十月四日 4
四時頃まで続いた反省会という名の作戦会議は、そのままハンバーガー屋で解散となった。
「準備があるから」と先輩は早々にどこかへ去ってしまい、俺達は二人で電車に乗って帰路へ。
電車の中でスマホを覗けば、ちょうど学校も六限が終わるくらいだろうと。
今更ながら学校をサボったことに少しの罪悪感を抱いてしまいながら、自宅最寄りの駅で降り、いつもより少し早めに辿り着いた住宅街を歩いていく。
「それにしても、ヘンテコ女も勝手だよね。アイの負担大きいのはまあいいけど、ダーリンの部屋使うとかほんといや! ねえ、ダーリンもそう思わない?」
「……」
隣を歩きながら、頬を膨らまし、こちらへ同意を求めてくるアイ。
あさひの姿をした彼女の愚痴を聞きはしていたものの、考え事のせいで言葉を返せず歩いてしまっている。
考え事の内容は、やはり抱いてしまった疑惑について。
アイがついているという嘘。それについて本人聞くべきか。それとも聞かないべきかを、俺はいつまでも考え続けてしまっている。
聞けばこの数日で少しだけ積み上げた信頼が崩れてしまう、それくらいは理解している。
けれどこのもやもやを抱えたまま戦いを迎えたとき、本当に俺はアイを信じることが出来るのだろうか。
……いや、きっと出来ないだろう。
何せ自分の心だ。あのあさひにだって駄目なときは駄目だと、中学の頃の前科が証明している俺だ。
例え何となくだとしても、この懸念が気のせいで終わることはない。心の片隅で、そんな確信を抱いてしまっている。
こういうとき、いつも助けてくれたあさひはここにはいない。
誰の助言もない。精一杯考えて、決めるのは俺。
数日を共にして、命懸けの戦いを共に乗り越えて、それでも未だ何も知らない彼女との関係は、この瞬間の俺次第──。
「どうしたのダーリン? あ、もしかして緊張してる? 大丈夫だって。まあ作戦自体は悪くないと思うし、最悪ヘンテコ女がしくじっても、アイが見事華麗にこなしてみせるから! あ、でも私的には読みが外れて中止になるまで一緒だと嬉しいかなー……あーもう楽しみぃ♡」
だというのに。
ふと顔を上げてアイに目を向けてしまえば、悩みの種である彼女は俺の内心などまるで知らないとばかりに、一人で身をくねくねと捩らせながら浮かれてしまっている。
……そんな絶対場違いな彼女の態度に、本物のあさひなら絶対やらないであろう表情や身振りを惜しげもなくしてしまっている彼女に、思わず毒気を抜かれてしまう自分がいる。
──だから。
「ダーリン?」
「……アイ。少し、話をしないか。二人で」
「……いいよ。じゃあ、二人きりになれる場所へ行こっか」
だから心の天秤が傾いて。
俺は足を止めて、怪訝そうに振り向いてきたアイへ真っ直ぐ顔を向けて、そう頼んでしまう。
数秒の間。沈黙と緊張に心臓がバクバクと弾んでしまいながら、俺はアイの次の言葉を待つ他ない。
やがてアイは先ほどまでの浮かれた態度を引っ込め、優しげに唇を緩めて頷き、家以外のどこかへ向かうように歩き出す。
きっとアイは、何を訊かれるのか分かっていると。
こちらへ頷いたときにみせたアイの優しげな表情は、そうなのだろうと何となく悟るには十分過ぎるものだった。
アイに連れられたのは、家の近所から少し離れた、寂れに寂れた小さな神社だった。
「懐かしいでしょ、秘満神社。幼かったダーリンと朝霧あさひが二人で見つけて以来、事あるごとに通っていた思い出の隠れ家。追いかけっこも、かくれんぼも、縄跳びの練習も、グレてたときの慰めも。なにをしても怒られなくて、人一人さえ来た記憶のないここなら、きっと誰にも邪魔されずに話せるよね」
落ち葉や砂の地理積った石階段を上り、所々に黄ばんだ石の鳥居を潜った先にある、そこまで広くもない境内。
