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十月一日 3

 白く立派な翼を背に付けた、金の髪の、あさひに似通った誰か。

 恰好や翼、そして髪色以外はまさしく朝霧あさひと言っていい彼女に、俺は目を奪われるばかり。


 普通に考えれば、こんな常識外れの存在が、朝霧あさひなわけがない。

 けれど、どうしてだろう。

 どうしてか、この声に覚えがある。俺はどこかで、一度この声を聴いたことがあるような……?


「……ごほ、ごほっ。痛いわね。嗚呼、本当に痛い。片腹痛いって実は物理的な話じゃないのかって思うくらい、涙代わりにそんな言葉が出てきてしまうくらい痛くて仕方ないわ。あー痛い」


 屋上を囲う金網フェンスに、大音立てる勢いで衝突したはずの雅乃宮(みやびのみや)(みやび)が、ぼやきながらもゆっくりと立ち上がってくる。

  

 雅乃宮先輩の身体は無傷とまではいかないまでも、別段骨が折れた形跡さえ見られない。

 その辺の野球のストレートかってくらいの勢いでぶっ飛んで、叩き付けられたフェンスの方が十字架を作るほどに歪んでしまっている。

 鍛え上げたプロレスラーですら立てるか分からないのに、ただの女子高生であるはずの先輩の耐久度は、到底人間とは思えないほどだった。

 

「あれ、まだしゃべれるんだ。一応殺す気で蹴飛ばしたのに、人間なのに結構やるもんだね」


 そんな雅乃宮先輩に金髪の彼女は、見られたのが自分にではないのに、心の奥底から震え上がりそうなほど冷めきった瞳を向けてしまう。

 少なくとも、俺が見てきたあさひが一度たりともしたことのない、欠片の感情もない目。朝霧あさひには絶対にして欲しくない、そんな目だった。

 

「あさ、ひ……?」

「ごめんねダーリン。すぐに終わらせるから、隅っこでちょっとだけ待っててね」

 

 そうじゃないにもかかわらず、あさひと呼んでしまうも金髪の彼女は否定せず。

 彼女は雅乃宮先輩に向けたそれとはまるで違う、安心させるような優しい目と微笑みでこちらへ一言告げてから、俺に背を向け真っ直ぐ歩き出してしまう。


 雅乃宮先輩と、白い翼を宿した金髪の彼女。

 俺を蚊帳の外にして向かい合う美女二人の間に奔るのは、限界まで膨らんだ風船のような緊張感。

 互いの一挙手一投足が、決定的な決裂になる。

 この場で唯一現状さえ把握出来ていない俺ですら理解出来てしまう、冷戦状態とも言えるほどに睨み合っていた。


「まったく酷いよね。学校内でもこれじゃあおちおち部活だってしていられないじゃん。そう思わない?」

「っぺ……ふん、何でそんな非合理取ってるのかは知らないけれど、なりすましてるだけの分際が、よくもまあ我が物顔で宣えるものね」

「そうだね、本当に耳が痛い。でもさ、それが生きているって証拠じゃない? 人間らしいってそういうことじゃないかな?」


 片や唾を吐き捨て、苦笑交じりに話す黒髪の美女。

 片やにこにことしながら、余裕を持ちながら話す金髪の彼女。


 和気藹々とはいかないが、それでも会話だけであれば、一触即発とは無縁に思えてしまう。

 だがそんなのは所詮表面上、言葉だけに限った話。

 彼女達が纏うのは警戒と戦意。言葉だけで収める気がないのが一目瞭然な、ゴングが鳴る前に見合う格闘者のよう。


 息を呑む。呑んでしまう。

 一歩後ろから見ているだけのはずなのに、どうしてか目の前の二人より息が詰まってしまう。緊張に喉を焼かれてしまいそうだと、そんな錯覚さえ覚えてしまった。


「じゃあ、そろそろ行くよ。アイ()に殺される覚悟、出来たかな?」

「決めたのは明日の朝食だけよ。──華々しく気張るわよ、サダメ」


 互いに言葉を終え、一拍ほど置いた。

 そして次の一瞬には両者は既に動いていた。そして俺は、不思議とそれをはっきりと視認した。

 

