第10話「悲しい男」
「独りの幸せ」
あの本を書いたのは、ブラウンだった。
実話じゃないかもしれない。
でも、読んでいて確かに感じた黒い感情は本物だった。
ブラウンは無言で私を睨みつけてる。
今にも殴りかかってきそう。
「……共に帰るのであれば、全てを話しましょう。…あなたの母親のことも」
「声が怖いよ。最悪私を殺してでも連れ帰る?」
「あなたがそう望むのなら…旅先で命を落とすことは珍しくありませんから」
「…ねぇ、ブラウン。ひとつだけ聞かせて。…本当に独りは幸せ?」
「………」
ブラウンは1度剣を抜こうとしたけど、止めた。
そのかわりに強く拳を握った。
「あなたまで失えば、私は今度こそ独りだ」
声が出なかった。
私の時間が止まってしまったみたい。
ブラウンがゆっくり近づいてきて、
「私を父親のように親しく想っていたあなたはどこへ消え失せた!!」
私は振り抜かれた彼の拳によって、無理矢理左を向いた。
顔の右半分が鈍く痛む。
殴るってこういうことなんだ。
「城で暮せば安全だった!保証された裕福な暮らしがあって!いつかは偏見を持たない立派な男があなたを迎えに来たかもしれない!」
今度はブラウンの右の拳が私の頬を打つ。
さっきよりも強くて、私は後ろに倒れた。
「外に何があるのか。そんなこともう十分に知っていたはずでしょう!!」
ひたすら怒鳴られて、殴られて。
怖いのか、痛いのか。
私はいつの間にか号泣していた。
「あなたは大人しく私を頼ればよかった!何から何まで欲しいものは用意してさしあげたのに!!」
立ち上がろうとすると蹴られる。
上半身だけ起き上がらせて、私は手を使って必死に後ろに下がるしかない。
手のひらで石を踏みつけても、小さな木の枝が突き刺さっても、ブラウンから離れるためなら多少の痛みは気にしない。
私は今、本気で彼を恐れている。
「次で終わりだ。あなたが死ぬかどうかは分かりませんが、意識は失っていただく。…帰りましょう」
「…いや……やめて…」
ようやく声が出た。
殺さないでと懇願するような声が。
そして、思った。
あの本の通りなら、彼は"母親にされたのと同じように"無視をするのだと。
「その目…やはり娘だな」
その言葉の直後、何度かブラウンに殴られた。
何度か?何度も?
数える余裕なんてなかった。
途中で吐き気がして、途中でふらふらして、途中でただ地面を眺めて、途中で咳き込んで血を吐いて、途中で泣いて、途中で、途中で、途中で…
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「止まれ」「ひぃー…やっと落ち着いた。さ、仕事だな。止まれ」
門番2人が呼び止める。
「………」
「……おい、その女…」「さっきの…お、お、お前!」
先ほどまでまさに"抱腹絶倒"させてもらった、例の魔法少女だった。
その女はどうみても瀕死の状態で、その男の肩に担がれている。
男の顔や鎧には返り血。手は明らかに血で染まっていた。
それは真っ直ぐにその女のものだと分かる。
「行かせないぞ」「ああ。行かせない!」
無言で門番を睨む男。
少し動揺したものの、落ち着いて剣を向ける門番。
「悲しみを知れ。…黒哀の剣」
男が腰から抜くのは、半分に折れた黒剣。
門番は互いを見て相手の武器が確かに破損しているのを確認した。
「メドルーナ国王の名により、これより先には行かせない!その女をこちらに渡して、投降しろ!」
「泣くがいい」
数秒後、男は門を通過しメドルーナに入国した。
門番は地に伏せ、悶え苦しみ泣き叫ぶ。
2人とも、ちょうど両目を潰すように顔に一閃を浴びていた。
血の涙を流し、斬られた目が顔からこぼれ落ちないように手で抑える。
その姿は、"悲しみ"を文字通り刻み込まれたようだった。
男は道に迷うことはなく直進を続ける。
時々女を担ぎ直しながら。
途中、集団に出くわす。
「離してほしいねぃ!誤解だって言ってる!」
「弁解なら後で処刑人に好きなだけ言えばいい!我々は自国に危険を与える可能性のある者を捕らえるのみ!」
8人ほどの武装した兵に囲まれて連行される大男。
どこかで見たことがある…というのは気のせいではなく、遠く離れたキングエルにもその名を轟かせる"大将軍"であった。
「オイラは確かに魔法も使える!でも」
