群れを成す悪意
4/4 次話と連結、大幅に改稿
「はぁっ!」
「ちょっ、おま、タンマ!ストーップ!!」
ガキン、と勢い良くぶつかった剣。
その嫌な音に危険を察知したロイは、慌ててエリカを制した。
不思議そうに首を傾げながら彼女が剣を引いた直後、ロイの大剣からパラパラと金属の破片が零れ落ちる。
「あーあ……まぁた刃こぼれしやがったか」
「……耐久力、ないですね」
「お前の攻撃が化け物じみてるだけだっつの!」
「そうですか」
はいはい、と軽く聞き流してエリカは『二度目に支給された武器』を鞘にしまう。
銃が使い物にならないとわかった次の授業で、彼女はサーベルを武器に選んだ。
細身で小回りが利く、重量は並の片手剣よりも重いくらいだが、細くしなやかなカーブを描いたそのフォルムは、前世日本人だったエリカの『ありもしない郷愁』を刺激した。
(化け物、って言われても最近は気にならなくなったな……)
入学してからこれまでは、力の使い方を誤れば死人が出てもおかしくないからと自重し、そこそこ適当に手を抜いてきた。
そうすれば『ある程度の実力はあるがそれほどじゃない』と認識され、やっかみや不当な攻撃を受け難くなると考えたからだ。
とはいえ、入学して早4ヶ月。
あの4人組の動向をいちいち気にして壁をつくっていたのをやめ、極力自分らしく振舞うことにしてからというもの、今のロイのように『化け物』と呼ばれることも増えたと同時に、ほんの一握りの生徒から一目置かれるようになっていた。
彼らは皆遠巻きにして近寄ってこようとはしないが、前のように睨みつけたりヒソヒソと噂したりすることなく、ただじっと遠くからエリカを見ているだけだ。
「はー、あっちー。ちっと休憩すんぞ」
どかんとその場に座り込んでしまったロイ、そこから少し離れた位置にエリカもそっと座り込む。
「なぁ」
「はい」
「あちーなー」
「夏ですから」
「いや、そりゃそうだけどよ。なんでこんなあちぃのに授業は普通にあるんだ?」
この学園には『長期休暇』というものがない。
家庭の都合で長期の休みを取る際は学園に申請し、休みの間の補講を復帰後に受けるというお約束でもってこの学園都市から出て行く。
が、それ以外の生徒に関しては夏だろうと冬だろうと通常通り授業が行われる。
ロイは『暑い』と文句を言ってはいるが、この学園都市は強固な結界のお陰で気温も天候もある程度コントロールされている。
暑いとはいえ暑過ぎず、真冬であっても大雪にはならない。
春は庭の木々に花が咲き、秋は学園が管理している畑で収穫の手伝いもあるほどだ。
あちぃ、と言いながらロイは手のひらに水の魔力を集め、それをふわりと浮かせて両手で弄び始めた。
魔力適正値の低い彼が使える数少ない下級魔法のひとつだ。
便利だな、とエリカがじっとそれを見ていると、視線に気づいたロイがバツの悪そうな顔をした。
「あー……そっか。お前は、使えないんだったな」
「ええ、まぁ」
「ん、これ。このまま持ってみっか?」
言って、ロイは水球を浮かべたままその手のひらを差し出してきた。
おずおずとエリカがそれに手を伸ばすと、
「あ」
「あー」
弾かれるようにパチンと水球が割れ、二人の手を濡らした。
(他の人が作ったものでも維持できない、か。よっぽど精霊に嫌われてるんだなぁ)
ふぅっと息をついて、エリカはハンカチをロイに差し出す。
ハンカチを掴んだその手は、もう乾いている。
「え、お前も濡れたよな?」
「ええと、身体の上に魔力の膜を張ってガードできるんです」
「んじゃ何か?汚れとかもつかねぇって?」
「だけじゃなくて、体感温度のコントロールもできます」
「マジかよ……規格外にもほどがあんだろ」
呆れたようにそう言いながらも、ロイは楽しそうに笑った。
最初こそは戸惑ったものの、エリカの実力を目の当たりにしてからは徐々に見方が変わってきた。
『化け物』という異名が相応しいほど、彼女の実力は桁外れだった。
だがさすがに『化け物』と呼ぶのも失礼かといくつか他の代替案を出してみたのだが、他ならぬ彼女自身が「それでいいです」と受け入れてしまったため、結局その異名が定着しつつある。
『悪い意味ばかりじゃない。それがわかってれば、それほど嫌でもないですよ』
そう言って軽く肩を竦める彼女は、最初に逢った頃に比べて鋭さがなくなってきた。
いい意味で、丸くなってきたと言い換えてもいい。
それにつられて、彼も笑うことが増えた。
ロイは今年16歳。
慣れないクラスに進んだ所為で単位が取れず伸び悩んで腐っていたが、ここ最近では思い詰めることも減り、まぁいいかと肩の力を抜くことも覚えた。
全てがエリカのお陰とまでは言わない、だがそれが原因のひとつであるのは間違いない。
(変なやつ。けどまぁ…………)
嫌いじゃないけどな。
現段階で言えるのは、それが限界だった。
「許さない」
と誰かが言った。
思ったように動けなくなった第一王子とその護衛達。
彼らを縛るのは国王命令という名の鎖。
「なら、あの方々の代わりに動けばいいわ」
と誰かが嗤った。
邪魔者には制裁を。
調子に乗ったエリカ・ローゼンリヒトに鉄槌を。
