03:それはキラキラと輝くまぶしい世界
細い洞窟を抜けた先、唐突に視界は開け、ドーム型の空間が広がっている。洞窟でありながら光が差し込んでいるのは、上部の岩がひび割れ、崩れているからだろう。岩の向こうには水が見えているが、降ってくる様子はない。むしろ光が通ることで、星空のように輝いている。たくさんの光が降り注ぐ中、花畑の中で倒れている少女を照らしていた。
「う~ん、こんなところあったかな……?」
一人の女の子が、花畑の中で困惑し、つぶやく。膝をついた彼女のすぐそばでは、黒く長い髪の少女が胸の上で手を組んで倒れていた。色とりどりの花畑の正に真ん中、黒く長い髪の少女の周りだけが蒼い花で囲まれている。近くには”伊東りな”と名前が書かれたカバンも落ちていた。
◆◇◆◇◆
「……うぶ?……大丈夫?」
女の子がりなの身体をゆすっている。
りなは目を開けた。
見えたのは、割れ目から光が降り注ぐ天井とりなを心配そうに見つめている女の子。目を開けたことに気づき、「あっ……」と声を漏らしている。同時に土と花のにおいを感じ、草の感覚が背中に訪れる。どうやら横になっているようだ。
りなが起き上がると、女の子が話しかけてきた。
「えっと……その……大丈夫?」
女の子の身長はりなより少し小さく、黒い瞳をしている。茶色のショートヘアには白いメッシュが2本、左右に入っている。ジーンズみたいな丈夫そうなズボンと、白いふわっとした上着を着て正座している。
りなはモノディアとの会話通り答えた。
「私、記憶がないの。」
「え……何も覚えてないの?」
これでいい。あとは流れに任せてと言ってたから、質問に答えていけばいい。何も覚えていないというのは不自然であるから、名前は覚えていることにした。
「名前くらいなら……。私はりな。伊東りな。でも、ほかは何も思い出せない……。」
やや演技しながらりなは答えた。
りな、りな、……、と女の子が名前を繰り返しつぶやきながら答える。
「うーん、何も覚えてないんだね……。あ、私は"モルネ"っていうの。よろしくね!」
「モルネ……うん、よろしく。」
こうして2人は出会った。
◆◇◆◇◆
互いに少し落ち着いたところで、りなが気になったのは、今いる洞窟である。洞窟に光が差し込んでいることから、それほど地下深くはないと思ったが、妙に光が揺らいでいることに気づいた。割れ目をよく見れば、光は水を通って降り注いでいる。しかし、天井から水は滴っていない。空気は冷たく、じっくりと周りを見れば、とても美しい場所であると、誰もが思うであろう。
「その……ここはどこって聞いてもいい?」
現実離れした、それでも美しい光景を見て、異世界に来たという実感とともに、モルネに問いかける。
「ここは、ソドムに近い洞窟の中……なんだけど、こんな場所は私も初めてで。」
モルネもやや困惑した様子で続ける。
「ここには薬草を取りに来たんだけどね、こんなに花が咲いてる場所なんてなかったし、明るい場所でもないの。」
モルネの隣には、薬草が入っている袋のほかにランタンが置かれていた。
「そもそもここって海の下だから、天井が割れてたら水に沈んじゃうと思うんだけど……」
2人はそろって上を見上げた。当然2人は沈んでいない。天井はずっと、穏やかな光を届けている。やはり、海水は一滴も降ってきていない。
今度はモルネがりなに尋ねる番になった。
「りなって帰るおうちとか……ある?」
当然、りなに帰る家はない。目下、家無しである。無いと答えようとしたが、すぐにモルネが自答してしまった。
「って、記憶がないからわかんないよね。……とりあえず、私のおうちに来て。お母さんも多分助けてくれるから。」
「はい、これ。近くに落ちてたよ。」と言って渡されたのはりなのスクールバッグだった。モノディアが魔法をかけたといったカバンである。モルネから受け取って持ってみると、とても軽い。何も入っていないように感じる。中を見ようとしたが、すでにモルネがりなの手を取っていたため、お預けだ。
「行こう。手を放しちゃだめだよ。」
モルネに手を引かれながら花畑を後にし、暗い洞窟の中を進んでいく。明かりはモルネが持つランタンだけだが、結構明るく、周りを見渡すことができる。岩肌はなめらかだった。岩が落ちている様子もない。スタスタと緩やかな上り坂を歩きながら、モルネはりなに話しかけていた。彼女の家は道具屋をやっているそうだ。りながいた場所の花は見たことがないらしく、綺麗だったのもあって摘んでいる。後で母親にどんな花か訊いてみるらしい。
歩いているうちに、りなは自分の服装が、部屋にいた時と変わっていることに気づいた。少し歩きやすいと思っていたが、スカートに変わっていた。高校の制服になっている。モノディアがこちら側へ送る際に、気を利かせて着替えさせたのだろうと思うことにした。パジャマ姿で転移させられるのは少々困る。
しばらく歩くと洞窟の出口が見えた。ランタンの火はいつの間にか消されている。
