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十月五日 3

 多分これは夢なのだと、ぼんやりとした頭ながら、何となく察しが付いてしまう。

 だってここは、いつかした告白そのもの。

 九月の末。馴染みある帰路の途中、胸の気持ちを抑えることが出来なかった俺があさひについ好きだと告げてしまったあの場面。まさにそのままその瞬間なのだから。


 ……まだ数日前の出来事のはずなのに、もう随分と前に感じてしまう。

 

 あさひに明日まで待ってと言われて。

 次の日にはあさひはアイになっていて。

 雅乃宮(みやびのみや)先輩に呼び出されて、イアに学校を襲われて、最後には──。

 

『……信司(しんじ)。聞いたわよ。あなた、人を殺したんだってね?』


 それこそ思い出すだけで疲れてしまいそうな。

 過酷で激動の連続だった数日を漠然と思い出してしまいながら、この夢を他人事のように眺めていた。


 けれど、そのときだった。

 あの日考えさせてと言ってきたはずの返答とは違う、質問というよりはただ確かめるだけの、明確な失望と拒絶の込められた問いかけをあさひにされたのは。

 そしてあの日は戸惑いでいっぱいだったはずのあさひの顔には、見たこともないほどの冷たい侮蔑に満ちていたのは。


『人を殺すなんて、最低よ。そんな人、好きになるわけない。さようなら』

 

 全身に寒気が奔ってしまう。心臓を鷲掴みにされたと、そんな錯覚さえ覚えてしまう。

 冷たい拒絶を一言だけ告げて、俺へ背を向けて去ってしまうあさひ。

 

 必死に手を伸ばしても届かない。声を張り上げ呼んだとて、振り向いてさえもらえない。


 遠く遠く。あっという間に、見えなくなっていく。

 ……駄目だ待って。待ってくれ。お願いだからあさひ、俺を置いて、行かないで──!!


「──あさひっ!」


 そうして叫んだ次の瞬間、視界は元通りの景色を取り戻す。

 目にした現実は授業中の教室。

 生徒に人気な塩顔教師、数学の宮一(みやいち)先生が教壇に立ち、数式の解説をしている最中。

 

 黒板と先生に注がれていた教室中の注目が、俺という一点を指差すように集まっている。

 すぐに気付く。思い出す。

 やらかしたと。今は四限の授業中で、そしてやっぱり、先ほどまで見ていたのは夢でしかなかったのだと。


「なんだ夜刀神(やとがみ)、もう四限だぞ? 金曜こそ気持ちを引き締めてけよ?」

「……はい。すみません」


 ひそひそくすくすと。

 周囲で囁かれる奇行への反応を嫌が応にも耳が捉えてしまい、顔に熱さを感じながらも宮一先生に謝って座り直す。

 なるべく平静を保とうとはしているが、きっと周りから見た今の俺の顔は、猿の尻くらいに真っ赤だろうな。鏡で確かめずとも、何となくでも察してしまえる自分が憎いよ。


「……あさひぃ、だって。お熱いねぇしんっちぃ、のおのお、やっぱりアツアツよのぉ?」

「……掘り返すなよ。恥ずかしいんだから」


 右隣から口元に手を当てながら、ニヤニヤとこちらをいじってくる(みなみ)

 水を得た魚とばかりにからかおうとしてくる褐色肌の友人へ渋い顔で悪態を返し、書きかけのノートに寝てしまった間の板書に取りかかるが、どうしても先ほどの悪夢が過ぎってしまう。


 ……まったく、本当に酷い夢だった。

 久しぶりに見たアイじゃないあさひ。いなくなってしまう前に見た、最後の本物の朝霧あさひ。

 だがあさひとは長い間一緒に一緒にいたが、それでもあの夢の中のあさひは、一度だって見たことないくらい冷たい眼差しをしていた。


 あれほど失意に満ちた拒絶の表情は、もうお前に興味はないとばかりに幻滅は、中学でちょっとグれてたあの頃でさえ向けられたことはない。

 目が覚めた今でも鮮明に思い出せてしまうレベルの、何なら今年一番の悪夢だったと。 

 誰に聞かれたってそう断言出来る。それこそ夢だと理解しながら、叫んでしまうほどの悪夢だった。


 ……分かってる。あのあさひはきっと、あさひですらないことなど。

 あの悪夢の中にいたあさひはきっと、俺の心そのもの。

 俺の心の奥底に溜まってしまった澱みが、朝霧あさひという俺に一番効く形をしてぶつかってきただけでしかないなど。


 教室の中は既に俺の奇行のことなど忘れ、通常通りに授業の進行している光景が続いている。

 

