出発は前を向いて
その後、疲労の激しいガンツに食事をさせ、休ませようとシャルロットが提案し、話し合いは解散となった。
母屋にある、もともとピッケルが使用していた部屋へとガンツを泊めることになり、ピッケル夫妻は隣の自宅へと戻った。
明かりを消し、二人でベッドに入る。
すぐに寝息を立て始めたピッケルと対照的に、ミネルバはなかなか寝付けなかった。
上体を起こして小声で呪文を唱え、ベッドのそばに置かれた台の上にある、クワトロ手製の照明道具を起動する。
構造はよく知らないが、呪文によって起動する何かの魔法具らしい。
王都にも同様の魔法具は存在するが、光量や持続性において比べものにならない。
それなりに希少な素材が使われているらしく、量産は難しい、とのことだが、ミネルバの実家にも一つ持っていくように言われている、とはいえそれは来年以降、ということになってしまったが。
布張りの箱のような見た目で、光源が直接目に触れないようになっているため、室内に薄く、やさしい明りが灯った。
視界が確保されたことを契機に、ミネルバはピッケルの方を見る。
明りに照らされる旦那の寝顔を見ながら⋯⋯
「ほぼ人間、かぁ⋯⋯」
義母の言葉を思い出し、口にしてみる。
ほぼ、人間。
つまり、人間ではない。
聞いたその時は、そこまで特に何も思わなかったが、改めて考えるとどういうことなのか? という疑問が浮かぶ。
人間離れしている、という言い方ではなかった。
人間離れしているというのは、あくまでも人間に使う言葉だ。
牛や馬、モンスターに人間離れしているなんて言わない、だって人間じゃないからわかりきっていることだ。
義母の言った言葉は、そういった言葉のあやではなく、明らかに別の存在であることを示唆していた。
寝てる姿をこうして見る限りは、人と何も変わらないように見える。
実際、ほとんど違いがないとも言っていた。
でも、何かが違うから、普通には子供ができないのだろう。
考えてもきっと、答えが出ないその問いを、なんとなくミネルバが考えていると⋯⋯
「うーん⋯⋯」
ピッケルが寝言と寝息の間のような声を出しながら、何か手をもぞもぞと動かし始めた。
起こしてしまったのかと思ったミネルバは、再び明りを消してベッドへと身を沈める。
すると、何かを探すように手を動かしていたピッケルが、彼女の体を抱きしめると、安心したように再びすやすやと眠り始めた。
まぁ、とりあえずいいかな? ほぼ人間、についてはまた考えよ⋯⋯
ピッケルの胸に顔を埋め、彼の体温、そのぬくもりの心地よさを感じながらしばらく目をつぶっていると、ミネルバもいつのまにか眠りについた。
_________
翌日、クワトロから「出発は二、三日待ってほしい」と言われた。
ガンツは少し焦っていた様子だったが、ミネルバとしてはすでに辺境行きには賛同したとはいえ、積極的に
今すぐにでも行きたい!
というわけではなかったので、否もなかった。
収穫した農作物が痛まないか気になったが、義母が「時間経過遅延」の魔法を使用したとのことで、特に心配は無いようだった。
クワトロは工房に籠り何かを作っているようだったが、特に手伝うこともないので、のんびりと過ごしていた。
ガンツはクワトロのマッサージのおかげで疲労からは回復していたが、あまり家の外に出ようとしなかった。
ここに来るまでに、よほど恐ろしい目にあったのだろう。
──そしてガンツが来て三日目の朝、クワトロに工房の前へと呼び出され、全員が集合した。
「集まったな」
クワトロの言葉に、各自が頷く。
「呼び出した理由はそれ?」
ピッケルがクワトロの横にある、白い大きな布に覆われた何かを指した。
かなり大きい、おそらく馬車ほどの大きさだろうかとミネルバが思っていると、クワトロがにやりと笑って、自慢げに話し始めた。
「ああ、こいつは俺の最近の中では一番の自信作となった。
全員、注目!
