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GARDEN  作者: すぬーぴー
10/12

第10話 開戦前夜




─────────地方都市マドレーヌ。


夜のとばりが降りた地方都市は、まるで息を潜めた獣のように静まり返っていた。

その高台に建つ最大の屋敷──領主館の一室、執務室。


柔らかなランプの灯りに照らされ、ソファに身を沈める若き男は、深い溜息とともに両手で頭を抱えていた。


エドワード・イングリス。

二十二歳。マドレーヌ領の新たな領主だ。


ここ数日、彼は満足に眠れていなかった。

閉じた瞼の裏にまで、無数の足音が押し寄せてくる。

軍の重々しい行軍音。

怒号を上げる兵士の叫び。

それらが混ざり合い、幻聴となって彼を責め立てていた。


そのせいだろうか。

まだ若いはずの顔には、年齢不相応の疲労と影が刻み込まれていた。


自然とそんな彼の思考は、亡き父へと向かう。


先代領主──彼は、誰に対しても分け隔てなく慈悲を注ぐ男だった。

身分を問わず、貧しき者にも、声なき者にも、等しく手を差し伸べた。


まさに理想の領主。

否、あまりにも理想的すぎる存在。


(─────父は、領民に優しすぎた。)


時には私財を惜しまず、民衆の願いを聞き入れ続けた父親。

そんな聖人のような父の後を引き継いだエドワードにも、当然のように領民たちは期待を寄せてきた。


就任当初、政務に不慣れながらも、エドワードは懸命に務めを果たしていた。

麦の不作、重税による生活苦──不満が高まる領民たちの声に応え、中央に幾度となく減税を訴えた。

時には自ら馬を走らせ、他領の領主たちのもとを訪ね、頭を下げてまで嘆願書を提出した。


それは、父の背を追い、理想を継ごうとする必死の足掻きだった。


だが──地方の一領主にできることなど、たかが知れている。


やがて限界は訪れた。


民の困窮を救うことが叶わぬまま、時間だけが容赦なく過ぎていき、そしてついに、民衆の怒りの奔流が形を成した。

その怒りは署名という形を取り、領主館へ雪崩れ込んだ。


しかし、エドワードにはその書類の山を前に立ち尽くす他ない。


そうして手をこまねいている内に、いつしか民は武器を手に取り、蜂起を起こし始めてしまう。

その過激な思想と蛮勇は瞬く間に広がり、もはや誰の手にも負えぬ事態となった。


それから、気づけばエドワードは、領民たちの怒りの流れに飲み込まれ、国家に背く反逆者として担ぎ上げられていたのだった。


「……はぁ……」


吐き出した重たい溜息は、床に落ちることもなく虚空に消える。

エドワードは立ち上がると棚からワインボトルとグラスを取り、注いだ赤を一口含んだ。


「……今夜が、最後になるかもしれんな」


天井を仰いで漏らした呟き。


───本来なら、誰にも届かぬはずの独白だった。


「何を弱気なことを仰っているのですか、お兄様」


「……エリザベス」


音もなく開いた扉の先に立っていたのは、妹のエリザベス・イングリスだった。


内巻きの栗色の髪。

愛らしい顔立ち。

兄の贔屓目を差し引いても、この国でも指折りの美貌を持つ。


縁談の書状が山のように積まれるのも無理はない。

──すべて、エドワードが却下しているが。


「ノックをしなさい」

「領主が弱気でどうするのです」


エリザベスは意に介さず鋭い言葉を放つ。


「なっ!」


不意打ちのような妹の叱責に、エドワードは思わず声を荒らげた。

自分の苦労や葛藤を知っていながら、それでも平然と諭してくるエリザベスに苛立ちが募る。


「……弱音を吐きたくもなるだろう! 明日、私は死地に赴くのだぞ!?」


斥候からの報告によれば、敵軍はすでにここから目と鼻の先にあるクレシーの丘に陣を敷いている。

想定を超える速さで進軍していた。


マドレーヌの城塞は脆弱。

私兵は守城戦の訓練すら満足に受けていない。

援軍は当然ない。

籠城は非現実的であるといえる。


であれば、残された道は一つ


────打って出る。


民兵を率い、数で勝る正規の軍隊と野戦をする。

それが、どれほど無謀な選択か、エドワード自身が誰よりも理解していた。


「わかっています……! それでも……今のお兄様は、お兄様らしくありません!」


「私らしさとは何だ……!第一、お前はッ──!」


エリザベスが求めるのは、父の姿を追って前だけを見て走っていた兄の姿。

だが今のエドワードには、それが、

「無責任に理想を押し付けてくる声」と重なって聞こえてしまう。



────お前は戦場に出ないから、そんなことが言えるのだ。



ふと湧き上がってきたその言葉は、喉元で砕けた。

しかしエリザベスは聡明だった。

言葉にされずとも、エドワードの胸中を察している。

唇を噛みしめ、涙を滲ませるその姿に、エドワードの心はまるでガラスの破片を突き刺されたかのような痛みを覚える。


「ッ──」


その痛みから逃れるように、彼は視線を逸らし、背を向ける。

重い沈黙が、2人の間にしばらく降りかかった。




「────────……え?」




静寂を破ったのは、エリザベスの驚きと焦りを孕んだ声だった。


「……どうした?」


エドワードが振り返った瞬間──。


執務室の中央、虚空が歪む。


禍々しく渦巻く、漆黒の魔力。

直径およそ2メートルの闇の渦から、二つの人影が浮かび上がる。


反射的に、エドワードは妹を庇い前に立つ。


そして───現れたその二人組のうちの一人の顔を見た瞬間、


エドワードは言葉を失った。


思考が凍りつき、心臓の鼓動すら遠のく。




「あなたは──────」




to be continued...

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