ある日の監督官
辺境での争乱は、冒険者ギルド監督庁に勤めるアスナスの業務を大幅に増やしていた。
いつも通りの仕事では到底処理できない案件の量。
それを処理するために、アスナスは単純な方法を選択した。
いつもより早めに入庁し、監督官執務室に籠り、いつもより遅く帰る。
今日もその予定だった。
席に座り、冒険者への依頼が記載された、大量の書類の仕分けを黙々と行っていた。
冒険者ギルドや、そこに所属する冒険者によってそれぞれ依頼内容、その分野に対して得意、不得意がある。
それを適切に仕分けることは、民、冒険者双方にとって有益となる、重要な仕事だ。
これに不備があれば、民からの要望や依頼は滞ることになるし、不向きな依頼を冒険者に押し付ければ、犠牲を生むきっかけにもなりかねないため、手を抜けない大事な作業だ。
このペースなら、昨日よりは少し早めに帰れそうだ──少なくとも執務室で食事をしながら仕事をする必要はない程度には、と見通しが立ったころ、秘書官より来客を告げられた。
聞かされた訪問者の名前が、意外でもあり──来るべくして来たような気もして──うんざりとした心境になった。
デュエルマン公爵家の執政、ロイネス。
王の第一夫人、つまり現王妃マリアンヌの実兄、オーディロン=デュエルマン公爵に成り代わり、デュエルマン家の一切を取り仕切る、言わば公爵の右腕ともいえる男。
そんな男が、一介の冒険者ギルド監督官であるアスナスをわざわざ訪問して来るなど、用件は想像がつく。
「⋯⋯お通ししてくれ」
正直、仕事を優先したい。
だからと言って、当たり前だが会う気はないから帰れという訳にはいかない相手だ。
投げやりな気持ちがそのまま表れたように、手にした書類を机の上に指で投げ放つ。
書類は望んでいたような軌跡を描かず、ひらりと裏返ってしまった。それも癇に障ったが、再度拾い上げて表に返した。
この程度なら、すぐに事態を収拾できるというのに、そんなことを思う。
返事をしてすぐ、秘書官の案内でロイネスが入室してくるのを確認し、立ち上がって来客を迎える。
公爵家という大貴族に執政として仕える上級騎士が相手ともなれば、心境はどうあれ、礼を欠くような対応はできない。
本当ならすぐにでも帰ってもらいたい、それこそ書類を裏返す程度の労力で、などと思うが、そうもいかないだろうと思った。
「はじめまして、アスナス殿。お忙しいところ申し訳ありません。
以前王宮でお見かけしたことはありますが、このように改まって挨拶するのは確か初めてですな?」
こちらを確認するような視線を向けたあと、入室してきたロイネスが恭しく頭を下げてきた。
過去アスナスが王の近衛兵だったころ、公爵の供として付き従う姿を王宮で見かけた事はあっても、親しく挨拶を交わすような間柄ではなかった。
ましてや王宮を追われ、いまや冒険者ギルド監督官となったアスナスを、昔を懐かしんで個人的に訪ねて来るようなことはありえない。
当然、デュエルマン公爵の意向を汲んでの訪問だろう。
そして──そんな大物がアスナスに使いを出すなど、想定できる用件は一つしかなかった。
「ええ、はじめまして。このような所にわざわざご足労ありがとうございます。
呼びつけて頂ければ、こちらから伺いましたのに」
失礼がないように挨拶を返し、応接用の椅子を勧めつつロイネスを観察する。
年の頃はアスナスと同じ四十代前半。
執政ということで上級の使用人のようなものだと思われがちだが、先の辺境との戦乱でも公爵家の兵を指揮し、クワトロに次いで武功を上げた剛の者であり、その佇まいは堂々としている。
本来、冒険者ギルド監督庁のような民間向けの組織に、わざわざ足を運ぶような人間ではない。
それこそアスナスが言ったように、家人を使者として寄越し、呼び出せば済む立場だ。
勧めに応じてロイネスが座り、それを見たアスナスも「失礼します」と一言断ってから、対面に座る。
「いえ、近衛兵としてご活躍された『堅守卿』アスナス殿を呼びつけるほど私は不遜ではありません。
一武人として、私はあなたを尊敬しております。
本来このような場所で、冒険者ギルドの監督官のような立場でお仕事されるのは国家の損失です⋯⋯いえ、もちろんそれも大事なことだとは承知していますが」
追従を交えた言葉の言外に、過去の事──つまり、アスナスがクワトロのせいで近衛兵を解任された、という事を匂わせてくるロイネスの言葉に、アスナスは自分の予想が望まない形で当たっている事を確信する。
「過分な評価痛み入りますが、今の仕事は天職だと感じております。民や国家に奉仕している実感を日々得られますから。
『堅守卿』などと身の丈を超えた大層なあだ名で呼ばれた事もありますが、近衛兵は終日、同じ所に立っているのが仕事、というのも多いですからね。
もちろんそれが様々な事に対する抑止として必要だと、頭ではわかっておりますが、仕事のやりがいという点においては目に見える成果ではなく、精神的なものになりがちですから」
