嫁の望み?
ヴォルス家の秋の収穫作業も落ち着き、近日中に王都へと収穫した作物を卸に行くことが決まった。
収穫を終えて、自宅近くに構えた倉庫に保管された農作物を、空きスペースを利用して自家用のものと、販売用の物へと仕分けをする。
仕分け作業はクワトロの指示のもとテキパキと行われ、二日目の午前中に終わった。
昼になって昼食を摂ったあと、ミネルバは日課である「害虫退治」の稽古を、クワトロにつけてもらっていた。
義父は、元Sクラスの冒険者で、勇名、悪名どちらも名高い。
しかし、彼が類い希なる強さを持っていた、ということは誰しもが頷く評価だ。
格闘術はもちろん、あらゆる武器を使いこなせるらしいが、ミネルバは主に剣術を習っている。
剣術といっても剣の使い方ということだけではなく、基本的には体の運用方法そのものだ。
体の運用を極めれば、あらゆる武器を使う基礎となり、その基礎を学ぶために使い慣れた武器を使用する、と説明されたがよくわからない。
しかし達人であるクワトロの言葉に素直に従うことにした。
義父に最初に受けた説明は
「俺やピッケルが使用する、ヴォルス家に伝わる戦い方は、山岳信仰者たちが使用した武術を、先祖代々発展させたものだ」
とのことだった。
その後説明された、自然との合一を基本理念としたその武術体系、そして魔法技術への思想。
それは、ミネルバの常識を軽く打ち砕いた。
内在、外在双方の力の利用が基本であり、また奥義でもあるとのことで、本来は修行者たちが最終的には神を目指すための修行の一環だった、というとんでもないものだった。
とはいえミネルバはまだその入り口に立っただけであり
「一人での『害虫退治』は、まだしばらくかかるだろう、焦らなくていいぞ」
とのことで、今は「害虫退治」は他の家族任せだ。
ちなみに義母シャルロットはそれらから発展した魔法技術に優れていた。
「今日は冷えるわね、寒さに弱い作物にはこの冷気は毒ね」
と言いながら、畑の横に溶岩を召喚するのを見たときは、地獄が地上に顕現したのかと思ったが、義母は鼻歌交じりであった。
「あなたもその内できるようになりますわ、余裕余裕」
そう言って微笑む義母との実力差にも、同時に発生する謎のオーラにも打ち負かされそうになる。
クワトロやピッケルは義母以上に魔法を使用できるらしいが、まだ使っているところを見たことがない。
当初は、どうせならピッケルに学びたいと思ったのだが、そうすべきではない理由をクワトロは二つ語った。
ひとつは、夫婦だとどうしても甘えのようなものが出てしまう、というもの。
シャルロットも、今は家を出て放浪中のクワトロの父、つまりピッケルの祖父が師匠だったということだ。
それともう一つが
「ピッケルは親の俺が言うのもなんだが、天才だ。
ここに住み始めた、うちの開祖、最初のご先祖さまの生まれ変わりなんじゃないかな? と思うほどだ。
でもそれゆえに、人に教えるのはあまり向かないだろう、できないやつの気持ちがあまりわからんからな」
とのことだった。
それは、義父様もなのでは⋯⋯なんでもささっと作っちゃうし、めちゃくちゃ強いし⋯⋯とミネルバは思ったが、甘えに関しては「確かに」と同意だった。
そして、クワトロの教え方は理論的で、とても分かりやすかった。
習い始めてすぐに、剣が空気を斬る音、その質が明らかに変わったのがわかった。
そんな日課となった稽古中、ミネルバがいつも通り剣の素振りをしていると、クワトロが話しかけてきた。
「何か悩みがあるみたいだな、剣に出ている」
クワトロのその言葉に、ミネルバは剣を振るのを止め、義父の方へと向きなおって返事をした。
「わかりますか?」
「ああ、そんな様子じゃ何回振っても無駄だ。
心技体の統一、それが基本だ。
まずはその悩みを取り除くべきだ。
俺で良ければ、その悩みを言ってみてくれ」
そう話の水を向けられて、ミネルバは少し迷った。
ちょっと、恥ずかしいかも⋯⋯。
そう思った。
しかし、子供のこととなれば、当たり前だが義両親にも関係がある。
それにミネルバも未経験のことゆえ、ピッケルに、手順を上手く説明する自信がない。
ならここは経験豊富(ミネルバ予想)な義父から説明してもらおう。
そう結論を出し、ミネルバはクワトロに悩みを打ち明け始めた。
「あの、子供のこと、なんですけど。
もし、よろしければピッケルに、お父様から具体的な、その、授かり方のようなものを、キチンとご説明頂ければ」
少し顔を赤くしながら述べられたミネルバのその言葉に、クワトロは少し怪訝な顔をして
「ピッケルには、ちゃんと教えてあると思ったけどなー」
と言った。
クワトロのその言葉に
「お言葉ですが、ぜんっぜん伝わってません!」
ミネルバは食い気味で、体を寄せながら反論した。
そのせいで、クワトロの顔面のそばに、ミネルバが握っていた剣の先が向けられた。
息子の嫁の珍しい剣幕のせいか、ギラリと光る剣の切っ先のせいか⋯⋯
クワトロは珍しく「お、おう」と慌てたように返事をしたあとで
「わかった、わかった、じゃあこれから説明するよ」
