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嫁の一日

 春からの地道な農作業の成果が、文字通り実を結ぶ秋のある日。

 家の裏にある山の中から微かに聞こえた「メエェ」という鳴き声と、その後すぐに麓に現れた土煙を見て、ピッケルは行っていたメロンの収穫作業の手を止めた。

 およそ五十歩ほど離れた場所で、同じように収穫作業を行っているミネルバへと、少し声を張って話しかける。


「火吹き羊の群れがくるよー」


 彼の言葉に、ミネルバが「はーい」と返事をよこして、足元のメロンを慎重に避けながら、ピッケルのもとへと駆けつけて来た。

 ミネルバがピッケルのもとへたどり着いてすぐに、彼の言葉通り、山からヴォルス家の畑の方へと、二十頭ほどの火吹き羊が走って来るのが彼女にも見えた。

 一頭一頭が、小さいものでも普通の牛の体躯のおよそ二倍、大きなものになると三倍以上ほどもあるその羊の群れが、背後に土煙を従えながら姿を現す。

 群は、畑の蹂躙を何かに命令されたかのように、凄い勢いで迫って来ていた。


 火吹き羊といっても実際に火を吹くわけではない。

 驚くと、怒り狂ったように、燃え盛る山火事のごとく、火を吹いたように暴れまわるのがその名の由来だ、とピッケルは父に教わった。

 体こそ大きいものの、普通の羊同様に本来は臆病な生き物で、普段は山中であまり人の目に着かないように暮らしている。

 しかし山の中で天敵などに遭遇すると、驚いてこのように山から飛び出してくるのだ。


「よっと」


 そんな掛け声とともに、ピッケルは自身のすぐそばまで来たミネルバを、背中と両足の膝裏に手を添えて、胸に抱きかかえた。

 彼女が首に両手を回して来るのを感じながら、ピッケルは火吹き羊の群れが畑へと殺到する直前に、右足を少し上げてから


 ダンッ!