 先生が、俺にとっては難解な数式の解説して。

 クラスメイトがカリカリと、真面目に黒板の内容を板書して。

 何もかもがいつも通り。何一つとて変わりない。……そのはずなのに俺だけが、違う世界の住人だと思えてしまうほどに、どこか遠くだと感じてしまっている。

 

 どうしてかなど、いちいち己に問うまでもない。

 とおるも。南も。クラスメイトも、先生も。この憂鬱の一端でさえも知るよしはないだろう。

 唯一詳細を知るアイでさえも、この気持ちを真に理解してくれるわけはないだろう。


 目の下にある、五本になってしまった縦の傷に触れながら、確かにあった昨日の夜を思い出す。

 俺とアイは一人の実現者(ネブラー)と戦い、勝利した。──人を、殺してしまった。その事実が、一日経ってようやく突きつけてきた罪悪の重さを。





 

 気分は滅入ったまま、それでも一日は過ぎていく。

 まるで時間という大きな括りの中では、人一人の憂いなど無に等しいと思えるほど、あっさりと。


「それじゃあしんっちに朝霧さん! 日曜日よろしくねー!」

「へいへい。お前もその日、寝坊とかするなよ。フォローとかしないからな」


 笑顔で手を振りながら部活へ走り去る南と別れた俺とアイは、そのまま階段を上がり、四階隅っこにある旧資料室──何故か雅乃宮(みやびのみや)先輩が占有している、事実上彼女の部屋へと辿り着く。

 

 事の発端は今日の一限の途中。

 まだ眠気の残る時間に、この前みたいに鈍色の糸電話で「来い」と一方的に告げてきた。言ってしまえばそれだけだ。


 呼び出された理由は何となく察するものの、それでも説明の一つや選択権くらいは欲しかったとは思いつつ。

 鈍色電話を繋ぐは先輩次第でしかないので、質問や拒否の権利なんてものはこちらに存在するわけもなく。

 機嫌を損ねるのも面倒だし、どちらにせよ話すべきだとは思ったので、こうして趣いたというわけなのだが──。

 


「それじゃあ、私達七ヶ原(なながはら)同盟の初陣の勝利を祝って! 乾杯!」



 部屋に到着して早々、手渡されたのは紙コップ。

 テーブルに広がるはポテチやら何やらなお菓子の山。そして何故かぼんじり。あの焼き鳥の、ぼんじり。

 そんなカオスな光景の中で、意気揚々と音頭を取った先輩に釣られ、流れのままに乾杯し中の黒い液体に口つけてしまう。


 紙コップの中に入っていた黒い液体はいつぞやのようなコーヒーではなく、なんとコーラ。

 シュワシュワと炭酸弾け、どうやって保管してたのか分からないけど何故かキンッキンに冷えている極上のジュースは、嫌いを裏切らない喉越しと美味しさ……じゃなくて!


