兆候
ガンツが訪問してきたことをミネルバがクワトロへと伝言すると、母屋に連れてくるように、と指示を受けた。
ピッケル、ミネルバ、そしてかなり疲労している様子のガンツを含め、母屋へと移動したあと、各々がいつもの食事用のテーブルの席に着く。
椅子は家族の数と同じ四つしか置いてないので、普段クワトロが座る場所へガンツを座らせ、本来の席の持ち主は壁際に立ち話に参加することにしたようだった。
シャルロットから出された茶をガンツは口に含み、それによって自分が喉がカラカラだったことを思い出したように、ごくごくと喉を鳴らし、勢いよく飲み干した。
その様子から、ほとんど休みも取らずここまで来たのだろうと予測したシャルロットが
「お腹はへっていませんか? よろしければ簡単なものならすぐお出しできますが」
と、お茶のおかわりを注ぎながら聞いた。
確かに空腹ではある、それも茶を飲んで落ち着いたからこそ思うことではあったが。
だが、ガンツは首を横に振り
「お気遣いありがとうございます、でも、先にご挨拶と事情の説明をさせていただければと思います」
前置きしたあと、立ち上がって説明を始めた。
「ピッケル君のご両親にまずはご挨拶をさせて頂きます。
私は、王都の冒険者ギルド【栄光】の職員兼、所属する冒険者のガンツと申します。
その節は、当ギルドがピッケル君に大変お世話になりました。
そして、まことに図々しいお願いなのですが、この度は再びピッケル君に助力願いたいと思い、ここまで来ました」
冒険者らしからぬ丁寧さを伴って述べられたその言葉に、クワトロは少し懐かしむような顔で微笑みながら、手の動きでガンツに座る事をうながしつつ話しかけた。
「【栄光】か、懐かしいな、俺も昔、そこに所属してたんだ。
ちなみにここの事は誰に聞いたんだ?」
再び席に着いたガンツが、クワトロの問いに答える。
「はい、ギルド監督官のアスナス様に聞きました。
ピッケル君の家名を記録に残さないように指示を頂いたことがあり、何かしらの事情をご存じなのではないかと」
「ち、あいつ、借りばっかり増やしやがって⋯⋯
なるほどな、で、本題は?」
「はい、まずその前に、どういうことがあったのか、経緯をお話しさせて貰えれば、と思います。
始まりは、およそ三か月前の事でした⋯⋯」
実直そうに語るガンツの言葉を聞きながらも、ミネルバは警戒を崩さなかった。
ギルド【栄光】のナンバー2、ガンツ。
まぁ二人しかいないギルドでナンバー1、2を競ってもしょうがないが、そういう存在だ。
性格は冷静で、剣の腕前はかなり達者だと聞いている。
印象としては、自身が運営していた【鳶鷹】のヨセフに似ている、ギルドナンバー2という事実が、思考にフィルターをかけてそう思わせるのかもしれないが。
望めば、栄光以外に所属することも可能だろう、しかしミランとは昔馴染みとのことで、彼とは腐れ縁だといつも言っているとか。
つまりミラン同様、ろくでなしだろう。
ピッケルがSクラス冒険者となった経緯を聞く限りは、そう判断するしかない。
そしてまた、ピッケルを利用するために現れたのなら⋯⋯きちんと追い返してみせる。
ミネルバはそのような気持ちで、ガンツの言葉を聞いていた。
──────────
三か月前、冒険者ギルド【栄光】にて。
「国境の調査、ですか?」
「ああ、何やら【識王】の軍が変な動きを見せているらしい」
ミランに渡された書類を見ながら、ガンツは記載されている内容について質問した。
そこには「識王軍が辺境側国境の町、イブロンティアへと集結の気配あり、詳しい情報を求む」と書いてある。
イブロンティアは辺境の入り口の町で、王国の東端、エンダムの街から緩衝地帯を経て、徒歩でおよそ三日ほどの場所にある街だ。
辺境との交易の玄関として、王国からも常に多数の行商人が訪れたり、商会の支店が数多く存在している。
しかし商人ではないガンツにとって、辺境や識王軍といった単語を聞いて最初に思い出すのは別のことだ。