まだ夕方にもかかわらず、相変わらず人気は皆無で、何かを話すにはお誂え向きとも言える場所。
そんな神社の中で、アイは俺の一歩先へ飛び出し、まるで思い出を共有するみたいに語りかけてくる。
アイの話に俺は言葉を返せず、つい息をのんでしまう。
だってそれは、今アイが語ったのは友人にも両親にだって話したことのない、あさひと二人だけの秘密事。
何故か誰も来ない、誰もいないこの神社を隠れ家として扱っていた、二人だけの思い出のはず。
……いや、思い返してみれば、似たように語る場面は数度あった。
あさひと俺しか知らないはずの出来事を、自分は朝霧あさひではないと他人事みたいに幾度も。
それだけじゃない。
頭の良くない俺では深く考えても意味はないと、そういうものなのだろうと勝手に納得してしまっていたが、冷静に考えるといの一番におかしいと感じなければならない点があった。
イアもユウヒも、そしてアイも。
実現者と名乗る存在の悉くが、何故かあさひと瓜二つの容姿をしていること。
それがアイのついている嘘というのは、そういうのにも関係あるのだろうか。
「……どうして、お前がそれを知っているんだ?」
「ふふっ、どうしてだろうね? おかしいよね。アイはどこまでいっても朝霧あさひじゃないのにね」
くるりと振り向いたアイは俺の問いに答えてくれはせず、僅かに微笑んで誤魔化すだけ。
その仕草が、困った様に笑う彼女の姿が、やはりあさひと重なって。
まるであさひが俺にそう話しかけてきているのだと、そんなはずはないのに、そんな風に思えて仕方なかった。
「それで、話っていうのは何かな。……あ、もしかして告白!? いやーまいっちゃうなぁ。ダーリン一途だから無理かなぁって諦めてたけど、この数日で想像以上に好感度稼いじゃった感じかなぁ!? だったら神社じゃなくてもっと見晴らしの良い場所に──」
「違う。真面目に聞いてくれ、アイ」
「……冗談だって。ダーリンがアイに心変わりするなんて、そんな奇跡あり得ないもんね。だってちょっと無理してでも同じ高校に通っちゃうくらい、朝霧あさひのことが大好きなんだから」
今度はあさひですら知らないはずの、俺だけの心の内を暴露してくるアイ。
誰にも言ったことなんてないのに、どうして知っているんだと。
結構動揺してしまいながら、つい知っている理由を尋ねてしまいそうになりながらも、今はそうじゃないと軽く頬を叩いて気持ちを切り替え、口を開く。
「あの夜、ユウヒが俺に言ってきたんだ。お前は一つ、大きな嘘をついているって。……本当なのか? お前は俺を、騙しているのか?」
「……何それ。一緒に戦った相棒より、ちょろっと話しただけの実現者をことを信じちゃうんだ。あーあ、がっかり通り越して、ちょっと傷ついちゃうなぁ」
意を決して、俺が質問から数秒の後。
アイは大げさにため息をつき、ほんの一瞬を冷めた目つきをみせたと思えば、視線を外して参道に転がっていた小石を蹴飛ばして不満を態度に表わしてくる。
そんなアイの態度を前に、俺は身勝手にも、心が締め付けられるように苦しさを覚えてしまう。
そういう反応をされるのは分かっていた。予想なんて、いくらでも出来ていた。
それでもいざ目の当たりにすれば、取り返しのつかないことをしてしまったと悔やんでしまう。
この罪悪感は、果たしてアイ個人へのものなのか。
それとも幼少より恋い焦がれ、取り戻そうとしている朝霧あさひと同じ姿をしているせいなのか。
この痛みの源泉も分からないまま俯きそうだった自分を戒め、アイへと真っ直ぐ向き続ける。
例えアイを傷つけることになろうとも。
例えアイの信頼を裏切り、今の関係に罅を入れることになってしまっても。