「えっと先輩、これ、なんです?」

「何ってもちろん祝勝会よ。勝ったのだから、乗り越えたのだから、ひとまず喜び合う。お通夜ムードで粛々と哀悼と反省会でも始めるとか思ってた?」


 理解を追いつかせてくれない、怒濤と言える情報の波。

 案の定いまいち現実を受け止められる処理能力が俺にはなく。

 零れるように発してしまった問いに、片手に焼き鳥、もう片手にコーラと宴スタイルな黒髪の美女──雅乃宮先輩は、怪訝な顔を向けながらもあっさりと答えてくれる。


 隠れ家的は小さな部屋でお菓子にジュースを広げ、乾杯して喜びに浸る。

 言葉どおり、祝勝会。それ以上でもそれ以下でもない、何らかの理由にかこつけて騒ぐだけの場。


 アイは既にお菓子に手を付け始めており、先輩もまた焼き鳥に舌鼓を打っている。

 つまり、この状況を受け入れられていないのは俺だけ。

 説明され納得してもなおこの光景を肯定は出来ず、現状に納得出来そうになく。むしろ疎外感さえ感じてしまう。


 ……実現者(ネブラー)であるアイはともかく、先輩はどうしてこんな馬鹿騒ぎ出来るんだろうな。


「まるでこの先輩、どんな神経してんだって顔ね。この雅乃宮雅が主催する『第一回、お疲れ様会』でそんなブー垂れた顔されると、沽券に関わるのだけど?」

「……逆によくはしゃげますよね。人を殺して、俺達は生き残ったのに」

「当然よ。だって私達は生き残ったのだもの。自分以外が不幸だからって自分の幸福を喜べないのなら、そんな世界はとっくにディストピア待ったなしでしょ。違う?」


 お前の内心なぞお見通しと、或いは俺が顔に出しすぎるだけか。

 どちらにせよ心を読み上げるみたいに尋ねてきた先輩へ、つい語気が強くなってしまうも、彼女は一切動じることなくあっさりと、まるで他人事みたいにそう口にしてくるが、納得出来るわけがない。


 だって俺達は、人を殺したのだ。

 競争で誰かを抜いて一位になるのとはわけが違う。先輩は直接じゃないけど、それでも俺はイアを殺せとアイに頼み、その死を直接見届けて──。


「……嗚呼。もしかして、私は直接手を下してないから、俺の気持ちなんて分からない……なんて思ってない?」

「…………」

「図星のようね。はんっ、随分と下に見てくれるわ。十四歳の反抗期が『お前は所詮子供でしかない』と頭ごなしに責められるのと同じくらいにはストレスを感じてしまうわ」


 はっ、と鼻で笑い、不快と雅乃宮先輩。

 図星だった。先輩の言っていることは、俺が思ってしまった無礼を、正確に言い当てていた。


 あの夜、先輩は決着の場にいなかった。

 作戦の立案、俺の家の守護や誘導。

 これから先一度だって足を向けて寝られないくらいたくさんのことをしてくれたけど、それでも、先輩はあの場にいなかった。そんな先輩に俺の気持ちは分かるまいと、身勝手にもそう思ってしまっている。


 これは所詮、独りよがりな悲劇的思考。

 けれど罪に潰されそうになっているのか。それともただ罪の意識に酔っているだけなのか。

 それさえだってもうよく分からない。覚悟を決めたはずなのに、今になって、それが間違いだったと己を責めて止まない。


 死にたくなかったのは事実。

 戦いに生き残り、叶えたい願いがあるのもまた事実。

 けれどそれでも、俺は生き残って、イアに勝ってしまって、本当に良かったのかと。


「……まあ、罪の意識自体を咎めるつもりはないわ。どんな事情であれ、私達は昨日人を殺した。例え相手が人ではない実現者(ネブラー)であろうと、自分の意志で確かに殺めた。それだけは曲がることないし、背けちゃいけない。むしろ喜びや空虚を覚える系統だったら、こうして一緒にお疲れ様会なんてしちゃいないわけだしね」


 そんな俺の様子を見かねたのか。

 雅乃宮先輩は小さく、ほんの小さなため息を一つを、わざとらしく零した後。

 コトリと、渋々といった様子で両手の品をテーブルに置いてから、淡々としながらもどこか優しい口調で先輩は語ってくる。


 それは慰めのようで、けれど同時にはっきりと自らの罪を突きつけるだけの列挙。

 どういう事情であれば、お前はイアを……あの実現者(ネブラー)を殺したのだと。例え直接手を下したのはアイだったとしても、そう望んで選んだのはお前自身なのだと。曲げようのない事実を、そのまま声に変えただけのもの。


「でもね、だからこそ一層俯くな。理解しているのなら、無理にでも顔を上げ、前を向きなさい」


 自分以外の人に言われ、よりのし掛ってきた罪の重さに耐えきれず。

 一層俯いてしまいそうになった俺の両頬へと手を伸ばした雅乃宮先輩は、力強く、無理矢理にでも自分の方へと顔を上げさせてくる。

 罪から目を背けること。それだけは許されないと教えるように、先輩の黒く綺麗な瞳は真っ直ぐこちらを覗いていた。


「いい? どんな形であれば、私達は勝利した。誰かの命を奪い、踏みにじり、それを承知で次へ進むと選択した。それを自身が後悔するなんて真似、他ならぬ敗者の墓に唾を吐く侮辱にしかならない。だってこの戦いの参加者は皆、大なり小なり願いを携えて臨んでいるのだから、みなその覚悟をして臨んだってこと。彼らの敗北の否定は、彼らの願いにかけた想いの否定でもあるのよ」