と両手を肩のあたりまであげて、「どうどう」と、なだめるような仕草とともに返事をした。
クワトロが彼女の提案を請け負ってくれたことに対してミネルバが、さっさとお願いすればよかった、この一年なんだったのかしら、といった多少の後悔を感じていると⋯⋯
「んじゃ、行こうか」
とクワトロがミネルバに同行をうながしてきた。
「え? 私も⋯⋯ですか?」
ミネルバの疑問に、クワトロはまたも怪訝な顔をして
「説明するなら、二人一緒の方が早いだろ?」
「それは、そうかも知れませんが⋯⋯」
「そうだろ? おーいピッケル、母屋に来てくれー」
少し離れた場所で、両手を突き出しつつ中腰を維持して、じっと目をつぶるという、ミネルバから見れば謎の鍛錬をしているピッケルを、クワトロが呼ぶ。
「うん、わかったー」
そんなピッケルの軽い返事を耳にしながら⋯⋯
え、なにこの急展開、と思った。
ミネルバは動悸が早くなるのを自覚していた。
それは決して、剣の素振りによるものではない、ということも含めて。
__________
母屋へと移動して、普段食事の時に使用するテーブルを、いつものように決まった席順で囲む。
ちょうどピッケル夫婦と、クワトロが向かい合う形だ。
いつもクワトロの隣が指定席の義母は、台所でお茶を淹れているようだ。
お茶の到着を待たずに、クワトロが話始める。
「で、ピッケル確認なんだが⋯⋯」
「ん? 何?」
「いや、まぁ、そろそろ俺も孫の顔でも見てみたいかなぁ、などと思ってな。
で、夫婦の問題に立ち入るのもなんだが、お前、子供の授かり方、ちゃんとわかってるか?」
クワトロの言葉に、ピッケルは心外だと言わんばかりに
「もちろん、ちゃんとわかってるよ。
ブルードラゴンに祈らなきゃいけないんでしょ?」
その言葉に自信すら感じさせるピッケルに対して、クワトロは愕然としたような表情を浮かべた。
義父の顔を見て、ミネルバはなぜか誇らしいような、不思議な感覚とともに
ふふん、どうです? 言った通りでしょ?
あなたの息子さんの認識はこの通りなんですよ?
そんなことを思った。
「なんだ、ちゃんとわかってるじゃないか」
義父の言葉を受けて。
そう、ちゃんとわかってるんです。
だからお義父様からきちんと説明を⋯⋯ ってえええええええ!
「ちょ、ちょっとお義父さま!?」
驚きから思わず声を上げたミネルバを、二人が「ん?」と見てくる。
「あなた、説明不足すぎますわよ」
ちょうどお茶を淹れ終わったシャルロットが、それぞれの席にカップを置いたあと、自らも席についた。
シャルロットは優雅にお茶を口にし、その出来映えに満足そうに頷いたあとで、言葉を続けた。
「ちゃんと理解してもらうために、まず、ミネルバさん。
サミスとアラドリエルの伝説をご存じかしら?」
義母の問いかけに、ミネルバはうなずいてから説明を始めた。
「はい、本来なら結婚できないドワーフとエルフの、種族の垣根を越えた恋物語ですよね?」
「そうです。ではなぜ結婚できないかというと、その二種族は子を為すことが出来ないからです。
人間とエルフは、繁殖できます。
人間とドワーフもまた、繁殖できます。
でも、エルフとドワーフは繁殖できません、種族として少し離れてしまっているのです」
ミネルバはうなずく。
なぜそんな事を今更、と思った。
それはとっくに知れ渡った事実だ。
ミネルバの反応を知ってか知らずか、シャルロットは話を続けた。
「でも、サミスとアラドリエルは子を為しました。
それに一役買ったと言われるのが、あなたも知っているように、ブルードラゴンです。
ブルードラゴンに結婚の祝福を受けたこの二人に奇跡が起き、二人の間に子供が産まれました。
この寓話をもとに、ブルードラゴンが子作りの守り神というか、象徴となりました」
「はい、それは知っていますが⋯⋯」
「で、現状だと、あなたとピッケルの間にも、子供はできません」
「え?」
さらっと告げられた衝撃の言葉に、ミネルバが固まっていると、義母はさらに言葉を続けた。
「だってクワトロもピッケルも、人間ではなく、ほぼ人間なんですもの」
「ほ、ほぼ人間!?」
「はい、ほぼ人間です。
人間そっくりな、別の何かです。
だって正直言って、普通じゃありませんでしょ? この二人」
「普通じゃないって、そんな⋯⋯」
二人をなんとかフォローしようと、ミネルバは目線を上へと向け、この一年の事を思い出し⋯⋯
「そうですね」
目線を義母へと戻し、同意せざるをえなかった。
「といっても、基本は人間と変わりません。
ただ、子を為すことだけは、ブルードラゴンの力を借りなけばいけない、という訳です。
当然、私とクワトロもそうしました。
⋯⋯それ無しに、もし、その、妊娠の可能性がある行為をして、間違って子供ができたなんて事があれば、変な拒否反応が出たりして⋯⋯」
そこでシャルロットは一度言葉を区切り、カップを持ち上げてお茶を飲んでから、先を続けた。
「⋯⋯母子共々死んでしまう可能性もあるんじゃないか、とすら私個人としては考えています」
「それ早く言っといてもらえませんかね!?