無理に暴いた所で、何一つ変わらないどころか、むしろ何もかもが崩れてしまうかもしれない。
それでも聞くべき事だと思った。なあなあにしてはいけないと思った。
何よりアイのことを少しでも知らなければ、きっと俺は、戦いの場面でアイを信じることが出来なくなる。
そう決めたのは俺なのだから、彼女から目を逸らすことは許されない。それだけは、譲っちゃいけない一線だ。
「……頼む。このままじゃお前を信用出来るか分からない。だから教えてくれ、アイ」
「……そっか。うん、それがダーリンの望みなら、アイは出来るだけ応えるよ。だからお願い、アイにそんなに頭を下げないで?」
多分人生で一番深く頭を下げながら頼むと、アイはどこか諦めたようにそう諭してくる。
『まったく、信司は本当に仕方ないなぁ』
その優しげな声音が、いつかどこかで俺を許してくれた、あさひとそれとあまりにも酷似していて。
顔を上げれば、そこにあさひはいてくれるんじゃないかって。
そんな淡い希望を、ほんの一瞬でも抱いてしまった。──目の前にいるのはあさひではなくアイなのだと、もう何度も繰り返してきたはずなのに。
……違う、そうじゃない。
目の前の相手はアイなんだ。こんなときまであさひと重ねてしまうなんて、俺は何て最低な──。
「大丈夫だよダーリン。アイを朝霧あさひと重ねるのは、何もおかしいことじゃないから。だから顔を上げて。しっかりと、今のアイを見て。お願い」
つい抱いてしまった、人として最低な俺の心の内。
アイはそれを見透かしていると、優しげな声色のまま、俺に顔を上げるように話してくる。
罪悪感が胸を占める中、それでも声に従って、ゆっくりと顔を上げる。
顔を上げて、前を向いて。
変わらず目の前に立っていたアイは、どこか寂しげに微笑んで、ゆっくりと口を開く。
「……そうだね。ユウヒとかいう実現者がどこで知ったのかは知らないけど、きっとあれを指すのなら、確かにアイはダーリンに嘘をついていることになるのかな。アイにとっては大切な秘密でしかないけれど、ダーリンや誰かにとっては嘘とか裏切りとか、捉えようによってはそうなっちゃうのかもしれないね」
アイはぽつぽつと、言葉を選ぶように途切れ途切れになりながら、それでも確かに語ってくれる。
アイの言う秘密。俺にとって、大きな嘘かもしれない何か。
それは確かにあるのだと、彼女はにへらと、困ったように笑いながらそれを事実と肯定した。
「それを話しては、くれないのか……?」
「ごめん、教えられない。教えたくないんだ。誰にも、ダーリンにも。これだけは、絶対に」
けれども。
それが何かを尋ねたとき、アイはこれ以上は話せない、話したくないと首を横に振ってくる。
まるで一番の宝物を、誰にも見せたくないと自分だけの場所に隠す子供のような。
そんな悪意とは違う、ちっぽけな意地による優しい拒否であると、俺はそんな風に感じてしまった。
「だけどね。言い訳がましいと自覚はあるけど、それでもこれだけは言わせて。アイはダーリンのことを騙そうとしているわけじゃない。陥れたいとか、弄びたいとか、悪意で隠しているわけじゃない。アイのことは信じられなかったとしても、それだけは、どうか信じて」
俺の目を真っ直ぐに見つめながら、アイはこちらへ願ってくる。
本当の姿のときに見せる赤い瞳とが違う、あさひと同じ濃褐色の瞳に、一切の揺らぎなく。
彼女の告白を、その場凌ぎの嘘と断ずるなど、俺には出来ない。
「……難しいだろ、そんなの」
「だよね。アイもそう思う。でも嬉しいよ。難しくても、無理だとは言わずにいてくれる。そんなダーリンのことが、アイは世界で一番好きなんだから」
アイの想いを嘘だとは思わない。けれどやはり、すぐに信じるなんて出来やしない。