「識王って言えば、たしか私たちが子供のころ、辺境を統一したあとで王国との同盟を破棄して一度戦争してますよね?」
「そうだ、その時はクワトロ・ヴォルスの活躍で識王の軍は敗れ、撤退している。
それ以来、おとなしくしていたのに、最近また何やらときな臭い動きが見えるらしい」
「クワトロ・ヴォルス⋯⋯ピッケルの父親、なんですよね?」
「まぁ、本人にちゃんと聞いたわけじゃないが、そうとしか考えられんだろう。
もしかしたら、クワトロが参戦しない、という状況をシダーガは確信して戦争を決意したのかもな」
シダーガとは識王の名前だ。
【識王】シダーガ、東の辺境の、亜人や魔族と言われるものたちの住む地域の王。
識王とは、あらゆる魔導に精通していると言われることへの尊称であるとのこと。
辺境に多く住む亜人や魔族の中には、人間では考えられないほどの寿命を誇るものも多く、そのなかでもシダーガはまさに生きる伝説とも呼べる存在。
過去に邪神の討伐に参加した四英雄の一人で、その時に邪神に対抗するために「ある力」を得たと言われている。
その力で、戦争中は自ら前線へと赴き、魔法の力で配下の将兵を大幅に強化し、それまで複数の国に分裂していた辺境をまとめ上げ、最近では【辺境王】を自称することもある。
辺境を統一後も、その領土的野心はとどまることがなく、過去には王国にも戦争を仕掛けてきた、という流れだ。
そしていったんはクワトロの力で食い止めたそれが、再びやってきた、ということだろう。
ガンツは識王の情報と、過去の流れを頭の中で確認したところで、次にこれからのことを確認する作業へと移る。
「で、何を調査すればいいんです?」
「何もかも、さ。
兵力、士気、食料事情、識王の女の趣味、なんでもいい。
もし戦争が起きた場合、対抗する作戦の立案、その後の交渉も含めて有利になる材料ならなんでも、だ」
「そういう情報の収集なら、王国軍に専門の部署があるでしょう?
いち冒険者の我々に、確度の高い情報収集など期待できないでしょう?」
「ま、しょせん冒険者なんて使い捨てることも当然考えているだろう。
冒険者なら仮に拘束されても人質としては機能しないし、殺されることがあっても遺族に金を支払う必要もないからな。
とにかく、戦争は俺たち冒険者にとって稼ぎ時だ。
情報がそのまま金になるし、傭兵としての需要も生まれるしな」
「それはそうですが⋯⋯その分命の危険も高いのでは? 信条に反するでしょう」
ガンツの言うように、ミランは戦争など、真っ先に関わるのを避ける性格だ。
彼の信条は「死んだら終わり、だから生き残る」。
その能力も、ある時から生き残ること、また他人を生かすことに特化させてきた。
だからこそ、このような依頼を検討していることすら、ガンツには疑問だった。
「⋯⋯思い出しちまったからなぁ」
「思い出した?」
「ああ、ピッケルを見て、なんで冒険者を目指したのか、をさ。
もちろんすぐには変われないと思うが、それでも少しずつでも変えていこうと思ってさ」
そんなミランの言葉に、ガンツは
「そうですか」
とだけ返した。
だが、できるだけ口数を少なくして我慢したものの、表情がわずかに変わるのは抑えることができなかった。
それを見過ごすミランではない、すぐにガンツへと鋭い指摘が飛んでくる。
「おい、なんだ? 何ニヤニヤとしまりのない面してやがる」
「別に、何も」
「⋯⋯ちっ」
ミランはガンツの態度に、照れ隠しなのか、頬杖をついて視線を外した。
ガンツは、ミランの変化が嬉しかった。
いや、変わっていたものが元に戻っていく姿ともいえるし、壊れていたものが修復されつつあるとも捉えることができる。
ミランと、ガンツ、それともう一人は、子供のころからの付き合いだった。
ガンツともう一人の仲間にとって、ミランは、何でも器用にこなす頼り甲斐のある兄貴として慕う、憧れの存在だった。