もし、その⋯⋯間違って、愛し合うようなことしてたら、どうするつもりだったんですか!?」
義母の話の内容がただ事ではなかったので、普段のように心の中だけ、というわけにもいかずミネルバは叫んだ。
そんなミネルバの叫びに、クワトロが静かに口を開いた。
「⋯⋯ミネルバ」
「は、はい」
静かに名前を呼んできた、義父の真剣な表情に、何か大事なことを伝えようとしてきている、と感じた。
ミネルバがそれに見合うようにと、耳を真剣に傾けると、クワトロがその表情を崩さずに言った。
「男と女が愛し合うことは、決して間違いなんかじゃあ、ない」
「⋯⋯そうですけど! 今はそこじゃないです!」
──と。
ミネルバは変に真剣な表情のクワトロの、その顔に、わずかな違和感を感じた。
そして、すぐにその違和感の正体に気が付いた。
口元が、ピクピクしてる。
それを見て、彼女は「ハッ」と気が付いた。
──相談を持ちかけた時点から、クワトロは、ミネルバの悩みが具体的にどういうものか、ハナからわかっていたのだ。
そしてその上で、わざととぼけたようにこの場で会話していたのだ。
つまり、ミネルバはからかわれている、そしてその慌てっぷりを相手は楽しんでいる、その事実に気が付いた。
とっても優しいくせに、なんて性格の悪い義父だろう、絶対今も心の中でニヤニヤしているに決まっている!
何か、仕返ししてやりたい!
そう思ったミネルバは、頭の中で、色々と会話を組み立てる。
──そして、これはクワトロの自滅ありきの細い道だが、ひとつだけ思い浮かんだ流れを口にする。
クワトロの事だ、本当にそんな危険があるなら、放置しているはずがない。
つまり、義父は、危険など無いことを知っている!
それに賭けた。
「だってお義父様、最悪、私死んでしまってたんですよ!?」
「大丈夫、その可能性はかなり低いよ、いや、無いと言っていい」
「どうして、そんなことお義父にわかるんですか!?」
「そりゃあ、先祖代々そんな事はないし、俺の経験上も⋯⋯あっ」
はい、勝った。
ミネルバが思うと同時に。
「へぇ、ご先祖様はともかく、経験上ですか⋯⋯ふーん、詳しくお聞かせ願いたいものですわね」
気のせいだろうが、シャルロットが普段纏っている高貴なオーラを、黒く変えたような雰囲気を滲ませ、クワトロを冷たい目で見ていていた。
タジタジとしている義父を眺めながら、ミネルバは勝利の余韻から、優雅にお茶を口にして
ああ、勝利の後のお茶ってなんて美味しいのかしら。
などと考えていた。
そんな中、それまで各々のやり取りを静かに聞いていたピッケルは、色々と考えを巡らせていた。
──以前父に「子供を作るのは、ブルードラゴンに力を借りる必要がある」と教わった。
それによって、今までは人間全てが、子作りにはブルードラゴンへの祈りが必要不可欠だと思っていた。
が、ここまでのやり取りから、どうやら自分の家系以外はそうではなさそうだ。
子供を作るといえば、裏山で、モンスターの繁殖をたびたび見かけ、本で調べたことがある。
人間も通常はあのようにして、同じように繁殖する、ということだろう。
そりゃそうだ、人間全てがブルードラゴンに会ってたら、大変だ。
ブルードラゴンの前にとんでもない列ができてしまう。
何故俺は、そんな簡単なことに疑問を覚えなかったんだ。
──つまり、俺の無知から、ミネルバに結婚生活への不安を覚えさせていた、ということか。
ここはきちんと、謝罪をしなければ。
と、心の中で決めて、ピッケルはお茶を楽しんでいるミネルバの目を、しっかり見つめながら語り始めた。
「ごめん、俺、ミネルバがそんなに交尾したいと思ってただなんて、気が付いてあげられなくて。
この農閑期にブルードラゴンに会いにいって、ミネルバの望み通り、たくさん交尾しよう!」
真顔で、拳を握りながら発せられた、愛する旦那からのとんでもない宣言。
ミネルバは、恥ずかしさから顔を真っ赤にして──
ああ、せっかく逆転したのに⋯⋯!
これじゃあ、お義父様を喜ばせるだけだわ!
そう思った。
しかし、襲いかかってきた衝動を、我慢できそうになかった。
でも、負けっぱなしは嫌だ。
せめて一太刀、そう思って、その衝動が命じるままに茶を吹きだす直前、クワトロの方を向いた。
そして、顔面に茶を浴びて、顔をしかめる義父を見て──
お義父様、引き分けです。
そう思うことにした。