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猫の行く先  作者: 落伍者
9/13

「……そんな話だよ」

 残響は鳴り響いている。確かにそうだ。三井さんは今ここにはいないけど、三井さんが僕らに与えた影響は確かに今でも僕らの中に鳴り響いてる。

気がつくと、いつのまにか、蝉の合唱がひぐらしの輪唱に代わっていた。

 何とはなしに窓の外を見る。何があるわけでもない。そこにあるのはもの間、絶えることなくってきた、ただの単なるな夕暮れだけだ。

夕暮れ。日が落ちる時間。人が家に帰る時間。

昔から僕は夕暮れが嫌いだった。家に帰らなければいけない時間だったから、ではない。夕暮れに帰らなければならない子供たちのことを考えると、えも言われぬ寂しさのような感覚を覚えるからだ。

「そんなことも、あったね」

噛みしめるように志乃は呟いた。

気が付くと、志乃はページをめくるのをやめていた。

志乃がどんな顔をしているのか、背後にいる僕には伺い知ることはできない。ただ、髪を梳く櫛を通して、志乃の髪から微かな震えが響いてくるように感じた。志乃の考えていることを、僕は理解することができない。いつだってそうだ。

でも、万が一にも暗い言葉なんて聞きたくなかったので、僕は話題をそらすことにした。

「にしても唐突だね。何でそんなことを考えたの?」

「……この本がね、そんな話だったから」

「ヒューマンドラマな話なの?」

「SFだよ」

「SFか。我はロボットくらいしか読んだことないけど、あれは論理パズルみたいな話だったよ」

 本当に、本に関して僕は造形が浅いのだ。志乃も似たようなものだろうけど、三井さんに貸されて読んだ分だけはまだましだろう。

「たぶん、それとはちょっと違う感じかな」

「SFというと、あとはアルマゲドンかな。あののっぺりした顔の俳優が出てる映画。あれはヒューマンドラマテイストだったけど」

「あれはSFじゃないんじゃないかな」

「でも、ロケットとか出てきたし」

 苦笑まじりに志乃は答える。

「まぁ、似てるかもしれないね」

「ふーん?」

石油採掘を生業とする荒くれ者が小惑星を発破する話なのだろうか。何だかブラッドベリ氏に失礼なことを考えている気がした。

 と、不意にコンコンとドアがノックされた。

 志乃がはいと答えると、スライド式のドアが開けられて、そこに立っていたのは志乃のクラスメイトだった。

「お久しぶり、志乃……と、一ノ瀬君」

「いらっしゃい、楓ちゃん」

「こんにちは、四條さん」

 四條さんは四條楓という一見すると名家のお嬢様風の名前でありながら、その予想を裏切ると思いきや実際に文武両道才色兼備の完璧超人なのだった。まぁ家まで名家なのかどうかは知らないけど。ともかく、成績はいつもトップクラスで、部活動には入っていないそうだがスポーツも大概のものなら器用にこなす。基本的に真面目な性格ではあるようだが適度に砕けていて、ちょっとした規則違反、例えば少し髪を染めてるだとかスカートの丈だとかなら笑って見逃してくれるらしい。おまけに、適度に乱れたウェーブのかかったショートヘアに健康的な程度に色白で中性的な顔立ちを合わせるとまるで爽やかな美青年のようで、男女を問わず人気があるらしい。実際、生徒会の執行部入っており、クラスでは委員長として采配を振るっているそうだ。

