紺服の男
国境の街エンダムを抜け、ミランとガンツはいよいよ辺境へ向かった。
左右に平原が広がり、ところどころ村や畑が見える街道を二日ほど進む。
街道は辺境側の森へとぶつかり、森の中を縦断するようにさらにその先へと続いた。
まもなくイブロンティアへと到着、というところで
「識王軍による王国の人間の拘束のこともあるし、ここからは慎重に行こう」
「そうですね、警戒して損は無いでしょうし」
ミランからの提案で、森の中を街道沿いに、周囲の様子を慎重に伺いながら進む。
面倒ではあったが、実際辺境側の状況が分からないので、警戒することにガンツも異議などあろうはずもなかった。
さらに進み、間もなくイブロンティアというところで、唐突に門があった。
通行人を管理するために備え付けられたと思われる、木材と少量の鉄で作られた、扉もない簡素な門だ。
「急拵えに見えるな」
「そうですね、元々あったという感じでは無いですね」
門の粗末さに、ミランとガンツが感想を言い合ってしばらくした頃⋯⋯
その門の間から、数人の男女が飛び出してきた。
次に、それらを追うよう複数の武装した兵隊たちが、ミランたちとは違い街道を王国側へと逆走してくるのが確認できた。
相手側からはこちらを視認できないだろう、警戒が吉と出たとガンツが感じていると。
「ガンツ、念の為隠れるぞ」
「はい」
ミランから指示を受け、森に生える藪の中へ膝立ちで身を潜め、気配を消す。
しばらくして、逃亡してきたのが男三人、女二人だとはっきり確認できる距離となったあたりで、追手の兵たちが先行していた五人に追いついた。
追手は七人。
国境の警備が任務と思われる兵士が六人、それぞれが剣や槍、金属や革の鎧で武装している。
ガンツの見立てでは、それほど装備品の質は良くなさそうだ。
そしてその後ろに、やたらと興味が引かれる男がいる。
袖が異様に広く大きく、布を体の前で重ねるようにしつつ、腰のあたりを同じく布でできた帯で結ぶことでそれを閉じたような、ゆったりとした鮮やかな紺の服を着た男が控えている。
見たことのない恰好だが、布は上等なものに見える。
辺境の見知らぬ部族の衣装なのだろうか?
一見して戦闘には不向きそうな姿の男を不思議な思いでガンツが見ていると、兵士が話し始めたので、注意をそちらに向けた。
「おい、これ以上逃げるなら身の安全は保障しないぞ」
先頭にいた兵隊から、男女へと警告が飛ぶ。
男女の中でも、一番年配の男が
「わ、我々は拘束されるようないわれはない! 町にも行商に赴いただけだ!」
と、兵隊たちからの扱いに不服を申し立てた。
男の言葉に、兵隊はにやにやと下卑た笑みを浮かべ⋯⋯
「悪いが、王命でね。
怪しい奴は身分問わず拘束するように指示を受けている。
抵抗するなら、殺害する許可とともに、な。
お前が一行のリーダーなら、どうするか、選べ
おとなしく捕まるか、それともここで斬られるのかを、な」
選択を迫りながら剣を抜いた。
人数、装備の有利なこの状況で抵抗などないだろうに、いやらしい念の押しようだとガンツは感じた。
それは傍から見て、優位な状態で獲物をいたぶることに快感を覚える狩人のように歪んで見えた。
すると、そのやり取りを後ろから見ていた紺服の男がため息交じりに
「かわいそうじゃない。
識王様からの指示は、重要な情報を持っていそうな人間と、諜報や破壊工作しそうな危険人物の捕縛でしょ?
