『始まり』のはじまり
2014/2/6 一部改稿
2014/4/2 一部修正
何事にも、終わりはある。
仕事も、恋愛も、友情も、家族との関係も、そして人生ですらも。
始まって、終わる。そしてまた新しく始まる。その繰り返しだ。
だがそこには、絶対条件がある。
何事にも『始まり』がなければ、終わりもまた訪れないということだ。
「……で?一体お前は何が言いたいのだ?」
「あの子にはね、その絶対条件が欠けているのさ。彼女にとっては、まだ何も『始まって』すらいない」
「待て。あの子が生まれた時……人は生誕の瞬間に『命の始まり』を与えられるはずだが?」
「ああ、そうだね。それは誰にでも等しく与えられる唯一の『始まり』だ。本人が望むと望まざるとに関わらず、ね」
だけどね、それだけだよ。
椅子に深く腰掛けて長い足を組み、見た目10代半ばほどの黒髪の青年は意味深に己の膝の上で絡めた指を組みかえた。
その赤褐色の視線は目の前の『友人』に固定したまま、だが意識はその更に奥……別室で眠る幼い少女に向けられている。
『友人』は気づいていた。
幼い少女のことを語る時、目の前の青年は鋭いその双眸をわずかに和らげることを。
(こいつとの付き合いも10年近いが……愛情などという感情と縁があるとは思わなかったな)
何事にもクールで飄々としており、決してその実力の底や感情を悟らせない。
それがいいのだと群がってきた女達をさらりとかわし、彼はいつも人の輪の中心にありながら意識は常に外側から全てを冷ややかに眺めていた。
普通の者なら近寄ることすらできないか徐々に離れていくのだろうが、彼の持つ不思議なカリスマのような魅力に取り付かれた者達は意外と多い。
彼らがもし、少女と関わっている時のこの青年を見たらどう思うだろうか?
男はふと湧き上がった好奇心を気づかれないうちに心の奥にしまい込み、ふと数時間前のことに思いを馳せた。
彼は思い出す。
数時間前、珍しく慌てたようにこの邸を飛び出していった青年の姿を。
それを追っていくと、街中から少し入ったところにある重厚な造りの屋敷の前に、ぼんやりと立ち尽くす5歳程度の子供がいた。
松明の明かりに照らされて赤っぽく光るその髪はプラチナの輝き。
目はおそらく青、だがすぐに閉じられてしまったためはっきりとはわからない。
駆けつけた男二人の姿に、その子供は糸が切れたマリオネットのようにその場に倒れこんだ。
その傍らに駆け寄ろうとした青年を阻むように、倒れた子供と同じ顔をした『もう一人の子供』が立ち塞がり、キッと憎しみの篭った瞳で大人二人を睨みつけてくる。
「やれやれ」と青年が呟いたのが、男には聞こえた。
殺すのか、と瞬間的にそう考えた男はしかし、その場に膝をついた姿を見て今度こそ目をむいた。
他人に膝をつくのをよしとしないプライドの高いこの『友人』が、威嚇する子供の前であっさりとそれをやってのけたのだから。
青年は、手を差し出す。
「おいで。僕は敵じゃない」
『しんじられるか!!』
力の塊が、何度も何度も青年の体を打った。
それは魔法になる前……純粋な魔力の塊だ。
子供がやっていることとはいえ攻撃されれば感情を動かすだろうと冷や冷やしていた男だったが、いつまで経っても動こうとしなければ腕を引っ込めることすらしない青年に驚きを隠せなかった。
「おい、なにを」
「黙って。これは僕と『この子』の問題だ」
練り上げることもまだできない魔力の塊をぶつけ続ける少年、それを黙って受け止め続けながら差し出した腕は下ろさない青年。
根競べか、そう男が思った時空気がざわりと動いた。
重厚な邸の奥から、明らかに『よろしくないモノ』の気配が迫ってくる。
ぺたり、ぺたり、と四本以上の足で地面を這いずりながら、驚くべき速さで近づいてくる『なにか』
少年の顔がハッとしたように倒れている少女に向き、それまでの憎憎しげな表情が嘘だったかのように慌てて彼女の傍に駆け寄って、そのまま覆いかぶさる。
「……ヴァイス、これは」
「ああ。ユリシスのクソ野郎、ろくでもないもんと契約してやがった」
「っ、ではこれはやはり」
「下級も下級、最底辺にいる魔物さ。人を餌食にする、最低最悪の、ね」
その魔物には、顔がなかった。体もなかった。
あるのは何本もの長い手、そして同じ数だけあるだろう足。
それらを器用に動かして、べちょりべちょりと少女に近づいていく。
『契約』だと青年は断言した。
最下級であっても魔物と契約するのは大いなる禁忌であり、国に知れれば即座にお家お取り潰しの上一族郎党処刑の重罪だ。
穏便に報復するならその方法が妥当なのだろうが、そうすれば契約者と血縁関係にあるだろう件の少女も処刑対象になる。
「ラス、ちょっと下がれ」
「何をする気だ」
「決まってる。そんな胸糞悪い契約、ここで破棄してやるんだ、よっ」
言うが早いか、青年は魔物ではなく倒れている少女に向けて光の塊を放った。
慌てて抵抗しようとする少年の上からそれは少女の体全体を包み込み、2,3度瞬いてからすぅっと吸い込まれるようにして消える。
途端、魔物の動きが止まった。
何かに戸惑うようにペタペタと周囲を歩き回り、不意に身を翻して森の奥へと消えていく。
(契約破棄、だと!?そんなことをすれば契約を結んだ術者は……)
男はしかし、そのことについては問わなかった。
見ているだけで大体の事情は察した、ならば今は不運な子供を保護してやろうと考えたからだ。