「さて、どこまで耐えられるかしら?」
どうしてこうなった、という定番の問いを己自身に投げかけた男、シュミット・ブラウ。
彼は、己の生徒が受ける『被害』の数々が綴られた書類を手に、【ゲスト】のカードを振りかざしてやってきたローゼンリヒトの代表者と向き合っている。
「もう一度伺います。その報告書の情報源はどこにあるのですか?」
「我が家の機密です。むしろその程度のことを知らずにいた学園側の落ち度を恥じるべきでは?」
内部にある『教師』が知らず、外部にいる『ローゼンリヒト』が知り得た情報。
その正確性を暗に問いかけたシュミットに対し、ラスは平然と家名をもって保証して見せた上で鮮やかに切り返した。
【エリカ・ローゼンリヒトは同室者でも気づかぬ陰湿な嫌がらせを受けている】
例えば、清掃担当の使用人が『誤って』落とした汚水の直撃。
例えば、食事に『偶然』混入した虫の死骸。
例えば、『偶々』魔法の暴発によって被害を受けた個人ロッカー。
例えば、定番の休憩場所に『どういうわけか』仕掛けられた落とし穴のトラップ。
どれもこれも幼稚で稚拙、しかもわかりやすい。
ロッカーとトラップに関しては教師側も知り得た情報だが、どちらもエリカ以外にも被害を受けた者がいたためか、彼女個人への攻撃だとは見なさなかった。
虫や汚水に関しては、恐らく被害を受けたエリカ個人しか知らないうちに片付けられたのだろう。
(いや待て。虫は明らかに料理人の不備。汚水は大騒ぎになってもいいようなものだが)
少なくとも、汚水被害を受けた制服などは一度着替えに戻る必要がある。
同室者が気づかないという時点でどうにもおかしい。
シュミットの顔つきが変わったのを見て、ラスは薄く笑んだ。
この教師、ただのバカではなかったか、という意味の笑みだ。
「先生も気づいておられることでしょうが、あの子の魔力は規格外でしてね……我が家に来るまでは、どうにもいい扱いを受けては来なかったのですよ」
「ああ……養子に入られた、という話なら理事長から伺っておりますが」
「実家ではあの子に食事も与えず、勿論世話も一切しないという状況でして。そんなあの子が身につけた防衛手段のひとつが、身体に魔力の膜を纏わせるというものでした」
「膜?…………なるほど、そういうことですか」
危険回避のため、常に魔力の膜を纏っているのだとしたら。
例え頭から汚水をかぶったとしても、汚れずに済むかもしれない。
そうした危険回避の術を覚えているのなら、食事になにか混ぜられることを予測してなんらかの手段を講じている可能性もある。
食堂の食事は注文式のセルフサービスだ、エリカの注文だけにそれを混入し、あとは取りに来させればそれでいい。
そういった危険を回避するために、彼女なら魔力で内容物をサーチする程度の術は編み出しているかもしれない。
「私がわざわざ出向いた理由、お分かりいただけましたか?」
「ええ。ローゼンリヒト家の者だと知った上で嫌がらせを行う者がいる。恐らくその者らはミス・マミヤに気づかれないよう……彼女を守ろうとすべく動いている。その嫌がらせにミス・ローゼンリヒトは単独で対応できるものの、それが嫌がらせを助長させるきっかけにならないとは言い切れない。更に」
と、ここでシュミットは言葉を切った。
家族を前に口にしてもいいものかどうか、迷っているといった様子だ。
「……どうぞ、続けてください」
気にしていない、とラスは瞳を細める。
いくら対外的に呼ばれている名であっても、面と向かってそれを言える者は少ない。
この教師はその数少ない『希少種』に当てはまるかもしれない、これは面白い、と。
「…………いくら『化け物』並の使い手であっても、疲労は蓄積される。消耗戦になった場合、生徒のみならず使用人まで取り込んでいるあちら側が有利である。……です、か」
「まぁ、70点といったところでしょうか」
「30点の減点理由を伺っても?」
「ひとつ、エリカへの攻撃は嫌がらせの域をすでに脱している。それともうひとつ、あの子は外側に魔力を張れても内側には張れません。もし劇薬を使われれば、消耗戦どころではないということですよ」
今度こそシュミットは言葉を失った。
劇薬は生徒がたやすく使えないように厳重にロックされた部屋の、更にロックされた棚に管理されている。
その部屋を開ける際は学園長の許可が必要で、学園長のパスと指定された数人の教師のパスを合わせないと開けられない。
万が一その教師が買収されていたとして……そんな可能性は考えたくもないが、そうなったとしても学園長なら許可を出さないに違いない。『今の』学園長なら、だ。
(もし、以前の学園長が許可を出していたら?体裁を取り繕うために握りつぶしていたら?)
そんなことが明るみになれば、学園は国王自らにその是非を問われる。
何しろ『王立』と名がついているのだ、不祥事はそのまま国王の罪科だと謗られかねない。
「……学園が未曾有の危機に陥っている、ということはわかりましたよ」
「それは何より」
『ローゼンリヒトは化け物家族だ』
その言葉の意味が決して彼らの実績のみに留まらないことを、この日シュミットは身に染みて理解した。