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十月一日 3

本日は二話投稿です。まだの方は前話からどうぞ。

 結局、よそのクラスにいた知り合いに訊いても結果は変わらず。

 朝霧(あさぎり)あさひなど知らない、うちの部活にはいないと。

 おかしいのは知らない方のはずなのに、そんな質問をしに来た俺が、逆に奇異の目で見られてしまうだけに終わってしまった。


 だから最後のホームルームが終わってすぐ、俺は恥も外聞もなく、教室から飛び出しひた走る。

 自転車を全力で漕ぎながら、目指す先はたった一つ。

 自宅から少し離れたあさひの家。そこにいけばあさひはいるはずだと、最早吹けば飛ぶくらいの淡い期待に縋りつきながら、朝以上の速度で向かった。


 ──だけど。


「あら信司(しんじ)君? 随分と大きくなったわね~って、あさひ……? あさひって、誰のこと?」


 だけどそんな期待は、突きつけられた現実によって、意図も容易く吹いて飛ばされてしまう。

 家のチャイムを押して、笑顔で応じてくれたあさひのお母さんである美咲(みさき)さんも、やはりあさひを知らなくて。

 絶縁ものの喧嘩していない者として扱っているわけでもない、そんな声色で本当に誰のことだと首を傾げられてしまう。


 ……例えどれだけ喧嘩していようと、この人は大切な一人娘をない者として扱うわけがない。

 あさひはこの家にいない。そんなことはあり得ないはずなのに、そうとしか、受け取れない。

 

「あ、あの! あの自転車! 何で二台あるんですか!?」

「ああ、あれは私の自転車よ? この前壊れちゃったから、新しいの買ったのよ」


 あさひがいつも使っていた空色で塗装された自転車を指差して問うも、あさひのお母さんの答えは極々普通で、だから尚更打ちひしがれる他なくて。


 家に自転車を置いて、それでもこんな気持ちで、家に入る気にはなれなくて。

 とぼとぼと、制服のまま寂しく住宅路を、何度も何度も、昨日だってあさひと一緒に通ったはずの道を一人で歩く。

 

 あさひと一番近しい母親でさえ、あさひなんて人はいないと言う。

 あさひが昨日まで座っていた場所には、誰もいなかったとクラスメイトは言った。

 

 ならば、あさひはいないのか。

 朝霧あさひなんて人間はどこにも存在しない。学籍は疎か戸籍さえもどこにもない、俺の心の中にしかいない、架空の女性。それが常識で、おかしいのは、俺の方なのか。


「……はは、はははっ」


 乾いた笑いが無性に零れてしまう。

 溢れて、抑えきれなくて、ついには涙も一緒に落ちてしまって、胸がどうしようもなく締め付けられているみたいに苦しい。


 朝霧あさひなんて女の子は、俺の創り出した妄想。

 俺には幼馴染なんていなくて、幼い頃から妄想に取り憑かれて、都合のいい夢を見ていただけ。

 

 ……そんなことはないと思いたい。

 でもそれ以外に考えられないと、俺以外の誰もがそう教えてくれる。現実にある無数の要素がそうだと後押ししてきて、それ以外の結論を許してくれない。誰か一人だって、違うと否定してはくれない。


 あり得ないはずなのにあり得ない。けれどあり得ないが、あり得てしまっている。

 これで自分を疑わずにいられる人間は、きっとそう多くない。

 例え昨日までは誰にも否定されなかった常識であったとしても、それまでの自分を信じられなくなってしまう。少なくとも、俺はそうなってしまった。


「……あさひ。どこにいったんだよ、あさひ」


 縋るように彼女の名を呟き続けながら彷徨い、やがて辿り着いた秘満(ひみつ)神社の入り口の石階段に腰を下ろし、俯いてしまう。

 小学生くらいの頃にあさひとたまたま見つけ、以来秘密の場所とか呼んでたびたび遊び場に使っていた、神主や巫女の一人さえ見たことのないほど寂れた神社。


 小学校の頃、この狭い境内を鬼ごっこと何度も一緒に駆け回ったことも。

 あさひが部活の公式戦の前日に、勝てますようにってこっそりお祈りに来たら同じように祈っていたあさひと出くわして、つい笑い合ってしまってしまったことも。

 俺が少しグレていた頃、夜中にこの石階段で俯いていたときに見つけてくれたあのあさひも

 他にもあさひと一緒にこの神社に来ては紡いで、目を閉じれば今でも鮮明に思い出せるたくさんの思い出達も。

 