 雅乃宮先輩が伸ばした手から伸びた、まるで液体金属のような鈍色で腕を形成したのを。

 そして金髪の彼女が、手に光を宿しながら、拳をぶつけ合わせたのを。


 轟く激突音。全身を奔り震わす超衝撃。

 重厚で、鈍く、けれど苛烈なそれは、例えるのなら花火の爆発を間近で聞いたような、そんな音。

 あまりの衝撃で後方へと吹っ飛ばされてしまうも、すぐに顔を上げて──目を見開いてしまう。


 雅乃宮雅を守るように覆い尽くし、当然のように展開された鈍色の巨人。

 無数の腕が伸びたそれは、拳であり網であり刃であり矛であり。

 そして金色は俺では完全な目視が不可能で、音さえ凌駕していそうな速度で空に軌跡を描きながら、回避したり腕を飛び散らせてしまっている。


 まるで漫画やアニメのような、常識外れの速度でびゅんびゅんと空を舞いながらの戦闘。

 不良の喧嘩や渇いた銃声なんて目じゃない、現実からかけ離れた光景。

 けれど自分が今夢の中にいるのではと、とてもではないがそう思えないほど五感が、目の前の異常を真実だと告げてきていた。


 ……何が、何がどうなってるんだ。

 夢ならもう覚めてくれ。夢じゃないのなら、誰か、誰か少しでも説明してくれよ……!!


「すごいね、一見液体なのにまるで掴めない。これじゃあ殴ってもキリがないや」

「お褒めの言葉をどうも。そして掴めないのは当然、何故なら私のサダメは変幻自在なのだから。なのにその万能を膂力だけ押し切ろうとしてくるなんて……さながらゴリラね。いや、ゴリラ呼びは森の賢者に失礼だったかしら。訂正するわ、頭ゴリラさん?」

「……そうだね。乙女を前にして、本当に失礼極まりない。淑女とは無縁、卑しい野良犬みたいな口だなって感じだね」


 小休止と、入り口の屋根へと着地した金髪の彼女。

 八方より迫る銀の触手を翼を薙いで一蹴させると、雅乃宮先輩は鈍色の触手を空へと伸ばして一つに集約させ、まるで見せつけるように巨大な鎚を形成させていく。

 

 人一人なんてペシャンコにしてしまうであろう、プレス機のように圧ある大槌。それはまるで、天から振り落ちる裁きのよう。

 まずい、まずいまずいまずい──!!

 あんなものをまともに振り下ろしたら、俺達は疎か、学校まで大変なことになってしまう。どうしたら、どうすれば……!!

 

「それで聞きたいのだけど、そんなお可愛い拳だけで、この万能にどう立ち向かうの?」

「もちろん、愛の力で」

「そう。出来るのならば、精々見せて欲しいものね。──サダメ、畳み掛けるわよ」


 そんな大槌に金髪の彼女は一切の怯えを見せることはなく。

 武者震いだと言わんばかりに背中の翼を広げ、光の灯った手で挑発するように手招きする。

 そんな金髪の彼女を真っ直ぐ見据えた雅乃宮先輩は、何の躊躇も慈悲もなく、天の大槌を振り下ろした。


 嗚呼、分かる。嫌が応にも、分かってしまう。

 あんなの間違いなく死ぬ。今更どう頑張ったって逃げられないし、金髪の彼女がどうにか出来ないのならば、きっとぺしゃんこは確定なはずだ。


 けれど、けれど金髪の彼女は、こんな状況だというにもかかわらずこちらを向いてくる。

 大人が子供を安心させるような、どこか懐かしささえ感じる笑顔を見せながら、僅か一言だけ口を動かしてくる。


 ──任せて、と。


 そうして、大槌へ向き直した金髪の彼女。

 彼女の拳に宿った光は、まるでその自信に呼応したみたいに一気に、そして激しく集束していく。


 温かくも激しい、真っ白な光。

 けれど俺はその集約した光を直視して、儚くて美しいと、場違いにもそんな風に思ってしまった。

 

