電光掲示板にて『今から起きる』
男は空港にいた。
出発手続きを無事に終えて今、飛行機に乗り込む時間を手持無沙汰で待っていた。オレンジ色に灯った流れる文字を――電光掲示板をソファに腰掛けながら眺めていた。
仕事納めということもあり、飛行機を待つ人間は男以外にも多数いた。老若男女様々な種類の人間が、退屈そうに各々勝手なことをして暇をつぶしている。
流れるニュースを男は見ていた。『帰省ラッシュは今日をピークとして……』『東日本以西の気温は平年より低く……』『年末年始9連休……』どれも身を乗り出すほどのニュースではない。背もたれにもたれながら男はしかし、電光掲示板を眺める以外にすることがなかった。
暇であった。
スマートフォンで暇をつぶすにはバッテリーが心もとない。コンビニで雑誌を買おうにも時間が中途半端だ。しょうがないので男は、出そうにもない尿を出そうと重い腰を上げようとした。
……しかしある文言に男の興味が捕まえられた。
『飛行機墜落事故』
眉をしかめて表情を歪める。今から飛行機に乗るというのに、実に不吉だ。しかし怖いもの見たさというべきか男は上げかけていた腰をソファに下ろした。
身を乗り出す。
『飛行機墜落事故が発生。帰省ラッシュも重なったことで死傷者数はかなりの数が予想される。航空会社は遺族への謝罪と共に至急原因を解明すると……』
男の胸はざわめいた。
事故はきっと、現在の自分が置かれているような状況で起こったに違いない。帰郷をするためここには多くの人間がごったがえしている。どことも知れない事故現場に男は思いを馳せた。
やりきれない。
口をへの字にして、電光掲示板を男は眺めていた。
そして、次に表示された文章に彼は戦慄した。
『事故現場では現在、必死の救助活動が行われている。まさに地獄のような有様だ。人の叫び声が聞こえる、子どもの泣き声が聞こえる。しかし燃え上がる火の手がそれらを遮っていた。むせかえるようなおびただしい流血も飛行機から漏れ出るエンジンオイルによって覆われていく』
『瓦礫の下敷きになっている少年を、一人の男が助けようとして瓦礫に手をやる。熱い。湖が凍えるほどの気温だったはずなのに、ひどく熱い。しかし男は、両手が灼熱で爛れようと瓦礫を押しのけた。少年を瓦礫の下から助け出したのだ。しかし少年はすでに死んでいた』
『この地獄ではそれが当然であった。数瞬で何人も死ぬのが常識であった』
男は電光掲示板から目を離すことができなかった。なんだこれは。まるで現場を観察しているようだ。瞳孔が開き、目が乾く。しかし瞬きすらも許されないような魔力が電光掲示板に込められているようだった。
そして男はある事実に気がつく。
誰も電光掲示板を見ていなかったのだ。
男以外に、電光掲示板を見ている者など、一人もいなかったのだ。
乾いた笑いが漏れる。
『身重の女性が業火に巻かれて……』『瓦礫の隙間から誰かの手が垂れて……』『オイルまみれになった少女が……』『崩落した天井に男が巻き込まれて……』『爆発が起きた』『阿鼻叫喚の……』『また爆発』『地獄だ』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』『熱い』
『――ああ――』
男は近くにいた職員に、声をかけることにした。電光掲示板が故障しているようだと、そう告げるつもりだ。手が震えて、足も震えて、立ち上がるのに苦労する。
……電光掲示板を見ている人間は、男以外にいなかった。
もしかしたら彼だけが見ている幻覚なのかもしれない。それでもいい。とにかく彼は、ディスプレイを流れる文章が決して現実のものではないと確信を得たかったのだ。
きっと、悪い夢だ。
そうして立ち上がった刹那――男はある一文に目を見張った。
『――この惨状は、今から起きる』
直後、聞き覚えのあるジェットエンジンの噴射音がして――