「うるさいぞ!歩け!」
兵の1人が男を見る。
そして肩に担がれている女に目を向けて、1度足を止める。
「……賃料も稼げず逃げ出す愚かな宿娘を連れ戻した」
男は静かに兵に告げると、納得したのか
「大変だな。ま、素材は悪くないだろうが…その腫れた顔じゃあしばらくは客も付かんだろう」
集団をやり過ごし、目指すは別の門である。
松明の明かりはぼんやりとしていて、近くを通ると少し顔が熱い。
「……あなたにだけは変わらないでいてほしかった」
男は絶命寸前の女に呟いた。
「ブラウン」
そんな男を呼び止める声。
「な…あ…うそだ…」
振り返ると1人の女が立っていた。
それは、紛れもなく、男が愛したはずの
「ナタリア…」
「なぜそんな悲しい顔をしているの?」
美しい金の髪、そして前髪に落ちる一筋の黒髪。
彼女はそれを目の前で束ねて、
「どう?上手く出来てる?あなたこういうのうるさいから…ふふ」
それはポニーテール。
色褪せない幸せな記憶が再現されたような感覚。
ポニーテールの出来を男に問いながら微笑む。
「ナタリア…」
「なあに?」
名を呼べば、当時と変わらず嬉しそうに応える。
それがたまらなく嬉しくて。
男は涙を流しながら女…ナタリアと呼ぶその女に歩み寄る。
「そんなに汚れて。もう。全部捨ててよ。家庭を大切にするって約束してくれたはずなのに」
「こ、これは…」
女は男の鎧や剣を指さしながら言った。
「私のためなら2度と喧嘩もしないって」
「そ、そう!そうだとも!待ってくれ。すぐに…」
男は肩にかかる女を地面に下ろし、武装を解いていく。
次々に地面に転がされる金属達は血と砂で汚れている。
身軽になったところで、女が男を手招きする。
「こっちよ。おいで」
女は走り出して路地裏へ消えた。
「待ってくれ!ナタリア!」
男はそれを追う。
路地裏は真っ暗だ。
明かりの一切がなく、足下も確かではない。
それでも、
「こっち!早く」
「ああ。すぐに…!」
呼ぶ声と確かな足音に誘われ、追いかける。
しかし、暗い道に迷い込むほどに声も足音も薄れていってしまって。
「ナタリア…!ナタリア!どこだ!」
ついには返事もなくなってしまった。
「ナタリア!…ナタリア!!」
暗闇の中、男は懸命にその名を呼び続けた。
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マリタの屋敷は明るくなっていた。
普段なら全員就寝中のはずで、このようなことは珍しい。
というのも。
「キャルが荷物を残していなくなるなんておかしいよ!」
隣で寝ていたソフィーが異変に気づいて騒いだためだ。
マリタが指示して屋敷中を召使いに探させる。
ソフィーはキャロラインの荷物を減らしていく。
長旅のために用意された大きな荷物を必要最低限まで減らして軽くすると、それを背負って
「探しに行ってきます」
「外は兵士さん達がうろついてるから気をつけなさい。良い人ばかりじゃない」
「はい!」
マリタは心配しながらもソフィーを見送った。
軽くしたおかげで、荷物を背負っていても走りやすい。
ソフィーは心当たりがないながらも、国中を駆け回ってキャロラインを探すつもりだった。
が、メドルーナで最も多く店が並ぶ大通りですぐに目的は果たすこととなった。
無人なはずの広い通りに、松明の明かりに照らされるのは。
「キャル!!」
仰向けで倒れる彼女は、顔が腫れ上がり、服がボロボロで、痣がいくつも見られ、何より血だらけだった。
「キャル!!」
1度目は驚きで呼びかけた。
2度目は悲しくて泣きながら呼びかけた。
そこに、1人の女が現れた。
メドルーナの人間にしては珍しく、貧相な格好。
髪は寝起きのように乱れて、表情には力がない。
その女は近くに落ちている鎧や剣を建物の影に隠すように運んでいく。
ソフィーには、それがアグリアスにもあったような"この国の闇"に見えた。
裕福な人間ばかりが目立つこの国で、そうではない人間が生きていこうとした場合…もしくは、何らかの事情で財産を失った場合。
この女と同じように、なってしまうのだろうか。
「…来ないで…こんなに弱ってる人がいるのに物を盗るの?生活が苦しくてもそんなのよくないよ!」
「早くその人を連れて安全な場所へ逃げなさい」