「アイのカタチ、ここに」

 

 そうして振り上がる拳。

 大槌と光の拳。──瞬間の激突の末、障害を打ち勝ったのは、拳だった。

 

「これで、終わりだね!」

「まだよッ!」


 真っ白な光が亀裂となって奔り、次の瞬間、ビチャンと一気に爆散する鈍色の大槌。

 大槌を形成していた液体の残骸が振り落ちるよりも早く、金髪の彼女は間髪入れずに地面を蹴り。

 そして大槌を砕かれた雅乃宮先輩もまた、険しい顔つきながら、両手に鈍色で形成した刃を持ち──。



「待って、待ってくれ!」



 そして俺は両手を上げて、とびきりの大声と共に二人の間へ割り込み、互いを制止する。

 善意とか正義感とか、別にそういう話ではない。

 ただこの瞬間に身体が動いてしまって、それがどうしてか間に合ってしまった。結局の所、それだけでしかなかった。


「っ!?」

「うそっ!?」


 驚嘆する双方。

 ちょうど心臓へと刺さる寸前、ちょうど表側を向けていた雅乃宮先輩の持っていた鈍色の刃は形を失ってくれはしたものの、代わりに拳でぶん殴られてしまう。


 頬に伝わる、ズキズキと酷い痛み。

 勢いは完全に死んでなかったのだろう、歯でも砕けたかのような、そんな強烈な一撃に地面へ転がされながら、そのときになってようやく、初めて割り込んだ事への自覚とひとまず死を免れたことへの安堵がこみ上げてきた。


「っ!! あ、貴方、どういうつもりよ!! 割り込むなんて正気!? 頭おかしいんじゃないの!?」

「うげっ、え、えっと、咄嗟に……?」

「咄嗟にじゃないわよ! 何か奥の手でもあったの!? それとも死にたがりの大馬鹿なの!? ああもう、本当になんなのよ!」


 すぐに雅乃宮先輩に胸ぐらを掴まれ、怒号で詰め寄られてしまうが、自分でも分からないものは分からない。

 そんな不明瞭な答えしか返せなくて、だから更に苛つかせてしまったのか、雅乃宮先輩に殴られた反対側の頬を良い音が響くくらいにひっぱたかれ、そのまま無造作に投げ捨てられてしまった。


「大丈夫? 今回は運が良かったけど、こんな無茶、二度としちゃ駄目だよ?」

「あ、うん。ごめん」


 尻もちをついてしまいそうになった所を、金髪の彼女が優しく抱き留めてくれる。

 温かくて柔らかい。そして匂いと、心配そうに覗き込んでくれる顔の作りがやっぱりあさひにそっくりで。

 金髪と赤い目、そして翼という絶対に別人でしかない要素で構成された彼女のはずなのに。それでもあさひの面影を重ねてしまう自分が、少しばかり嫌になってしまった。

 

「……ねえちょっと待って。もしかして彼、本当に何も知らないの? この戦いの価値も、今日私に呼ばれた理由も、何も?」

「え、ああうん。ちょっとタイミングなくて、まだ何にも話せてない……かなぁ」

「……呆れた。何にってそれを見抜けなかった自分の節穴具合と、演技かもしれないのに手を止めてしまった良心と、聞かなければいいことを聞いてしまった損のある性分によ。決して必要な情報を与えなかった、優しさを履き違えた独善的な貴女のことではないわ」


 やれやれと。

 金髪の彼女が困ったと頬を掻く姿に、雅乃宮先輩は額に手を当て、心の底からと肩をすくめてしまう。

 

 出荷されそうな家畜を見るような、そんな哀れみしかない目を向けられる意味は分からないが。

 いずれにしても、もう先輩にこの場での戦意はないと。

 それだけは確かだったので、どうやらひとまず場は収まったと金髪の彼女から離れようとして、けれど彼女はまったく離してくれなかった。


「仕切り直しよ。一日だけあげるからそこのから最低限を聞いて、それから明日同じ時間にここへ来てちょうだい。……ああ、もちろん来ないのなら構わないわ。それなら貴方の家に襲撃かまし、無関係の人も巻き込んでしまうかもだけど、容赦するつもりは微塵もないから」

