表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/43

37

達也は航平のベッドの上に横たわっていた。恍惚の気怠さが全身を覆っている。隣にいる航平も無言で深い呼吸をしながら、口元に淡い笑みを浮かべて虚ろな目でどこか空虚を見つめている。

航平と身体を交えるのは三月の最後の土曜日以来だ。もう一ヶ月半になる。

激しい性の陶酔から覚めた頃、天井を見つめながら航平がおもむろに言った。

「・・奥村さん、俺にこのマンションとバーを遺してくれた」

息を吐きながら前髪をかき上げ、そして航平は続けた。

「美術商の仕事はジーンが引き継ぐ」

ジーンというのは奥村の秘書の日系アメリカ人の女性だ。二十年以上奥村と共に働いてきたそうだ。はっきりと言葉に出したことはないが、達也には航平がこの秘書に好意を持っていないということはわかっていた。

奥村の葬式のときに達也は初めてこの秘書を見た。彼女は航平の隣に座っていた。髪をきっちりと束ねてアップにし、背筋をまっすぐ伸ばして手前の奥村の棺に悲しげな視線を向けていた。それなりに歳は感じるものの、とても美しい女だった。

「そうか」

同じように天井を見ていたが、ふと思いつき、達也は首を回して航平に顔を向けた。

「奥村さん知ってたのか? おまえが奥村さんの仕事を継ぎたくなかったってこと」

「え?」航平は上を向いたままわずかに眉を上げる。

「前、言っただろ? 病院で奥村さんがおまえに謝ったって。おまえを縛りつけてすまなかったって」

すると航平は驚いたような表情を向けてきた。ふたりで見合う形になった。

「俺、そんなこと、おまえに言ったっけ」

「言ったよ。おまえ、睡眠薬飲んで、眠りに着くちょっと前」

少しの間無言で達也の顔をじっと見つめていたが、やがて顔を上に戻した。そして、そうか、と小さく呟きながら瞼を閉じた。

長い沈黙のあと航平はゆっくりと目を開け、そして空虚を見つめながら話しだした。

「俺さあ、・・・十一のとき、奥村さんに引き取られてから、ずっと・・・あの人に気に入ってもらおうって、・・認めてもらおうって必死だった。・・・・母さんが死んでから、俺には誰もいなかったからな。・・・由紀さんとメイも俺の前からいなくなってたし。・・・・俺、奥村さんが望むような息子になろうって思った。・・ならなきゃいけないって自分に言い聞かせた。・・・・捨てられるのが・・・ひとりぼっちになるのが、心底・・心底、怖かった・・」

再び航平は目を閉じ、眉を寄せながら溜息をついた。

「十一のときに俺の頭に植えついたそんな恐怖感や・・・切迫感は、二十歳になっても変わらなかった。・・俺の意識の根底にずっとあった。・・・もしかしたら、奥村さんが死ぬまで俺の中にあったかもしれない」

自嘲するかのようにふっと笑いながら航平は目を開けた。

「俺、いい息子だったと思うよ。・・・奥村さんに逆らったことは一度もない。・・・中学のときも高校のときも、ずっとトップクラスでいるように必死に勉強した。・・・大学も、大学の専攻も、奥村さんの希望通りにした」

そこで突然航平は達也のほうに顔を向け、真面目な表情で言った。

「男に興味があるなんて、口が裂けても言えなかった」

そう言ってから笑った。

「仕事のことだってそうだ。奥村さんがいつか俺に継がせたいって考えていたのは知ってた。・・だから俺、その覚悟もしてた。・・・そうしなきゃいけないんだって思い込んできた」

少し黙ってから航平は大きく息を吐いた。

「奥村さんは気づいてたんだよ、・・俺のそんな心理。・・・気づいてたけど、その恐怖から俺を解放してやろうとはしなかったって。・・できなかったって言ってた。・・・・あの人は、俺を立派に育てようって必死だったんだ、・・・母さんの、・・・母さんのために。・・・・だから俺が無理してるってわかってても、・・もっと上を求めてしまったって・・」

航平はまた目を閉じて黙った。達也が身体を向けて彼の胸にそっと手を置くと、その手を自分の胸の上で強く握りしめ、そして大きく息を吸ってから航平は呼気と共に震える声を吐き出した。

「これからは自由に生きろって言われた、・・あのとき、病院で。・・俺が死んでも生き残っても、・・おまえは自分の思うままに生きろって」

沈黙が訪れる。

達也も何も言わず、ただ航平の悲しげな横顔を見守っていた。すると突然ぱっちりと目を開けたかと思うと、航平はぐるっと身体をひっくり返して達也を仰向けにさせながらその上に腹ばいに乗り、そして達也の頭の両側に肘を突いた。驚いて目をしばたたいている達也をじっと見下ろしている。その顔には笑みが浮かんでいた。

「愛してる、達也」

優しく囁き、そして航平はゆっくりと唇を寄せてきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