神様、ゲンコツ食らう
「今後、強くなっていただくのにお手伝いはしますが、この場はそれを使ってください」
ピオレのその言葉に、ミネバは今持っている剣を手放し、現れた剣の柄を握った。
そしてすぐに。
これは、私のために造られた剣だ。
と確信した。
そしてミネバが確信するとともに、黒竜もまた確信した。
現れたのは、自分を殺しうる存在、その事を。
食の好みなど、もう言ってられない。
いますぐに、決着をつけなければいけない。
黒竜は、今まで封印していた、ブレスを吐く準備をした。
ミネバが、鞘から剣を抜き、掲げる。
──それは神話の戦女神が、人々を導くときにそうしたと言われるように。
それは刀身に波紋のような装飾を施された、複雑に光を反射する、美しい剣だった。
黒竜の準備は整い、ミネバに向けて広範囲に広がる炎のブレスを吐いた。
ミネバはなぜか、それができると確信して──
「うおおおおっ!」
雄叫びを上げ、炎に向けて、斬れないものを斬る、そんな彼女の意志を込めて剣を振った。
彼女の望み通り──炎は真っ二つに裂けた。
そして彼女が望んでいた以上のことが起きた。
それはそのまま、剣の延長線上にある黒竜すらも──
炎と同様に、頭から、真っ二つに切り裂いた。
__________
「いろいろ聞きたいのだけど?」
戦いを終えたミネバは、ピオレへと詰め寄って、詰問を始めた。
「はい」
「まず、この剣。なにこれ、怖いんだけど」
自身の持つ剣をピオレへと見せつけるようにして聞く。
「その剣は【海断ち】と呼ばれ、使い手の技量、意志によって、切り裂く範囲を自在に変えます。
使いこなせば、大海すら切り裂く、と言われているのが名前の由来です。
あ、できるだけ使わないでくださいね、今回は緊急処置です」
「そうした方が良さそうね」
そう言ってミネバは自分が切り裂いた範囲を見る。
黒竜だけでなく、川の近くの地面や、川の底まで切り裂かれたようで、そこに大量の川の水が流入し、小さな滝のようになっていた。
「で、使徒ってなに?」
「神の敵対者と、戦うものです。
すみませんねなにか無理やり押し付けちゃったみたいで。
常に人手不足なので、困っているんですよ」
「ふーん、じゃあ、あなた神なの?」
「まぁ、一応。
真の神、ではない修行中の身ですが」
「そう。
じゃあ、私、今後は態度を改めた方がいいかしら?
ピオレ様、とか呼ぶようにした方が、いい?」
「あ、今まで通りでいいです。
でもさすがですね、驚いてないし、冷静です」
そんなピオレの言葉に、ミネバは取り繕うことに限界が来た。
「神様なのにバカなの!? 驚き過ぎて、混乱してるの!
いきなり神様とか言われて!」
「あ、すみません、普通そうですよね、配慮が足らなくて申し訳ありません」
そう言ってぺこりと頭を下げるピオレに嘆息しながら⋯⋯
「いいわ。とりあえず、態度変えなくていいってことなら」
そう言うとミネバはピオレへと近づき⋯⋯
ごちんっ!
と、下げていたピオレの頭に、思いっきりゲンコツをした。
普段のピオレであれば、そんなことされてもすぐに避けただろう。
だが、あまりにも意外すぎて、なすすべなく食らってしまった。
頭を押さえながら、ピオレは抗議した。
「いきなり、なにするんですか──」
そう言ってピオレが顔を上げると、少し目を潤ませたミネバが、理由を説明し始めた。
「だってあなた、私を嘘つきにしたわ。
全部、私にまかせなさいって言ったのに、任せてくれず──助けてくれたわ。
私、嘘が嫌いなの。
でも⋯⋯」
そこで一度区切ったあと、ミネバはさらに言葉を続けた。
「でも、そんなこと⋯⋯言い訳ね。
あなたをゲンコツしちゃったの、自分の不甲斐なさに対しての八つ当たりよ。
ごめんなさい。
私、偉そうに全部任せなさい、なんて言っておいて、本当は、あなたが何か隠してると思って、それが見たくて巻き込んじゃったの。
ピオレ⋯⋯助けてくれて、ありがとう」
そう言って彼女は、ピオレに抱きついた。
彼女は少し震えていた。
冷静ですね、なんて彼女に対して言ってしまったが、十分混乱していて、言ってることも支離滅裂だ。
口では強がりを言っているが、ギリギリの戦いでやはり、怖いと思う気持ちもあったのだろう。
そんな戦いの中でも、何かしらの意図があったとはいえ、彼女は、約束を守ろうとしたのだ。
