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十月一日 2

 そうなのかと、呑み込える話ではなかった。

 (みなみ)が小首を傾げながら言ってのけたその言葉は、意味を噛み砕ききってもなお、理解が追いつくものではなかった。


 あさひなんて、いない? 朝霧(あさぎり)あさひが、誰だって……?


「……何言ってんだよ? あさひはあさひだろ、朝霧(あさぎり)あさひ。冗談はやめてくれよ?」

「……えっとねしんっち。朝霧さんなんて人、うちのクラスにはいないよ? 本当だよ?」


 冷静さを失ってしまいそうになりながら、それでも精一杯抑えて問うも返答が変わることはない。

 南もとおると同じように、そんな名前のクラスメイトに思い当たりはないと。

 二人共に首を傾げ、こちらを不思議そうな顔で見つめながら、優しく俺を諭されてしまう。


 ……とおるだけならともかく、南がこんなこと言うなんて絶対おかしい。

 なんで、そんなまるであさひがいないみたいなことを、半年も過ごしてて言えるんだ……?


「そうそう。うちの学年にはあから始まるやついないよなって、ちょっと前に話したばっかりだろ。おい、本当に大丈夫か?」

「……あ、でもでも、まさかまさかの転校生とか!? 遅刻の間際、偶然にも一足先に衝撃の出会いを果たして運命感じちゃったー……みたいな!?」

「どこの少女漫画だっての。それで言ったら、実は野球部に入ってくれる最強転校生かもしれないだろ? 朝霧あさひ……うん、いいじゃん。すかした面ながら胸に熱いものを秘めた天才系って感じな名前じゃん!」

「……人のこと言えないよね。この野球バカ」


 見当違いの方向に盛り上がる二人のそばにいるというのに、話に入る余裕なんてない。

 一瞬、悪質ないじめでも起きているのかと思った。

 俺の友達が、俺の想い人を傷つけようとしているのかと、ほんの一瞬だけでも過ぎってしまった。


 けれど違った。そんな次元の話じゃない。

 とおるも南も本当に覚えていない。朝霧あさひなんて人とは会ったことはないと、嘘偽りなくそう言っているのは、普段の彼らを知っているからこそ理解出来てしまった。それが逆に、言葉にならないほど恐ろしかった。


「……あり得ない、ちょっと待ってくれよ──」 

「おーら席に着けー。授業はじめっぞー」


 更に追求しようとした所で、一限の担当である八峰先生の呼びかけが遮ってくる。

 離れてしまう友人達に、落ち着かない気持ちのまま渋々席に座るが、やはり意味は分からない。

 

 授業が始まろうとしているのに、あさひのいた場所は空の席のまま。

 それどころかよく見れば机の横に架かっているはずの鞄もないし、その場所はまるで、ずっと誰も座っていないのが当たり前みたいな空気でそのままにされてしまっている。


 おかしい。間違いなく何かがおかしいのに、誰もおかしいと思っていない。それが一番におかしくて、言いようのないほどの、恐怖に駆られてしまう。

 ついさっきまでそんなはずはなかったのに、まるで自分が世界から切り離されてしまったかのよう。

 朝霧あさひという初恋の少女を知っている自分だけが世界の異物なのではないかと。そんなことはあり得ないはずなのに、今はそうだと断言出来なかった。


「八峰先生ー! 今日って転校生いるんすかー?」

「いたらホームルームで紹介してるだろ。馬鹿なこと言ってないで教科書開けよ、田中」

 

 とおるに質問された八峰先生は、何ら表情を変えることなく、容赦なく一蹴する。

 ごく普通の授業の光景。些細な冗談を流しながら、授業に入る。そんな良く見られる光景。


 なのに、そこにはあさひはいない。

 昨日まではいたはずで、消えるなんてあり得ない、必ずいるはずの存在がぽっかりと欠けてしまっている。なのに世界は、それが当然と言わんばかりに進んでしまっている。

 何が何だか分からなくなる。


「……先生! あさひは、朝霧さんはお休みですか!?」

「朝霧……? 生憎だが、この学年にあから始まる生徒はいないはずだぞ。夜刀神(やとがみ)、お前は遅刻したと聞いてるが、まだ寝惚けているのか?」


 胸を占めるこのざわつきは、恐怖か焦燥か。

 とにかく抑えられなくなって、つい立ち上がってしまいながら大声で八峰先生に質問してしまうも、返ってきたのは怪訝そうにしかめ面。そしてとおるや南と同じような、存在への否定だけ。

 

 教師から、クラスメイトから、友人から。

 クラス中から注がれてしまう奇異の視線。「保健室に行くか?」と心配そうに尋ねてきた八峰先生に、俺はそれ以上何も言うことが出来ず、俯きながら着席せざるを得ない。

 

 とおるも南も、高木も桜井も白崎も黛も。クラスのみんなも、はては八峰先生だって。

 みんなみんな、俺の質問に本当に困惑していた。

 まるでおかしいのは俺の方だとばかりに首を傾げ、何を言っているんだとばかりに戸惑いながら、そんな生徒はいないと目がそれを告げていた。


 憔悴している俺をよそに、授業は恙なく進んでいくが、何か変わるわけでもない。

 その日受ける教師の誰もが、あさひがいないのは当然とばかりに授業を進めてしまう。仮にたちの悪い夢だとすれば、一向に醒めてくれる気配のない。終わりのない悪夢に等しい一日。