 ……そんな思い出も、思い出と思っているこの記憶も、全部俺一人の作り物だったのかな。

 

 もしかしたら、ここならいるかもしれないと。

 虚しいほどの淡い期待は、相変わらず閑散とした光景を前に呆気なく崩れ去ってしまった。

 

 あさひがいない。ここにも、どこにもいない。

 あさひのいない世界。俺の生きる意味のなくなった、空っぽで色のない世界が……現実。

 

 落ち込んで。

 階段から立ち上がる気になれなくて。

 だからいつの間にか、明るかったはずの日は落ちていて。


 十月に入ったからか、少し冷えだした夜風と今日一日分の空腹。

 ふと夜に気付いた瞬間、それらは一気に追いついてきて、ようやく重い腰が上がる。


 気持ちの整理なんてつかない。こんなの、つくわけがない。

 それでもひとまずは帰ろう。帰って風呂に入って、ご飯食べて、一旦冷静になろう。

 だってあさひがこんな状態の俺を見てしまえば、呆れた目をしながらも、きっとそんなことを言ってくるだろうから。

  


「きゃー!」



 パリパリに渇いた涙跡を腕で拭い、立ち上がって家へと帰ろうとした。

 そのときだった。どこからかの甲高い悲鳴が、嫌というほどこの耳へ届いてしまったのは。

 

 突然に何事かと思いながらも、足は思考よりも早く動き始めていた。

 声から考えるに恐らく女性。この辺りは治安が良いとは言えないから、不良にでも絡まれたか。

 

 とにかく、急がなければと。

 出来れば杞憂で、警察への通報なんて必要ない事態であることを祈りながら神社を飛び出して、いくつか路地を曲がって──そしてそれを認識出来た瞬間、全身が硬直してしまう。


 恐らく悲鳴の主であろう、道路へ横たわってしまっているスーツの女性。

 ここまではいい。良くはないが、それでも何ら有り得る。

 だがそしてその目前に立つ、鴉のように立派な翼を生やした人の後ろ姿と、その人の持つ刀。不良が持つ得物なんかじゃない、身の毛もよだつほどの禍々しさを秘めた真っ黒な刀身を。


「な、はっ?」

「……嗚呼、見られたか。認識出来る人間が近くにいるとは、やはりそう上手くはいかぬものよな」


 異常。

 そうとしか言い表せない状況に固まっていると、こちらに気付いた黒い翼の人は、ゆっくりとこちらへ振り向いてくる。


 そして直視して、唖然としてしまう。

 何故なら俺を見つめてきた彼女の顔。街灯の明かりによって確かに視認出来てしまったその人。

 まるで死神のようなその人が見せた顔は、俺がずっと見たかった初恋の彼女──あさひと瓜二つだったから。


「あさ、ひ……?」


 口調も雰囲気も、もちろん風貌だって全然違うし、何よりあさひに翼なんて生えていない。

 それでもその顔は、その面影は間違いなくあさひと同じもの。

 誰からの記憶からも消えてしまった朝霧あさひが、彼女の真っ黒な瞳と目が合った瞬間、どうしてか重なってしまう。


 あさひ、あれは間違いなくあさひだ。

 構成要素の全てが全然違うけど、それでも朝霧あさひなのだと。

 場違いにも俺の直感が確かに訴えてきて、一瞬だけ歓喜してしまっていた。だからこそ、その直後に追いついてきた現実を呑み込むことが出来なかった。

 