それは、外観を裏切る神々しい声だった。
「その人を追って間もなく彼が訪れます。さあ、はやく…」
その女は薄らと光を纏う。
次の瞬間、女はキャロラインになっていた。
「……な、なんなの…?!」
「あなたもいつかは私を知る日が来ます。さあ、逃げなさい」
キャロラインに変わった女は、ソフィーが優しくキャロラインを抱き起こすのを見守る。
そして、また光を纏うとキャロラインと同等の怪我をしていた。
これでいよいよ本物の区別がつかなくなった。
「………っ!」
ソフィーは何も言わずキャロラインを支えて逃げ出す。
決して早くはないが、きっと逃げ切れる。
なぜなら
「………私は幻を見てしまったようだ。あなたを想うあまり…。まだ立ち上がるだけの元気があるのですか」
泣き疲れて戻ってきた男は、目の前の女が入れ替わったことに気づかなかったから。
「…連れ帰って。ブラウン」
キャロラインになった女はそれだけ言って、男に倒れかかった。
「手荒な真似を…愚かな私をお許しください。キャロライン様」
女の一言は、男を…ブラウンを頼る言葉だった。
それを聞いてブラウンは、ただただ謝罪した。
そして、
「愛しております」
ブラウンは、そう告げた。
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ソフィーが屋敷の近くまでどうにか戻ると、マリタの召使いが外で待っていた。
「屋敷の正面に兵士達が集まっています。危険なのでこちらから…」
2人でキャロラインを支えて、裏から屋敷に戻る。
寝室にキャロラインを寝かせると、召使いはすぐに治療に必要な物を取りに走った。
「キャル…」
外は騒がしい。
屋敷に兵士達が集まるとは何があったのか。
少しだけ気にしたが、やはり目の前のキャロラインが心配だった。
呼びかけても、何をしても目覚めない。
痛々しい体にそっと触れても温もりは感じられない。
呼吸をしているのか…それは、確認しなかった。
いや、確認をしたくなかった。
ソフィーは万が一の展開だけは避けたくて、それだけは確認しなかった。
酷い状態ではあるが、キャロラインが生きていることを信じた。
そこに
「はぁっ…はぁっ…」
「……チャド…!」
汗だくで息が乱れたチャドだった。
苦しそうに息をする彼の鎧は酷く傷ついていた。
「何があったの…?」
「昼に騒ぎがあったらしくてねぃ…その犯人だと思われたのか…連行されそうになってねぃ…」
「あ…」
ソフィーには心当たりしかなかった。
「この近くを通った時に無理矢理逃げ出したんだよねぃ…経験で分かる。あのまま連れて行かれたら死刑になるだろうってねぃ」
「………」
キャロラインを助けるため。
とはいえ、自分のした事がここまで大事になって、それもチャドが命の危険にさらされることになるとは。
ソフィーの心情を知らないチャドは、ようやくキャロラインについて触れた。
「キャル嬢…何があったのか分かるかぃ?」
「分からない。ここで一緒に寝てたはずなのに気づいたらいなくなってて、探しに行ったらこの姿で倒れてて…」
「……約束したのにねぃ……守ってやれないなんて情けない…」
チャドは頭を掻き毟る。
「………っ」
すると、微かにキャロラインの口が動いた。
それに気づいた2人は呼びかける。
「キャル!」「キャル嬢!」
キャロラインの服の下…胸元が光りだした。
「なんだろう…」
ソフィーが手繰り寄せると、ペンダントが出てきた。
埋め込まれた石が光を発していた。
「…………」
声にはならないが、キャロラインの口が再び動く。
弱っているなりに必死に話そうとしているのだろうか。
「冷たっ…」
ソフィーがペンダントから手を離した。
触れていた手は冷たいという言葉以上に影響を受けていたようで
「…これは凍傷…?ソフィー嬢、」
「い、痛い…」
そこにようやく召使いが戻ってきた。
マリタも一緒だった。
「メドルーナの兵には別を探してもらったよ。これでもうこの屋敷を探しに来ることはないだろう」
「申し訳ありません」
「無実なんだから謝らなくていい。それよりお嬢さんだ」
程度は違うものの、それぞれが傷ついた。
傷ついて、キャロライン、ソフィー、チャドはまた集まった。
/////////////To be continued...