 授業の途中で仮眠を取ったが、それでも夢から醒めてはくれない。

 ならばトークアプリで連絡してみようと思ったが、何故か履歴や登録など一切が存在せず。

 怖かった。たまらなく、理解出来ないくらい、どうしようもないほど怖くて仕方なかった。一限の小テストも、三限の体育も、四限の数学で当てられたときも、まともに考えられる頭ではなかった。


「……おい信司(しんじ)、本当に大丈夫か? 信司?」

「ん、ああ、ごめん聞いてなかった」


 四限が終わり、昼食の時間。

 違う友達と食べることもある南と違い、基本的には一緒に食べているとおるが、如何にも運動部ってくらい大きなお弁当を食べ進めながら、心配そうに呼びかけてくる。


 とはいっても、未だにグルグルと考えてしまっていて、反応は追いつかず。

 軽く揺さぶられてようやく気付き、軽く謝りながら上の空でも一応に言葉を返すが、どうにもその対応が更に不安にさせてしまったと、露骨に顔へ出してくる友人に申し訳なくなってしまう。


「……本当に大丈夫か? 顔色悪いし、飯も食べてないし、熱でもあるんじゃないか? どうせこの後寝るだけだし、早退したって大丈夫だぞ?」

「……とおるじゃないんだから授業はちゃんと受けるよ。あと、弁当は忘れただけ。ちょっと顔洗ってくるわ」


 半ば逃げるように席を立ち、教室からトイレへと向かって歩いていく。

 目的地はトイレではなく、ちょっと離れた先にある教室。

 違うクラスにいる、あさひと同じ部活の知り合いに尋ねてみようと、そう思ったからだ。


 きゅうきゅうと、そんな場合でないにもかかわらず、それでも変わらず鳴ってしまうお腹。

 まるで自分の身体までもが、朝霧あさひなんて架空の人物に固執している自分を嘲笑っているみたいに思えてしまい、そんな邪な思考をブンブンと首を横に振って振り落とす。

 

 違う。おかしいのは、俺じゃない。

 朝霧あさひは確かにいた。昨日まではこの学校にいて、一緒に帰って、彼女に告白した。いたはず。

 妄想上の存在。夢で見ただけの、都合のいいねつ造なんかじゃない。確かにそのはず、そのはずなんだ──。



「そこの男子。悪いんだけど、ちょっといいかしら」

 


 ドツボに嵌まり、ついには自分さえ疑ってしまいそうになった。そんなときだった。

 突然廊下に響いたのは、凜とした女性の声。

 どこかあさひに似ている気がした声につい顔を上げてしまうも、そこにはあさひの姿はなく。

 あさひと同じ黒い髪ながら系統は違う、それでもどこか雰囲気の似通った美女。そんな見覚えのない人が壁に寄りかかり、腕を組みながら、通り抜けようとしたこちらへと見つめてきていた。


 付けているリボンの色は赤。つまり三年生で最高学年で上級生。

 入っている部活以外に先輩との繋がりなんてほとんどないし、十中八九初見の人だとは思うが、何か粗相をしてしまっただろうか。もしかして、自覚のないまま廊下を走ってしまっていたのだろうか。


「……えっと、俺ですか?」

「そう、俺。なんかこの世のどん詰まりって感じに辛気臭い顔してる、そんな冴えない後輩な貴方。ああ、別に名乗らなくていいわ。別に貴方の名前なんて、これぽっちも興味ないから」


 念のため、自分の顔を指差しながら尋ねてみれば、先輩もまた俺を指差して頷いてくる。

 一応周りを窺ってみるも、それらしい生徒はいない。

 ならばやはり俺なのだろうと納得していると、腕を解いた先輩はゆっくりと近づき、こちらを覗き込んでくる。

 

 近くに寄られて気付いたが、この先輩、中々に背が高い。

 百七十センチ後半の俺とほとんど同じくらいなのだから、女子の中では相当に長身なはず。


 それにスタイルも抜群で、胸が手足もあさひ以上。

 あさひがいなかったら、きっとこんな人に惚れていたのかもしれないと。

 そんな女性にちょっとだけドキドキしてしまいながら、まるで全身を舐め回すように覗き込んでくる彼女の次の言葉を待つしかなかった。


「……気のせい、かしら。もういいわ、呼び止めて悪かったわね。顔色悪いから、保健室に行くことをおすすめするわ」

「えっと、はい?」

「聞こえなかったのかしら。ならいいわ、先に私が消えてあげるから。それじゃ、さようなら」


 数秒ほど、こちらをじっくりと見つめてきた先輩は、何にも教えてくれずに自己解決して、言いたいことだけ言って。

 それからまったく追いつけていない俺から興味をなくしたように離れ、最後に軽く手を振りながら、堂々とした足取りで廊下を歩き去ってしまう。

 

「……何だったんだ、あの人」

 

 疑問が、恐怖が、動揺が。

 今の今まで抱えていたはずの感情全部が「あの先輩は何だったんだろう」の一点に重なってしまう。

 

 とはいえ、その場に立ち尽くして少し考えてしまうも、すぐにあさひの方へと思考が戻っていく。

 とにかく今は、よく分からない先輩のことなんて気にしている場合ではない。 

 

 悩むべきはあさひについて。

 先ほどのよく分からない一瞬のせいで、少しだけ落ち着きを取り戻した頭で考えながら、俺は先輩が去った方とは真逆、向かっていた教室へと早足で向かった。

本日は18:06にもう一話投稿する予定です。

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