プロローグ ~ 愚かなる『人』の語られぬ物語
『それ』がいつ生まれたのか、どのようにして誕生したのか、知る者はいない。
『それ』自身も、己の生い立ちについては知らず、また興味もなかった。
遥か昔……『人』と『魔』が領域を分けて暮らしていた頃。
突然、人の領域内に流行り病が広がった。
幼き者、年老いた者が真っ先に息絶え、そしてそれは女性へ、若者へと徐々に感染していく。
毎日バタバタとどこかで人が倒れ、かろうじて機能していたはずの治療院は常に飽和状態。
王城内においても幼き王子が病に倒れたことで、王はようやく何とかせねばと重い腰を上げた。
そんな王に囁いた者がいる。
「魔の領域では流行り病の気配など見られませぬ。これはきっと、人に仇なすためにやつらが仕組んだこと。やつらの領域に出向けば、特効薬も見つかりましょう」と。
己の後継を失い、民の信頼をも失い、追い詰められていた王はこの囁きに乗った。
これまで不可侵とされてきた魔の領域に生き残った兵を差し向け、抵抗する暇を与えず『特効薬』を求めて領域内を蹂躙していく。
流行り病は地の理……自然と発生するものであり、特効薬など端からないのだという彼らの訴えに耳も貸さず。
結果
かつて『魔の領域』と呼ばれていた地は、人のものとなった。
結局どれだけ探しても特効薬らしきものは見つけられなかったが、人の王が魔の王の首を刎ねて凱旋する頃には流行り病も収束しており、人々はやはり魔の仕業だったかと安堵の息を吐いた。
それから、何百年の後
魔の領域など空想の産物だと、人々が己の愚考を御伽噺の中に封じてしまった頃。
ある日突然、一部の『人』が反乱を起こした。
何千人、何万人といる『人』の中で、たった数人……しかし彼らの振るう力は、何百人、何千人が束になっても敵うかどうかというほどに強く、圧倒的で、容赦がない。
「我らは『魔人』……貴様らが愚かにも己の私欲のみにて蹂躙し、殺戮した『魔』の生き残りである」
『魔』が、『人』の形を得て蘇った。
彼らが自然発生したのか、ひっそりと誰にも知られずに生き残っていたのか、それとも『人』の中に潜んでいた要素が先祖返りを起こしたのか。
どこから生まれ、どうして立ち上がったのか。
怒りに我を忘れ、対話に応じぬ彼らのことを、『人』が知るよしもなく。
ただ、生き残った『人』は後にこう記した。
【人の形をした『魔人』は、人外の美貌と桁外れの魔力を揮いて災厄となった。左右色違いの瞳に射すくめられた者に、生き残る術はない。ただひたすら身を隠し、震え、災厄が去るのを待つばかりである】
『魔人』が如何様にして去ったのか。
もしくは退治されたのか。
それから更に数千年経った今となっては、御伽噺の中のこととして語られるのみである。
ひとつには、勇者と呼ばれる力ある若者が倒したとあり。
ひとつには、聖女と呼ばれる若い娘に懇願されこの地を去ったとあり。
何が正しいのか、どうであったのか、詳細な記録は残ってはいない。
ただ、人々の中にはひとつの愚かしい迷信が根付いている。
『左右色違いの瞳を持つ子は、不吉。忌み子として闇に葬るべし』……と。
いくばくかの時が流れたある日
王都より東に位置するとある辺境の地にて、その家の二女となる女の赤子が生を受けた。
銀に近い白金の髪、そして薄く見開いた眼は
「ひぃっ!?」
慄いてベッドの上に放り投げられてしまった赤子。
それをさほど気にするでもなく、ぱちぱちと不思議そうに瞬いたその瞳は
父譲りのアイスブルーと、家族の誰にも見られぬシアンブルー
左右色違いの、『忌み子』の証を持っていた。
『忌み子』を産んだとして、愛妾であった赤子の母は即座に処分され。
下級貴族の当主である男は、赤子の処分について一計を案じた。
ちょうどその頃、彼が手を染めていた実におぞましい『魔物使役』の生贄に『忌み子』を使おう、と。
急遽建てられた小さな小屋に、赤子は放置された。
身の内に秘める魔力は膨大であり、それを魔物の糧として提供するかわりに己が役に立て、と契約を交わして。
赤子の世話をする者は誰もおらず、食事も排泄介助も着替えすらもなく。
通常であれば生きていられぬ過酷な環境において、それでも赤子は生き続けた。
1年経ち、2年経ち、5年経った頃になって奥方から「子供ができた」と聞かされるまでは。
当主すらも、その存在を忘れかかっていた。
生まれる子が、呪われぬように。
魔物の影響を受けぬほど、遠くに。
『忌み子』はこのままでは死なぬ、では魔物に食わせてしまえばいい。
魔物を使役し続けるにも限度があった。
最近では代替わりした国王の監視の目も厳しい。
ならばと、彼は契約解除の代償に『忌み子』を捧げた。
魔力値だけは高いあの子供ならば、魔物も満足するに違いない、と。
そして、本邸に住んでいた家族は全員、親戚の住む西のとある領地へと移り住んだ。
これで『忌み子』の忌まわしき呪いは降りかからない、本妻の赤子は無事生まれてくるだろう。
そう安堵した矢先
ぺたり、ぺたり、ぺたり、
粘つくような足音が近づいてきたかと思うと、泥人形のような手足の魔物が当主に襲い掛かった。
「ぐ、っ、ああああああああああああああっ!!」
何故だ、何故だ、何故だ、何故だ、何故だ、何故だ、何故だ、何故、何故、何故、な、
翌朝、なかなか起きてこない当主を案じて執事が部屋を訪れたが
そこにあったのは、『当主であったモノ』
牙のようなもので食いちぎられた手足だけがそこにあり、どれだけ探しても頭部と胴体はどこにもなかった。
『亡くした己の頭と胴体を捜して、夜な夜なさ迷い歩く手足の魔物』
亡き兄に代わって当主の座についた弟がそんな怪談を思い出したのは、それから大分月日が経ってからのことだ。