 と、地面を踏みつけるように打ち抜いた。

 大きな音とともに、地面に振動が発生し、激しく揺れる。

 振動は羊たちのところまで伝わり、火吹き羊たちはその振動によって体勢を維持できなくなり、バタバタと倒れた。

 羊たちの転倒を見届けたあと、ピッケルはミネルバを地面へと下ろして


「何頭か押さえておくから、父さんに刈りバサミ持ってきてもらうように、伝言をお願いできるかな?」


 とミネルバに頼み事をした。


「はいはーい」


 とミネルバは慣れた様子で返事をし、家の方へと向かうと⋯⋯

 ミネルバの到着を待つまでもなく、ピッケルの父であり彼女の義父であるクワトロが、ハサミと数枚の布袋を持って現れた。

 ハサミと言ってもそれは巨大で、両方の刃の刃渡りは、ちょっとした剣よりも長い。

 クワトロが家に併設された自身の工房で自作したものらしく、巨大生物の毛を刈るのに使っているものだ。

 その大きさに違わぬ重さで、ミネルバは過去に一度持ち上げようとしたが、ぴくりともしなかったのでそれ以来は触れることもしていない。


「『震脚』の音が聞こえたからな、用意してきたぞ」


 そう言ってクワトロは布袋をミネルバへと渡し、火吹き羊のもとへと駆けだす。

 その足取りは、とても重いハサミを肩に担いでいるとは思えない軽やかさだ。

 駆け出したクワトロを追いかけるように、ミネルバも両手で布袋を抱えてパタパタと走る。

 ふと視線をピッケルの方へと向けると、彼が火吹き羊の尻尾を脇に抱えるように掴んで、両手それぞれに三頭ずつ、計六頭拘束しているのが見えた。

 彼に選ばれなかった他の火吹き羊たちは、回れ右をするように山へと逃げ帰っていた。

 捕まえられた火吹き羊たちはその拘束から逃れようと、必死に駆けだそうと暴れまわっているが、ピッケルは足に根が生えたようにぴくりともしていない。


「あ、父さんはやくはやく」


 せかすような発言内容とは違い、ピッケルは余裕を感じさせる声で父に話しかけた。


「おう、ちょっとまて」


 クワトロは地面へとハサミを突き刺し、火吹き羊たちの顔の方へと歩いていく。

 火吹き羊たちの頭の位置は、長身のクワトロの背丈よりさらに高い位置にあったが、クワトロはジャンプしてその頭へ「こつん」と、軽く手首のスナップだけでゲンコツをした。

 見た目には、それほど力を込めていないように感じるそのゲンコツを食らった羊が、バタンと倒れて気絶する。

 クワトロは一頭一頭に同じようにゲンコツをして、すべてを気絶させた。


「んじゃ、毛を刈っちゃおう!」


 ピッケルはクワトロが持参したハサミを地面から取り上げ、両手で柄を操作しながら、熟練の職人技で、根元から次々と羊毛を刈っていく。

 それをミネルバとクワトロが手分けして、袋へと詰め込んでいった。

 毛を刈りながらピッケルが


「どうする? 一頭絞める?」


 とクワトロに聞いてくるが、クワトロは首を横に振り


「いや、見たところ全部オスだし、肉が堅そうだから、今日は毛だけで良いだろ」


 と返す。


「うん、そうだね、雌を捕まえたかったなぁ、でもメスがいたのは群れの後ろのほうだったから、数を優先したんだよね」


 ピッケルは毛を刈る手を止めずに同意した。


 そんな二人のやり取りを、大量に刈り取られる羊毛を袋に詰め込みながら聞きつつ、ミネルバは考える。


 火吹き羊の討伐難易度は、仮に冒険者ギルドに依頼が出される場合、Aクラスパーティ向けのクエストとなる。

 パーティ向け、つまり複数のAクラスの冒険者が集まって、一頭を討伐するものだ。

 体が大きいこともあるが、何せ足が速いのですぐに逃げられる。

 力も強く、多少の拘束は振りほどいてしまうのだ。


 それ以前に、普通はこの山以外にこんな群れはいない。

 いたとしたら、ちょっとした災害だろう、小さな集落程度なら、群れが走り回るだけで崩壊の可能性すらある。

 彼らはメスが良かったなどと言っているが、普通はそんな選り好みはできない。

 群れをはぐれて、単独で行動する場合はたいていオスの火吹き羊だ。

 そんなオスでさえ、王都の一流レストランに卸せば破格の値段が付く。


 とはいえ、ミネルバも嫁いでから何度か食べたメスの火吹き羊の味が、それまで食べた羊と比べても格別だったことには強く同意だ。

 

 そんなことをミネルバが考えていると


「あら、今日はちょっと多いわね」


 そう言ってピッケルの母シャルロットが、追加の袋を持ってやってきた。


 シャルロットも合流し、家族総出で羊毛の回収作業を行う。

 このような火吹き羊の暴走は、ミネルバがこの一年で体験した限り、およそ二か月に一回程度起こる。

 ヴォルス家ではその都度、毛を刈ることにしている。

 刈り取られた羊毛は衣服の材料や寝具の綿の交換用としたり、畑の肥料、畝への利用など、一家にとって貴重な資源となっている。

 なので彼らの基準でいけば、この暴走する火吹き羊たちは『益虫』という扱いになる。


 あらかた毛を刈り終えたところで、今度はピッケルが火吹き羊の頭をこつんこつんと叩いていく。

 すると羊たちは驚いたように飛び上がって起き、山へと姿を消した。

 彼らにとって火吹き羊は貴重な資源のため、毛を刈り終えたあとは食材用に絞める場合をのぞき、このように逃がすのが常だ。

 毛を失って、少し縮んだように見える火吹き羊を見ながら、ミネルバはふと疑問を口にした。


「こんな時期に毛を刈られちゃって、このあと冬が来た時に寒くないのかしら」


 ミネルバが少し火吹き羊たちに同情していると、クワトロがはっはっはと笑い


「あいつらは普通の羊より、毛が生えるのが早いんだ。ひと月もすれば元通りさ、冬には間に合うよ」


 そう言って、ミネルバの体格だと、両手でひとつ抱えるのがやっとの大きさとなった、羊毛がパンパンに詰まった袋を、義父は四つほど空中に投げながら、お手玉遊びをするように運び出した。

 父の様子を見たピッケルが


「よし、俺は五つだ!」


 と、同じように、羊毛入りの大きな袋でお手玉を始める。

 五つの袋で器用にお手玉をする息子を見て


「なに! なら俺は六つだ!」


 対抗意識を燃やすように、クワトロが六つの袋でお手玉を開始する。

 まるで遊びの上手さを競う少年のように、はしゃぐ二人を横目で見ながら、ミネルバも袋の一つを手にする。

 

 ずしり⋯⋯と、した手ごたえが伝わってくる。

 一束程度なら軽い羊毛とはいえ、限界までパンパンに詰め込まれた袋は、それなりの重さがある。

 嫁入り前にも冒険者として鍛え、ここに来てからクワトロに「害虫退治」の伝授の一環としていろいろ習っているミネルバは、そんじょそこらの男より力があるという自負を持っている。


 ミネルバがふうふうと息を整えながら運んでいると


「あ、無理しないでね」


 と、ピッケルの優しい言葉が耳に入った。

 そちらをミネルバがちらっと見ると、ピッケルとクワトロはお手玉をしながら、それぞれ七つの袋を運んでいた。



 

 ミネルバは改めて、非常識な一家だな、と思った。

 特別二人のことが、という訳でもない。


 もうこんな状況など、この一年弱ですっかり慣れてしまった、自分を含めて。



___________



 もっと言えば、ミネルバはこの状況に、初夏にはすっかり慣れていた。

 最初は多少不安に感じていたここでの生活も、蓋を開ければ驚くほど彼女の性にあった。

 