 先輩は言う。この戦いに参加している者は、皆等しく殺されることさえも承知なのだと。

 先輩は言う。勝利を否定してしまえば、それは敗者への侮辱であると。


 先輩の言うことは、仮にもスポーツ経験者として理解出来る。

 けれど同時に、納得は出来そうにない。

 そういう競技的理屈を、殺人という非人道的行為が加味された今に当てはめていいわけがない。誰かの敗北を喜んでいい一線は、とっくに越えてしまっているはずなのだ。だから、だから──。

 

「別に割り切れってわけじゃない。それでも今一度、己の心にしっかりと刻み込むことね。所詮私達はこの殺し合いを止めるためなんて綺麗事でなく、自らの願いのために戦うのだと。この先何度も何度も、最後にはこの雅乃宮雅でさえも踏み越えて、そうして貴方は自分の抱いた願いを叶えるのだと。……或いは、それが出来ないと思ったのならいつでも言いなさい。これ以上は耐えきれないと立ち止まりたくなったのなら、そのときは約束の日を待たずして、この雅乃宮雅手ずから介錯してあげる。敵ではなく、その時点まで共に歩んだ戦友(とも)としての情けでね」


 頬から手を外した先輩は、「しっかりしなさい」と発破をかけるみたいに背中を叩いてくる。

 バチンと、結構な大きさで室内へ響いた音。

 お菓子を食べながら見守ってはいたものの、それは許容外だと頬を膨らませたアイが先輩へ寄ろうとしてくるが、先輩から伸びた鈍色に阻まれ押し相撲へと発展してしまっている。


 ……痛い。けれどどこか、温かい。今の一発は、少し気持ちの軽くない、そんな一発だった。


「……というか、不満があるのは貴方だけじゃないんだから、自分だけ不幸のどん底ですみたいな顔しないでくれない? 私だって納得いってるわけじゃないの。私だって別に進んで殺したいわけじゃないし、今回の作戦だって穴だらけで作戦と呼べるものではなかったし、何より今回は総じて誰かの手のひらの上って感じが露骨すぎて、どうにも勝利の実感が湧いちゃくれない。ほんと何もかも後味の悪い、辛うじて赤点超えたテストくらい最悪な初戦だったわ」

「……じゃあ、なんでこんな会を」

「だからこそよ。勝者は誰よりも勝利を祝い、敗者の想いを背負って次に進まなきゃならない。勝者は自分が敗者に回るその日まで、喜びを噛みしめながら生きていかなきゃならない。勝者として迎える明日のための区切り、私にとって祝いの場はそういう場所よ」


 気取った様子なく、あっけらかんと言ってのける先輩。

 例え勝利と思えずとも、勝利の果てにどんな後悔を抱こうとも、勝ちという区切りを受け入れる。そうしなきゃ正しい意味で前へ進めないのだと、それを俺よりもずっと理解していながら。


 改めて……いや、本当に痛感したのは、今日初めてかもしれない。

 身体能力や頭脳という話じゃない。心よりも奥底、彼女を形作り支えている芯が何よりも強靱。

 目の前の雅乃宮雅という先輩は、そんなどこまでも強い人なのだと。決して揺らぐことのない、真っ直ぐな柱を持って生きている人なのだと。


「……ああもうしらけた! 私お花摘んでくるから! そうね、十分くらいで戻るから! そこのお菓子食らい、その間に相方の辛気臭いの取っておきなさいよ。そしたら仕切り直し、いいわね?」


 数秒の沈黙のあと、雅乃宮先輩は少し赤くした頬を誤魔化すように身を翻し、アイを指差してから鈍色と共に部屋から出て行ってしまう。

 俺とアイの残された旧資料室は、うるさいくらいだったはずの音がどこかへ逃げてしまい、むしろ静寂さえ訪れてしまっていた。


「……ヘンテコ女に気を遣われるとか、なんかむかつくなー」

 

 アイがどこか不満げに文句を言いつつ、先輩の定位置であるソファへ遠慮なく腰掛けると、隣をポンポンと優しく叩いてくる。

 

