第1話「ロガドガ山」
空に近づくほどに強くなる、押し潰されそうな圧。
脳が黒の常識を群青に塗り替え、常に殺気と生臭さに苛まれる。
そして、肉体の疲労を嗅ぎつけては
《ギュワァァウ!!》
「何度来ても無駄だねぃっ!!」
飢えた狼、頭上から迫る鷹、地面から足を狙う蚯蚓、岩に化けた熊、他生物の血に寄り付く人の子ほどの蜂…
それらは全て、人間が知るそれではない。
近いものに当てはめたらそうなる、ということだ。
3人の人間が、魔物の巣食う山の攻略を始めて丸3日。
常に限界まで緊張を強いられ、休む間も得られず、空腹と睡魔に耐えながら。
人のために作られていない、自然のままの山道を強引に歩き進める。
真ん中、守られながらなんとか足を動かすのはソフィー。
元々弱い彼女の肉体は、メドルーナからハートを目指した際に遭難したことで多少はマシになっていた。
しかし、この場所ではその程度じゃ何の役にも立たない。
この日は空が明るくなってからというもの、彼女は何度も石に躓き足に傷を増やしている。
そんな彼女を気遣い、しかし甘やかさないのは最後尾を守るチャド。
可能ならばソフィーをおんぶでも抱き抱えるでもして運んでやりたい。
それが出来ないのは常に感じられる魔物の気配のせい。
ほとんどの魔物が正面ではなくどこかしら隙や死角を狙って襲ってくるのだ。
そんな中途半端に賢い魔物の中でも低能な種は、総じて背後を狙う…つまり、3人の中で1番戦闘をこなす必要があるのは彼ということになる。
先頭を歩き道を作るのはリーファン。
長剣を使い細かな石を両端に退かし、時には柔い土に突き刺して地中に潜む魔物を牽制する。
彼はハートで得た狩人の知識を利用し、一定の距離を移動するごとに近くの岩を鳴らすように剣で叩く。
永遠に続くと思われる道のりを否定し、現実に攻略出来るのだと鼓舞する。
3日。それだけの時間を使って進めたのは半分を少し超えたくらいの距離。
人間にとって地獄でしかないこのロガドガ山は、登る以外の進路が存在しない。
大きな岩が群れを成して"ここを通れ"と言わんばかりに道を示しているのだ。
…しかし、例外はある。きっと、空を飛ぶことが出来ればこの山はただ見下ろすだけの"土地"に成り下がる。
のだが、今の3人にはそんなふざけた答えを考えることは許されない。
笑顔なんて作る余裕はない。
涙を流す水分すら惜しい。
ふと振り返り眼下に広がる景色を見てため息をつくソフィー。
「ソフィー嬢。前を向いて足下に気をつけないとまた転んでしまうねぃ」
傷を洗うことも出来ない。
可能な限り無駄な怪我は減らさなければならないが
「うん…」
各国に名を轟かせるほどの男。
王子兼勇者の男。
2人とは違う。この過酷な状況は彼女には似合わなさ過ぎた。
あまりにも元気のない返事に、リーファンが足を止める。
「チャド。2人で守れば大丈夫だ。ソフィーを休ませよう」
「でも留まるのは危険だねぃ…」
「このままでは過労で力尽きてしまう。少しだけだ」
リーファンの提案で休憩することにした3人。
本能のままに動かし続けた身体は、動かすのを止めた途端に
「うぅっ…痛い…」
「足がボロボロだねぃ」
「チャド」
チャドに見張りを頼むと、リーファンはソフィーの足を優しく揉んでやる。
解されていくのを感じてむず痒い顔をする彼女に
「僕の考えが正しければ、山を登るほど魔物とは出会いにくくなるはず。魔物だってこの距離は単純に疲れるだろうからね。山頂ならきっと、」
「ごめんね、2人とも…私…」
「大丈夫。必ず全員無事で切り抜けられる」
「うん…あ、あれ?ねぇ!あれ見て!」
ソフィーが発見し2人に示したのは、小さく口を開く洞窟のようだった。
「もしかしてだけど、あの中に水とかないかな…」
「この山に洞窟が…」
「魔物の巣か、自然に生まれたものだとして本当に水があるとしても、それを求めて魔物が寄り付くこともあるだろうねぃ。何がいるかも分からないし…」
とっくに消費しきった食料、水。
ハートから逃げる最中にいくつかこぼれ落ちてしまったのは悔やまれるが、これだけ長い時間を過ごすとなればそれも数には入らないほどの違いだ。
目の前の可能性。
しかし、その可能性と同じだけの危険もある。
「分かった。僕が見てくる」
「リーファン1人で?」
「3人で行くのはありえない。万が一、中で何か起きたら助からない。2人で行くのも違う。ここならチャドも戦いやすいだろうし、不思議と今は魔物も襲ってこないからね」
チャドはある程度登って高さが生まれた頃から、魔物を下に叩き落とす形で迎撃している。
今休憩している場所は人間が動きやすい平らな地面でありながら、崖も近くにある。
「すぐに戻る。それまで頼むよ」
「えっ」
足を伸ばして休むソフィーは驚いた。
絶対に疲れているはずなのに、リーファンは軽々と走って洞窟に向かっていったのだ。
「リーファンは旅をしていたみたいだからねぃ。ハート出身でもあるから体力は相当だろうねぃ」
「…ねぇ、私…甘いかな」
「キャルのためキャルのためって、無理に皆を巻き込んで来たのに。いつも私が足を引っ張ってる。よく考えてみたら私って」
