契約の日
ダイニングでミシェは今まさにスープをボウルに注いでいるところだった。
「お、ナイスタイミング!!」
嬉しそうに笑う彼女にシューリが近づいて頭を撫でた。
「ミシェの料理は久しぶりだな。おいしそうにできてる。」
「フフフ、ありがとう。」
ミシェは目を細めてされるがままになっている。
「あの?」
入り口に立ったままどうすればいいのか分からずおろおろする彼にミシェはは四人がけのテーブルの左端の方を指した。
「君はそこに座ってね、ロワの隣よ。それともシューの隣の方が良かった?」
「い、いや。」
苦笑いを浮かべて指された席に座るとミシェがスープをもう一人分鍋からよそってくれた。
「パンは自分で好きに食べてね。」
「あ、ああ」
席についてスプーンを手に取ったハクの前にフォークが飛んできた。
「ひっっっ」
「いただきますとありがとうは?」
恐る恐る顔を上げたハクにシューリが笑いかける。
「い、いただきます。」
ひきつった顔でハクはスープを掬い上げ、口に運んだ。
「おい……「おいし~」
被った声が誰のものだか言うまでもない。目の前に座ったシューリだ。
「おい!お前!」
「ん?なに?」
いきなり立ち上がったハクはおかしそうに笑うシューリを睨みつけた。不穏な空気が流れ始める。
とたんにミシェが立ち上がって両者の間に顔を出した
「はいストーップ!!」
ご飯中ですよと言う愛らしい声を無視してハクはシューリをにらみつけたまま動かない。だが、相手は素直に引き下がった。
「だめだよ、ハクくんご主人様の言うこと聞かなきゃ。」
人差し指を上げて左右に振る彼の言葉に首をかしげる。
「ご主人…様???」
「あれ~?言ってなかったけ?君の契約者は僕じゃなくて、彼女。」
指し示された手の先にいるのはどう見ても子供のようなミシェラ一人だ。
「そう、君の契約者は私だよ。」
ハクは視線をさまよわす。
―こんな子が俺を打ち負かしたのか?
そんな心境を知ってかシューリは笑った。
「言っておくけど、彼女は君とは比べものにならない強さで、たぶん年齢も数倍だよ?」
「シューリの馬鹿!年齢は内緒にしておきたかったのに~!」
否定しないところを見ると本当なのだろうか、ハクはどう見てもそうは見えないミシェラを見つめ、ある矛盾点に気がついた。
「そんな強いなら俺に願いを叶えさせる必要は無いんじゃないのか?」
ミシェはその問いかけに首を振る。
「そんなこと無いよ。だって必要がなければこんな契約で人を縛り付ける意味なんて無いもの。」
「そ、そうか。」
なぜだか心が痛んだ。自分も契約の時点で勝って居たとしたら同じ事をしていたのに縛り付けると言う言葉に反応してしまう。
下を向いたハクに気づかないままミシェは続けた。
「ちょうど願い事について話そうと思ってたところだし、長くなるからとりあえず座って?」
「わかった。」
とりあえず三人が席に着いた事を確認してミシェはテーブルの向こう端からハクの胸に手を置いた。
「逃げないで。」
いきなりの事に身を捩る彼を落ち着かせ、俺の瞳を覗き込む。
「今から私たちを裏切らないと心から誓って。」
理解が追いつかずにいるハクに笑いかける。
「大丈夫、ちょっと厳しい指切りげんまんだと思って。ただ、代償は針を飲ますなんてかわいいものじゃないわよ。」
にっこりと微笑む彼女が恐ろしく思えるのは何も彼のせいだけでは無いだろう。
「…わかった。」
うなずく彼の胸に魔法陣が浮かび上がる。
―詠唱なしの魔法!?
彼は突然の事に驚いて息をのんだ。詠唱なしで魔法が使えるのはこの世界を探し回っても片手で数えられる程しか居ないと聞く。
そんなことを考えている内に彼女は術を終えたらしく乗り出した身体を椅子に沈めた。
「ふぅ…。」
ハクは魔法陣の消えた胸に触れた。特に変わりの無いことをいぶかしく思いながらもミシェが契約した目的を話し始めるのを待った。
「じゃあ、まずどこから話そうか。」
彼女は机の上に置いた手を水の次がれたコップに持っていった。引き寄せた水面を眺める。
「私は、フェミットよ。」
「フェミット…!!」
驚きが走ったのは当然のことだ。フェミットは人間の浮国にも妖精の浮国にも嫌われ者で国民は自国の発展の為ならば赤子も捻りつぶすと言う。
「国を抜け出した初めてのフェミット。」
「国を、抜け出した…?」
「そう。」
彼女は頷いた。なぜ最初に会った時に気が付かなかったのか、金色の瞳と髪はフェミットの証だ。この色は変身魔法でも変えられない。
「あなたにしてもらいたいのは私と協力してこの世界を助けること。」
話が壮大すぎてついて行かない頭をかしげる。
「この世界には三つの浮遊する国と、空の上に神の国、地下奥深くに悪魔の国があるわ。」
ミシェは手の中にあったグラスの中身を掌に零した。溢れた水が指の間から落ちる。水は天井に掛けられたシャンデリアの光をきらきらと反射させながら重力を忘れたようにこの天と地の二つの国とその間に浮く浮国の形を成し彼女の手の下に浮いた。
「世界が始まってからこの三つの浮国は地からなる自然の魔力によって浮いて来た。だけど…」
ミシェが指の間から中間に浮く浮国に更に水滴を落とす。人型をなした水滴が動き始める。唾を飲み込んだハクの目の前で多くの人たちが乗った浮国は浮力を無くし少しずつ高度を下げていった。
「人間達の住む浮国は最近少しずつだけど浮力を無くしていってる。」
浮国はそのまま高度を下げ、ついに地の国に接触した。水でできた地面を突き抜けそれでも留まらずに水がテーブルに零れた。
「私はそれを止めるためにあなたと契約したの。」
最後の言葉はハクには届いていなかった。
「う…そだろ。そんなことって。」
無意識のうちに出た声がかれている事に気づき唇をしめらす。
「嘘ではないわ。現に人間の中でも気づいている人はいるしもう2年も前から始まってる。」
くらくらする頭を振る。
「うそだ、そんなこと無い。うそだ、うそだ、うそだ!」
テーブルを叩くと上に乗っていた食器がガチャガチャとなった。
「とりあえず今日は部屋に帰ってよく考えてみて。あなたが協力してくれるかはそれから聞くから。」
廊下に出て階段を駆け上がったハクの背中にミシェはため息をついた