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バーを訪れてからさらに三日経っていた。航平からの連絡はない。

「ねえ、達也さん」

土曜日の朝、居間のソファに座ってセンターテーブルの上に置いた新聞に目を向けていた。新聞の文字を目で追いながら、達也は航平のことを考えていた。香織はまだパジャマ姿でダイニングのテーブルに座って、達也が作ったオムレツを食べている。

「ん?」振り返って香織に顔を向ける。

「もうすぐ結婚して一年になるわね」

「・・そうだな」

ゴールデンウィークも終わり、五月も半ばになっていた。

《航平はいっどうしているんだろう。・・ニューヨークで何かトラブルでもあったんだろうか》

「どこか旅行に行かない? ちょうど結婚記念日が日曜日だし。その週末に、どう?」

「え?」

香織に顔を向けながらも、達也はまた航平のことを考えていた。

「・・ん、・・・そうだな」

気の入らない声で達也が言うと、香織は持っていたコーヒーカップを置き、テーブルの上で腕を組んで達也のことをじっと見据えた。

「何?」

怪訝に思った達也が問うと、香織は、なんでもない、とそっけなく答え、そして立ち上がって無言のまま食器を流しに運んでいった。


ボクシングにもあまり身が入らなかった。今日のスパーリングは散々だった。何となくむしゃくしゃした気分で更衣室に入り、トレーニング用のランニングシャツを乱暴に脱いでベンチの上に投げつけるように置いた。そのとき更衣室のドアが開いたので、反射的に振り返った。

達也は驚いて瞬きを何度かした。そこに立っていたのは航平だった。よう、と片手を軽く上げ、航平は更衣室の中に入って後ろ手でドアを閉めた。

「俺、ずっと見てたんだ。気づかなかったみたいだな」

懐かしい笑顔で言う。達也は完全に言葉を失い、ただ呆然と目の前の航平を見つめていた。すると航平はその笑みを消し、一度目を伏せてから再び達也に顔を向けた。真剣な表情だった。

「ごめん、ずっと連絡しなくて。・・ニューヨークで思った以上にいろいろやることがあって。・・・おまけに野暮用でパリまで行く羽目になって、今朝成田に着いたんだ」

そう言いながら航平はゆっくりと歩み寄ってくる。そして遠慮がちに達也を抱きしめ、静かな声でもう一度言った。

「ごめん」 

何か言いたかったが、言葉が出てこなかった。航平がここにいるということが達也にはまだ信じられなかった。そしてその航平が今自分を抱きしめている・・・

「汗臭いだろ? 俺」

やっと出た言葉がそれだった。達也の真面目な口調に、航平は噴き出すように笑った。それから達也の背に回していた腕に力を入れて言った。

「いい匂いだ。興奮するよ」

ふたりとも笑いだした。

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