神様、黒竜退治に同行する
ギルド【栄冠】が、【栄光】になったことについては、冒険者たちの間ではそれほど話題にはならなかった。
しかし、王都の剣術大会で優勝したミネバが冒険者になったこと、そして今回の事態に対応することは、あっという間に広がった。
それについては、各自、己の考えを批評家のように語った。
反応は様々だった。
「ふん、冒険者として求められる技術と、剣術大会は違う、役に立つはずがない」
というものもいれば、
「いや、俺は大会で実際に見たが、あれは人のできる動き、技じゃない、彼女はきっと神話の戦女神の化身だ」
と、まるでその信者であるかのように、彼女の強さを流布するものなど様々だ。
共通しているのは、彼女の剣の業をこの目で見て確かめたい、と思うことだった。
だれも参加しないと思われた黒竜の探索は、物見遊山、といった感じのものも含め、参加者数十人の規模となっていた。
もちろん中には
「黒竜? そんなものいるはずもない。
どうせワイバーンやほかのドラゴンと見間違えたのだろう。
恐れることなど無い」
などと、ワイバーンやほかのドラゴンですら苦戦しそうな実力であるにもかかわらず、そんな大言壮語を吐くものもいたが。
だが、そのどれもが彼女にとってはどうでもいいことだった。
自分が今まで培い、そして手に入れたものが、この世界でも最高と言われるものに対して通用するのか、いや通用させてみせる、といった興味と矜持。
あとは
自分の考えであり勘が正しいかどうか見極めたい。
この先も培い続け、手に入れるために。
という思いだった。
__________
町の郊外にある森を、集団がけものみちを少し切り開くように拡大させながら進んでいく。
黒竜の目撃者は、この森で炭焼きをしている職人だ。
男が、職人仲間と森の中にある炭焼き小屋に向かい、炭を焼く準備をしていると、ふっと辺りが暗くなった。
太陽が大きな雲に隠れたのだろう、そう思った矢先、突如、体を揺らすほどの風が吹いたと感じた次の瞬間、別の作業をしていた同僚の叫び声が聞こえた。
彼がその叫び声──なぜか上空から聞こえたその声に対して上を見上げると、同僚の事を掴んだドラゴンが見えた。
そして
「無駄だ、暴れるな」
そんな幻聴を聞いたような気がした。
との事だ。
ミネバたち一行は、その竜が飛び去った方向、つまり森の奥へと向かっている。
奥へ向かう道中、それまで密集していた木々がふいに互いを嫌うかのように、開けた場所へと出た。
河原だ。
同行しているうちの数人の魔法使いが、川の水を魔法によって浄化し、飲料水にできる、との事だったので、集団はいったんここで休憩し、さらに奥へと踏み入る準備をすることにした。
休憩しているところをドラゴンに強襲されると面倒なので、煙の出る火は炊かず、おのおの携行したクッキーやビスケットなどの簡易な食事を摂る。
食事をしながら雑談していると、一人の男が
「おれは偵察の技能を持っている。
先行して、様子を見てくるからみんなは休んでいてくれ」
そう申し出て、集団を離れた。
その男に同調するように、ピオレは唐突にミネバへと告げた。
「ちょっとすみません、少し離れます。
あとですぐ合流します」
「え? どうしたの? トイレ?」
「はい、まぁそんな感じです」
「早く戻ってきなさいよ、私の活躍見逃してしまうかもよ?」
「はい、できるだけ早く戻ります」
そう言って偵察の男同様に、一行から離れていくピオレを見ながら
もしかして逃げる? 買い被りだったかしら……?
とミネバは思った。
ミネバは、ピオレはただ者ではない、と思っている。
理由は、最初の出会い。
ミネバは自分が人にどう映るのか、ということを理解している──特に、剣を振るったときに人がどう思い、どうするのかは嫌というほど過去に体験し、わかっている。
放り投げたメロンを、空中で捌く。
ミネバにとってみれば、それはちょっとした曲芸と変わらない。
別にこんなことが出来ると自慢する意図もなく、その方が早いからそうした、それ以外の何物でもない。
だが、余人にはそうは映らないだろう。
普通なら、二つのうちどちらかの反応を見せる。
驚いて思わず声を上げるか、驚きすぎて声を失うか、だ。
しかし、ピオレはそのどちらとも違った。
「もう一ついかがですか?」ときた。
次のメロンをむさぼるように食べながら、この男は私の技にそれほど驚いていない、とミネバは判断した。
じゃあ、それはなぜなのか。
考えうる限りで思いついた答えは、この男はミネバと同じ、最高の達人か、ミネバが呆れるほどの、究極の鈍感だろうというこの二つだ。
達人なら、自分のできることを他人が行っても、多少感心することはあれ、驚かないだろう。
起きたことを、起きたこととして認識するからだ。
そして鈍感なら、簡単だ、なにも考えていない、それだけ。
鈍感なら、多少一緒にいて、そう確信できればすぐに別れればいい。
だが、達人ならまたとない機会だ。
それこそ、神の思し召しというやつだ。
ミネバは現在、停滞を感じている。
学ぶ相手がいない、そう感じている。