四條さんはなぜか困惑した様子で、何か迷っている様子だった。

「えっと、お邪魔だったら出直そうか?」

 遠慮がちに四條さんは言う。

「ん? 何が?」

「いや……何ていうか、仲が良さそうだなぁって」

 言われて改めて見ると……あぁ、そう言えば志乃の髪を梳いている途中なのだった。

「いや、いいよ。どうせそろそろ終わりにしようかと思ってたところだったし」

 と僕は言うと、

「うん、それに別に仲良くないしね」

 と志乃も言う、っておぃ。仲良くないのか。

「いいよ、続けてて。これ、一応お見舞いってことで」

 四條さんは持参した花束を差し出しながら言った。

「茎が長過ぎるから少し切った方がいいと思うんだけど、ハサミ貸してくれる?」

「そうだね。ナースステーションの受付でハサミが借りられるからそれで切ればいいと思うよ。ていうか、僕がやるから座ってて」

「いや、いいよ」

四條さんは大げさに手を振って、それから冗談めかして笑う。

「私もラブシーンの邪魔をするほど野暮じゃないからね」

 こういうさり気なく気を使わせないあたり、本当に完璧というか隙がないというか。

「そうだね、じゃあ、帰ってくるまでに手早くやっちまわないと」

「こらぁ、私の志乃を手荒に扱うんじゃないよー」

 四條さんは鞄を置くと、花束を手に部屋を出て行った。

 別に僕も、たぶん志乃も気にはしないだろうが、とりあえず髪を梳くのをやめることにする。それに顔を合わせなければまともに会話もできないし。

「楓ちゃんは相変わらずみたいだね」

「の、ようだね。まぁよく知らないけど」

 四條さんのことは正直よく知らない。同じクラスになったこともないし、そもそも人種が違うというか、仮に四條さんと同じクラスになっても親しいグループには入らなかっただろう。学校でも会いはするが精々すれ違った時に挨拶程度の会話を交わすぐらいで話し込むことはない。その他では、志乃がまだ学校にいた頃、志乃の属する四條さんのグループと何かで集まった僕ら数人のグループで遊びに行ったことがあるくらいだ。

 しかし、今でも定期的に志乃を見舞ってくれるあたり、本当に優等生というか、優しい性格だということはわかる。昔は結構志乃のクラスメイトが見舞いに来てくれていたのだが、入院が長引くにつれて1人2人と減っていって、今では志乃を見舞ってくれるのは四條さんくらいになってしまっていた。薄情な、とは思わない。そんなもんだろう。それにたぶん、志乃は日常生活を送る上で必要となる以上には仲の良い友人を作っていなかったのだと思う。

 大体の場合、志乃はお人好しと評価されている。しかも日本人らしい奥ゆかしさを兼ね備えたパンチのきいたお人好しだ。昔からそうだった。志乃は集団の中で「お人好し」というポジションに付くのが天才的に上手かった。付け入る好きを見せると人の良さそうな笑顔を浮かべて切り込んでいって、ぴたりと土壷にはまる。まさにお人好しのプロだ。

でも、それ以上の関係になることはほとんどなかったのだと思う。少なくとも、僕の知る限り。志乃は内心を話さないし自分の感情を表にすることもしない。志乃はあくまで「いい人」であって人と深く付き合うということをしなかったんじゃないだろうか。人当たりは良いし話も分かる。面倒事も笑顔で代わりに引き受けてくれる。だから、けして孤立しているわけじゃないし、よく話すような友達は多い。でも、それは結局いくらでも代えのきく便利な友達でしかなくて、何者にも代え難い、自分の内面をさらけ出し合えるような関係の親友は、たぶん作らなかったんだと思う。あるいは作れなかったというか。

もっともにして、僕は志乃の中高生活をよく知らない。志乃が求めない限り、僕からは志乃には近づかないようにしていたからだ。それでも話すことは頻繁にあったし、人から幼馴染でそれなりに親しいくらいには思われるくらいの付き合いはしていたとは思う。でも、不自然に思われない程度に付き合っていただけで、親しい友達だとは思われないようにしていた。

だから、志乃の交友関係だとか、四條さんとどのくらい仲が良いのかとかは想像しかできないが、見ている限り四條さんとはそれなりに仲が良い様子だった。少なくとも、生徒会やらクラス委員やらで忙しい中を定期的に見舞ってくれるんだから四條さんには志乃に思い入れがあるんだろう。

