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猫の行く先  作者: 落伍者
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「ねぇ、あれやってよ」

「あぁ、あれね」

ふむ。あれ……あれか。

「ごめん。気のきいた冗談が思いつかない」

「……冗談はもういいよ」

なぜ怯える。

「じゃあ、僕に他に何をしろと?」

「これ」

志乃が差し出した手には木製の櫛がのっかっていた。真ん中あたりで歯が一本欠けた、志乃愛用の櫛だ。

志乃の髪を梳くというのは僕らがまだ物心つく前からやっていたことらしい。だから、僕は5、6年近いキャリアを持つことになる。途中で期間は空いたのだけど、志乃が入院してから何となく復活した。

「よかろう。頭出したまえ、軍曹」

「うん、了解」

イスごと身体をずらして志乃の背後にまわる。

志乃の頭は小さい。首筋なんて力を入れれば容易く手折れてしまいそうだ。

志乃の髪を漉く度に、いつも不思議に思う。こんな小さな頭の中に志乃という人間の内面が全てが入っているのだ。それは何というか、人体の神秘という気がする。

志乃の髪は相変わらず陽の光を孕んだ飼葉のようにやわらかで、小気味良く櫛が通った。しかし、志乃の髪は腰ほどまであるので結構な手間がかかる。昔はこんなに伸ばしてはいなかったからもっと楽だったと思うのだが。しかし、かといって乱雑に扱うわけにはいかない。それに、僕はこういう地味で単調な作業が割と好きなので苦にはならないし、志乃の髪にスッスッっと櫛が通るのは何か癖になる感覚なのだ。

志乃は礼儀正しい子犬みたいにじっと文庫本に顔を向け、ページをめくる時だけ微かに頭を揺らした。

「何読んでるの?」

「んー? これ」

志乃が裏返して見せてくれた表紙によると、レイ・ブラッドベリ氏の火星年代記という本らしい。

「三井さんの本?」

 読書家の三井さんはたいそうな蔵書を持っていた。でも、自称乱読家である三井さんは読めれば汚れてようが日焼けしてようがどうでもいいという適当な性格だったので、読み終わった本やこれから読む予定の本を無造作に積んで、その本の山とアグラオネマの鉢植えが三井さんの居住空間のトレードマークのようになっていた。そんな本の山の中から志乃はよく本を借りていたのだ。

「そうだよ」

「もらったの?」

「何冊かもらったよ。でも、これは借りたやつ。お気に入りだから後で返してくれって」

「んじゃ、後で返しとくから読んどいてね、っと、動かないで」

頷こうとした頭を手で止める。

「でも、まぁ三井さんにしろ七瀬さんにしろ何か置いてくよね」

 1代前のルームメイト、七瀬さんは裁縫が趣味で、暇さえあれば縫物をしていた。それで病室を出ていくとき刺繍の入った敷物と愛用していた裁縫箱を残していったのだ。女の子なんだから裁縫の一つでもしなさい、ということだったのだろうか。七瀬さんはただ笑って「良かったら、もらってくれない?」と言っただけなので真意はよくわからない。まぁ志乃は裁縫なんてしないので、敷物は花瓶の下に裁縫箱は埃を纏って部屋の隅に今でも置かれている。

 この病棟の住人はとかくこのように物を置いて行きたがるらしい。まぁ長く入院すると退院する時に荷物の整理に困るということもあるのかもしれない。また、月に何度かボランティアの講師による簡単な絵や刺繍などの教室が開かれているので、七瀬さんの様に自分の作った作品を置いていく人も多いようだ。例えば、病室毎に各一枚、絵画が飾られているのだけど、これもまた入院していた患者さんが描いたものであるらしい。ちなみに、この病室に飾られている絵画は週に一度掛け替えられる。見ていて飽きないようにという配慮と、保管している作品の全ては飾りきれないので、ローテーションして出来るだけ表に出せるようにしてるんだそうだ。

「裁縫好きが裁縫箱を、本好きが本を置いてったんだから、今度来る人はあれだね、何かいい趣味をしてるといいね」

「例えば? 」

「そうだな……車を作るのが趣味でロールスロイスとかベンツとか置いてってくれるといいなぁ」

 志乃が肩を揺らす。笑っているらしい。

「そんなの病室に入らないよ」

「それなら、あれだ。錬金術師。金を作ってもらってさ」

「そんな人、現代にいないよ」

 昔もいなかったと思うが。

 益体もないことを考えていると不意に日が翳り、顔を上げると時計の針は5時を少し回ったところだった。

 黄昏時もそろそろ終わりが近い。

「ねぇ、死んでしまった人に会いたいと思う?」

唐突に、けれど世間話の続きでもするかのような口調で志乃は言った。

「……さぁ? 」

 一瞬、言葉に詰まった。志乃の言葉の意図が読めなかったからだ。

「会いたいかもしれないけど、毎日会えるなら死ぬことに意味なんかなくなっちゃう気がするし」

「死ぬことに意味なんかあるの?」

「知らないよ。僕は神様じゃないし死んだこともないし。でもね、もし死なないで、永遠に生きられるんだとしたら、生きることにだって意味なんかなくなっちゃうような気がする」

 思いついたことを口にしている内に、不意に三井さんと話したこと思い出した。

「確か、同じようなこと、三井さんと話したことあったよね」

「えっと、どの話かな」

「確か……そう、三井さんが宇宙の真理が分かったとか何とか言いだした時の話だよ」


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