とてもそうは見えないよ。
逃がしてあげれば?」
と、明らかに面倒そうに兵士へと言葉を投げかけた。
その言葉に、少し希望を見出したように表情を明るくする逃亡者たちとは対照的に、剣を構えた先頭の兵士は、その物言いに少しムッとした表情で振り返り
「ヤン様。あなたはハーン帝国のお偉い方だと聞いていますが、あくまで客人。
王命で動く我々に対し、指図は無用に存じます」
お互いの立場を主張しつつ、キッパリと提案を却下する。
「指図するつもりはなかったんだ、ごめんね」
ヤンと呼ばれた男は肩をすくめて、それ以上食い下がる様子もなく答えた。
あっさりと引き下がる紺服の様子に、逃亡者たちの顔に再び影が差す。
その返答に真面目な表情を維持しつつも満足そうに頷く兵と、紺服の男のやり取りを聞いていたミランが、声を立てないように
「ハーンの人間⋯⋯この戦争の裏に、ハーン帝国がいるってことか?」
自らの考えを確認するように独り言をつぶやく。
ガンツはその隣で、兵士と紺服の男のやり取りで得た情報で、頭の中でソロバンを弾いていた。
裏にハーン帝国がいる。
これは恐らく、まだ誰も掴んでいない情報だろう。
最近行われている王国人の拘束、これは恐らく現場兵士の暴走。
識王の命令を勝手に拡大解釈し、動いているのだろう。
所持品を没収しての小遣い稼ぎや、身代金目的、といったところか。
さて、どの情報が金になるのか、などと考えていた。
──と。
「じゃあさ、そこの茂みの人たちも捕まえるのかい?
さっきから、こそこそとこっちを見てるみたいだけどさ」
ヤンが兵士の方を見ながら、ガンツとミランの方へと指だけを向けた。
唐突に存在をバラされ、ミランとガンツが顔を見合わせる。
二人とも昨日今日冒険者になった訳ではない、気配の消し方はそれなりに自信がある。
現に今も細心の注意を払い、兵士達から見て風下にいるし、声も決して聞こえるような大きさではなかったはずだ。
にも関わらず気が付かれた、それはヤンと呼ばれた男の、気配を捉える能力が並外れている事を示していた。
しかし、突然行われた存在の指摘に慌てることなく、ミランは小声で呪文の詠唱を開始し、ガンツも冷静さを失うことなく、腰に下げた剣の柄に手を添えた。
ヤンの言葉に、兵隊たちが一斉に二人が身を隠す茂みへと目を向け、武器を構えながら慎重に歩み寄ってくる。
「おい、出てこ⋯⋯」
兵士が未だ姿を見せないこちらへ命令するのと同時に──
「青玉鎖!」
ミランが勢いよく立ち上がり、両手の指を広げて突き出しながら呪文を唱えた。
その指先から、人間の指の太さほどの輪で構成された、青い鎖が数十本生み出され、兵隊と、ヤンを拘束するように巻き付いた。
「な、なんだいきなり! クソ! 動けん!」
慌てる兵たちの声を聴きながら⋯⋯
充分な時間が稼げる、とガンツは確信していた。
ミランが今回使用した魔法「青玉鎖」は、怪力を誇るオーガなどでさえ、長時間拘束可能な強力なものだからだ。
冒険者にとって逃げ足は重要なスキルだが、その中でも彼のギルドの長は、その能力に関しては王都でもトップクラスだ。
呪文が効果を発揮したのを見たミランが、呆然とした様子の男女へと声を掛けた。
「逃げろ!」
突然の事態に固まっていた五人が、顔を見合わせるようにしていると⋯⋯
「早くしろ! いつまでも呪文の効果は維持できんぞ!」
ミランの叫び声と、鎖の拘束から逃れようと暴れる兵隊たちを見比べて、男女はようやく事態を飲み込み、一斉に走り出した。
「手間取らせやがって! ガンツ! 俺たちも行くぞ!」
「はい!」
ミランが指先から鎖を切り離すと、指から離れた部分が、ショートソードの刃渡りほどの長さの、錐状の形に変化した。
錐が落下して深く地面へと突き刺さり、兵たちの拘束を維持する。
同時に、二人が駆け出そうとした、その時──
ぱきん!
