十月四日 1
イアのせいか、ユウヒのせいか、それともアイのせいか。
ともかく、実現者のせいであまりよく眠れず、つい欠伸が出てしまう。
四限の物理は、高校の授業の中でも一二を争う苦痛の時間。
それなのに、この眠気と空腹が、いつも以上に勉学への集中を削いで仕方ない。
まず声も容姿もキザって感じでちょっと鼻につく、六郎先生の説明があんまり頭に入ってくれない。
その上ただでさえ中学の頃から苦手だった理系科目に加え、あさひと一緒の高校に通うために自分の頭より少し上の高校に入ってしまったせいか、本当に理解が追いつかない場面が多々存在する始末。
高校入って最初の中間テストで赤点を取ってしまったこともあるせいか、すっかりと頭が苦手意識を覚えてしまっていて、あんまり成績良くないとおるをとやかく言えるほどの成績を持っていないのが現状なのだ。
……そんな他の科目の三割増しに、必死こいて齧り付かなくてはならない授業だというのに。
『それで? まぬけで不用心な夜刀神は、早速よその実現者に自宅を突き止められただけに収まらず、命だけじゃなく情報提供なんて情けをかけられ、挙げ句そのまま逃がしてしまったと?』
『……はい』
『体たらくここに極まれりね。冬のナマズだってもう少しましな働きをするでしょう』
やれやれね、と。
内側に伝わる呆れのため息と、チクチクと突いてくる悪態のせいでどうにも授業どころではない。
昨日と同じように不可視の鈍色を一方的に繋いで話しかけてきた雅乃宮先輩に、どうせなら昼休みに報告しようと思っていた昨夜の話をしてしまったのが運の尽き。
話題を間違えたと、こんなにもそう思えてしまったのは多分人生で三度目。
中学の頃にあさひにしてしまった黒歴史的あれ。そして小学校の頃に父に浮気容疑(誤解で終わった)がかかったとき、不機嫌ピークだった母さんについ父さんの話しを振ってしまったあのとき以来。
……いや、冷静になってしまえば、あの二つと比べたらこんなの全然マシか。
あの話をしてしまった後、あさひには頬に紅葉跡付けられ、その上一週間くらい無視されて。
そして母さんのときはその日の夕食の味がしなかったし、何ならずっと恐怖で震えていたんだから、こんなの些末も良いところ。……ほんと、思い出したくない黒歴史だ。
『……ま、命があったのなら何よりよ。それにしても、黒漆学園……ねえ? どういうつもりかは知らないけれど、そのユウヒってやつもまた面倒な場所をチョイスしてくれたわ』
そんなこんなで、五分ほどでようやく吐き出し終えてくれたのか。
雅乃宮先輩は、ほんのちょっぴりの気遣いで話を締めてから、酷く億劫そうに呟いてくる。
『一応言っておくけど、多分何もないわよ? 昨日言ったでしょ、手がかりなしって。あいつがコスプレ染みてたとはいえセーラー服を着ていたし、この街の高校中学の制服を一通り調べはしたけど、どこもあんな派手な色合いじゃなかったもの』
『……色だけ染めたって可能性は?』
『そこまでは何とも。写真を撮れるような余裕もなかったし、記憶頼りじゃ調べるには限度がある。そもそもセーラー服自体意味のないコスプレ、ただの好みやミスリードな可能性だってあるもの。一シーンしか思い出せないから検索さえ難しい映画のように、服装から何かを割り出すにしたってもう少し情報がないことには始まらないわ』
例えが合っているのかは分からないが、まあその言い分はもっともだろう。
相手の恰好に意味を見出し、手がかりとするのは捜査の定石ではあるが、同時に危険も孕んでいる。
少なくとも、俺がイアの契約者だったら、そんなヘマがないよう汎用性のある服にさせるはず。
アイのようにあさひの代わりをしてもらっているとかでもなければ、真っ黒なセーラー服なんて特徴的すぎる恰好にさせる理由なんてどこにもないはずだ。
……或いはその服装でなくてはならない、曲げたくない思い入れがあるとか。
それか単純に、契約者の制服趣味だから着させている……は、流石にないか。殺し合い中にそんな呑気するやる、いたら胆力分けてもらいたい所だ。
『……まあでも、私が調べたのなんて所詮はネット囓りの胡乱。誰かの手のひらで踊るのは癪極まりないけれど、律儀に時間指定までされてしまってるんだから、現地に趣かない理由にはならないか。──いいわ、行きましょう。お望みどおり、今日今すぐに』
納得したような口振りの後、先輩はこちらの返事も聞かず、ブチリと急に通話が切ってしまう。
……気のせいかな。なんかすごい嫌な予感がするんだけど、まさかね──。
「失礼するわ。夜刀神、それと……朝霧さん。迎えに来たあげたから、早く支度しなさいな」
思い浮かんでしまった想像を頭を振って振り払おうとした、まさにその瞬間だった。
教室中へ響く、大きくなくとも凜とした美声。
何故か名前を呼ばれてしまったせいか、びくりと肩を震わしながら声の方を向けば、なんと教室前方の入り口に、雅乃宮先輩の姿を見つけてしまった。
……いや、今すぐってほんとに今すぐかよ。まだ四時限目、終わってないんだけど?
