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三日後の夜、帰宅すると母の和美が、たった今航平から電話があったと興奮気味に達也に告げた。達也の新しい携帯の番号を教えたらからそっちに連絡があるかもしれない、と言った。達也は内心の乱れを押し隠しながら、そう、とだけ返事をして自分の部屋に向かった。
着替えていると、脱いだ背広のポケットの中から振動音がした。マナーモードにしてあった携帯だ。予期していたが達也は凍りついた。胃が締めつけられるような感覚があった。達也は出なかった。じっと息を殺してその音がやむまで待っていた。
やがて静かになる。達也は大きく深呼吸をしてから着替えを済ませ、携帯を机の上に置いて部屋を出た。
夕食のときに母と祥子にあれこれ航平のことを訊かれたが、適当な返事をしておいた。
風呂で身体を洗い、湯船につかって達也は太い息を吐き出した。鉛のように重く、硬かった身体が少しずづほぐれていく。
本社に移って三週間が経とうとしていた。仕事の内容は支社のときとそれほど変わらないが、規模は比べ物にならない。それに大企業相手では気の遣い方が違う。
達也は溜息をつきながら、両手でお湯をすくって顔をごしごし洗った。
《俺は大丈夫だ》手でぱちんと両頬を叩く。《香織がいれば、がんばっていける。・・香織とふたりで・・》
気が緩んだのか、それまで懸命に意識から閉め出していた男の笑顔が、その瞬間鮮明に脳裏に浮かび上がった。達也は呆然と目を見開いてそのまま固まった。
『達也・・』
男の掠れた低い声が耳元に聞こえたような気がして、達也は震える息を吐き出しながらすばやく背を起こして振り返った。
『達也、愛してる』
両手で耳をふさいだ。それでも声は止まない。
『俺はおまえを愛してる。・・達也・・達也・・』
達也は激しく頭を振り、すっくと立ち上がって湯船を出た。そしてタオル掛けからバスタオルを猛然と掴み取り、乱暴に身体を拭く。
《ちくしょー! ちくしょー!》
反吐が出そうなほど自分を軽蔑し、恥じた。と同時に航平に対する底知れぬ憎しみが沸きあがってきて、達也は風呂場の壁に拳で怒りをぶつけた。
《ちくしょー!!》
部屋に戻ると、机の上の携帯にメッセージが一件入っていることに気づいた。さっきの電話だろう。番号は登録されていない。達也は深呼吸をしてからメッセージを聞いた。
『達也、俺・・』
その声を訊いた途端、そのメッセージを消去していた。