アスナスは過去にこだわっていない、むしろ今が充足していると伝わるような話を、あえて口にした。
それを聞いたロイネスは、軽く微笑みを浮かべつつ⋯⋯
「もちろんそうでしょう、しかし⋯⋯いえ、よしましょう。
私も非才の身ではありますがデュエルマン家の執政、当然駆け引きが必要な交渉を任されることもあります。
それなりに得意と自負しておりますが、やはり私は本来武人、好き嫌いで言ってしまえば、回りくどい挨拶や駆け引きはあまり好きではありません」
そして、身を乗り出すようにしながらロイネスが質問してきた。
「なので単刀直入に聞きます。一年前、黒竜を撃退したという『ピッケル』と名乗った冒険者の青年は、シャルロット様のご子息──つまり、国王陛下のご令孫であり、公爵閣下の又甥に当たるのではないですか?」
相手はストレートなカードを切ってきた。
アスナスに言わせれば「回りくどいのは嫌い」や「単刀直入」なんて言葉は、駆け引きの最たるものだ。
結局、自分たちに都合のいい事を言え、答えろという言葉と同じ意味の場合が多い。
さて、相手はどこまで調べ上げているのか。
この面談に取られる時間のせいで、どうせ今日も昨日と同様に帰りは遅くなるだろう。
アスナスはこうなったら事態を面白がることにしようと決めた。
目の前の男と違い、回りくどいことは別に嫌いではない。
少なくとも、片付く前に新たに追加される書類の整理よりは。
『堅守卿』のあだ名は、守りの固い武人と評価されたものだと皆が思っているようだが、実際は違う。
クワトロが「お前は口が固いから、悪さの相談が気兼ねなくできて助かる、そうだ、その口の固さに敬意を評し『堅守卿』とでも呼ぼうか、ははは」と、ふざけてつけたあだ名だと、本当の由来を目の前の男に告げたらどんな顔をするだろうか。
しかし当然、それを言うことはない。
なぜならそれを言ってしまえば、それこそ『堅守卿』を返上しなければならない。
皮肉なことだ。
そんな悪戯心に似た感情を芽生えさながら、質問に答えることにした。
「ほう、そんな噂があるのですか。
まぁ、英雄の裏に、実は隠された高貴な出自がある、なんてことを期待するのは、物語や噂にはままある事。
どこから出た話か存じませんが、突拍子もない、無責任な話だと感じますね」
「⋯⋯仰るとおり、これといった確証はありません。
ただ、その男は『ヴォルス』の姓を名乗り、あなたがその記述を削除するように内外に指示した、というところまでは調べがついております」
ロイネスが新たに把握している事実を小出しにしながら、こちらの反応を伺ってきたのを見て、単刀直入が聞いて呆れる、とアスナスは思った。
その上で、そこまでは当然調べがついているだろう、と予測していた。
でなければ、この訪問自体が不自然だ。
もちろん内心を表情に出すような真似はせず、アスナスは頷きながら答えた。
「ああ、なるほど。それで⋯⋯実を申せばその男に限らず、『ヴォルス』を名乗った人間は過去にも多数おりましたが、不要な混乱を避ける為に、私が気が付いた時にはいつも同じように家名の削除を指示しております。
クワトロ・ヴォルスのような、姫様の誘拐犯に憧れ、その名を借りる者が絶えないのは嘆かわしいことです」
「⋯⋯なるほど。いつも同じような事務処理をしている、と」
「左様です。もっとも我々もすべての冒険者を事細かく把握しているわけではありませんので、当然漏れている者も多数いるでしょうが。
しかし、確かにピッケルという男に関すれば、黒竜を撃退したことを見ても、少なくともクワトロの子を名乗るにふさわしい力を持っているようですが」
そこまで言葉を続けたあと、アスナスは少し考えるような仕草をして、このような事態を迎えた時のために以前から考えていた『言い訳』を口にした。
「とはいえクワトロは女好きな男でしたからなぁ、よその女に子を産ませている、なんてこともあるでしょうし、ヴォルス姓を名乗った、それをもってピッケルという男が、奴と姫様のご子息と決めつけるのは早計かと」
「⋯⋯たしかに、クワトロの子だからすなわち姫様のご子息、とは言えないかもしれませんな。ただし、仮にクワトロの子だと仮定した場合、やはり姫様のご子息という、その可能性は高いのでは?」
「そうですね、私個人は今の今まで考えもしておりませんでしたが⋯⋯そう言われれば可能性があるのかもしれませんね」
言いながら、考えてもいなかった、は流石に少し無理があったかな、とアスナス自身も思う。
実際、ピッケルがクワトロとシャルロット姫の息子だと、アスナス個人は確信している。
そして、現在の王室を取り巻く状況から、公爵家が姫の子供、その存在に固執する理由もわかる。
むしろ公爵家にとって、姫様に子供がいるというのは待ち望んでいたことだと容易に想像できる。