 畑仕事をしている時間は、忙しくも、心が休まる時間だ。

 畑に出て作業を始める前に、彼女は義母に貰った乳白色のクリームを、肌の露出部分に塗る。

 

「せっかく美しい肌なのだから、日光から守らないとね」


 そんな優しい言葉とともに貰った日焼け止めのクリーム。

 原料はこのあたりに出没する、人など軽く丸呑みにしてしまう、凶暴な大蛇の分泌液を利用したものとのことで、クワトロの手造りらしい。

 日光から肌を守る日焼け止め効果は抜群なうえに、保湿力も高い。

 肌触りもさらっとしており、本来の日焼け止めクリームとしての効果には不要な、心地よい柑橘系の爽やかな香りが加えられており、義父の、義母への優しい心遣いを感じながらも


 お義父様、若いころ相当モテたんだろうな。


 そんなことを邪推してしまう。


 彼女にとって久しぶりとなった畑仕事は、やはり楽しい。

 土に触れていると、心が落ち着くのを実感する。


 畑を耕したりといった力仕事はピッケルとクワトロが行うので、彼女の役目は種や苗を植えたり、雑草を取り除いたり、といった細かい作業が主になる。

 とはいえそれなりに体には負担がかかるが、精一杯働いた一日に対して、しっかり【ご褒美】が貰える夜のことを思い出せば、自然と顔がほころぶ。


 午前中の作業のあと、昼食をはさみ、腹ごなしに「害虫退治」の訓練をクワトロから受けたあとで農作業に戻り、日がある程度傾けば一日の作業は終わる。

 

 その後、母屋で義母と協力して夜ご飯を作る。

 義母はこの生活の前には料理をしたことがなかった、と言っているが、それが謙遜に感じてしまうほどの大層な腕前で、ミネルバが嫁に来たことにより、そのレパートリーが増えたことをとても喜んでくれた。

 食事をして、四人で一家団欒の時を過ごしてからしばらくして、母屋でそのまま風呂に入り、ピッケルと共に二人の家へと向かう。

 向かうといっても、隣なのですぐだ。


 そして、ミネルバが一日の終わりに、何よりも楽しみとしている、【ご褒美】が貰える二人の夜がやってくる。


「さあ、ミネルバ⋯⋯」


 ピッケルの言葉にうながされ、ミネルバはベッドへと横たわる。

 しばらくしてピッケルに触れられ


「あ、そこ、んっ」


 我慢できずに切なげに声を漏らす。


「今日も一日ありがとう、ごくろうさま」


 そんな言葉とともに、ピッケルがミネルバのことをマッサージしてくれるのだ。

 これはヴォルス家代々に伝わるしきたりらしく、旦那が一日の終わりに奥さんをマッサージをして


 こんな辺鄙な所へ嫁いできてくれて、ありがとう。


 という感謝の心を示す、いわば儀式のようなものらしい。

 それを初めて聞いたときは


 なんという、素晴らしい伝統なのだろう。


 と、ミネルバは感動した。

 嫁をこんなに大事にする決まり事は、それまで聞いたことが無かった。


 つま先から頭まで順番にピッケルの指で圧されると、思わず「んっ、んっ」と声を漏らしてしまう。


「今日はここ、疲れが溜まってるね」

 

 そんなやり取りとともに行われる触れ合いは、ミネルバにとって至福のひと時だ。

 ピッケルによるマッサージ、これは代々伝わる指圧術とのことで、不思議な力を指先に込めているらしい。

 それによって気持ちよさはもちろん、すさまじい疲労回復効果がある。

 また、病気の予防、治療にも効果があるとのことで、ミネルバはここへ嫁いで来て以来、慣れない場所だというのに病気にかかったことがない。


 おそらく王都でマッサージ店を開業すれば、それだけで一財産築けそうな腕前だが、それを自分と義母で独占しているという優越感があった。


 マッサージが終わり、ピッケルが彼女の隣に横になり、ミネルバを抱きしめる。

 

「ミネルバ、この生活に不満とかあったら、すぐに言ってね。

 俺にできることなら、なんでもするから」

「いつもそう言ってくれるけど、不満なんてないわ。

 みんな優しいし、私、この家に来れて本当に幸せよ」

「うん、それならいいんだ」


 そう言ってピッケルが彼女の頬に唇を触れさせる。

 くすぐられるような、心地よさと気恥ずかしさを感じていると⋯⋯

 それからしばらくして聞こえてきた音に、ミネルバは心の中でつぶやく。


 不満? あるとしたらそれよ、それ!


 すやすやとした音を立て始めたピッケルの寝息を、顔に、そして肌に感じながら、ミネルバはそんなことを独白する。


 ──ミネルバの不満。


 なんと彼女の旦那は、いまだに⋯⋯



 子供はブルードラゴンに祈る必要がある。



 と主張しているのだ。


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