ってるぜ。
っと、本来ならタダで話すのは情報屋としては無しだが、お嬢とガンツさんには世話になってるからサービスするよ。そのヤンってのは、『二矛』だ」
「二矛⋯⋯」
「ああ。オレなら関わらないようにするね。
⋯⋯まあ別に『四盾』でも、オレならそうするけど」
義父の話からすれば『二矛』ということは、四矛四盾で三番目に強い、ということだ。
ミネルバから見れば、その強さは遥か高みにある義父でさえ、若い頃に四番目である『二盾』から逃げ出したという。
当時の二盾と今の二矛となれば単純には比べられないのかもしれないが、同等か、それ以上に危険な相手だと考えて間違いないだろう。
そこでふと、今まで疑問にも思わなかったことが唐突に気になり、ミネルバはピッケルへと質問した。
「ねぇピッケル。お義父さまとピッケルって、どっちが強いの?」
ミネルバの問いに、何故かガンツの目が少し輝いた気がする。
まあ、好きなのだろう、こういう話が。
それはガンツが、なのか──もしかしたら男全般がそうなのかは知らないが──と考えた時、男全般ではなくガンツが、だとすぐに答えが出た。
ピッケルが特に興味なさげに答えてきたからだ。
「え? うーん、どうだろ? そもそも俺、誰かと強さを比べたりしたことないしなぁ⋯⋯父さんは色々な人と戦ったことあるみたいだけど」
ピッケルは首を捻りながら答えてきた。
その答えに、残念そうな表情のガンツは取りあえず放っておく。
確かに言われてみれば、二人が手合わせするような場面はこの一年間見た事がなかった。
そもそもピッケルの強さとは、基本的に対『害虫』にしか振るわれない。
人に対して使うという考えは、頭に無いのかもしれない。
となると、実際ヤンとやらと遭遇した場合、どうするのだろうと考えていると⋯⋯
「おーいミネルバ、ちょっと手伝え」
唐突な厨房からの呼び出しが、思考を中断させた。
「えー? いまー?」
ミネルバが厨房へと返事をすると
「ああ、頼む」
虎吼亭の主人からの手伝いの要請。
事情を知らない者からすれば、客に店の手伝いをさせるなんて、と思うかもしれないが、ミネルバは以前から──特に駆け出しの頃、よく店主から手伝いをさせられていた。
新人当時はあまり収入がなく、そのうえギルド設立の為、なけなしの収入でさえほとんど貯蓄に回していた。
それを知っていた主人が、簡単な店の手伝いをさせ、その代わりに食事の代金を免除してくれていたのだ。
つまり、久しぶりに顔を見せたミネルバに、無料で料理をご馳走するための方便なのだ。
ここにいる冒険者たちのほとんどが、主人には同様の世話になっている。
だからこそ、ある程度稼げるような冒険者でさえ、この店に足繁く通うのだ。
フェイが、「ここはオゴりだ」と言っていたが、貸しを作るなら主人の方が気も楽だ。
──もう、どうせ返せないほど世話になっているのだから。
「仕方ないわねぇ、今行くわ!」
表向きの面倒そうな口調とは裏腹に、内心では主人の心遣いに感謝しつつ、ミネルバは厨房へと向かった。




