05:常識を疑う
りなはモルネに手を引かれ、草原の道を下っていく。周りの風景に、今まで見慣れていたビルや看板はない。穏やかに広がる草原と、遠目には輝く海、そして海の向こうにはすさまじく高い山。だが空はこの世界でも同じように青い。全体的にやや暗いのは太陽が水平線に近いからだろう。それでも空が青いのはこの世界が異世界だからだろう。科学的に言うなら、空が赤くなるのは光の波長が……と続くところだが、この世界は果たしてどうなっているのだろうか。細くて薄い巻雲がまばらに浮かんで、晴れた空のところどころに影を落としている。
頬にかかる冷たい風は心地よく、深く息を吸えばリラックスした気分が押し寄せてくる。異世界に来た実感と喜びがりなの心を埋めつくしている。遠くに見える町はまだ小さく、着くには時間がかかりそうだ。
しばらく二人に会話はなかったが、無言で歩くのもつまらないため、りなはソドムについてモルネに尋ねるのだった。
「ソドムってどんなところなの?」
「ソドムはね~……、やっぱり綺麗なところって感じ?まあ、王都とかも都会だから綺麗だし、山脈の向こう側にも綺麗なところはいっぱいあるけど、『海が見えるきれいな町』って聞かれたら、みんなソドムっていうと思うなぁ」
「綺麗だもんね~海。さっきからずっと囲まれてるのが見えるし。海で泳ぐ人も居そう。」
りなの返しにモルネはうなづいて続ける。
「いるいる。町の北側は海に下りられるように階段があるんだけど、夏の間は人がいっぱいなの。今は寒くなってきたし、魔物のこともあるからあまり人はいないけど。」
「魔物のこと?」
「最近ちょっとね……。」
モルネによれば、ここ数年、「魔物が増えているのでは」という噂が流れているそうだ。誰かが正式に発表したわけではないが、町を移動する商人や詩人、観光客、そして盗賊などに対応する護衛たち、みなが「久々に平地で魔物を見たよ」と、ため息とともに愚痴をこぼしているらしい。実際、モルネの家の道具屋では、砥石だったり傷薬だったりと、普段の狩りに使われる日用品がいつも以上によく売れ続けている。戦いで使った分の補充だったり、万が一の時の準備なのだろう。
ソドムは綺麗な町、すなわち観光地であるから、魔物が増えているという時に、のんきに観光するような人が少ないことは容易に想像できる。
「あ~、ほらそこにも……」
「えっ?」
モルネが指さした先にはいつの間にか、頭部が妙にでかくなった赤い鳥が数匹集まっていた。道のわきで「ぎょえ~~」と、どこか気の抜けた声を出している。が、特に気にすることもなくモルネはずんずんと歩いていく。
「ち、近づいても大丈夫なの?」
「ん。私は戦えるから!いろいろお母さんから教わってるの。それに、あの鳥は攻撃的な生き物じゃないから。まあ、竜骨の内側に魔物がいるのがそもそも珍しいんだけどね。」
「ま、でも、」とモルネが続ける。
「近づきたいものでもないし、日も沈みそうだから急いじゃおっか。しっかり手、握っててね。」
と言いつつモルネが自分からりなの手をしっかりと掴む。立ち止まると、りなも遅れて立ち止まる。相変わらず気の抜けた「ぎょえ~~」を2回ほど聞いていると
「えっ」
景色が吹き飛び、目の前にはレンガ造りの町が広がっていた。先ほどまで遠くに見えていた、ソドムの町である。
「えっ!?」
「すごいでしょ」とモルネは何となく誇らしげに笑っている。
「この魔法が一番得意なの!さっきいたのはあそこ。」
と言って後ろを指すが、りなにはどこにいたのかわからない。見える範囲に先程の鳥がいないことから、丘一つ以上を飛び越えてきていることは、冷静になったりなであればわかるかもしれないが、動揺している今では無理だろう。そうして、りなが固まっているのを不思議に思ったモルネが声をかけるのだった。
「もしかして、……りなって魔法も忘れてるの?」
「……うん」
魔法なんて忘れるも何も元から知らないが――小説で読んだものを知っているというのも違う気がしたので――りなは忘れていることにした。なるほど、記憶をなくしているというのは実に便利な言い訳だ。モノディアはそこまで考えていたのだろうかと思案する。
「そんなこともあるんだね……。歩くのはできるみたいだけど、魔法は忘れちゃうなんてね~。こんな感じの魔法は誰でもできると思ってたんだけど……。」
「えぇ……」
「さすがに、この距離を飛んでこれるのは私ぐらいだと思うけどね!私の得意な魔法なんだから。」
すでにこの世界の魔法に驚いているりなだが、続く言葉は、更なる驚愕の事実を突きつけるのだった。
「――でも、建物の二階とかの距離だったら誰でも魔法で飛べると思うよ?動きたくない人は飛んでるんじゃないかな?歩くのと変わらないし。赤ちゃんが、無意識に飛んで行っちゃったなんてことはよくある話。魔法なんてみんな生まれた時から使えるからね。」
どうやらこの世界では、魔法は当たり前らしい。