page6 ~sideB~
「夕菜ー!」
その頃七実は、部屋を飛び出して二階に駆け上がっていってしまった夕菜を追いかけていた。
「おーい、夕菜!」
夕菜は自分の部屋に閉じこもっているようだ。ドアには鍵がかかっていて、ノックしても答えが返ってこない。
「な、なあ、そんなに怒ることないだろ? 冗談みたいなもんじゃん」
自分も同様に色々言われたことについてはひとまず置いておくことにして、夕菜の機嫌を伺う。……が、相変わらずドアの向こうはしんと静まっている。
「うう……。わ、悪かったよ、冗談でも悪口言って」
「……そのことだけじゃ、ないもん」
「はあ?」
ようやく向こうから聞こえてきたのは、拗ねたような声だった。
「じ、じゃあ何をそんな怒ってるんだよ?」
「……怒ってない」
「いや、だって……」
「怒ってないもん!」
「お、おう」
何をムキになっているのだろうか。いつもと様子が違う夕菜に、七実は少し戸惑う。
どうにも声がかけづらくて少しの間沈黙した後、夕菜がぼそっと呟いた。
「……七実ちゃん」
「な、なんだよ」
「七実ちゃんは、本当にわたしのこと……好き?」
「はあ!? な、何を突然……!」
「だって! ……七実ちゃん、よく瑞希ちゃんと一緒に出かけてるし、瑞希ちゃんとお話してる時のほうが楽しそうだし」
「そ、それは……」
確かに瑞希と二人で出かけることもよくある。しかし瑞希は、あくまでただの気のおけない友達であり、特別と言ったらそうかもしれないが、……夕菜のそれとは意味が違う。
「……やっぱり、七実ちゃんは瑞希ちゃんの方が好きなんだ」
「ち、違う!」
「違わないもん」
「違うって! ていうかさっきからもん、もんって、お前は子供か!」
「また怒った……」
「だーかーらー! ……あーもう、悪かった、なんでも謝るから。だからとりあえず鍵開けてくれよ」
「うー……」
夕菜は頑なだ。こんな夕菜を見るのは初めてのような気がする。
「はぁ……。……ったく」
……だが、わがままを聞くのは初めてではない。
こうなったら徹底抗戦だ。そう決めて、七実はドアに背中を預けて廊下にあぐらをかいた。
「よし、なんでも言ってみろ。あたしに悪いところがあるなら、まずは謝ってやるから」
「七実ちゃん……?」
「けど、その分あたしからも色々言わせてもらう」
「…………」
しばらくして、ドアの反対側から夕菜が寄りかかるのを感じた。ドアを挟んで背中合わせになっているような状態だろう。
「……で?」
「…………さっきも言ったよ。七実ちゃんは、瑞希ちゃんの方が好きなんじゃないかって」
「だから、それは違う。……いや、違わないけど、でも」
「ううん、本当はわかってるんだ」
「え……?」
七実が弁明するより先に、夕菜がそう答えていた。
「瑞希ちゃんも、七実ちゃんの大事なお友達なんだよね。瑞希ちゃん、優しくて、明るくて、妹想いで、いい子だもん。わたしとも仲良くしてくれるって、言ってくれたし……」
「……ああ」
自分の時と違って随分すらすらと良い所が出てくるものだと、七実はなんとなく顔をしかめてしまう。
「でもね。そんな瑞希ちゃんと七実ちゃんが仲良くしてるの見てると、なんかモヤモヤしてくるの。……なんか、瑞希ちゃんに、七実ちゃんを取られちゃったみたいで」
「…………」
「わかってるんだよ。わかってるんだけど……本当は、こんなことでモヤモヤしちゃうわたしが、一番きらいなの」
「…………」
七実は黙って夕菜の告白に耳を傾け、それから口を開く。
「……モヤモヤか」
「うん……」
「あたしも今、モヤモヤした」
「え……?」
「お前、さっきはあたしの悪口ばっかり言ったくせに、今は瑞希の良い所すらすら言いやがって」
「あ……。あ、あれは、その!」
「わかってるって。別に本気で言ってたわけじゃないんだろ?」
苦笑交じりに問いかけるが、ドアの向こうから返ってきたのは予想外の返事だった。
「……ごめん、少なくとも、嘘じゃなかった」
「え……?」
「怒る、かな」
「……まあ、ちょっと」
やっぱり瑞希より扱いが酷い気がする。そんな気がしてむくれた声を出してしまった。
「……でも、もしかしてヤキモチ焼いてくれたの?」
「う……」
その声を聞いて、夕菜はくすくすと笑った。
「な、何がおかしいんだよ!」
「ふふ、ごめん。くすくす……」
「なんだよ、からかってんのか? まださっきのいじめの途中なのか!?」
「えへへ、ごめん。でも、わたし七実ちゃんの悪い所も知ってるけど、それよりたくさん良い所知ってるよ」
「……言ってみろよ」