「実はまだ、採ってこないといけない薬草があってね。先にお使いを済ませてもいいよね?何も覚えてないなら、景色を見て楽しめると思うから退屈しないと思うし!」
りな自身、異世界に来た興奮と、洞窟の光景を忘れられないのもあって、どんな景色が広がっているか気になっている。
「いいよ!!」
即答であった。
◆◇◆◇◆
「……綺麗!!」
洞窟を出てすぐ、りなの目前に広がるのは、広大な草原とその先に少しだけ見える海。対岸は森になっているようだ。頬にかかる冷たい風が草花を揺らし、草原の上に波を走らせている。
洞窟から続く斜面を駆け上り、草が刈り取られてできた道に出る。右は小高い丘に続き、左は下り坂になって町へ続いている。この草原を除いて、三面が広く海に囲まれた、海の中の町である。赤茶色の屋根たちと海に反射する光がまぶしく、りなは目を狭める。
突然走り出したりなに、追いついたモルネが誇らしげに話す。
「綺麗でしょ!ここは世界一って言われるほどの絶景スポットだからね!あと、後ろも見て!」
「後ろ?」
そういわれて、りなは振り向く。
初めに見えるのは、りなたちがいた洞窟。洞窟は岩山と地面の中へと続いている。その後ろ、斜面の下には、再び青い海が見える。この草原そのものが、半島のように海の中を割って存在しているのだ。こちら側は海に近く、黄色い魚が泳いでいるのが、りなにも見えた。水はとても透き通っているため、湖のように見えなくもないが、草原との大きさを考えればやはり海だろう。先ほどいた場所もこの下にあるのだろうか。
海は奥に見える白い岩肌まで続いていた。自然な流れでその岩肌を見上げていく。
「え!?なにこれ!?」
岩の頂上は見えなかった。空が曇っているわけではない。むしろ清々しい快晴である。下から頂上を見上げることができないのだ。頂上らしき場所は空の上に霞となって消えている。左右に視線をずらしても、地平線・水平線の果てまでその山は続いている。いや、もはや岩の壁と表現したほうがふさわしいのかもしれない。切り立った崖というにはあまりにも垂直な岩肌のあちこちには、植物が群生している。岩肌の中腹には霞が広がり、水墨画のような雰囲気を作り出している。岩の下は海の中に続いているが、底を見通せるほど浅い海ではなかった。
「これは天衝山脈。世界で最も大きな山で、誰も登れた人はいないの。どれだけ離れても頂上が見えないから、頂上は空の上にあるってうわさ。私たちがいるのは山脈の南側で、反対側にも国があるの。大地はこの山脈で2つに分かれてるんだよ。」
「すごい綺麗……」
りなはほとんど喋れなくなっていた。絶景で声が出ないということを実感している。
「えへへ。すごい景色はまだあるよ!」
モルネはりなの手を引きながら、草原を丘に向かって進んでいく。
丘を登っていると白くとがったものが姿を現しつつあった。
「なんか、白いのが見えてきたけど……?」
「あれが見せたいもの!丘の上まで行けば見下ろせるから!」
一番高いところまで来ると、丘から続く道の脇、少し離れた場所にそれは置かれていた。周囲はキラキラと輝き、光を放っている。
「これ……骨?」
一部が乱雑に積み重なってはいるが、尻尾や爪のように見える部分がある。やや丸く集まっている様子を見るに、体を丸めた状態で朽ちていったのだろうか
丘の先にも草原は広がっていたが、すぐ奥には森が続いている。洞窟から出たとき、海の向こうに見えた森とつながっているようだ。森は弧のように半島の外側に茂っている。草原の道は森の中へと続いている。どうやら町に向かって尖った形の半島をしているようだ。
「これはね、『ソドムの竜骨』って言われてて、本物の竜の骨なんだよ!」
竜。この世界には竜がいるらしい。
「竜の骨……。なんでここに?」
「それはあとで教えてあげる。あの骨の下に、別の薬草が生えてるから、それも取りに行くよ。りなは……骨の日陰で休んでて!」
丘を駆け降り、骨山の近くまで来ると、その一本一本の太さに驚かされる。
(遠くから見るとわからなかったけど、手を伸ばしても抱えられないくらいあるなんて……)
爪の先や尻尾の先端でさえ、りなの胴体ほどの太さであることから、それはそれは大きな竜だったことがうかがえる。積み重なっていた部分は、人間でいうところの肋骨あたりだろうか。周りには扇形の破片が落ちている。一枚一枚が磨き上げたガラスのように透き通っていて美しい。先ほどキラキラ光っていたのは、この竜の鱗のようだ。
竜の骨の周りもまた、花畑になっている。竜が花畑の中で眠りについているようにも見える。花の周りを小鳥が飛び回っているが、その鳥が蝶のように、身体の小ささに不釣り合いなほど大きな羽を、ゆっくりと羽ばたかせているのを見れば、ここが常識の通用しない異世界なのだと重ね重ね実感していく。
辺りをひとしきり見終わり、おとなしく座って待っていると、あちらこちらを飛び回っていたモルネが戻ってきた。
「ふう……。休憩のついでに、なんでここに骨があるのか話してあげる!この骨にはね……」
そうして、モルネが語り始めたのは、古い一つの歌だった。