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「ふー、ふー! がるるるる……」
「まあまあお姉さん、そんな獣みたいな唸り声を上げないで。何も取って食おうとしてたわけじゃないんだし」
「うるさい! これ以上柚穂に手を出したら喰うわよ! がるる……」
「ふええ、こっちが取って食われそうな感じですよ……」
「……瑞希、ちょっと苦しい」
「大丈夫よ柚穂! お姉ちゃんが守るから! ぐるるるる……」
柚穂を胸にしっかりと抱きかかえながら全力で威嚇すると、さすがの雨音も少したじろいでいるようだった。
「困ったな、お姉さんがすっかり狼女だ」
「あら大変♪」
そんな雨音の発言に、何故か幸子が嬉しそうにぽんと手を叩いて、いそいそと部屋から出て行った。
「仕方ないな、我々はこっちで大人しくしてようか」
「ふぇ? は、はいぃ!」
雨音が香澄を連れてテーブルの対角線上に移動すると、瑞希はようやく息を吐く。
「瑞希、苦しい……」
「あ、ごめんね柚穂」
手を離すと、胸に全力でホールドされていた柚穂が「ぷはっ」と顔を上げた。
「大丈夫、柚穂? あいつに変なことされなかった?」
「……別に。雨音、悪い人じゃない」
「ダメよ柚穂! 騙されてるのよ! あれは詐欺師なの!」
「酷い言われようだな」
「キッ」
「おお、怖い怖い」
未だに懲りない雨音に一つ視線で威嚇すると、瑞希はこんどこそテーブルについた。
「ふふん、お菓子ならあんなやつじゃなくてお姉ちゃんが食べさせてあげるわ」
「瑞希、自分で食べられる」
「フォークがいい? それとも口移し? あるいは口移し!?」
「……フォーク」
「もう恥ずかしがり屋さんねー! はい、あーん」
パンプキンケーキを一切れフォークに載せて差し出すと、柚穂は少し視線を逸らしてしまう。恥ずかしがっているようだ。可愛い子だ。
「ほら、柚穂。あーんっ」
「……あーん」
ためらいがちに開いた柚穂の小さな口が、ケーキの載ったフォークを受け入れる。蕾のように小さく柔らかそうな唇の向こうにケーキが吸い込まれていく様を見ていると、なんだか
「ちょっと興奮してくる……」
「お姉さん、ちょっと変態的だぞ」
「ふふ、ふふふ……」
雨音の声も聞こえていない様子で不気味に笑いながらフォークを抜き取る。その瞬間がまた
「興奮してきた……」
「み、瑞希さん……」
香澄も少し引き気味だった。
「美味しい、柚穂?」
「……ん」
「ふふ、良かったわ」
優しい姉の笑いを浮かべつつ、「さてと」と自然な仕草でフォークを自分の口に運ぶ。
「だめ」
「あうっ」
柚穂に奪われてしまった。この流れなら怪しまれないと思っていたのに、無念である。
「瑞希、最近ちょっとおかしい」
「え? そ、そうかしら?」
「……へんたい」
「へんた……っ!? そ、そんな、お姉ちゃんに悪口言うなんて、柚穂がついに反抗期……。ああ、でもちょっとイイ! ねえ柚穂、もっかい言って! もっと冷ややかに、ウジ虫でも見るような目で!」
「…………へんたい」
「はうぅんっ!」
「ああ、あれは変態だなぁ……」
「変態さんですねぇ……」
遠くで雨音たちも冷ややかな視線を送っていた。しかし瑞希は相変わらず気に留めるどころか気付いてすらいない。
「はぁ……はぁ……ああ、き・も・ち・い・い……」
柚穂まで若干引き気味に瑞希を見下していた。しかし今の瑞希にはそれさえ快感である。
「瑞希ちゃん、柚穂ちゃんー」
「はっ」
その時幸子が戻ってきて、さすがの瑞希も我に返った。口の端から垂れ流していたよだれを慌てて拭う。
「だ、大丈夫です、床は汚してません!」
「? それより、ほら。ちょうどサイズが合いそうなのがあったわ」
「え?」
幸子は手に何か衣装のようなものを持っていた。
「瑞希ちゃんは、はいこれ」
「これ……?」
瑞希の頭の上に何かがぽんと載せられる。手でさわってみると、何やらふさふさとしている。
「……耳?」
「正解♪ あとはこの尻尾をつければ……はい、出来上がり!」
腰にふさふさとした尻尾を取り付けると、今度はどこからか姿見を持ってきて瑞希の前に置いた。
「犬……ですか?」
「オオカミよ、ハロウィンだから狼男♪ あ、でも瑞希ちゃんは女の子だから狼少女ね」
「は、はあ。えっと、これも……?」
「私が作りました!」
えっへんと胸を張る幸子。プロのデザイナーがこんなことをしていて良いのだろうか。
「柚穂ちゃんにもあるわよ。着替えないとだから、ちょっとこっち来てね」
「え? あ、う、……」
幸子が柚穂をぐいぐいと引っ張って隣の部屋に消えていった。
『はい、柚穂ちゃん!』
『う、わたし、いらな……』
『はーい、脱ぎ脱ぎしましょうねー』
『あうあう……』
ドタバタと騒がしい音が聞こえる。柚穂が無理やり脱がされているのかと思うと今すぐ覗きたい衝動に駆られるが、グッと我慢して待った。