青年も思いは同じだったらしく、黙って頷き返すと一人倒れ伏す少女の体を優しく抱き上げた。
「……ん?」
いつの間にか、少年の姿は消えていた。
邸に戻った男は、少女を寝かせて戻ってきた青年に説明を乞うた。
面倒くさそうに彼が語ったことを要約すると、こうだ。
少女は、下級貴族であるユリシス家の長女として生まれたものの、『家族』となるべき者達からいないものとして扱われ、ずっと庭先にある小屋に押し込められていた。
鍵をかけられ、使用人すら彼女の存在を知らず、そんな彼女がこれまで生きてこられたのはあの不思議な少年がいたからこそ。
そしてそんな彼女が家を出られずにいたのは、彼女の血縁者である誰かが行った禁忌の契約により、最下級の魔物によって離れごと囚われていたからだ。
「聞いたことがある。ユリシス家は位こそ下級だが伝統ある家柄だけにプライドが高く、異端なものを極端に忌み嫌う過激派に属していると。確かスラムの輩が問題を起こした際、異物は排除せよと声高にスラム殲滅案を叫んでいた気がするな」
なるほど、と男はなぜあの少女が『捨てられた』のかその一端を垣間見た気がした。
彼女は『異端』なのだ。それはあの不思議な少年の存在が物語っている。
どこがどう『異端』なのか、それは噂すら入ってこなかった存在故に推測するしかできないが。
それでも、そう考えればこれまでの説明や起こった事実などの辻褄もあう。
この世に生を受けた少女は、『異端』であったが故に『家族』を得られなかった。
何故かその存在を知っていた青年は彼女を連れ帰り、恐らく面倒を見ようとしているのではないだろうか。
(この男が、子育てだと!?)
似合わない、それ以前にありえない。
彼が例の少女に対して何らかの執着に似た感情を持っているのはわかった、だがだからと言ってそういった感情だけで子育てできるわけもない。
普通の一般家庭に育った子供でさえ難しいというのに、育児放棄をされ恐らく精神に傷を負っているだろう子供となるとまた勝手が違う。
「お前が、育てる……なんて言うなよ?」
恐る恐る、肯定の返事を聞きたくなくてわざと捻じ曲がった問いかけをする男に、青年は軽く笑った。
バカだなぁとでも言いたげに。
「あの子はね、『家族』というものを知らない。もともと始まってなかったものを教えてあげるなんて僕にはできないし、する気もないよ。まぁ一緒には住むけどね。僕はそれ以上に、あの子を大事にしてやりたいんだ」
「まさかお前……ロリコ」
「うん?何か言ったかな?」
ヒュッ、と男は己の喉が情けない音を立てるのを聞いた。
触れてはならないところに触れてしまった、引き返せ、と脳が命令を下してくる。
触らぬ神に祟りなし、という異界のことわざが頭の中に浮かんできて、男は震える唇で謝罪の言葉を紡いだ。
「でね、あの子のことだけど。ラス、君に任せたいと思うんだ。君なら最高の教育を受けさせてあげられる上に、心のケアができるそっち方面の知り合いも多い。なによりお金も地位もある」
「ちょっと待て。それは、あの子をうちで受け入れろということか?」
「そうなるのがベストだけど、もしご当主が無理だと言われるなら相応の家にバックアップさせて欲しい」
「……うちの家族の場合、喜んで引き取りそうな気もするが……まぁいい、わかった。後で連絡しておく」
ラス、と呼ばれた男はため息交じりに青年の頼みを受け入れた。
この男が何の考えもなしに頼みごとをしてくるはずはない、彼が『相応の家に』と言う限りは何かしらの意図があるはずなのだ、と。
(ユリシス家への牽制、か?)
放逐した少女が生きているとわかったら、彼らはどうするだろうか。
生まれながらに『ないもの』として扱ってきただろう少女、古い邸ごと捨ててきた少女。
そして、生贄として捧げてきたはずの少女が生きているとわかったら?
否、それはすぐにわかるに違いない。
何故ならあの時、青年は無理やり契約破棄という形で『呪い返し』をしたのだから。
契約者が誰であれ、契約するほどの力があるならその反動の意味もわかっているはずだ。
ならば尚更、『相応の家』で彼女を守ってやらなくてはいずれユリシス家は手を出してくる。
ここで守った命だ、ラスにとっては見知ったばかりの相手であっても、見捨てたとあっては気持ちのいいものではない。
(今更見捨てるなど、そんな外道な真似はできん)
そんな彼の性格をよくわかっていて、青年はこうして少女のバックアップを頼んでいるのだ。
なら、期待に応えてやるのが腐れ縁の友人というものだろう。
彼は最近開発に成功したばかりの『通信機器』……見た目ただの鏡にしか見えないそれにちらりと視線を向け、さてどうやって話を切り出そうかと考えた。
彼の家族のことだ、父ならば面白がって「すぐに呼びなさい」と了承するだろうし、姉ならば「可愛くない弟よりは余程いいに決まってますわ」とひねた言い方で受け入れてくれるに違いない。
使用人達も古くから仕えている者ばかりだ、身元はどうあれ温かく迎えてくれることだろう。
「さて、と……10年後のあの子はどうなってるだろうねぇ」
至極楽しそうにそう呟くと、青年はぬるくなってしまったワイングラスを傾けた。
今夜少女を保護したばかりだというのに、話す内容はもう10年後。
全く、どこまで考えているのか底が知れない。
相変わらず恐ろしい男だ、とラス……ラスティネル・ローゼンリヒトは改めて、目の前の青年が己の敵でなかったことを感謝した。