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四日目の金曜日は朝から大学をサボり、奥村のクーペで横浜までドライブに出かけて中華街で昼食をとった。帰り道、航平は達也を世田谷の家まで送ってきた。時間は午後三時を少し回っていた。

「あがっていけよ。たぶんこの時間なら誰もいないんじゃないかな」

母親の和美は週のこの日は四時くらいまで何か習い事をしているはずだ。妹の祥子も五時過ぎまで帰宅しない。

航平は達也にちらっと視線を投げてから、エンジンを止めて車のキーを抜いた。


達也の家は私鉄の駅から歩いて十分ほどの閑静な住宅街の一角にある。大手の電気機器メーカーに勤める父信明の部長昇進を機に五年前に立て直したこの家は三階建ての四LDKで、車庫と小さいながら庭があった。達也たち一家は十六年前に父の転勤先だった福岡から母の実家であるこの土地に越してきた。妹の祥子が生まれてまもなくだったが、達也は当時のことをよく覚えていない。物心ついてからずっと祖母と一緒だった。祖父は達也が三才のときに事故で亡くなっている。そして祖母は三年前、達也が高校二年のときに亡くなった。祖母はいつも達也の絵を褒めてくれた。『たっちゃんは将来きっといい絵描きさんになれるわね』と温かい笑顔で言ってくれた。大学の進路を決める時期、唯一達也の見方をしてくれたのが祖母だった。


「いい家だな」

玄関先で黒いハイカットのスニーカーを脱ぎながら航平が言った。

「そうかあ? 奥村さんのマンションのがぜんぜん豪華だよ」

半分二世帯住宅の造りになっていて、一階には車庫と、祖母の部屋だった八畳の和室に小さいキッチンと浴室、二階は三畳の和室に浴室、それにダイニングとリビングが一緒になったフローリングの居間など家族の生活の間であり、三階には達也と両親そして妹の寝室がある。

「俺の部屋、三階」

階段を上がると、航平が後ろに続いた。達也は階段を上がった左手の六畳の洋間のドアを開けて、航平を先に入れた。

「ちょっと散らかってるけど」

そう言いながらエアコンのスイッチを入れ、床やベッドの上に脱ぎ散らかしてあった服を拾い上げた。

「別にかまわないよ」

航平は本棚のCDや本を見やりながら言い、黒いニットのマフラーと赤茶っぽいブルゾンジャケットを脱いで勉強机の椅子の背に掛けた。そしてベッドの端に腰掛けて達也を見上げ、にっこりと微笑んだ。

一瞬身体の力がすうーっと抜けるような感覚に見舞われた。その笑顔に吸い寄せられそうな気がした。達也は軽く頭を振ってから服を放り込むために洋服ダンスに向かった。だがその瞬間腕を掴まれて強く引っ張られ、よろけた拍子に航平の隣にどすんと座り込んで彼と向き合うかたちになった。航平は達也の腕を握ったまま透かさず唇を重ねてくる。服の山を抱えたままキスをされ、達也の心臓は強く脈打っている。頭がぼーっとしてきた。達也が抱えていた服を全部床に落とし、航平は達也のシャツのボタンを外してダウンジャケットとともに一気に脱がせた。それから自分のTシャツも脱ぎ捨て、達也をベッドの上にゆっくりと寝かせて再び唇を重ねてきた。

その口がやがて首筋に下がっていく。愛撫をしながら航平の手は器用に片手で達也のジーンズのボタンを外し、ジッパーを下げていた。

「あっ・・」達也は喘ぎながら航平の背に両手を回した。

そのとき航平の動きがぴたりと止まった。堪えきれずに達也は頭を起こし、自ら航平の肌に唇を寄せた。だが航平は空虚を睨んだまま動かない。

「どうしたんだよ」

焦れた達也が息を荒らげて言うと、航平はすばやく達也の口を手でふさぎ、押し殺した声で言った。

「さっき、下で何か音がした」

次の瞬間「達也?!」という母親の声が階下から聞こえてくる。

達也は飛び起きた。あわててジーンズのジッパーを上げ、シャツを拾って羽織り、ボタンに手をかける。手が震えてなかなかボタンがはまらない。母が階段を上がってくる音がする。 航平も自分のTシャツを拾ってすばやく着た。

