ピッケル、冒険者になる
「また、やめました⋯⋯」
「また、やめたのか⋯⋯」
冒険者ギルド【栄光】のマスター、ミランは部下の報告に頭を抱えた。
今回の新人は、入って三日だった。
かつては数十人が所属し、二十年前にはその中から王宮に召し抱えられた者さえいたと言うこのギルドも、今はミランと、目の前の部下、構成員はその二人だけとなっていた。
いまや自慢できるのは、老舗の看板と、所有する建物の年季ぐらいか。
それも「ただ、ボロボロなだけでしょう?」と言われれば否定はできない。
「【鳶鷹】にいくって言ってました」
「ちっ、あの『お嬢様』のところか⋯⋯」
ここ二年で頭角を現してきた【鳶鷹】は、二十歳の女が運営しているギルドだ。
ギルド主のミネルバは、地方の小領主の娘、つまり貴族の令嬢だ。
なので一部の冒険者たちは、『お嬢様』とやや揶揄するように呼んでいる。
しかし、そのギルド運営能力は確かだ。
だからこそ、特にプライドの高い冒険者たちにとっては、それも面白くない一因となる。
「はー。しかたねぇ。また新人を引っ掛けてくるか⋯⋯」
そうしてミランは、重い腰を上げた。
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ミネルバと別れたのち、ピッケルは肥料と土壌浄化草を買うために、父から渡された店の地図を参考に、空のリヤカーを引いて歩いていた。
父の話ではピッケルの一家が農業を行う土地は、「瘴気」という毒がたまりやすく、安全な作物を育てるためにも土壌浄化草は特に欠かせないものらしい。
地図に描かれているお店までの目印を探しながら、あたりをきょろきょろと見まわしていると。
「おーい、兄ちゃん! ちょっとちょっと」
ピッケルの耳に、そんな声が聞こえる。
最初、自分が呼びかけられているとは気が付いていなかったが、男はピッケルの前までやってきて、ニコニコとしている。
自分と父の、丁度中間くらいの年だろうか、十年前位の父の感じに似ているな、と思ったが人と交流のないピッケルには自信がなかった。
とは言え間違いなく年上だろう。
年上の人間には丁寧にしろ、と父に教えられていたので、ピッケルは丁寧に話すことにした。
「俺、ですか?」
「そうそう、兄ちゃんに話しかけてるんだよ! 兄ちゃんいい体してるねぇ」
ピッケルに話しかけてきたのは、冒険者ギルド【栄光】のマスター、ミランだった。
「いい体?」
「鍛えられてるな、ってことだよ」
「あ、はい、父に農業は体が資本だと言われて、鍛えるのを怠るなっていわれてますので」
「おお、いいお父さんだ。その話だけで尊敬できるよ、一度会ってみたいなあ」
「あ、ありがとうございます!」
ピッケルも父を尊敬しているので、目の前の男に一気にシンパシーを覚えていた。
ミランはピッケルに話しかけながら
(こいつ、チョロイぞ)
そう心の中でほくそ笑んでいた。
「その尊敬できるお父さんの話、もう少し聞きたいな。
そうだ! 立ち話もなんだし、良かったら寄っていかないか?」
そういって、年季の入った建物を指さした。
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「父はすごく頭も良くて、力も凄いんです!」
「へぇ、凄いねぇ! (早く終わんねぇかな)」
ギルドへと戻ったミランは、ピッケルの父の自慢話を、うんうんと辛抱強く聞いていた。
ピッケルが一通り話したのを聞いてから、ミランは本題に入ることにした。
「いやあ、そんな凄い人が、このギルドにもいたらなぁ」
そういってピッケルを見るが、あまりピンときていないようなので話を続ける。
「ここは冒険者ギルドなんだけどね、今は少し人手不足でね。手伝ってくれる人がいれば助かるんだよなぁ」
そういってチラッとピッケルの反応を見つつ、ため息をついた。
その話を聞いて、あの綺麗なミネルバが「冒険者ギルド」と言っていたのを思い出し、ピッケルは疑問を口にした。
「冒険者、ってなんですか?」
その言葉を聞いた瞬間、ミランに衝撃が走った。
冒険者を知らない! いいぞ、いいぞコレ!
知らないってことは、他と当然比べたりしない。
そのうち【栄光】が、弱小ギルドだとバレるかもしれないが、それまでにしっかりと人間関係を作ってやめさせにくくさせればいい。
もちろん、できるだけよその情報が耳に入らないように囲い込まなければいけないけども!