と、金属製の剣が折れるような、耳慣れない音が鳴り響いたのを聞き、ガンツは音がした方向を見た。
すると、ヤンがあっさりと魔法でできた鎖を引きちぎっていた。
そしてそのまま二人へと歩み寄りながら、少し笑みを浮かべて面白がるような表情でミランを見た。
「なかなか強力な術だね。
退屈しのぎで手伝っていた国境警備で、こんな術の使い手に出会えるなんてね。
でも、拘束術じゃなく、攻撃魔法を使うべきだったね。
私はともかく、兵たちなら君の実力なら一掃できるでしょ?」
男の言葉に、ミランが苦虫を噛んだような顔をしながら
「期待外れですまねぇが、あんま得意じゃないんだ、攻撃魔法は」
と、男の言葉を否定した。
ミランの言葉に、ガンツの心中に忌まわしい記憶が浮かんだ。
ミランは昔は攻撃魔法の方が得意だった。
しかし、ある失敗をしたときから、それ以来攻撃魔法は詠唱しても発動していない。
──術の制御に失敗し、氷ついていく世界がガンツの脳裏に浮かぶ。
恐らくミランも同様だろう。
いや、自らの失敗だ、さらにハッキリと思い出しているに違いない。
⋯⋯再起を期して歩み始めたとはいえ、すぐに割り切る、という訳にはいかないのだろう。
当然、そんな事情など知らないヤンは、首を傾げた。
「ふーん、そうは思えないけど⋯⋯まあいいか。
たとえそうだとしても、弱点を相手に言わない方がいいと思うよ?」
「へっ⋯⋯ご忠告どーも!」
こちらを見下したような物言いに答えるやいなや、ミランは再び呪文を詠唱し始めると、それを耳にした男が面白そうに眉を上げた。
「かなりの力を感じる詠唱内容だね。
だとしたらますます、信用できなくなるなぁ、さっきの言葉」
男が言うのと同時に、ミランの魔法が完成する。
「金剛壁!」
左手の掌に、右手の拳をぶつけながら叫ぶ。
するとミランとガンツ、そして対面するヤンの中間に、光輝く魔法の壁が生み出された。
それはミランが使用できる中でも、最高の防御魔法。
空間を断絶する魔法の壁を生み出し、相手の接近や遠距離攻撃を完全に防ぐ、師直伝のミランの奥義。
幾度となく二人の命を救ってきた、一日に最高で二回しか使えないとっておきの魔法だ。
「ガンツ! 今のうちに逃げるぞ!」
「は、はい」
魔法の使用を終えたあとで下されたミランの命令に、ガンツが従おうとした、その時⋯⋯
ヤンが右足を上げた。
そしてその足を勢いよく地面を打ち付けた瞬間──
辺りに響き渡る「ダンッ!」という激しい音とともに、地面にすさまじい衝撃が発生した。
その衝撃が、ミランの生み出した魔法の壁に激突した瞬間、壁は少し震えたあと、あっさりと霧散した。
衝撃はそれにとどまらず周囲の地面を激しく揺らし、その揺れからミランとガンツはその場に転倒した。
振動はそのまま、兵士を捕らえていた青い鎖も粉々に破壊し、拘束という支えを失った兵隊たちも同様にその場に倒れた。
ただ一人その場に立つヤンは、引き起こした事象を誇る様子もなく、二人へと歩み寄ってきた。
起きた出来事がショックだったのか、ミランが小さくつぶやくのがガンツの耳に届いた。
「マジかよ⋯⋯黒竜のブレスを耐えた、俺の魔法が⋯⋯」
──と。
ミランの言葉に、なにか引っかかったのか。
ヤンは歩みを止め、少し考えるような仕草のあと、興味深そうに発言した。
「へぇ、黒竜⋯⋯?
あ、それじゃ王都をアイツに襲わせた時、その場にいたんだ。
そっかそっか」
考えをまとめる為の独り言なのか、ヤンはそう言ったあと更に言葉を続けた。
「⋯⋯じゃあさ、黒竜を撃退した男、知っているかい?
仲間から聞いててね、ちょっと興味があるんだ」
ショックを受けていた様子のミランが、ヤンの言葉にピクリと反応を見せた。
そしていつもの調子で、軽口を叩くように言った。
「ああ、その男なら、よーく知ってるぜ?」
ミランの言葉に、ヤンは嬉しそうな顔で提案してきた。
「じゃあ教えてよ、そしたらこの場は見逃してあげるよ」
「へえ? サービス精神旺盛だな、そんなことでいいのか?