ただそれは、あくまで公爵家にとっての話で、ピッケルにとってどうかはわからない。わからない以上、アスナスは自分が出しゃばるような真似は控え、距離を置いて対応すべきだと感じている。
アスナスの態度に、らちが明かないと感じたのだろう、ロイネスはふうっとため息をついたのち、切り出した。
「わかりました。
アスナス殿とクワトロの過去の間柄を考えれば、何かしらご存知ではないかと期待しておりましたが、これ以上はお聞きしてもただいたずらにアスナス殿のお時間を奪ってしまうだけでしょう。
結局、事実確認ともなれば、本人か、それこそ姫様の口から聞くしかない、ということですな。
──であれば、もし、ピッケルという冒険者が再び王都に来て、アスナス殿を訪ねてくることがあれば、公爵家にお報せ頂くか、ピッケル殿ご本人に当家を訪問するように、と伝言をお願いできますでしょうか?」
ここまでの会話は前振りで、結局、これを言いに来たのだろう。
この要請は断れない、これを断るのはあまりにも不自然だ。
ピッケルが自分を訪ねてくる可能性⋯⋯わからない。
ない、と言い切れない。
八日ほど前に【栄光】のガンツが自分を訪ねてきた際、ピッケルの所在を教えた。
ガンツが現在抱えている事情もその時に聞いている。
あくまでも勘だが、ピッケルがアスナスの思うような人物であれば、【栄光】のマスターを救出に行くだろう。
その前に自分を訪ねてくる⋯⋯可能性はある、いや、高い。
山での暮らししか知らないピッケルは、おそらく辺境に妻を伴うはず。
そしてピッケルの妻となった、元【鳶鷹】ギルドマスターであるミネルバなら、戦場となる辺境に、ただで向かったりしないのではないか?
行き掛けの駄賃で、何かしら辺境でのクエストを受注する可能性は高いと感じる。
そしてギルドマスターの経験も豊富なミネルバなら、ギルドではなく、監督庁で依頼を吟味するだろう。
それ自体は、アスナスも望んでいることでもある。
今の状況は、幾らでも人手が欲しい。有能な冒険者ならなおさらだ。
仮にピッケルが王国側の傭兵に志願すれば、識王の軍も、そして自分の机に積まれた書類の案件の幾つかも、簡単に処理してくれそうだ。
それに、ここでロイネスの頼みを承諾するしないにかかわらず、今後アスナス自身の動向は、おそらく公爵家に監視される。
むしろ、ロイネスはそれを遠回しに伝えるために来たといっても過言ではない。
なら、この申し出に抵抗する意味はない。
「ええ、もちろん。すぐにでもお報せいたします」
アスナスの返答に、ロイネスは満足げな笑顔を浮かべて頷いた。
「ありがとうございます、ではよろしくお願い致します。
⋯⋯それとは別に、アスナス殿より当家の護衛に稽古をつけて頂けませんかな? 辺境との戦争も差し迫っておりますし、兵の質の向上を図りたいのです。
もちろん、相応の報酬はお支払い致します」
「ははは、ありがたいお申し出ではありますが⋯⋯私ごときが、ロイネス様が直々に稽古されている精鋭に、何かお伝えできるとはとても思えません」
「いえいえ。たまには別の方からの指導も兵にとって良い刺激となるもの。
今日、明日にでもすぐに、とは言いませんので、ぜひご一考頂ければ」
そう言ってロイネスは立ち上がり、アスナスへ向けて手を差し出して来た。
アスナスも立ち上がって手を握り返し、返事をする。
「はい、承知いたしました。
とはいえロイネス様ほどではありませんが、此度の戦争で冒険者向けの依頼も増えておりまして、私もそれなりに忙しくしております。
いつとはすぐには申し上げられないのは心苦しいですが、機会があればぜひお伺いいたします」
アスナス個人も公爵家に取り込もうとするその姿勢に、公爵家がピッケルに対して期待しているものの大きさ、その本気の度合いが伺える。
ロイネスが退出したのち、アスナスはふと先ほどまでのやりとりを思い出しながら、自らの事を疑問に思った。
なぜ自分は、ピッケルをクワトロと姫の子だと思うと言わなかったのか。
今更ながら思うのは、アスナスが仮にそう言ったところで、特に状況がすぐに変わることもないだろうということだ。
結局、ピッケル次第だ。
ピッケルがどうするか、でしかない。
だとしたら⋯⋯ああ、そうか。
アスナスは気が付いた。
結局、秘密の独占に快感をおぼえているのだ。
クワトロにいろいろ相談されて、それを心の中に留め、クワトロに『堅守卿』などと呼ばれたときも、自分だけが知っている事がある、そんな状況が楽しかった。
こんな面白いことを知っているのは、自分だけでいい、そんなことに独占欲が満たされるようになってしまっているのだ。
「まったく、これもアイツのせいだ」
今回は相手が相手だ、いつまでも自らの心の中にしまっておけるかはわからない。
ただ、その時が来るまでは、この秘密を楽しもう。
とりあえずその楽しみは、会談によって失った時間を取り戻すための残業代だ、と割り切ることとし、アスナスは書類の仕分け作業に戻った。