「いつも元気で、いい加減に見えて実はいつも気を使ってくれてて、優しくて、どんな人でもすぐ仲良くなれて、思ったことはなんでも正直に言えて、どんな時でも一番近くで支えてくれて、わたしが怖がってるとぎゅってしてくれて、笑うと可愛くて、それから……」
「も、もういい!」
恥ずかしくなって大声を上げて遮ってしまう。夕菜が声を上げて笑うのが聞こえた。
「……うん、わかった」
ひとしきり笑ってから、清々しげな声が聞こえた。
「わたし、瑞希ちゃんも好きだけど、やっぱり七実ちゃんも好き。比べるのも変だけど……でも、わたしの『大好き』は、やっぱり七実ちゃんのもの」
「っ! ……き、急に恥ずかしいこと言うな!」
「七実ちゃんも、同じだったんだよね」
「……まあ、そうだな」
「…………」
ドアの向こうで夕菜が立ち上がる音がして、それからドアの鍵がカチャリと音を立てた。
七実が立ち上がり、ドアノブに手をかけようとすると、ドアは向こう側から開く。
「……ごめんね、七実ちゃん」
「本当だっての。いきなり変なこと言い出しやがって」
「えへへ。でも良かった。七実ちゃんの『大好き』は、わたしのものなんだよね?」
「~~! だからいちいちそんな恥ずかしい言い方するなっての!」
この会話が下にいるみんなに聞こえてしまうのではないかと思うとなおのこと恥ずかしくて、七実は夕菜を押しこむようにして部屋の中に入った。
後ろ手にドアを締めると、部屋の中は暗い。明かりも点けていなかったようだ。僅かに射しこむ街灯の明かりなどが、薄っすらと夕菜の輪郭を浮かばせている。
目が慣れてくると、夕菜のドレスが、手足が、顔が、だんだんはっきりと見えてきた。
「……全く、手間かけさせやがって、結局自己解決かよ」
「えへへ、ごめんね」
そのまま部屋の奥にあったベッドに腰掛けた。傍にある窓からは、庭が見下ろせる。
「……って、あいつら何やってるんだ?」
「え、どうしたの? ……あれ、瑞希ちゃんと柚穂ちゃん?」
庭には何故か瑞希と柚穂が居て、瑞希は何故か狼の耳としっぽをつけており、柚穂は何故かドラキュラのようなコスプレをしている。瑞希は柚穂を抱き上げて庭を駆けまわっては、リビングの方に向かって何か叫んでいるようだった。
「あいつ、日に日におかしくなっていくな……」
「あはは……」
苦笑してしまう。普段はそれほどでもないのに、柚穂が絡むといつもこうだ。よほど柚穂を溺愛しているのだろう。
「……ところであんな仮装、瑞希も柚穂ちゃんも持ってきてなかったよな」
「うん……お母さん、あんな服まで作ってたんだ……」
「まあハロウィンっぽいっといえばぽいけどさ……」
これ以上見ていても仕方ないので、七実は部屋の中に視線を戻した。
「あはは、でもそういえばわたしたち、ハロウィンパーティーとか言いながらあんまりハロウィンっぽいことしてないね」
「ん、まあ確かにお菓子食べただけだな。あたしたちも仮装するか?」
「ごめんそれだけは冗談でも笑えない……」
「あっはは。……悪い」
仮装と聞いて震えだしてしまう夕菜。小さい頃からしばしば幸子の着せ替え人形にさせられていたから、あまりいい思い出も無いのだろう。
「うーん、じゃあ……。トリック・オア・トリート!」
「いや、なんだよいきなり」
「ハロウィンっぽくない? お菓子ちょうだいっ」
「さっき散々食べただろ」
「お菓子くれないならいたずらだー!」
「ちょ、まっ!」
夕菜が突然横からのしかかってきて、押し倒されてしまう。座っていたのがベッドで助かった。
「うぅ……。なんだよいきなり」
「えへへ~」
何故かデレデレした様子でにへらと笑う夕菜。七実までなんだか頬が緩んでしまう。
「これがいたずらか?」
「もっといたずらしていいの?」
「ふふ。好きにしろ」
「えへへ、じゃあぎゅーってしちゃう~」
「はいはい。甘えん坊だな、全く」
夕菜が宣言通りぎゅーっと抱きついてきたので、ぽんぽんと背中を叩いてやる。いい匂いがふわっと香る。
「……ねえ、七実ちゃん」
「うん?」
「心臓、今日はドキドキしてるね」
「……『大好き』、だからな」
「えへへ、わたしも」
首のあたりに顔を埋められる。なんだかくすぐったいが、嫌いではない感覚だ。
結局ハロウィンなど無関係な、ただのバカップル……いや、付き合うと言ったわけではないから、別に恋人というわけでもない。ただじゃれあっているだけだ。
「ねえ、今日は久しぶりに家にお泊りしてく?」
「はは、それもいいけど、明日学校だぞ」
「二人でサボっちゃおうか」
「いつからそんな不良になったんだよ、お前は」
「えへへ」
だが、これで構わない。今日はこうすると決めた。
こんな「いたずら」なら、たまにだったら悪くはない。