詩人のように、愛を
「ありがとう」
ミネバは邪神の胸を貫いてしばらくして、その声を聞いた。
それはピオレの声。
私が彼の声を聴き間違えるはずがない。
そう確信しながら、彼女は、その声に耳を傾けた。
「すみません、私はこの世界を恨んでしまった。
この世界の運命を、憎んでしまいました。
あなたがいる、かけがえのない世界だというのに。
この世界には、あなたがいる。
そんな大事なことも忘れてしまっていました。
ミネバ。
あなたの見せてくれた一撃、二人の過ごした日々、その絆が、私に、正気を取り戻してくれたみたいです。
私の心の闇を払う、そんな見事な一撃でした。
こんな、ダメな私ですが、今からでも、もし、許されるのなら、あなたと、二人で⋯⋯」
それはあの夜の、ミネバの告白に対しての答えだと気が付いた。
望んでいた、その答えを聞きながら、ミネバは涙があふれそうになっていた。
彼に突き立てた、その剣から。
ピオレが次第に、この世界から、失われて行っていることが嫌というほど伝わってきていたから。
「もちろんよ、許すも許さないもないわ、他の誰があなたを責めても、私は、一緒に歩きたいの!」
「⋯⋯ありがとうございます。いつになるか、わからないけど、またきっと、あなたに会いにいきます。
どれだけ時を経ても。
何度繰り返しても⋯⋯」
もう、彼はすぐにでも、消えるだろう。
その事実に、彼女は、泣きそうになるのを我慢しながら、笑顔を浮かべて
「じゃあ今度出会ったら、今回は私からだったから、次は、その時は、あなたから。
私が仮に、忘れていたとしても。
私の心が、思わず動くような。
⋯⋯そんな素敵な告白をしてね?」
ミネバはピオレに対して、声を震わせて、お願いをした。
「ええ、約束します」
ピオレは短く、そう答えた。
「⋯⋯待ってるわ、ピオレ。私、ずっと」
「はい、私は⋯⋯きっと⋯⋯」
こうして後に「邪神」と言われた優しい神、ピオレは────
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「⋯⋯ケル、ピッケルー!」
ミネルバに声を掛けられて、ピッケルは目を覚ました。
思い出せないが、なにか大事な夢を見ていた気がする。
忘れてはいけない、そんな強い確信があるのに。
必死に思い出そうとあれこれ考えるが、考えれば考えるほど、それはピッケルの頭から、ざるに流した水のようにこぼれていった。
そんなピッケルの様子に、すこし心配になったミネルバが
「どうしたの? 変な夢でも見たの?」
と声を掛けた。
彼女の姿をみたピッケルは、急に、夢のことなどどうでも良くなっていた。
なぜなら──
ピッケルは溢れてきた感情の赴くまま、ミネルバを抱きしめた。
「ど、どうしたの?」
うれしさと、戸惑いが混ざった声で、ミネルバが疑問を口にした。
「いや、今、こうしてミネルバに触れられることが、それこそ俺にとって夢のようなことなんだ」
そんなピッケルの言葉に、ミネルバは笑顔で抱擁を返しながら。
「もう。ピッケルは朝から詩人ね。
うれしいけど、ごはん冷めちゃうわ。
早く食べましょう?」
そう言って、ピッケルの背中をポンポンとたたき、一度離れることをうながした。
ミネルバのその行動に、ピッケルは手を緩める。
離れる許可を得た彼女は、それでも、すこし名残り惜しそうに、彼の胸に顔をこすりつけたあとで立ち上がり、寝室を先に出ようとして、ふっと足を止めて振り向いて
「なんか、ピッケルって私を喜ばせるのが、本当に上手だから心配だわ。
他の女の人にそんなことしないでね」
と、注意した。
「そんなこと、ありえないよ。
俺には、君だけだから」
「また、そうやって。もう」
そう言ってミネルバは、笑顔を浮かべた。
そんな笑顔を、これからもずっと見ていたい。
ピッケルは、改めてそう思った。
もう夢なんて、見たことも忘れていた。
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その後、数々の偉業、物語を残した他の三人の英雄たちと違い、剣士ミネバの物語は、平凡で、退屈だと評される。
彼女は山に残り、農家のまねごとをしながら、たまに下山してくるモンスターを狩る、そんな生活を続けたと言われている。
──ある、一人の男と共に。
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激しい戦いの次の日、ひょっこり姿を見せたピオレを見て、ミネバには様々な感情が浮かんだが、その内もっとも大きい感情を隠すかのように、不満を口にした。
「あの言い方で、次の日登場は、ないと思うよ? ピオレ」
「まずかったですか? 完全、とはとても言えませんが、それなりに人間のようになれたので。
いやー、頑張りました!」
四人の英雄は戦いの後白竜に乗って下山し、王都へと帰還する途中だった。
帰路、疲れ果てていた一行が宿の部屋に入り、割り当てられたそれぞれの部屋へと移動したあと、しばらくしてからノックの音が聞こえた。
ミネバは正直、あまり人に会いたい気分ではなかったので、最初、無視をした。
しかしノックがあまりにもしつこかったので、開けてみると、そこにピオレがいた。
「もちろん大歓迎だけど、ね」
「よかった。ではまず、前に言われた約束から」
「約束?」
ピオレは、壊れ物を扱うように、そっと、ミネバを抱きしめた。
「生まれ変わって、出会いをやりなおして。
それは美しく、素敵な物語かもしれません。
でもこうして二人、すぐに再会するのも⋯⋯それに匹敵する、いえ、それ以上の物語です、少なくとも、私たち二人にとって」
好きな女ができたら、抱きしめて、詩人のように愛を囁きなさい。
ミネバはその約束が、冒険者ギルドで自分が言ったことだと思い出し⋯⋯
「ふふ、合格点をあげるわ、ピオレ⋯⋯」
自身の体を、そっと、彼に預けた。
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そうして二人はしばらく抱き合ったあと、こんな会話をした。
「私のせいで変わり果てたあの山は、しばらくあの状態だと思いますので、その麓で見張りをしようと思います、手伝って頂けますか?」
「いいわよ、私あなたの使徒だもの。
でもそれだけじゃ退屈だから、何か⋯⋯そうだ、メロンを作りましょう、二人の思い出の果物だから」
「え? あそこはメロンの生育に向かないですよ。
もしちゃんとしたメロンができたら、それだけでも、一つの奇跡です」
「いいじゃない、じっくりやれば。
私たちの作ったメロンが。
私たちみたいな素敵な出会いを。
そんな素敵な想像をしながら暮らしましょう?
その時間はあるでしょう?」
「はい、ずっと一緒ですから」
「うん、ずっと一緒なんだもの」
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こうして始まった、前代未聞の挑戦。
不向きな土地での、究極のメロン作りへの道。
二人で頑張り、手を汚しながら、老いてしわしわになるその日まで。
そんな覚悟で、厳しい道へととびこんだ。
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これは今後、メロン作りに情熱を捧げる夫婦の物語の、そのほんの、ほんの前奏曲。
果肉は厚く、果汁は瑞々しいその格別の出来栄えは、少しも妥協することのない姿勢や、失敗と、再挑戦の、試行錯誤が生み出した。
──つまり二人は末永く、仲むつまじく暮らした。
ピッケルの見た夢。
それは前世の記憶なのか。
または、祖先の思いを継承し、次世代に繋ぐ──そんな使命感から父親に叩き込まれた、メロン作りの極意を学ぶ日々だったのか。
目覚めた今となっては、もうわからない。
零章 農閑期の英雄・前奏曲
悪い神様と女剣士。
おわり