せめて自分と同じ地点に立って、剣を振いあい、己を高めてくれる、そんな存在を探して旅をしている。
己が並び立つ者のいない、孤高の剣士であることを誇りにする者もいるかもしれないが、それが停滞を生むなら自分はごめんだ、と思っている。
誰かに引っ張り上げてもらう、またはお互いに高めあえる、そんな存在なら大歓迎だ。
ピオレが、そうなのではないか。
だからこそ、もっともらしい理由をつけて、同行を求めた。
⋯⋯まぁ、路銀に困り、明日の食料も確保が難しい、というのも本音だったが。
その後、ギーランの酒瓶に対して剣を振ったときも、驚愕するギーランとは対象的に、ピオレはそれほど驚いたように見えなかった。
彼女は、ピオレが鈍感な男でないことを、強く期待している。
今すぐにでも「あなた、実は剣の達人でしょう?」と問い正してみたい。
そう聞けば、もしかしたらあっさり教えてくれるのかもしれない。
しかし、否定された場合、そしてそれが嘘だった場合。
一度隠すと決めたら、とことん隠すだろう。
だからこそ、今回の黒竜の件は、面白いと思った。
ピオレの力を見るチャンスとして。
遺志をついで、進もうと歩みだした剣の道。
最初は借り物の道だったそれは、今はもうとっくに自分の道だ。
その道を共に歩める者。
それをピオレに期待していた。
「面白くなってきた」と自分が言ったときに、ピオレが言った「私もです」という言葉に、とりあえず今は期待するしかない、か。
ミネバはそんなことを考えていた。
__________
ピオレは集団から少し離れ「交信」した。
すぐに返事が来た。
「どうしたピオレ。試練中の交信は控えなさい」
「はい、それは重々承知しているのですが」
「その上で、となれば急ぐ要件なのか」
「はい」
「わかった、話してみなさい」
ピオレは、状況を説明し始めた。
__________
いた。
先行した偵察の男は発見したものをつぶさに観察した。
陽光を、まるで吸収しているかのような、漆黒の鱗で包まれた存在。
間違いない、黒竜だ。
黒竜はなぜか、小刻みに震えていた。
しばらく経ってから、背景も同様に小刻みに揺れていることに気が付き、それは、己の視界が震えている、つまり己が震えている、ということに気が付く。
己を震えさせるのは、今まで聞いてきた黒竜の数々の伝説なのか、それともそんなことは一切知らずとも、同様に震えるのか。
後者だろう。
目の前にいる存在が、本能に死を予言することをうながしている、と男は確信する。それとともに、現状が最悪である、ということにまぬけなことに今更気が付く。
そして、自慢していた偵察の技量など、この存在を前にしては役に立たないことが分かった。
黒竜が、こちらを見たからだ。
悲鳴を上げそうになるのを、意思を総動員してなんとか耐えた。
それは、音を出さない、という偵察者としての矜持が辛うじて作り上げた奇跡のような気持で。
それとともに、そんな奇跡は一切無駄で、すぐそこにある未来が「死」であることも同様に確信するが──
──こちらを見た黒竜に、特に動きはない。
何もして来ないなら、今がチャンスだ。
震える足を励まして、その場を、過去一番だと誇れるほどに音を消し、静かに離れた。
彼は勘違いしていた。
黒竜は行動を起こしていた。
上位の竜にのみ許された、魔法を使っていた。
同様の魔法は、最近使用した。
一匹の餌を確保したときに、もう一匹の男に。
黒竜は「印」をつけることが出来る。
経験上、餌に印をつけておくと、餌はしばらくして、より多い餌のもとへと黒竜を案内してくれる。
先に付けた印が、最近あまり動かなくなっていることから、餌場になりそうな場所はすでに把握していた。
それなりに空腹であることから、そろそろ向かおうと考えていた。
だが、新しい餌がやってきた。
前の餌場はもう把握しているし、この男がより近い餌場に案内してくれるならそれはそれで構わない。
男が行動を止めたとき、自分は行動を始めよう。
黒竜は人間の血肉の味を思い出しながら、それを再び味わえることを楽しみに思った。
__________
偵察の男はしばらくしてから集団へと再び合流した。
「いた、間違いない、黒竜だ」
男のその言葉に、一行に緊張が走った。
ざわざわと交わされる会話の中に混じった「見間違えじゃないのか?」という言葉に、男は反応した。
「むしろ、そうであって欲しいくらいだ。
あれは、どうしようもない存在だ。
一目で確信した。
本来なら、一人でもっと遠くに逃げ出したいくらいだ。
だけど一応報告しに来た、それをほめて欲しいくらいだよ」
本当にそうした方が本来は一行のためであったことなどつゆ知らず、男は語気を荒めてそう言った。
その言葉に、さらに動揺が広がる。
「いいわ、あなたたち逃げなさい」
動揺に収集をつけようと思い、一行のリーダーになったつもりなどなかったが、ミネバは宣言した。
しかし、そんな彼女の意思は無視され、一行の考えはまとまらず、話し合いは続く。
これ、いつまで続けるつもりなのかしら。
ミネバが退屈さを感じ始めたころ。
ふいに、一行に影が差した。
それは、炭焼き職人が語ったことを、まるで再現するようだった。