「あさひ、なんだろ……? なにやってんだよ、お前……!」

「……不快だな。嗚呼、どうしてか不快極まりない。どうしてかは分からないが、その名で呼ばれると実に腹立たしくなる。それに貴様……嗚呼、イア()は怒り猛りに満ちる者なれど、それでも、貴様の存在自体が看過出来そうにない。はらわたが煮えくり返るというのは、きっとこういう感情(もの)なのだろうな」


 目の前でこちらを煩わしそうに睨む翼を持つ、あさひに酷似した女性。

 どんな理由があろうとも、あのあさひが進んで人を傷つけることなんてあり得ない。

 だからこんな状況に声を荒げてしまうも、目の前のその人は、大きなため息を一つだけついてから、手に持っていた刀の切っ先をこちらへ向けてくる。


 冷たい瞳。彼女の翼や刀の刀身と同じくらいの、吸い込まれそうなほどの漆黒。

 あさひと同じ色の目のはずなのに、あさひと違って光の一片すら込められていない目。

 そんな眼光を前にして、蛇に睨まれた蛙のように身は竦み尻もちを着いてしまったのは、感情よりも早く本能は恐怖してしまったから。


 ──逃げなきゃ。でも、逃げたら、奥で倒れている、あの女性が。


「偶然ならば見逃してやろうと思ったが、嗚呼、大いに気が変わったぞ。貴様はここで死ね。誰にも知られぬまま、この我の手で惨たらしく朽ちてしまえ。それがイア()を不快にさせた詫びであり、同時に我の溜飲を下げる唯一の購いだと、己が存在を悔いながらな」


 グサリと。

 逃げも抗いも選べないまま。足に力が入ってくれず。

 こちらの目前へ辿り着いてしまった彼女は、手に持っていた刀を一欠片の躊躇もなく、俺へと振り下ろして──寸分違わず心の臓へと突き刺してしまう。


 叫んでしまったのは、ほんの一瞬。

 肉を突き破る鈍い音。一瞬で全身を突き抜ける、昔骨を折ったときなんか比じゃないくらいの激痛。

 訪れる激痛に身構える時間さえなく。

 あまりの痛みに叫んでしまうも、けれどそれからすぐに、何かがおかしいと妙に冷静になってしまった思考が気付いてしまう。


 おかしい。痛いはずなのにまったく痛くない。刺されているはずなのに、刺されていない。

 あんなにグサリと鈍い音と感触、激痛まであったのに、まるでいつも通り。

 怪我一つない健康そのものみたいで、むしろ身体が軽いとさえ思えてしまう。確かに目の前では左胸に真っ黒な刀身が刺さっているはずなのに、その感覚がほんの僅かだって感じる事が出来ない。


 刺されて平気なはずがないのに、平気だなんて。

 そんな何かがおかしいのに、理解を大きく超えすぎていて見当さえつかない。それがどこまでも恐ろしくてたまらないせいで身体は震え、冷や汗と鳥肌が止まらなかった。


 だから意味も分からず顔を上げた次の瞬間、刀を持つ彼女が嘲笑うように口角を歪めたのが見えた。見えてしまった。

 その瞬間だった。

 ドクンと、心臓が大きく弾んだと思ったその瞬間、身体の中から何かが駆け巡り出したのは。


 まるで身体を動かす命のガソリンが急速に失われていくような、そんな奇妙な消失。

 何かが全身を伝い、お腹に刺された真っ黒な刃へと流れ出ていってしまう不思議な感覚。自分の身体なのにまるで手綱を握れず、俺の意思なんてお構いなしに流れていってしまう。


 ……干涸らびるとは、きっとこういうことを言うのだろうか。

 体力や水分だけじゃない。気力も意志も感覚も、抜けちゃいけないと何となく分かる何かまで抜けてしまう、体験したことのない。そんな奇妙な喪失だと、酷く他人事のように思ってしまった。

 

