20
「まだ信じられないよ、おまえとこうしてるなんて」
満ち足りた気持ちで達也はぼんやりと白い天井を見つめていた。心地よい疲労感に身を任せていた。こんな穏やかな気分は久し振りだった。
「俺も・・」
隣で横になっている航平のほうに身体を向けて顔を覗くと、彼は目を閉じたまま微笑んでいた。
「俺も・・信じられない。・・なあんか・・怖いなあ・・」
だんだん眠そうな声になってくる。介抱のために夕べはあまり寝れなかったのだろう。
胸苦しいほどの愛しさを感じながら顔の傷にそっと触れてみた。
「アウッ!」途端に 航平は顔を歪めながら目を開ける。
「ご、ごめん」達也はあわてて手を引っ込めた。
「・・いや、大丈夫だ」
目を覚ました航平が、達也の手を握って優しく微笑んだ。改めて間近で見ると、腫れた瞼の下で左の眼球が充血したように赤くなっているのがわかる。左側の口元も腫れ、切れてかさぶたになったのだろう、口角辺りがどす黒く変色している。
「おまえ、俺にあんな強引なキスしてさあ、・・痛かっただろ」
からかうように言うと、航平は声を出して笑った。と同時にまた痛そうに顔を歪める。
「やっぱりもっと冷やしたほうがいいな。アイスパックとってくるよ」
すばやくベッドから起き上がり、達也はドアのフックに掛かっていた航平の紺色のタオル地のガウンを羽織った。
アイスパックを持って部屋に戻ると、航平は静かな寝息を立てて眠っていた。傷を上にして横向きに眠っているその顔にそっとアイスパックを置くと、一瞬顔を歪めたが、すぐにまた規則正しい寝息を立て始めた。
ガウンを着たまま達也は航平の隣に横になり、その寝顔を眺めた。
今ははっきりと自覚していた、自分はずっとこの男を愛していたのだということを。心の奥底で彼を求めてやまなかったのだということを。
航平の寝顔を見つめながら彼の手にそっと自分の手を重ね、そして囁いた。
「愛してる」
途端に震えんばかりの幸福感が全身を満たした。今すぐ航平を揺り起こして抱きしめたい衝動に駆られた。この瞬間、達也の脳裏から香織の存在は消えていた。自分のもとに戻ってきた、この愛しい男が達也のすべてだった。
「愛してる、航平」
もう一度そう呟いてから離れがたい思いで身体を起こし、床に散らばった自分の服を拾いながら達也は浴室に向った。
シャワーのあと、再び酒とタバコの臭いが染みついた服を身に着けた。
静かに寝室を覗くと、航平はうつ伏せになってぐっすりと眠っている。そんな彼を起こすことは忍びず、かといって黙って帰ってしまったらよからぬ心配をするだろうと思い、どうしようかと考えていると、キッチンカウンターの上に置かれた航平の携帯電話に気づいた。その携帯に手を伸ばしたとき、カウンターの端のほうに転がっている、さっき彼が放り投げた金縁の眼鏡が目に入った。腕の部分が開いたままレンズが下になっている。達也はその眼鏡を手に取り、腕を閉じてレンズを上にするようにそっと置いた。それから携帯を取り上げて番号を確認しながらソファに座り、自分の携帯からその番号に電話をする。すると突然、リーン、リーン、という昔の電話のような着信音が鳴りだしたので、あわててセンターテーブルの上に置いてあった航平の携帯をソファのクッションの下に押し込んだ。やがて航平の声が聞こえてくる。
『航平です。今電話に出られません。メッセージをお願いします』
そのあとに英語が聞こえてきた。おそらく同じことを英語で言っているのだろう。そしてピーという音。
達也はすばやく深呼吸をしてから口を開いた。
「あ、あの、俺、・・達也。・・おまえ、よく寝てるから起こさずにこのまま帰る。・・航平、・・あの、・・・ありがとう。俺、今すごく・・その、・・・幸せだよ。・・・・また連絡する。じゃ」
それから寝室に入ってベッドサイドテーブルの上に航平の携帯をそっと置きながらランプを消し、そして彼のガウンをドアのフックに戻した。




