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部屋に戻ったとき、十二時を少し回っていた。達也がトイレで用を足してからキッチンに入ると、録音されたような女の声が聞こえてきた。英語のようだ。航平はキッチンのなかでカウンターに向かって立っている。電話のメッセージを聞いているのだろう。達也はそのままキッチンを横切り、居間のソファの上に腰を下ろした。やがて、ピーという音と共にメッセージが途切れる。

ちらっと目をやると、航平は立ったまま胸の前で腕を組み、難しい顔で目を伏せている。達也が声をかけようと口を開いたと同時に、彼は前髪をかき上げながらくるりと背を向け、冷蔵庫のドアを開いた。


「なあ、一緒に風呂に入らないか?」

「え? 風呂?」

足を投げだしてソファに座っていた達也は、驚いてすばやく航平に顔を向けた。

「いやか?」

横顔を向けたまま呟くようにそう言ってから、航平はペットボトルの水を一口飲んだ。

「いや、いいよ」

そう言った達也の声は少し上ずっていた。

「じゃあ、お湯入れてくる」

航平はペットボトルを冷蔵庫に戻し、達也のほうは見ずにそのまま浴室に向かった。

何となく落ち着かず、ソファの前のセンターテーブルの上に置いてあった雑誌を無意識のうちに手に取り、ぱらぱらとめくっていた。よく見ると英語だったので、達也は写真だけをぼんやりと見ていた。何か投資関係の雑誌であるということはわかった。

しばらくすると、浴室から達也を呼ぶ声が聞こえてきた。


洗面所の奥にある曇りガラスのドアを開けると、航平はすでに湯船に浸かっていた。

この部屋の浴室は広く、窓際のバスタブは大人ふたりゆったりと入れそうなほど大きなジェットバスだ。壁と床には黒っぽい石張りの大きなタイルが敷き詰められ、バスタブの傍の壁には小型のスクリーンが埋め込まれていて、風呂に浸かりながらテレビを見れるようになっている。

急いで服を脱ぎ、達也はガラスの衝立で隔たれたシャワーブースに入ってシルバーのレバーをひねった。ボディソープを掌に垂らし、少し泡立ててから両手で身体をこする。上半身を少し屈めて足を洗いながらふと顔を上げたとき、ガラスの向こうからじっとこちらを見つめていた航平と目が会った。

「見んなよ!」

照れながらぶっきらぼうに言うと、航平は笑いながら顔を背けた。

シャワーブースを出て、航平から目を逸らしたままバスタブに移動する。ふたつの低い段を上り、達也はゆっくりと湯船に足を入れた。そして航平と向かい合うようにバスタブの反対側に座る。

はあー、と息を吐きながら航平に目を向けたと同時に、お湯がばしゃんと顔にかかったので、達也は思わず、うわあっ、というような奇声をあげた。航平がげらげら笑いだす。手で顔を拭ってから、何すんだよ、と航平めがけて手でしぶきを飛ばした。航平もやり返す。少しの間ふたりは向かい合ってそんな風にふざけあっていたが、やがて静かになった。

バスタブに付いた枕に頭をもたらせて、達也はまたふーっと息を吐いた。航平に目をやると、首を少し傾げて目を細めながら達也を見ている。コンタクトを外してあるのだろう。

そのうち手を伸ばしてきたので、達也はふっと笑いながらその手を握った。すると航平は達也の手を引っ張って自分のほうに引き寄せ、立てた自分の足の間に後ろ向きに座らせた。そして脇から腕を回して自分の身体に寄りかからせる。達也は身体の力を抜いて、航平に身を任せていた。

束の間の静寂のあと、航平の胸が動くのを背中に感じた。何か言おうとしているのだと達也にはわかった。だが彼の口から出たのは言葉ではなく吐息だった。

「でも、驚いたよ。あの親父までおまえの虜になるなんてさあ」

明るい口調でそう言ってみたが、航平は軽く笑っただけで何も言わない。航平は何かを話そうかどうか迷っているようだった。

「何?」

自分の胸に回された航平の腕にそっと手を置くと、航平は深呼吸をしてから未だにためらっているかのようにゆっくりと話しだした。航平の声が達也の耳元で低く響く。

「あのさあ、・・去年、奥村さんが東京にもギャラリーを開いたってこと、おまえに言ったっけ」

「え? いや、知らなかった。・・銀座?」

「ん? ああ、そう。・・・それで・・さあ・・」

「ん」航平を促すように達也は彼の腕を軽く握った。

「来月、そのギャラリーで・・・宮田真治が、個展を開くそうなんだ」

「え?」

頭を少し反らせて航平に顔を向けると、彼は一度目を伏せ、窺うような視線をちらっと達也に投げてから続けた。

「それで、奥村さんもその前に日本に来る予定なんだ。・・・・どれくらいこっちにいるかまだわからないけど」

達也は顔を正面に戻し、頭を航平の鎖骨辺りにもたらせた。

「そうか。・・さっきのメッセージ、その件だったのか?」

「ああ。あれは奥村さんの秘書」

航平が軽く息を吐く気配があった。

「多分、俺も奥村さんと一緒に、そのオープニングパーティに行くことになると思う」

何となく予想していたことだったが、達也の身体は一瞬強張った。

「宮田さんに、・・会うってことか」

達也は小さく呟いた。

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