「どうれしまいだ。……ふん、まったくもって退屈な死に様であったな」


 そうしてもう何も見えなくなって、名前も分からない何かでさえ、抜け出る感覚がなくなってしまったあと。

 微かに何かを呟いた彼女は、刀を抜いて、翼をはためかせて飛び去ってしまう。

 目で見えたわけじゃない。僅かに残っていた聴力が、そんな音を拾って、そんな気がしただけだ。

 

「……ぁっ」


 声が出てくれない。音なんてほとんどなくて、世界は星のない夜みたいに黒しかない。

 身体にはもう何も残っていない。何も抜かれていないけど、何もかもを抜かれてしまった。

 ただ何となく察している。あと何秒あとかは分からないが、それでももう間もなく、俺はこのまま薄れるように力尽きてしまうんだと。


 俺はこのまま死ぬのか。

 あのあさひに瓜二つの誰かの手によって、何が何だか分からないまま終わってしまうのか。

 

 ……まあ、別にそれでもいいかもしれない。

 死後の世界なんてのを強く信じているわけでもないが、このまま目を瞑ってしまえば、もう一度あさひにだって会えるかもしれない。

 死にたいなんて思ったことはないが、別に痛いわけでもないのだし、死んでしまったあとに少しでも希望を見出せるならありかも。少なくとも、こんなあさひのいない世界に生きるより、ずっとましか。


 ──それでいいの?


 それでいい。それでいい、いいじゃないか。……いいはずなんだ。


 ──本当に、それでいいの?


 ……いや、終われない。こんな所で、終わってたまるものかよ。 

 嘘をつくなよ。自分にだけは、格好付けて誤魔化そうとするなよ。

 だってまだ、俺はもらっていないんだ。昨日の夜にあさひへ告げた、あの告白の返事を。好きと言って、一日待ってと言われた、その答えを。何も。


 そうだ、その通りだ。

 まだ終われない。あさひがいないなんて、そんなわけ、あるはずがない。

 出会ったあの日のあさひの笑顔も、培った十何年もの思い出も、昨日の胸が破裂しそうになった告白の高鳴りも。

 必ずあった。あったんだ。なかったなんて、そんなの、一瞬でも疑ってしまった自分が恥ずかしい。

 

 だから、だからまだ終われない。

 あさひともう一回会って、昨日の夜にしたあの告白の答えを、一日待ってという約束をまだ守っていない。

 あさひが約束を破るわけないし、あさひとの約束を破るわけにはいかない。

 だから、まだ死ねない。あさひに似た誰かのせいで死んでやるわけには、いかないんだよ……!

  

 ──なら、願って。

 こんな所で死にたくないと心の底から望むのなら。私に見つけてと、心の底から、願って。


 嗚呼、嗚呼! いくらでも願ってやるとも!

 

 あさひと再会するまで、死ねないんだ。

 あさひに答えを聞くまで、終われないんだ。

 だから、だから俺を見つけてくれッ──!!


 その願いは、決意は、思考は、果たして本当にあったのか。

 死の淵で弱々しく消え去ろうとしていた、尽きかけの蝋燭にしがみつく残り火のよう。

 

 その微かな火を費やして。

 ただ願う。願って願って、ただ願って、火が完全に消え去る最後の瞬間まで、ただ願う。



「お待たせ、あなたの願いにアイ()が来たよ。だからもう大丈夫だからね、ダーリン♡」



 そうして全部を燃やし尽くして。

 消えゆく意識で最後に感じたのは、こんな状況に合わないほど酷く軽く、そして甘い女性の声と強い光。


 消えてしまった、朝霧あさひと声色。

 なのにはちみつでコーティングしたお砂糖のような、あさひとは似ても似つかぬほどあざとさを備えた声。

 そして最早何も見えない世界の中で、明けないはずの夜に差し込んできた太陽のような鮮烈な輝き。


 その光を美しいと感じながらも。

 どうせ最期に聞くのなら、天使でも死神でもなくあさひの声が良かったな、なんて。

 そんなことを考えてしまいながら、張っていた糸が切れたみたいな唐突に、意識は闇へと消えていった。




公園を神社に変更

読んでくださった方へ。

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