ひどい考えだった。
「冒険者ってのはまぁ、わかりやすく言えば旅人だな、旅人。
旅をして、お金をもらう、そんな簡単な仕事だ」
「へぇ、そんなことでお金貰えるんですか」
「そうそう。
あ、あと、農業だと、害虫の退治とか、あるだろ?」
そういわれてピッケルは、裏山から定期的にやってくる『害虫』を頭に浮かべた。
「はい、次々現れるので、大変です。駆除するのにも結構体力使うし」
「うんうん。まぁそういった害虫みたいなものだな。
旅をしながら、害虫もちょっと退治してもらうかも? って感じだな、簡単に言えば」
「え! 害虫を退治したらお金貰えるんですか!」
ピッケルは驚いた。
害虫駆除は農作業に欠かせないが、それ自体でお金を貰うという発想はなかったからだ。
「そうなんだよ。あ、良かったら、ピッケルもやってみないか?」
「え、でも俺は農業が好きなので⋯⋯」
「ああ、暇なときだけでいいよ。
うちは自由出勤だから。
暇な時だけ来て貰って、ちょっと旅しながら、害虫退治して貰えれば。
こういうのは失礼だけど、あまりお金とか持ってないだろ?」
そんなミランの言葉に、ピッケルは⋯⋯
「少しは持ってますよ」
そういって、懐から千ゴートを取り出した。
ミランはしばらく目にしていない大金に、内心は驚きながらも⋯⋯
「ああ、冒険者になれば、そのくらいはすーぐ稼げるよ」
と、何でもない風を装って言った。
「え! 凄いですね。一年頑張ってようやく貰ったお金なのに」
「それが冒険者のいいところさ。どうだい、やってみないか? 今ならSクラスから始めてもいいよ」
「Sクラス?」
「ああ、本来はF、E、D、C、B、A⋯⋯ と、順番にクラスを上げていくんだけど、ある条件を満たせば、いきなりAの上のSから始められるんだ。
Sクラスはいいぞぉ、お金は稼げるし、なんてったって女にもモテるから」
「モテる?」
「女に好きになってもらいやすい、ってことさ」
その言葉でピッケルは、父に「嫁でも探して来い」と言われているのを思い出した。
正直、お金にはそこまで興味がないが、ピッケル一家の周囲にほかの家はなく、嫁探しは大変だろう、と思っていた。
それが冒険者の、Sクラスなら簡単らしい。
あのお姫様のようなミネルバも冒険者だと言っていた。
同じ仕事ならもしかしたらメロンができる前に会えるかも、そう思うと心が弾む。
あんな人が嫁に来てくれたら最高だし、しかも旅人をするのは暇なときだけでいいとのことだ。
農閑期に手伝うなら、問題なさそうだ。
⋯⋯ミネルバの「あなたを見て話しかける奴は、全員騙そうとしてる、くらいの気持ちでいなきゃダメよ」という言葉もむなしく、ピッケルの心は動いていた。
「じゃあ、ちょっとだけやってみようかな⋯⋯」
「おお! いいねぇ! 男なら即決、そうこなくっちゃ! じゃあその千ゴート、こっちに渡してくれる?」
「え?」
「さっき言った条件なんだけど、Sクラスは登録制でね、その登録料に二千ゴート必要なんだよ。
だけどピッケルの即決に感動したから、千ゴートは俺が立て替えとくよ。
大丈夫! Sクラスなら千や二千あっというまに稼げちゃうからさ!」
「でも、これは肥料や土壌浄化草の種に必要なお金で⋯⋯」
「でもすぐ戻ってくるんだから、大丈夫だろ? それとも、俺が嘘ついてると思ってるのかな⋯⋯なら残念だなぁ」
そういってがっかりした表情をしたミランを見て、ピッケルは慌てて言葉を発した。
「いやいや、嘘ついているなんて思ってないですよ! 俺も昔一度だけ嘘をついてしまって、父さんにゲンコツされて以来、嘘が悪いことだってことくらいは知ってますから」
そんなピッケルの言葉に、内心でにやりとしながら、ミランは
「ああそうとも! 嘘は悪いことだ。もし俺が嘘ついているなら、ゲンコツでもなんでも思いっきりやっていいからさ」
「はい、わかりました。じゃあこれ⋯⋯」
そういってピッケルは千ゴートを差し出した。
ミランはゴクリとつばを飲み込んで、だが表面上は何でもないことのようにそれを受け取った。
お金を受け取ったのち、ミランは二枚の書類をピッケルの前に出した。
「これ、なんですか」
「これは、うちのギルドに所属するって契約書と、Sクラス冒険者の申請書さ。
こことここに、サイン貰えればいい」
そういって羽根ペンと、インク壺をピッケルの前に置く。
受け取ったピッケルは、字が読めないものが多い農民には珍しく、整った字で
「ピッケル・ヴォルス」
とサインした。
「へぇ、家名があるんだね。ヴォルス⋯⋯ どっかで聞いたような⋯⋯」
「はい、父が王都に住んでいたころに名乗っていた家名らしいです、まぁ今はめったに使いませんが」
「ふーんそっかそっか。まぁとりあえず、ピッケル、ギルド【栄光】にようこそ! これからよろしくな! 今日はここに泊まっていくといいさ」
ミランにそういわれて、お金が返ってくるまではやることのないピッケルは
「はい、お言葉に甘えさせてもらいます」
そう返事をした。
ピッケルが建物の二階へと移動してしばらくした頃。
「書類、提出してきましたよ」
一階に残ったミランと、ピッケルのSクラスの申請書を王宮に提出してきた部下が話をしていた。
「あんな純朴そうな青年を騙すなんて、マスター地獄に落ちますよ」
「おいおい、俺は嘘なんてついてないだろ?」
「登録料に関しては、完全に嘘じゃないですか。
Sクラスはやりがいや名誉を求めて、志願すれば誰でもなれますが、割り振られるクエストのあまりの高難易度に、今はSuicideクラスって言われてるんですよ。
彼、すぐに死んじゃいますよ?」
「ああ、そんなこともあるかもな。だけどまぁ千ゴートあれば、しばらくは俺たちは安泰だ」
「まったく。本当にゲンコツ食らったほうがいいんじゃないですか?」
「へっ。ゲンコツ一つで千ゴート貰えるなら、何発だって食らってやるさ」
そんなことを言いながら、ミランは大金を手にした喜びに浸っていた。
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ピッケルがギルド【栄光】で言いくるめられてSクラス冒険者になっていたころ、緊急を告げる早馬が郊外から王都へと向かっていた。
「あんな生き物が実在するとは⋯⋯ 急がないと!」
そういって馬を駆る男は、疲れている馬に申し訳ないと思いつつも再び強く鞭を打った。