「達也、いるの?」

「・・い、いるよ」

急いでドアを開け、上ずった声で返事をしながら部屋の外に出た。

「早かったのね」

「あの、・・ご、午後の授業、休講でさあ」

「来週からテストなのに?」

「あ、ああ、・・まあ」

言葉を濁し、無意識にぽりぽりと頭を掻いてから達也は胸の前で腕を組んだ。まだ手が震えている。

「そっちこそ早いじゃん。カルチャーセンターかなんかの日じゃなかったっけ?」

「こっちも休講よ。・・お友達が来てるの?」

部屋の中を覗くように母が言う。家の前に停めてあるクーペと玄関にある見覚えのない靴を見て言っているのだろう。

「お邪魔してます」

背後から航平の落ち着いた明るい声がした。航平は部屋を出て達也の横に立ち、そして丁寧に挨拶をした。

「はじめまして。矢崎航平といいます」

航平を見上げてなぜか母は一瞬言葉を失ったようだったが、すぐに笑顔になった。

「あら、いらっしゃい。大学のお友達?」

達也と航平を交互に見ながら訊いてくる。

「いや、まあ、そんなとこ」頬を掻きながら達也は曖昧に答えた。

「ねえ、今夜お夕飯、食べてってもらったら? 鍋なの。またお父さん、遅くなるみたいだから。材料いっぱいあるのよ。ね?」

気のせいか母の声が弾んでいるように聞こえた。

「ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えて」

航平が微笑みかけると、母は恥らったような笑みを見せ、さっそく準備するわ、と言いながらそそくさと階下に向った。


母が去ったあと、ふたりは部屋に戻ってベッドに並んで座り、顔を見合わせて笑った。

「危なかったな」

達也の癖毛を指でもてあそびながら言い、そして航平は静かに唇を重ねてきた。

唇が離れ、閉じていた目をゆっくりと開けると、淡い笑みを浮かべて自分をじっと見つめる航平の顔がすぐ目の前にあった。彼の背に両手を回し、吐息を漏らしながら達也はその肩に顔をうずめた。

「なあ、奥村さん、いつニューヨークに帰るんだっけ」

「あさって」

「・・もう少しだな」

そして航平の身体を強く抱きしめた。


「何か手伝いましょうか?」

台所で忙しく動き回る達也の母に、航平が声をかけた。

「あら、ありがとう。でもいいのよ、座っててちょうだい。達也、矢崎くんにビールでも出してあげたら?」

「いえ、俺、車ですから、アルコールは遠慮します。・・あの、お名前は?」

「え?」

「あなたの名前です」

「ああ、和美よ。平和の和に美しい」

それ以降航平は達也の母のことを『和美さん』と呼ぶようになった。「おばさんでいいのよ」と照れる母に、「こいつはニューヨーク育ちだからさあ。外国じゃあどんなに年上でもみんな名前で呼ぶだろ?」と達也が説明すると、母は感心したように何度も頷いた。

そのとき妹の祥子が帰ってきた。

「ただいまあ。あー、お腹空いたあ。お母さん、晩ごはんなあにい?」

だらけた声を出しながら居間に入ってくる。だがそこにいた見知らぬ男の存在に祥子は固まった。

「やあ、こんばんは」

航平が笑顔を向けると、祥子は真っ赤になってポニーテールを揺らしながら三階に駆け上がっていった。

「なんだよ、あいつ。・・あれ、妹の祥子。高校二年」

「そうか。おまえに似てるなって思ったよ」航平がにやりとする。

「似てねーよ、ぜんぜん」達也は口を尖らせた。


緊張して何もしゃべらない祥子と、うきうきして明るくしゃべりまくる母。

《なんなんだ、いったい》鍋をつつきながら達也は首を捻っていた。

そのうちニューヨークの話になると、母は、「そうか! っていうことはあなた英語ぺらぺらなのよね。祥子、航平くんに英語教えてもらったら? この子ね、来月学校の研修でニュージーランドに短期留学するのよ。ねえ祥子、英会話の練習がしたいって言ってたじゃない。ねえ、どうかしら、航平くん。もちろん家庭教師代は出させてもらうわ」と航平と祥子を交互に見ながらはしゃいだように言った。

「お母さん、そんなこといきなり言ったって、失礼よ!」

「いや、俺はぜんぜんかまわないよ、祥子ちゃん」

テーブルの向かい側に母親と並んで座っている祥子に航平が優しく微笑むと、祥子は途端に顔を赤くして俯いてしまった。それから航平は母に視線を戻して言った。

「お金は結構です。どうせ暇ですから」 

「そう? じゃ決まりね」

母は大喜びし、祥子は顔を真っ赤にしていた。

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