などと、ぼぅっととりとめもないことを考えている内に、四條さんが戻ってきた。

「借りてきたよ。花瓶とって」

僕が棚の上の花瓶を渡すと、四條さんは洗面所で長さを測ってから鋏で茎をばさりと切って根元を整える。その動作はテキパキとしていて、何か堂に入った感じだ。

「四條さんて家庭的だったりもする?」

 四條さんは苦笑いして手を振った。

「まさか。家事なんてほとんどしてないよ。たまにお母さんがいない時にご飯を作ったり洗濯したりするくらいかな」

 それでも十分だと思うが。まぁ僕も両親が共働きな関係上料理はするけど。

「なんか手際いいよね」

「そうだねぇ、まぁこういうのは得意かも。家事って言うよりは工作みたいな? 私、アウトドア派なの。だから、こういうのは慣れてるんだ」

 四條さんは答えながら、花を生けた花瓶をそっと窓際の棚に置く。

「うん、綺麗」

 志乃がそう言うと、四條さんは照れた様子で頭をかいた。

「ほんとのこと言うと花屋さんに選んでもらったものだから名前とか種類とかあんまり分からないんだけど、気に入ってもらえたなら嬉しいよ」

 僕も花には全く造形がないが、前に生けた花が萎れて捨ててしまってから置物になっていた花瓶に花が生けられると確かに華やかな雰囲気になった。以前、僕が志乃にあげたアグラオネマの鉢植えは色鮮やかではあるが観葉植物なので華やかさはない。

「話の続きだけど、楓ちゃんはアウトドアの達人なんだよね」

「達人じゃないよ」

 と四條さんは苦笑する。

「ただお父さんがキャンプとか好きでさ。昔からいろんなとこ連れまわされてたんだ。だから少し慣れてるだけだよ」

「でも、林間学校の時は大活躍だったよね」

 僕らの通っている高校には一年生の一学期に林間学校という名の野外実習がある。その内容は電気の通っていない山奥のコテージで自炊して3泊4日過ごすというものだ。

「枯れ木を集めたり石で窯を作ったり火を起こしたり、ほとんど一人でやっちゃったよね」

「一人でなんてことないよ。志乃ちゃんも手伝ってくれたじゃない。それにそういうのは慣れてるから。料理も台所より外の方が慣れてるくらいなんだ。飯盒炊飯とか鍋物の料理とかは簡単だしね」

「でも、山の中で食べると単純な料理でもおいしく感じるよね」

「そうそう! やっぱそれがキャンプとかの醍醐味だよね。何たってご飯が美味しいの。苦労した甲斐があるっていうか」

「何か、健康的だねぇ」

 何か繊細そうな外見なのに四條さんは本当に隙がない人なんだなぁと僕は思った。

 僕はというと林間学校にはさしたる思い出がない。そもそもの目的が大自然の中でクラスの結束を固めるとかそんなことなんだろうが、一応私物は持ち込んではいけないことになっているのに、たいていの学生は携帯ゲーム機とかウォークマンとかを持ち込んで大自然とは無縁なことで時間を潰すことが多かった。

「僕なんかカレーの鍋かきまわしてた記憶しかないし、楽しかったのは夜に隠れて麻雀やったことくらいだよ」

「そういうのも楽しいよね。私たちも懐中電灯の明かりで大貧民とかやったよ。あれもさ、隠れてやるのがまた楽しいんだよね。息を殺してさ、教師が見回りに来るの警戒しながらやるスリルみたいな?」

「それで、見回り着たら急いで明かり消してベッドに飛び込んで寝たふりしたりとか?」

「そうそう! でもあれ、絶対ばれてたよねー」

 四條さんは遠くを見るような目で言う。

「楽しかったよねー。また行きたいなぁ」

根っからのインドア派な僕としては正直ごめんこうむりたい。自分の部屋にいるのが一番落ち着く。

四條さんと比べると僕はどうにも駄目人間だな。まぁ誰と比べても大した人間ではないのだけど。


……それから、話題は最近話題のドラマの話なんかにシフトしていって、そうなるとろくにテレビを見ない僕には入りこむ余地なんてなくなってしまった。少し寂しくはあるが、まぁ久しぶりに来てくれた四條さんと志乃が仲良く話しているのを見ているのは楽しくもある。

適当に相槌を打ちながら、僕は何となく古い記憶を思い返していた。

それは三井さんにまつわるささやかな記憶だ。


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