たとえ、戯れのような会話であっても。
「全部私に任せなさい」
そう言った以上、できる限り自らの言葉を守りたかったのだろう。
そして張り詰めた緊張の糸が切れ、その混乱を自分にぶつけた、ということだろう。
そんな事をピオレは冷静に考えつつも──
ピオレは、初めて出会ったとき、彼女に興味を持った。
人々の感情に興味があったから。
そして、今は少し怖かった。
彼女が、人間が、複雑で、知れば知るほど理解から遠ざかっていくような感覚が。
そして⋯⋯
いま、彼女に抱擁されたことによって生じた、自分の感情を、自分自身に、うまく説明できないことが。
__________
町に戻ったピオレとミネバは、最初、まるで幽霊が現れたように不気味に扱われた。
黒竜の退治に同行していた他の冒険者が先に戻り、おそらくミネバは死んだと伝えられていたからだ。
しかしミネバは帰還し、黒竜の討伐を告げた。
それによって調査隊が派遣され、黒竜の死体を確認。
彼女の功績をたたえ、それまで最上位をAクラスと定めていた冒険者のクラスに、Sクラスが追加され、彼女は初のSクラス冒険者となった。
彼女はギルドのマスターとしての立場を「面倒だから」とギーランへと返上。
彼女が所属する【栄光】には、彼女に憧れ、所属を希望する冒険者が集まり始めた。
その他には、彼女がもっとも欲していた変化があった。
「あまり、得意ではないですが」
そういって、ピオレが剣を教えてくれるようになった。
謙遜も過ぎれば⋯⋯というやつで、ピオレはミネバよりはるかに高みにいた。
技がどうこう、というレベルではなく、ピオレの剣は基本に忠実かつ、それを高い次元に昇華していた。
最初は、彼の剣に一切対応できなかった。
次第に、少しだけ対応できるようになった。
毎日毎日敗北を感じる、充実した日々。
──そんな中、彼女は、剣理を体現したようなピオレの剣に、わずかな、隙とも言えない小さな癖を発見した。
でも、それを利用しても、今はきっと勝てない、まだ先だ。
いつか、彼に並び立った、そう感じたときに。
「あなた、こういう癖があるわよ」
そう言ってやる。
それが、ミネバの野望となった。
彼女は彼に隠れて、また何度も頭の中で、その癖を利用する訓練をした。
__________
ある日、二人でギーランに頼み込まれて受けた依頼を果たした帰り道。
夜、ふたりでたき火に当たっていた。
彼女は、なぜ剣を振るうのか、その理由をピオレに語った。
彼女には、恋人がいた。
それは十代前半の、子供同士の、おままごとのような付き合い。
彼は、「世界一の剣士になる!」
ミネバのことを見る時と同じくらい、目を輝かせて口癖のように言っていた。
彼女は、それを応援していた。
しかし彼は、病に倒れ、志半ばでこの世を去った。
「だからね、私、代わりにそうなろうと思ったの」
たき火をじっと見ながら。
思い出しながら、ピオレに聞いてほしくてたまらないような、それでいて独り言のように、ミネバは語った。
「剣を振れば、彼と一緒にこの道を歩いているような、そんな気持ちになれた。
でもいつか、気が付いたら一人で歩いてた。
⋯⋯でも、あなたと最近過ごしていて、気が付いたの。
わたし、一人で歩き続けられるほど、強くない。
お願いピオレ、私と一緒に、歩き続けて」
それは、彼女からの告白だった。
独り言のように語っていたはずが、最後に、彼女はピオレをじっと見ていた。
たき火のせいか、その目は、期待と不安に揺れているように見えた。
「⋯⋯そうしたいのはやまやまですが、それはできません」
「⋯⋯そっか、残念」
そう短く答えたあと
「でもそうしたい、の言葉だけで、今日は満足よ。
そのうち、是非とも! って、アナタの気持ちを変えてみせるわ。
⋯⋯じゃあ私、寝るわね」
「⋯⋯はい、おやすみなさい」
彼女は毛布に身をくるみ⋯⋯
「なんだか、少し冷えるわね」
声を少し震わせてそう言って、同じようにしばらく肩を震わせていた。
しばらくして、寝息を立て始めた彼女の寝顔をピオレがのぞき込んだ。
彼女の頬に残る、真新しい、涙のあとにそっと触れながら。
「お別れを言えず、すみません⋯⋯」
ピオレはそっとつぶやいた。
彼女が目を覚ますと、ピオレはそこにいなかった。
それはピオレが下山してから、ちょうど一年目の夜の出来事だった。