「雅乃宮、雅乃宮先輩だぁ……!!」
「どうして夜刀神を……!? やっぱり夜刀神、変な薬で先輩を堕としたんじゃ……!!」
「雅乃宮、どうしてここに……」
「気にしないでください、六郞先生。実は私と夜刀神、それと朝霧さんに共通の用件が出来てしまったので、二人とも早退でお願いします。ほら二人とも、行くわよ」
ざわつく教室。動揺する六郞先生。
だが雅乃宮先輩はそれらの注目をものともせず、まるで優等生みたいに話をつけてしまう。
どういうことかと、こちらへ尋ねるような目を向けてくるアイ。
詳しいことは後で話すから、ひとまずは従って欲しいと。
そんな意味合いで小さく頷いてみると、アイは分かったとばかりに微笑み、颯爽と準備を済ませて席から立ってくれる。
……良かった。ちょっと無理かなと思ってたけど、これでもちゃんと伝わってくれた。
「おい信司。何か顔険しいけど、大丈夫か?」
「……大丈夫だよ。雅乃宮先輩が急に教室来たから、ちょっと驚いただけ」
「そらそうか。ま、何かあったら相談しろよ? あ、実は野球部入りたいけど今更素直になりにくい……みたいな悩みだったら、いつでもどこでも大歓迎だからな!」
「……サンキュ。気が向いたら相談するよ。あとよろしく」
立ち去る間際、心配してくれたとおるに軽く手を振り、二人と合流して教室を後にする。
ここは廊下でまだ授業中だというのに、どことなく感じてしまう視線。
廊下より黒板見てろよと、居心地の悪さに心の中でつい愚痴ったりしながら学校を後にして、黒漆学園へ向かうべき駅まで歩いていく。
「ぶーぶー。もうすぐお弁当だったのにぃ。そんなに気になるなら、一人で行ってくればいいじゃんか」
「……あの、せめて昼休み入ってからでも良かったんじゃ……」
「嫌よ。思い当たったら吉日、その日に動けなきゃただの愚鈍。この雅乃宮雅の辞書には十歳の頃からそう書かれているもの。大体イアと出くわしてしまったときを想定するなら、貴重な戦力を連れて行かないわけにはいかないでしょう?」
道すがらに事情を説明するも、納得出来ないと頬を膨らまして不満を訴えてくるアイ。
彼女ほど露骨ではないが、流石に急ではないかと苦言を呈してしまうも、先輩はやれやれと逆にこちらへ呆れを見せてくる。
「それに、人生で一回くらいはしてみたかったの。どこにでもある安い青春映画のように、お友達と学校をふけて何かするっていう非行を。ふふっ、なんだか楽しそうじゃない?」
まるでそちらが本命とでも言うみたいに、雅乃宮先輩は冗談めいた口調で微笑んでみせてくる。
大人びた彼女が垣間見せた、童女のように華やかな表情。
こういうのがギャップなんだろうなと、ついドキリとしてしまった直後、ドスリと横から脇腹を小突かれてしまう。
「ダーリン、浮気は駄目だよ?」
してない、してないから。
……いや、そもそもなんであさひじゃなくてアイに釈明してるんだろうな。どうせするならあさひにしたいわ。
適度に雑談しながら、電車に乗ってしばらく揺られると、最寄りである黒漆学園前駅へ。
学校と同じ名前の駅から五分程度歩けば、あっという間に目的地である学び舎は姿を現わしてくれる。
「で、でけえ……」
校門前からだと全貌の窺えない、こんなに必要あるのかと首を傾げたくなるほど広大な敷地。
歴史と趣きを感じさせる厳かな校門に、古さを感じさせない大きな校舎。
まるで大学かなんかと勘違いしてしまいそうになるほど圧倒的は規模感は、さながら創作にあるような上流貴族ばかりの別世界。
それこそ俺達の通っている七ヶ原高校など、ちっぽけでオンボロなプレハブ小屋とでもつい比較し嘆きたくなってしまうくらいだ。
……金持ちってこんな所通うんだなぁ。そんで名前と違って、校舎が黒いわけじゃないんだなぁ。
「創立八十三年。敷地面積は七ヶ原高校の二倍以上。ま、もっとも中等部まで含まれているからこっちが立派なんて一概には言えないし、最近は生徒数の減少で規模の縮小も視野に入っているらしいけど、流石に箱入り溢れるザ・お嬢さま学校って感じよね。むかつく」
目の前の大規模施設を前に、どうでもいい感想を抱きながら立ち尽くすだけの俺と違い。
けれど雅乃宮先輩は腕を組みながら、目の前の学園へ忌々しそうに睨み付け、何か恨みでもあるみたいに舌を打つばかり。
……そんなに嫌うなんて、何か因縁でもあるのだろうか。
「さ、ここからどうしましょう。別にアポとか取ってるわけでもないし、こんな私立はちょっと話せば見学させてくれますなんて杜撰な管理してないもの」
「……え、作戦とかないんですか? 行き当たりばったりなのに、そんなに自信満々だったんです?」
「ええ、この行動力が健全に生きる秘訣だもの。──さてと、サダメ」
