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僕が不動産のセールスマンなら、志乃の病室をこんな風に紹介するだろう。
「部屋は最上階、7Fの隅になります。角部屋ではありませんが、南向きの大きな窓がありますので日当たりは大変良好です。間取りは12畳ほどです。バスルームとトイレはもちろん別ですし、広さに余裕を持たせ手すりもお付けしておりますので、障害持つ方にもお年を召された方にも安心してお使いいただけます。2人部屋ですが、ご安心ください、カーテンにてプライバシーは保たれておりますし、窓に向かいまして横に長いお部屋なのでカーテンで日がさえぎられることもございません。もちろん、シーツは毎日洗濯しておりますし、空気調節は完璧です。収納に棚を一つと、冷蔵庫をご用意いたしました。また、部屋の隣の階段から屋上に上ることができますので、天気の良い日には日光浴などをいかがでしょう。唯一の難点はエレベーターから少し離れていることですが、ご安心下さい、体調の優れないときにはストレッチャーにてお運びいたします。その他、何かご要望がございましたら備え付けのナースコールにてどうぞ申しつけてください。私どもはお客様の快適な入院生活を誠心誠意サポートして参ります」
とまぁ、こんな感じだろう。院長の意向とやらで志乃のいる病棟はいろんな面で他とは異なる工夫がなされている。例えば、さっきも言ったように二人部屋でもどちらのベッドにも日が差し込むように窓が横長になるように設計されている。二人部屋なのだって一人でいるのが寂しくないように、という意向の結果なんだそうだ。他にも、病室を居住空間として快適に過ごせるようにベッドの質だとか機能だとか、収納にあえて木目を残して素朴な感じを出すとか細かな部分まで様々な工夫が凝らされているらしい。そして、何より他の病室と違うのは病室に鍵がかかることだろうか。病室ではなく自分の部屋だと感じて欲しいという理念の下、居住空間としてのプライバシーを確保する、という実験的な試みなんだそうだ。しかし、病院という性質上、看護師さんは全員マスターキーを持ち歩いているし、患者としてもいちいち鍵を携帯しなければならないのが面倒なせいなのか実際に使われることはほとんどなかったらしい。少なくとも最近までは。
最近は少し事情が変わった、と志乃に聞いた。最近、数件窃盗事件が起きたのだという。入院患者は検査やら問診やらでどうしても部屋を空けなけばならないことが結構ある。その隙をつかれて、物が盗まれたんだそうだ。しかし、窃盗とはいっても盗まれたのはシャーペンやペットボトルのボトルキャップのような小物だけで、つまりどうでもいいような物ばかりだったんだそうだ。だから、最初は窃盗とは思われずただ紛失してしまっただけだと思いこまれていたらしい。しかし、金銭が盗まれるに至って問題が大きくなった。というか、大きくした人がいた。お金を盗まれた、五木さんという老人だ。それ以来、鍵をかける人も出てきたんだそうだけど、それでも、さほど気にせず鍵をかけない人も多いらしい。お金が盗まれたといっても、実際に盗られたのは洗濯機を使う時のためにためていた100円玉の入ったジャムの空き瓶だったからだ。
病棟の扉を開けると、すぐ前がロビーになっている。ソファーやテーブルが置かれて今は待合室の体をしているが、月に2回ほど行われるレクリエーションの際には椅子などをどけて人が集まれるようにかなり広い空間がとってある。
五木さんはいつも気難しそうな顔をしてそのロビーに鎮座し碁盤に向かっている。何でも盗みを働くような奴が病院の関係者や入院患者なわけはないから、怪しい輩が入ってこないように見張ってるんだそうだ。確かに五木さんが占領している椅子からは入口が見渡せる。しかし、一人でいるのは寂しいからたいてい誰かがいるロビーに理由をつけて居座っているのでは、というのが僕の見解ではある。大体、元々五木さんはよくロビーにいたのだ。よく八木さんという入院患者と囲碁を打っていたのだが、好敵手だった八木さんが退院してしまって以来しばらくロビーにいなかったというだけの話だ。今は暇そうな患者や看護師を呼びとめては五目並べなどをしているらしい。本末転倒である。
五木さんはいつもゆったりとした絣着物を羽織っていて、そこに無骨な顔つきと荒っぽい口調を合わせるとさながら時代劇の博徒といった風情の人だから、はっきり言って初対面で気軽に話しかけられるタイプでない。でも、本人は荒事なんてもってのほかという温厚な性格のインドア派なのだという。口調は荒っぽいが話してみると意外に話の通じる人で、噂によるとお孫さんに対しては激甘で普段とはがらり違う好々爺ぶりを見せるらしい。要するに、普通の老人なのだ。普通の老人らしく、孤独の寂しさなんてものを感じることも当然あるんじゃなかろうか。
「どうも、五木さん。不審者は見かけましたか」
だから、会う度にできるだけ声をかけることにしている。
「おう、見たぜ。今一人な」
五木さんは碁盤から目をそむけずに言葉を返す。
「志乃が不審者だとはいささか酷くないですか」
「志乃ちゃんじゃなくておめぇのことだよ、馬鹿たれが」
五木さんは教本を片手にパチリと碁石を碁盤に打つ。
「まぁ、相変わらず仲が良さそうでいいこったな」
「今度式をあげるんで、その時はお呼びしますよ」
「そりゃいささか不釣り合いじゃねぇか」
「だから、志乃を悪く言うのはやめて下さいよ」
「だから、志乃ちゃんじゃなくて一ノ瀬、おめぇだよ」
五木さんはやっと顔をあげて、相変わらずの強面で志乃を見て言う。
「志乃ちゃん、悪いことは言わねぇからこんな唐変木とは縁を切った方がいいぜ」
「志乃、悪いことは言わないからこんな偏屈なじいさんとは関わらない方がいいよ」
けっ、ふんっ、と僕らは顔をそむけ合う。
志乃はある意味テンプレートな応酬を苦笑しながら見守っている。
……まぁ、こんなところか。そう思って病室へ行こうと志乃を誘って歩き出したところで、五木さんが声をかけてきた。
「志乃ちゃん、その、なんだ……」
五木さんは困ったように頭をかいて、どこか気恥ずかしそうに言った。
「また、遊びに来いや」
振り返った志乃は曖昧に笑って頷いた。
また、違和感。このやり取りは何なんだろう?
「えー……あれ? ツンデレってやつですか?」
「おめぇはもう来なくていいからなっ!」
罵声にひらひら手を振ってロビーを後にする。
不可解そうな僕に、志乃はやはり曖昧に微笑んで小さく呟いた。
「気を遣ってくれたんだよ」