「おかしいよね。勝ちそうだったのはアイ()の方なのに、どうしてそんなに強気に出られるのかな?」

「好きに言ってなさい。ただ、あのままやっていても負けるつもりはなかったわ。賢い私は能ある鷹のように、全ての手札をひけらかさないものよ」


 金髪の彼女の煽りを買うこともなく、そのまま入り口まで歩いていってしまう。

 なんか解散みたいなムード出してるし、戦っていた二人的にはそれでいいのかもしれないけれど、俺としてはそれで納得出来るわけがない。

 

 だってまあ、何も知らないのだ。

 どうして屋上に呼ばれたのかも。どうして戦っていたのかも。そしてそもそも、あのファンタジーみたいな力はなんなのかも。何も。


「……な、何言ってんだよ……? ちょっと待てよ、おい……!!」

「悪いけど、今の貴方ともう話すことはないわ。だって今の貴方との会話なんて、試験前に友達と勉強会をやるってくらい無駄でしかないの。それじゃあ、また明日ね」


 それはどういう意味かと呼び止めるも、無意味。

 雅乃宮先輩はこちらへ振り向くことさえなく、「彼女に聞きなさい」と適当に金髪の彼女を指差してから、雑に扉を開けて屋上から去ってしまう。

 

 つい先ほどまではあんなに喧しかったのに、屋上はあっという間に静寂に戻ってしまう。

 まるで時の流れに置いていかれたような、そんな気分。

 あまりにも色んな事がありすぎて、どうでもなくなった場所を後に、呆然と立ち尽くす他なかった。


「……ま、今日は逃がしてあげるよ。ダーリンを見逃してくれたから、今回だけはね。──さて」


 そんな俺とは違い、金髪の彼女は小さく呟いてすぐに切り替えて、こちらへと向いてくる。

 

 残されたのは、俺と金髪の彼女のみ。

 あさひではないあさひ。姿形、そして能力共に人の領分を超えた超常的な、あさひを装った何か。

 安堵と困惑は、不安へ。

 そしてすぐに、未知の存在への恐怖となって、俺を警戒と緊張を最大限へと引き上げてしまう。


 だってそうだ。このあさひが……いや、この怪物が何者なのか、俺はまったく知らない。

 もしかしたら、今この瞬間にも殺されてしまうかもしれない。俺にとって、命の危機はまだ過ぎ去っていないのだ。


 目の前のそれからは、殺意も敵意も感じる事はないけれど。

 それでも、きっかけ一つであの超常的な力を振るわれるかもしれないと考えれば、例え相手が命の恩人であっても、どうしても警戒を抱かずにはいられなかった。


「……そうだよね。やっぱり、ちゃんと見ちゃうと怖いよね。信じられなくても、仕方ないよね」

 

 そんな俺に金髪の彼女は、少し寂しそうな顔をしながらも、仕方がないと頷く。

 改めて真っ直ぐその顔を目にすれば、やっぱりあさひと瓜二つで。

 あさひではないはずなのに、どうしてかあさひを……初恋の少女を悲しませてしまったような錯覚を覚え、胸が締め付けられるような、そんな苦しさを持ってしまった。


「えっと、見られちゃったからには、一から説明しなきゃいけないよね。アイ()は──」


 そうして金髪の彼女が話し始めようとした。そのときだった。

 きゅるきゅると。

 イルカの鳴き声みたいな、この場には似つかわしくない、そんなお腹からの音が屋上へと渡ってしまったのは。


 ……今日ほど空気を読めない生理現象を憎んでしまいたい日は、きっと永劫来ないだろうな。


「あは、あははっ! あーおっかしい! ……うん。とりあえず帰ってご飯にして、それから話そっか。ねえ、ダーリン?」


 俺の腹の虫の音を聴いて、金髪の彼女は吹きだしてしまいながら、ひとまず帰ろうと提案してくる。

 金髪の彼女の本当にツボに入ったとき笑い方も、やっぱりあさひとそっくりだった。

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