気持ちを切り替えたのか、綺麗な黒髪を靡かせながら、パチンと指を鳴らす先輩。
次の瞬間、先輩の持っていた鞄から飛び出してきた鈍色は、彼女の身体をカーテンのように覆い隠してしまう。
「ドレスアップ。雅乃宮雅、黒漆モード爆譚。うーん、我ながら十全に着こなせてしまうのが憎らしい。美人が着ればどんな服も等しく引き立て役になってしまうのは、いつの時代も悲しい性よね」
一体何を、と。
そう思いながら数秒経つと、鈍色は小さく一扇子の形へと変わっていき、先輩の姿が露わになる。
紺色を基調とし、空色の襟をしたセーラー服に丈の長いスカート。
まさしく記憶にあるとおり、黒漆学園の制服を着こなしている雅乃宮先輩は、上出来とばかりに目をしながら鈍色の扇子で口を隠しながら堂々と立っていた。
な、なんて早着替え……って、ここ一応外なんだけど、恥じらいとかないのかなこの人。
「あら、何その夏休みが終わって隣の地味子だったはずのオタク友達の席にビフォーアフターした美少女が座って挨拶してきたみたいな視線は。もしかして、見惚れちゃったかしら?」
「……いや、先輩はこっちの方が似合うなって──いで、いでででっ!」
「ちょっとダーリン! なにヘンテコ女に見入っちゃってんの!? 浮気は駄目なんだから!」
「あら、事実とはいえ悪くない讃辞よ。あと三十年若ければなんて、未成年の青臭い告白を微笑ましく流す老人のような気持ちだわ。どうぞ存分に褒めなさい、おーっほっほ!」
……ごめん、理解したいけど本当に分からない。それ、どんな気持ちなの?
「それじゃ夜刀神、空間展開して潜入するわよ。例え外からでも、二人分の空間ならこの馬鹿みたいに大きな学び舎でも包み込めるでしょう」
「え゛っ」
そうしてセーラー服姿の先輩からされた、あまりに容赦ない提案につい変な声が出てしまう。
どうなんだそれは。やっていのかそれは。そんなの、もろくそ空間の悪用じゃないか。
この戦いの出資者とやらも、そんなことのために実装したわけじゃないと思うdけど。
というか先輩は女性だからまだいいだけど、男の俺がそんなことしたら本当にあれなんじゃ──。
「え、いや、それは流石に駄目でしょ……」
「今更四の五の言わないの。別に制服泥棒や着替え中の生徒を盗撮に行くわけじゃあないんだし、バレなきゃさしたる黒にならないわ。もしバレるとしたら学園内に契約者がいるときだけど……それならそれで好都合。パンを咥えながら曲がり角でぶつかって始まるラブコメみたいに、ここで運命染みた決着をつけるならそれはそれで結構よ」
俺の常識に基づいた葛藤を、無価値とばかりに急かしてくる先輩。
どうしてそこまで割り切れてしまうのかと。
心の底からドン引きしつつ、アイへ助けを求めるよう視線を送ってみるが、任せると親指を立てるだけ。
「じゃ、じゃあ二人で行ってきなよ。俺は外で待ってるから」
「駄目だよダーリン。ダーリンを一人にしたら、万が一があるかもしれないんだよ?」
に、憎い……!! この中で一番弱い自分が、今まで一番憎くてたまらない……!!
「ほら、早く覚悟決めなさいよ。あんまり駄々捏ねてると、校門前で狼狽えてる不審者として通報されるわよ? ほらあそこ、訝しげにこちらを睨んでいる警備員がいるけど……ああ、今にもこっちに来ようと──」
「……あーわかった! わかりましたよ! やればいいんでしょやれば! アイ、空間展開っ!」
「アイアイサー! うおー、展開ー!」
悪いことだと理解しているが、それでもここまで来て何もしないわけにはいかないと。
誰へかよく分からないが、それでも心の中でごめんなさいと謝りつつ。
半ばやけくそと声を荒げアイへ頼めば、彼女は待ってましたと二つ返事で了承してくれる。
アイによって展開され、俺達を呑み込みながら広がる不可視の空間。
それは雅乃宮先輩の鈍色によって展開される空間と合体し、あっという間に黒漆学園を包み込んでいく。
「それじゃ行きましょう。他の相手に見つからないよう迅速に。機密文書を求めるスパイが如く身長かつ大胆に……嗚呼、こういうの、本当にわくわくするわね!」
「ねえヘンテコ女。アイの分の制服はないわけ?」
「そんなのあるわけじゃない。大体実現者なら、服装の一つや二つ簡単に変えてみせなさいよ」
「アイはそういうの出来ないっての。……ちぇ、仕方ないか」
何か人として大事な物を失ったなと。
早々に校門を越えていってしまった二人の背を見つめながら、とぼとぼと後に続いていく。
……本当にごめんなさい、黒漆学園の皆さん。
本当に何も盗らないし撮らないから、どうか少しだけ見学することをお許しください。……はあっ。