「…出来たらもっと強かったらいいのにね。魔法も最近ようやくって所だし」
「………?」
チャドは応えない。
いつもなら、うんうんと話を聞いてくれるチャド。
それが今回は珍しく無言でソフィーに背を向けて立つ彼。
ソフィーは立ち上がり、そっとチャドの横に立つ…と
「チャド?」
彼の顔があるはずの場所に、皮膚や肉がない。
後頭部からこめかみ付近までの皮だけを残して中をくり抜かれ、中には頭蓋骨も残されていない。
「チャ…」
何が起きたのか理解できない。
目を見開くソフィー。
チャドであるはずのそれは、そのまま仰向けに倒れてしまった。
すると、次は大きな肉体が顔と同じになっていく。
溶けるように鎧が、服が、肌が、肉が、内臓が、骨が、なくなっていく。
「う、うそ…チャド…」
「なんだぃ?」
「え?」
怯えて彼を呼ぶと、背後から声がした。
振り向くと
「きゃぁぁあああっ!!」
そこにはこちらに向けて斧を振り下ろすチャドがいた。
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「寒いな…」
洞窟に足を踏み入れたリーファン。
試しに小石を奥に投げてみると、跳ねる音が返ってきた。
それ以外に音はなく、魔物もいないようだ。
しかし、中はとても暗い。
10歩も数えない内に黒が視界を占領する。
「チャドやソフィーには難しい。僕で正解だった」
ハートの狩人ならば。
夜に狩りをする彼らは、暗闇に紛れて罠を仕掛け獲物を撃つ。
暗所への対応力は視力だけではなく、感覚的にそこに何があるのかを把握して
「よし」
リーファンは走りだした。
長剣を地面に、側壁に。
這わせて音を鳴らすと、跳ね返る音を聞いて洞窟の地形を把握していく。
「なるほど、ここで分かれ道か。右からは香ばしい匂いがする…良い匂いだ」
知った匂い。
そう、ハートでよく食べたビッグブーの肉をこんがり焼いたのと同じ匂いだ。
食欲をそそられ、意識的に消していた空腹感があっという間に脳を支配する。
口内にじわりと湧く唾液を飲み込む。
「迷い込んだビッグブーが奥で死んだ。そして、ここはロガドガ山だ」
何かしらの作用が働いて食べ頃になるように死体を焼いたのだ。
リーファンは自己を洗脳するように呟いて分かれ道を右へ…
「………いや、違う」
踏み止まる。
「こんな場所にビッグブーは来ない。それに…熱源も感じられない。…罠…?」
この匂いがもし、獲物を誘うものだとしたら。
奥には何が待っているのだろうか。
「僕が入ったのも正解ではなさそうだ」
知る必要はないと判断し、左へ進む。
食欲を刺激する匂いに後ろ髪を引かれる思いだが
「さっきよりも冷たい。湿気もある。もしかして水か…?…っ!?」
暗所への対応力。
それにより奥まで問題なく進めることが出来たが、それは足を踏み外すことで裏切られた。
前へ踏み出した右足は地面があると思っていた高さでは着地せず、その更に下…斜面に無理な着地をしてしまい
「ぐぁっ!」
嫌な方向に曲がったのを痛みで理解した。
体勢を崩して斜面を滑り落ちるリーファン。
落下は数秒だが、彼はその間に多くを考えた。
あの分かれ道での判断は間違いだったのではないか?
罠だと思わせた右の進路こそが正解だったのでは?
そもそも、この洞窟は何なのか。
この中には何があるのか。
何もないのではないか。
この洞窟そのものが罠なのか。
落ちた先に何があるのか。
自分はここで死ぬのか。
死ぬのか。
死ぬのか。
死ぬのか。
「んっ!」
落下を終えて地面を転がる。
地面を下に、恐らく仰向けになってゆっくりと呼吸を試みる。
何が起こるか分からない。
真っ先にしなければいけないのは、負傷した右足の痛みを麻痺させること。
痛覚に簡単に屈して怯んでしまっては、命のやり取りなど到底出来ない。
「くふっ…はぁ…はぁ…」
近くの石を拾い、自身の左の方向へ投げ捨てる。
音の反響で今いる空間の広さや地形を調べるためだ。
が、石は何かにぶつかるというよりも
「…水…!」
水面を叩いて沈んだ音がした。
自分の寝ている場所のすぐ近くに水がある。
それを何となく分かっても、結局今のリーファンには
「…なんて甘えたことを考えてはいけないね。っ…」
体をひっくり返してうつ伏せに。
腕の力でその方向へ進む。
「水を飲む。そしたら必要な分だけ汲んで、少し無理をしてここから出る。洞窟から出たら、もう少しばかりチャドに甘えよう。…よし」
手で暗闇を探ると、指先が液体に触れた。
水面で指をばたつかせ、それが水であるとリーファンは考えた。
そして、手を皿にして水を…口に…
「お止め」
はっとしてリーファンは手を止めた。
「誰だ」
自分の声だけが響く。
聞き間違いではない。
今、確かに声がした。
しばらくの無音の後、再び手の水に口を近づけようとする…と
「お止め。そんなに死にたいのか、若者」
間違いない。人間の言葉だ。
それに、幼い女の子の声だ。
そしてその声は、リーファンが同じ問いかけをする前に答えた。
「アルタ。許しのアルタ。ロガドガ山を護り続ける女神さ」
/////////////To be continued...




