【第6章】哲学的側面――存在と無、有限と無限の両義性
6.1 東洋思想の「空」と円環的世界観
仏教においては、「空」とはあらゆる存在が固定的な実体を持たないことを示す言葉であり、同時に「すべてが相互依存するダイナミックな実在」でもあります。空は単なる「ゼロ」ではなく、無限の可能性(∞)を内包するとも解釈でき、まさに「∞≒0」を象徴する概念といえます。道教や禅の世界でも、「大いなる無」と「すべてを包含する有」がループを描くかのようなイメージが説かれています。
6.2 西洋形而上学における無限の扱い
一方、西洋形而上学は、古代ギリシアのアペイロン(無限・無限性)やプラトンのイデア論、アリストテレスの可能態と現実態などを通じて、無限と有限の問題を論じてきました。キリスト教神学では神は無限大にして不可測の存在とされる一方、人間は有限的存在。そこに開く隔絶を埋めるものは信仰であり、恩寵であり――という構図も、ある意味で「∞と0」のギャップを意識したものともいえます。
6.3 存在論としての量子揺らぎ
哲学的に見るならば、量子の揺らぎは「あるともないとも言えない不確定性」としての存在論的根源を示唆します。つまり、「無」(何もない)と「有」(存在)とのあわいにこそ、この世界の基盤があるという考えです。このあわいは永遠に揺れ動くため、「無限大に広がる可能性」と「ゼロへ収束する消滅」の両極が常に共存しているとも言えましょう。