そして⋯⋯オープン!」
クワトロが謎の物体に被せてあった布を引き、その下にあるものが姿を見せた。
屋根付きの、四輪のリヤカーだった。
ただ、大きい。
去年、王都にピッケルが引いて行ったリヤカーのほぼ倍程の大きさだろうか。
荷台の前に、背もたれの付いた座席が二列ほど設置されており、四人ほどが腰を掛けるスペースがある。
荷台は木をベースに、ところどころを金属で補強されており、車軸などは金属だけでできているようだ。
座席まで覆われた屋根は、ミネルバが座席の上に立ち上がれるほど高い。
その天井部分に、箱のようなものがついている。
「⋯⋯なんですか、これ? リヤカーにしては、やたら大きいですけど」
ミネルバはこのリヤカーが何なのかわからずに質問した。
クワトロは自慢げな表情を崩さず答えた。
「名付けて、【走快リヤカー】だ!」
「⋯⋯」
質問に答えてもらったにもかかわらず、ミネルバはますます混乱した。
とりあえず、名前がダサい、現状だとそれしか情報がない。
クワトロはピッケルの方を向き、牽引用のハンドルを握るように指示する。
ピッケルがハンドルを握ると、クワトロは次の指示を出した。
「ピッケル、【綿毛】だ」
「【綿毛】? うん、了解」
謎のやり取りをする二人を見ていると、義母が「なるほどねぇ」とつぶやいた。
理解の追い付かないミネルバとガンツをよそに、ピッケルが突如、何かを口にし始めた。
それは、聞いたことのない言葉だった。
いや、言葉であるのかすら疑わしい。
うがいをしながら話した言葉をかすれさせたような、地の底から響いてくるような、少し本能に警戒を感じさせる不気味な声。
何か、獣のようだった。
いや、これは⋯⋯ミネルバには聞き覚えがあった。
「ドラゴンの⋯⋯声?」
「そうよ、竜言語ね。【綿毛】は、竜が飛ぶときに使う言葉よ」
となると、竜の魔法ということなのだろうか?
ミネルバのつぶやきに義母が答えるのと同時に、リヤカーに変化が起きた。
ふわっと⋯⋯浮いた。
「う、う、う、浮いてるぅー!?」
ミネルバは地面から少し離れ、ふわふわと浮いているリヤカーを見て叫んだ。
普段は冷静なふるまいの目立つガンツも、口を開けていた。
彼女らのリアクションがよほど気に入ったのか、クワトロが自分の作品の解説を始めた。
「これぞ【走快リヤカー】の浮遊モードだ!」
「ふ、浮遊モード!?」
クワトロはリヤカーの屋根に取り付けられた箱を見ながら、解説を続けた。
「あそこ、屋根の所に箱があるだろ? あそこに【竜玉】が入っている。
竜玉ってのはドラゴンの成長とともに体内で生成される硬い石で、竜語で【綿毛】の言葉に反応してドラゴンに浮力を与え、周囲の風の影響を抑える効果を持っている。
あの巨体が空を飛べるのも、それが理由だ。
本来なら竜玉を宿した竜自身の言葉にしか反応しないんだが、ハンドルを握る人間を竜玉の所有者に設定するように調整した、これが一番大変だった」
「はあ⋯⋯」
「これがあれば、地形や荷物の重さ、風や空気の抵抗の影響を受けずにリヤカーを引っ張れる、竜語が使えるのが最低条件だけどな」
「そうですか⋯⋯」
「つまり、車体への影響や振動などを一切気にせず、ピッケルの走る速度を、ほとんどそのまま出せるってことだ」
「⋯⋯!」
その言葉にミネルバは、はっとした表情を浮かべ、やっとこのリヤカーをクワトロが作った理由に思い至った。
その表情から、クワトロは彼女が答えにたどり着いたことを確信して、先回りするように言った。
「つまり、急げば辺境に行って用事を済ませてからブルードラゴンの所に向かっても、今回の農閑期が終わるのに間に合うだろう」
「ありがとうございますお義父さま! 最高です!」
感情の高ぶったミネルバは、思わずクワトロに抱きついた。
彼女の頭に、クワトロはポンポンと頭に手を載せてから
「ミネルバみたいな出来た嫁に、不要な我慢させるのはヴォルス家の名折れだからな。
それに俺だって、早く孫の顔が見たいからな。」
そう言って彼女の喜びの声に答えた。
しばらくしてミネルバがクワトロから身体を離したころ、ピッケルがハンドルから手を放し、戻ってきて感心したように言った。
「でも、大変だったでしょ? この大きさのものを作るのは」
「流石だなピッケル、わかるか」
「本当にすごいわ、こんなリヤカーを三日で作ってしまうなんて⋯⋯」
すると、彼女の賞賛の声を聞いたピッケルとクワトロが、「ん?」という表情でミネルバを見てきた。
あれ、変な事言ったかしら、とミネルバが思っていると。
「リヤカーじゃないよミネルバ、あれあれ」
「リヤカーは一日で作った、正確には半日だな」
ピッケルの指は、リヤカーを覆っていた布に向いていた。
「布!? そっち!?」
「ああ、大変だったぜ、これほどの物を覆うほどの布を織るのはな!