そりゃあ素晴らしい条件だ」
「そうでしょ?」
そこまで話したあと、ミランはにやりと笑い説明を始めた。
「あいつは、俺の恩人で、仲間で、俺に色々と寄越しやがった、とても返せないほどな」
「⋯⋯いや、そーいうのじゃなく、なんか具体的に住んでるとことか、そういう情報を教えてよ」
ヤンが具体的な内容を指定してきたのを、ミランが鼻で笑いながら
「お前みたいな奴にはちゃんと言わないとわからねぇか。
お前がなんでアイツのこと知りたがってるか知らねぇが、いくら命惜しいとはいえ、恩人のことを売るわけないだろ? ばーか」
と、からかうような表情で、挑発的に答えた。
ミランの返答を聞いた瞬間、ヤンは素早く踏み込み、ミランの胸のあたりにこつん、と拳を当てた。
さほど力を込めたように感じないその拳を受け、ミランは糸が切れた操り人形のように地面に伏した。
ヤンは赤子を持ち上げるかのように、軽々と、自身の左の肩に気を失ったミランを抱え上げながら、地面に腰を下ろしたままのガンツを見下ろしてきた。
「ねぇそっちの人、その仲間とやらを連れてきてよ。
そしたらこの人返してあげるよ」
「⋯⋯居場所は、知らん」
ガンツは答えながら、この場を打開する方法を必死で考えるが、何も手が思いつかない。
そんなガンツへと、紺服の男は更に追い討ちをかけるような事を言ってきた。
「なら必死で探しなよ、仲間を救いたいなら⋯⋯さ。
ちなみに、今この人の心臓に『術』を使ったから、大体三か月くらいでこの人死ぬよ? それが期限ってことで。
王都に行って、また戻ってくるとしても、急げば充分間に合うよね?
じゃあよろしくね」
目まぐるしく変わる事態に思考が追い付かない。
言葉を失うガンツをそのままにして、ヤンが立ち去ろうとするが⋯⋯。
「それは、困ります。
そちらの男も拘束させてもらいます」
ヤンの言葉を否定するように発言したのは、鎖から解き放たれ、起き上がってきた識王の兵隊だった。
ヤンは不服そうに
「えー。私がいなければ本来逃げられてたんだから、いいじゃない、見逃してあげてよ」
と兵士に向かって要望を伝えた。
兵士は頭をふりながら、ヤンに
「それについてはお礼を申し上げますが、それはそれ、です。
我々は王命を優先しなければなりません」
と、あくまでガンツの拘束を主張した。
ヤンは「うーん」としばらく考えごとをしている様子だったが⋯⋯
「あ、いい考えがある! こうしよう」
と言いながら、同意を求めるように、兵士の肩にぽんと手を乗せた。
「良い考え、とは?」
「こうするのさ」
ヤンは兵士の肩に乗せた手を、地面に向けて振りおろした。
──兵士ごと。
拘束を頑なに主張した兵士は、鎧のきしむ音と、骨が折れる音をさせながら、ヤンの手と地面に挟まれ、ドラゴンや巨人のような大型の生き物に踏まれたように、半身を潰され、地面のシミと化した。
潰された半身に引っ張られるようにもう半身が地面へと引き倒される。
周囲の人間が、予想もしていなかった展開に言葉を失い、しばらく経ってから⋯⋯
「うわあああ、な、何を!」
潰された兵士の同僚の一人が、起きた出来事を理解するとともに、目の前の出来事の理不尽さを理解するのを拒否するかのように、叫び声を上げた。
ヤンはそちらを見て、いたずらが上手くいったのを、誇らし気に語る子供のような表情で説明を始めた。
「いや、君たちはこの冒険者たちを拘束しようとして、返り討ちにあった、ってことにしようと思って。
良い考えだと思わない?」
「ば、ばかな! なんのために!?」
「だって、王命優先で私のお願いは聞けないんだろう?
なら、私の希望を叶えるには、こうするしかないじゃないか」
そう言って、ヤンは兵士たちへ向けて歩み出す。
先ほどまで、王国の人間を狩る側だった兵士たちは、その立場をあっさりと変えた。
逃げるのは無駄だと悟りつつ、兵士達は逃げようと振り返った。
そしてそれほど時を置かず、その場に六体の死体が並ぶことになった。
まるで出荷する予定の家畜を潰すような、感情の変化を感じることのできないその作業を、ガンツは茫然自失で眺めていた。
そして無表情のまま、熟練の職人のように、一切返り血を浴びることなく作業を終えたヤンは、そこで初めて作業を誇るように微笑みを浮かべながら歩み寄り
「それじゃあさっきの件、お願いね。頼んだよ?」
と、ガンツに顔を寄せて、念を押すように依頼してきた。
そして返事を聞くこともなく振り返り、ミランを肩に担いだまま、優雅ささえ感じるゆっくりとした歩調で去っていった。
しばらくガンツは、それまでと同様に、男の後ろ姿を呆然と眺め続けた⋯⋯。