 アイの誘いの意味は、例え言葉の一つさえ発されずとも、何となくだが理解出来てしまう。

 あさひの姿をしながらも、あさひではない彼女の求め。

 少し躊躇ってしまいながら、それでもアイの微笑みを見て仕方なく隣へ腰を下ろせば、アイは優しく握るように手の甲に自分の手を添えて、触れるくらいの軽さで肩へと頭を乗せてくる。


「……あのね、これは人の心なんてどうでもいいと思ってるアイ()が言っていいことじゃないと思うんだけどね。それでも一つだけ、聞いて欲しいな」


 ほんの僅かに重さを肩に乗せながら、アイは俺達二人しかいない部屋で、ぽつりと話し始める。


アイ()はね、ダーリンはそのままでいて欲しい。強いた死を後悔出来る、そんな優しいダーリンでいて欲しい。それでもなお立ち上がれる、強いダーリンでいて欲しい。それがアイ()が……朝霧あさひが好きな、夜刀神信司なんだから」


 アイはただ、真っ直ぐそう願ってくる。

 変わらないでと、それでいいのだと、まるであさひに聞いたみたいに確信を持って肯定してくれる。


 掛けられた声の色は優しく、まるでいつか同じように励ましてくれたあさひのようで。

 けれどあさひとは違い、こちらへ目を向けることはなく。

 まるでこの問いの答えは必要ないと、その限りの独り言でしかないかのように。


 優しさに満ちたもので、けれどそれと同じくらい厳しくもある。

 

 後悔を忘れるなと。一度俯き止まってしまっても、必ず立ち上がって前へ進めと。

 一度歩み出したのなら、途中で折れることを許してくれない。本当に、あさひが言ってきそうな鼓舞。或いはこの場にいたら、間違いなくそう言ってくるであろうほどに重なる叱咤でもあった。

 

「……難しいこと言ってくれるよな。お前も、あさひも」

「かもね。でもそれが、あなたが取り戻したいと願う朝霧あさひ(初恋の少女)なんでしょう?」

「……そうだな。その通りだよ。そんなあさひだから、俺は好きになったんだ」


 思い出すように、空いていたもう一つの手を握る。

 厳しくもありながら、けれど確かに優しさに満ちていた黒髪のあの娘。

 俺を陰りから引っ張り出して、時には尻を蹴りながらも隣を歩いてくれた、笑顔の可愛い女の子。


 そんな彼女を取り戻すために戦った。そうして俺はイアを、イアと契約した誰かを殺した。

 遠くないうちにまた、自分のためだけに名前も知らない誰かを殺し、それでも先へ進む。成就と頓挫のいずれにせよ、いつかどこかで止まるまで進み続ける。そうでなければいけない。


 その結果で得た罪を。もっと別の道があったのではないかとという未練を。

 過程の最中、抱いてしまう後悔全てを綺麗に受け入れられる日は、きっといつまでも来ないだろうけど。

 それでも罪を受け止めることは出来るはず。罰と後悔に蝕まれるのは、全部終わったあとでもいいはずだ。

 

「ありがとう。これからもよろしく、アイ」

「……任せて。ダーリンは必ず、アイ()が守って勝たせてみせるから。絶対に」


 決して心に積った澱みは減ったわけじゃないけれど。

 それでも少し整理のついて、少しだけ軽くなったように感じた心のまま、アイへと礼を告げる。

 

 アイは何も言うことはなく。俺もそれっきり何も話すことはなく、静けさに浸りながら目を瞑る。


 次に目を開けたとき、再び歩み出すために。

 朝霧あさひという最愛を取り戻すため。あの日聞くことの出来なかった、告白の答えを聞くために。


 例え苦難に満ちた歩みの果てが、夢の通りの拒絶であったとしても。

 それでも求める願いに辿り着くその日まで。或いはいつか、自身が敗者の側に回るまで。──それがこの戦いの参加者として持っていなければならない覚悟なのだと、この身この心に刻みつけながら。

 

 せめて今だけは、ほのかにコーヒーの残り香と静寂に満ちた小さな部屋で暫しの安らぎをと。

 俺の中でイアとの戦いが本当の意味で終わるのは、きっとこの静寂が止んだときなのだと。心のどこかで、物寂しさを覚えてしまいながら。

ここで完結とさせていただきます。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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