やっぱ作ったものをババーンと発表するのに、外観を隠すための布は欠かせないしな!」
「⋯⋯この一刻を争う状況で何にこだわり見せてんですか!?
ピッケルもわかるわかるみたいに頷かないの!」
謎のこだわりに盛り上がる二人のことを見ながら、改めて、やっぱりほぼ人間だから感覚違うのかしら、とミネルバは思った。
──その後、布は撥水効果もある丈夫なもので、雨の時はリヤカーに被せて車体の劣化を防ぐのに必要なこと、布を車体に固定することでテントとなり、野営などもリヤカーで行えるようにする優れものだと聞いて、なんとか納得することにした。
──────────
リヤカーへと農作物や旅の荷物を積み終え、いよいよ出発となった。
出発前にクワトロから、【走快リヤカー】を使用する上での注意点を伝えられた。
急発進や急停車は人を含めた積載物が車体から飛び出すという危険性があるため行わないこと、そのため常に前方には注意する事、人通りが多いとその危険性が増えるため、街中では浮遊モードにしない方が良いなど。
あとは王都に寄った際にアスナスの元に向かい、彼に今後の相談をした方がいいだろうというアドバイスだった。
その後、クワトロはピッケルだけを呼び、二人で語り始めた。
「ピッケル、今回のことから何を学んだ?」
クワトロの質問に、ピッケルはしばらく考えてから答えた。
「⋯⋯どっちか選ばないといけないと勝手に思い込んで、勝手に一方を諦めたりすべきじゃない、それを父さんから教わったよ、ありがとう」
「そうだ。
確かに、どうしても諦めなきゃいけないことってのはある。
でもな、それは可能性を突き詰めた上で判断するんだ。
欲張りになれ。
お前にはそうできるように、今までいろいろ教えてきたはずだ」
「うん⋯⋯そうだね」
「それをこれからも学ぶためにも、一つ言っておく。
お前がここでの生活を愛していることはわかる。
⋯⋯でもな、お前はまだ若い。
もっと、世界を見ろ、ここでの生活、考え方に縛られる必要なんかないからな。
父さんも母さんも、まだ二人でこの生活は維持できるし、お前が居なくてもなんとでもなる。
お前が何かやりたいと思えば、何でも実現できる、そう育てたつもりだ。
もちろん、ここに戻ってきてもいい。
⋯⋯とにかく、折角の機会だ、色々見てこい。
そして自分の『道』が見えたなら、俺たちのことなんて考えず、迷わず選んでいいからな?」
「うん、わかった」
その後クワトロは黙って拳を突き出した。
ピッケルはその拳に、自身の拳をこつんと合わせ、宣言した。
「とりあえず、これが『道』かどうかはわからないけど、まずはさっさとミランさんを助けて、ブルードラゴンに会ってくるよ。
もしその過程で、俺が進みたい『道』が見つかったら、戻ってきてから報告するよ」
「ああ、そうしてくれ」
父との会話を終えたピッケルはリヤカーへと戻り、ハンドルを握る。
後ろを振り返り、すでに座席に座っている二人に声をかけた。
「じゃあ出発するよ!」
「うん!」
「ああ」
二人の返事を聞き、ピッケルが竜語を使ってリヤカーを浮かせた。
その後再度振り返り、出発を見守る両親へと声を掛けた。
「じゃあ、行ってくる!」
「ああ、行ってこい」
「気を付けてくださいね、ピッケル」
しばしの別れの前に、腕を組みながら返事する父と、腕を振りながら答えた母の姿を目に焼き付けたあと、ピッケルは前を向き、最初はゆっくり、そして次第にスピードを上げながら駆け出した。
──やがて街道へと到着し、その上を走りながら思う。
最初は、王都へと農作物を卸すために進んだ。
次は、ミネルバに会いに行くためだった。
どちらも目的地は王都だった。
今回は、その先がある。
父に『道』を探せと言われたからか、初めて走る道では無いにも関わらず、この街道はどこまでも続いているように感じた。
その瞳は、果てしない先を見据えるように、真っ直ぐと、前に向けられていた。
──そしてその後ろの座席の二人は⋯⋯
「ちょっ⋯⋯まっ⋯⋯ピッケ⋯⋯速⋯⋯」
「⋯⋯」
ピッケルの全力疾走。
そのあまりの速さに、ミネルバは辛うじて意識を繋ぎとめながらつぶやき、ガンツは恐怖から半分気を失っていた。
ただ、真っ直ぐと、前だけを見ていたピッケルがそれに気が付くには、暫しの時間を要した。