王立魔法学院始まって以来の天才児ともてはやされ、王宮からスカウトもあったミラン。
それでも冒険者への憧れを捨てきれず、三人でこの道に入った。
──初めてのクエストで大きな失敗をして仲間を一人失って以来、ミランは変わってしまった。
その時の失敗以来、ミランが得意の攻撃魔法を使う姿は見れなくなってしまった。
新しいことに常に挑戦していた改革者は、いつしか保守的で、異様に失敗を恐れ、常に腰が引けたような男になってしまった。
そんなミランを見て、それまでの知り合いたちも一人一人離れていき、そばにいるのは今やガンツだけとなった、そんな時。
ピッケルが現れた。
彼との出会いのおかけだろうか、時間がかかってしまったが、ミランが元に戻りつつある。
「完全に戻った」とは、とても言えない。
それはまだ、兆しでしかないかもしれない。
それでも、ミランが、元のあの頼れる頃の「兄貴」に戻れば、【栄光】は再びその名に恥じないギルドになるとガンツは信じ続けている。
だからこそ、ガンツは思う。
ピッケルを勧誘したのはお手柄でしたよ、さすがですマスター、と。
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「識王のやろうが? ちっ、あいつめ⋯⋯」
そこまでの話を聞いて、クワトロが忌々しげに呟いた。
父の態度から、ピッケルは何か事情があるのだろうと好奇心を刺激された。
「父さん、知ってる人なの?」
「ああ、前回の戦争で【駆除】する寸前までいったんだけどな、必死に命乞いしてきて、もう戦争はしない、と約束させたんだ。
うちのご先祖も世話になった奴だから、見逃してやったんだがな」
「ああ、いつも聞いてるご先祖さまの話に出てくる魔法使いの人か、長生きなんだね」
「ああ、そういう種族だ」
「なるほど」
なんか、凄く気になる、是非聞いてみたい話してるんですけど。
現役の冒険者であるガンツ、そして引退したとはいえ元冒険者もミネルバも、ご先祖さまとやらの話に激しく好奇心を刺激されたが、まずは現状を優先しないと、と思った。
それを感じたのか、クワトロがガンツへと向き直り、謝罪をした。
「ああ、話を中断して悪かったな、それで?」
「は、はい、機会があれば、是非その辺も詳しく教えて下さい。
それで、我々はイブロンティアへと向かったのですが、そこでは王国の人間は商人、冒険者問わず、識王軍によって有無を言わさず拘束されてました⋯⋯」
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王都を出発して一月半後。
二人が到着したエンダムの街には、王国の兵士たちが集結していた。
集まった兵士や冒険者たちのおかげか、街では普段以上の商品の需要があるらしく、商店なども活気づいていた。
串焼き一つで王都での購入相場の倍の値段を請求されたのには少し腹も立ったが、一時的とはいえ急に増えた人口のせいで物不足なんだと言われ、しぶしぶ納得する。
そんな街の様子を串焼きを齧りながら観察し、二人で話をする。
「こりゃあマジで戦争になるかもな」
ミランの言葉に頷きながら、ガンツは思いついた考えを述べた。
「ええ、これなら何か王都から物を仕入れして持ってきても良かったですね。
物不足なら、商機もあるでしょう」
「そうだな、また戦争があるなら次回はそうしよう。
今から王都へ戻って仕入れをする時間も、そもそも伝手もないしな。
戻ったらその辺も考えるとしよう」
その他にエンダムの街で収集した情報によると、どうやら識王軍が王国側の人間をイブロンティアやその周辺で次々と拘束していること、それを受けて王国側の人間の救出には報奨金がでること、その他王国側も冒険者を傭兵として雇用していることなどがわかった。
二人はとりあえず傭兵として働くか、情報の売買や王国人の救出で報奨金を稼ぐかを決めるため、辺境側の町イブロンティアへと向かうことにした。