それでも、俺の拒絶をアイは健気にも微笑んでくれる。
それでいいのだと。それが嬉しいのだと。どこまでも都合良い、自分が嫌いになりそうな、そんなひたむきな肯定を俺に。
──だから、俺は。
「……でも、お前に悪意がないことだけは分かる。まだ短い付き合いだけど、アイが俺を想ってくれる気持ちに嘘はないって、それだけは知っている。だから、信じたい。少しでも、寄り添いたい。それだけは嘘にしたくない。だから──」
「……え」
ゆっくりと、今心にあった思いの丈を、なるべくそのままの形で言葉にして。
「だから、改めて頼む。俺と一緒に戦って欲しい。アイ、本当の意味でお前の契約者にならせて欲しい。最後まで一緒に戦う、相棒でいさせて欲しい」
そうして俺は、もう一度頭を下げる。
誰もいない神社の境内で。まるで愛の告白のように手を伸ばし、彼女の返事を待ち続ける。
そんな俺に、アイは意外そうな声を漏らしてくる。
きっと俺がもう一度、頭を下げるだなんて考えていなかったのだろう。もしも顔が見えたのなら、きっと相当な困惑を露わにしているのだろう。
……結局、簡単なことだったのだ。
人に話せないことなんて、俺にだっていっぱいある。
両親にだって、とおるや南にだって、雅乃宮先輩にだって。──それこそ、あさひにだって。
誰にだって抱える秘密はきっとある。誰かから見たら、きっとそれは嘘でしかないのかもしれない。けれどもそれは、決して悪意で為されるばかりではないはずだ。
考えてみたら当たり前のこと。
なのにそう思えず、自分が秘匿される側に回った瞬間問い詰めてしまった。それは紛うことなき、悪でしかない。
何かを隠すことは、誰かの悪になるのかも知れない。
けれど暴くことだけが正義ではない。尊重し、話したくなるまで横にある。そんな善だってある。
……例え、アイの好意に応えることは出来ずとも。
いつか本当に騙されることになり、互いが互いのために、訣別することになるのだとしても。
せめてそれまでは、そうあれる関係でありたいと。
疑惑ではなく信頼で紡がれた関係で一緒にいたいと。だから頭を下げて、この手を伸ばすのだ。
「……ありがとう。その言葉だけで、その誘いだけで、きっとアイは救われる。一緒に」
そうして頭を下げて、永劫と思える時間を体感した後、アイはこちらへ歩み手を握ってくれる。
優しくではなく、ガッシリと。
例えいつかは離れるかもしれなくても。それでもせめて戦いの最中だけは、この手が離れることのないようにと。そう願うみたいに、強く、固く。
ドクンと、何かが跳ねる感覚がした。
体内のどこかも分からない、それでも確かにあるどこかで、何かが熱く太くなったような、そんな気がした。
「じゃあアイからも一つだけ。あのヘンテコ女が言うような覚悟なんて、無理に出来なくてもいいんだよ。どんなときでも人を殺すことを迷える、そんなダーリンだからアイは好きなの。あなたの手を血で染めないために、アイはいるんだから。それだけは、忘れないでね」
やがてアイは諭すようにそれだけ言い、微かに微笑んでからゆっくりと手を放す。
「よし、それじゃ帰ろっか! あー、何かいっぱいお話したら、お腹減っちゃったなぁ! 夜ご飯何かなぁ?」
「……まだ夕方だし。というかお前、帰る前にお前弁当食べていけよ。手もつけられてないとか、美咲さん泣くぞ?」
「……あ! まあ大丈夫大丈夫! お弁当は今食べて、夜もいっぱい食べる! それでみんな幸せだね!」
妙案だと、アイは鞄からお弁当取り出してから、本殿前の石階段へと駆け出していく。
そんな背中を眺めつつ、今アイの言ってくれたことを何度も咀嚼しながら、ゆっくりとアイの元へと歩き出した。