そして数分後。
「できましたー!」
がらっとドアが開き、幸子が姿を現す。満面の笑顔を浮かべる彼女はさっきよりも若返っている気がした。これが若さの秘訣なのだろうか。
「ほらほら、柚穂ちゃん」
「あ、う……」
「大丈夫、似合ってるから! 私の目に狂いは無かったわ!」
ぐいぐいと押されて姿を現した柚穂は、何やら真っ黒いマントでてるてる坊主のようにすっぽり体を隠していた。それだけでも十分可愛いが……。
「えっと、幸子さん、これは?」
幸子に問う。雨音と香澄も興味深そうに近づいてきていた。
「ふふ。柚穂ちゃん」
「…………。……ん」
ためらいながらも、柚穂はマントを広げた。
その瞬間、バサリと背中の「翼」が開く。
「わ……」
思わず声を漏らした。
背中についたコウモリのような翼に、西洋人形のような黒と赤を貴重としたドレス。そう、これは美少女版の……。
「ドラキュラ……!」
「またまた正解♪」
「はうっ!」
瑞希がハートをずきゅんと撃ちぬかれていた。
「わ、柚穂ちゃん、似合ってます」
「ふむ。元々肌が真っ白なところがまたドラキュラらしいな」
雨音と香澄も感心した様子でドラキュラ柚穂を眺める。
よく見ると口の端から牙のような尖った八重歯が覗いていた。細部まで凝っているところは、さすがプロというべきか。
「か、かわいい……かわいすぎます、素晴らしいです、幸子さん……!」
「気に入っていただけたみたいで嬉しいわ」
「うう……」
柚穂は恥ずかしそうにもじもじとしていた。幸子はそんな柚穂をさらに煽る。
「さ、柚穂ちゃん。仕上げよ」
「うぅぅ……」
「ほらほら、瑞希ちゃんをメロメロにしちゃいなさい♪」
「…………ん」
これ以上何をされるのだろうか。すでにノックアウト気味だというのに。
なんだかいっそ薄ら怖くなってきて身構えていると、柚穂は瑞希を見上げ、ためらいがちに口を開いた。
「……とりっく、おあ、とりーと」
「え?」
「とりっく・おあ・とりーと。……瑞希、お菓子持ってない?」
「えっと……」
テーブルの上のお菓子に目を向けてみる。が、
「あら、それは私が作ったお菓子だからだーめ」
いたずらっぽい笑みを浮かべる幸子に阻止されてしまう。そうなると……。
「えっと、それじゃ……」
「瑞希ちゃん、お菓子持ってないの? じゃあいたずらね」
「うぅうぅぅ……」
こんなに何かを躊躇している柚穂を見るのは初めてだった。一体何を仕込まれたのか……。
「……瑞希、座って」
「え?」
「座って」
「え、ええ」
言われるがまま椅子に座ると、柚穂は正面から半ば抱きつくような形で膝の上に乗ってくる。
「ゆ、柚穂!? そんなことされたらお姉ちゃんは、お姉ちゃんは……!」
それだけでドキドキしてしまうが、柚穂はさらに顔を近づけ、瑞希の首筋に顔を埋めた。
そして。
「……かぷっ」
「!」
その首筋に、牙を立てる。それから、ちゅうちゅうと首に吸い付かれた。……ドラキュラの吸血である。
もちろん、噛み付かれたといっても甘咬み程度の優しいものだ。が、むしろそれ故に。
「あ、はぁん、ふぁぁ……!」
瑞希はその甘美な快感にぞくぞくと体を震わせていた。……要は首筋を甘咬みしてキスをしているようなものであり、瑞希にとっては悶絶モノ――
「ぷはっ。……瑞希。痛く、なかった?」
「あぅ……あ……あぁっ……!」
否、それどころではなく。
「と、と……」
「瑞希?」
「と、とり、とりっ……!」
「瑞希……」
「トリック! "イェット"! トリィィイイイイイトオオオオオオオオ!!」
発狂モノであった。
突如奇声を発した瑞希はそのまま柚穂を抱き上げて立ち上がる。そして、
「あおおおおおおおおおん!!」
完全に狼少女と化して、ガラス戸を開けて庭へ飛び出していった。
「み、みず、き……」
「渡さない! この子はもう誰にも渡さないわ! はあはあ! このままお持ち帰りして食べちゃう! いやむしろ食べて! お姉ちゃんの血を吸い尽くしてええええ!!」
身も心も狼少女と化した瑞希は柚穂をお姫様だっこしたまま庭を駆け回っていた。
「あらあら、作戦大成功みたいね」
「ふええ、瑞希さんが狼さんになっちゃいました……」
「姉妹愛もあそこまで行くといっそ尊敬するな」
「あー! 何よ何よ! あんたまた私の柚穂を卑猥な目で見てたわね! ふーんだ絶対渡さないわよー! 柚穂は私のものなんだからー!」
「瑞希、近所迷惑……」
「ねえ柚穂、もう一回! もう一回さっきのやって!」
「……いや」
「じゃあ今度はお姉ちゃんが食べちゃう番! はむっ」
「あうっ、み、瑞希、くすぐった……」
完全に我を見失った状態で柚穂を愛する瑞希。柚穂は戸惑っていたが、瑞希の心の底から幸せそうな笑顔を見て、困ったように笑った。
「はうぅ、柚穂、柚穂ー!」
とにかく、瑞希は幸せだった。
こんな「いたずら」なら、毎日だってやってもいい。