十月三日 4
焼き鳥屋での食事を終えた後、結局その場はすぐに解散となった。
電車に揺られ、馴染みある通学路の範囲に戻ってきたときに、つい感じてしまった懐かしさ。
七ヶ原ストリートにいた時間なんて、それこそ学校よりも短い半日以下の短い時間でしかないというのに、どうしてか長い旅を終えて故郷に帰ってきたような、そんな心持ちだった。
「それじゃダーリン? ちゃんと歯を磨いて、お風呂は百秒以上浸かって、きちんと毛布をかけてアイのことを考えながら寝るんだよ? そうすれば夢の中でも二人っきりで蜜月を……あーん、やっぱりお家帰りたくなーい! ダーリンずっと一緒にいたいよー!」
「うっさい。はよ帰れ」
「いやーん♡」
安全のために、うちまで送ってくれたことには感謝しつつ。
それはそれとして駄々をこねてくるアイに、あさひの姿でそんな風にしないで欲しいと妙に冷めた気持ちをしながら強引に家へと帰し、家の扉を開ける。
「あら早いわね。……フラれた?」
「やかましい」
開口一番に茶化してくる母さんを流しながら、部屋に戻って制服を脱ぎ、着替えを持って風呂場へ。
別にアイの母親みたいな注意を聞いたわけじゃないが。
それでも気持ち長めに湯船に浸かりながら身体を解し、風呂から出て歯を磨き、そうして自室へと戻った頃には部屋の時計は二十三時を超えてしまっていた。
「……なんか、疲れたな」
布団を敷き、眠気がピークを迎えるまでの間。
手持ち無沙汰になった俺は、二階にある自室の窓から空を覗きながら、ふと呟いてしまう。
一昨日は手紙を貰っての殺し合い。
昨日は突然学校を襲撃され、殺し合い。
そして今日は七ヶ原ストリートで遊ぶことになるなんて、誰が予想出来ただろうか。
朝の体調不良からは考えられないくらいハードで……まあ、結構悪くない一日だった。
とおるも南も部活あるし、友達と七ヶ原ストリートを回るのなんて初めてだったから、凄惨な戦いの最中とは思えないくらい新鮮な一日だったと、心から思えてしまう自分がいる。
……ここに本物のあさひがいれば、もっと楽しかっただろうにな。
「やあ。月が少し物足りないけどいい夜だね、お兄ちゃん」
「うわぁ!?」
黄昏れ飽きて、少し身体も冷えてきたように思えた頃。
そろそろ寝ようと窓を閉めようとした、まさにそのときだった。
突然窓の外から夜の静寂を裂いた、陽気な問いかけ。
そして次の瞬間、窓の外に現れた逆さに釣り下がった人の姿に、思わず声を上げ椅子から飛び退いてしまう。
空色の短髪と瞳、少女らしくもあり少年らしくもある爽やかな声色。
小学校の頃に体育で着ていた見覚えのある赤白帽子と半袖短パンを身に纏いながら、無骨な太い黒棒──大型の狙撃銃を背負う、アンバランス極まりない小さな来訪者。
髪と瞳の色こそ別物だが、その姿はまるで小学生の頃のあさひのよう。
まだ男子に混じって遊んでも違和感のなかった、性に頓着のなかったあの頃のあさひに瓜二つ。
俺が一番素直に、実直に、下心なんてなくあさひと接することの出来ていたはずの、あの頃のあさひが見せてくれていた笑顔とそっくりに笑う存在が、突如として俺の部屋へと現れたのだ。
──だが、目の前のそれがあさひでないことは、誰よりも俺が理解出来る。出来てしまう。
恐らく、こいつは実現者。
アイは先輩の鈍色、そしてあの黒い翼のイアと同じ理外の怪物。
まずい、まずいまずい。自宅を特定された。どうする、アイを呼ぼうにもそんな暇なんて──。
「うーん、驚かせちゃったかな。あ、ちょっと失礼するね。お邪魔しまーす」
眠気も吹き飛び、心臓が張り裂けそうなほど鼓動し、思考はこの状況に急覚醒して渦巻く。
けれど目の前の実現者であろう子供は、そんな俺の心中などお構いなしにクルリと部屋の中へ着地し、手を額に翳してキョロキョロと見回していく。
「おー、中々綺麗にしてるんだねぇ。ユウヒの契約者とは大違い……あ、バットとグローブ! お兄ちゃん野球やるの!? 野球良いよねー。ユウヒはどうしてか、試合より素振りやキャッチボール見てる方が好きなんだけどね」
「……お前は、実現者なのか?」
「ノンノン、そんな無愛想な呼び方しないでよ。ユウヒにはユウヒって名前があるんだからね。はいお兄ちゃん、リピートアフターミー! ユ・ウ・ヒ? おっけい?」
ちっちっちっ、と。
わざとらしく立てた人差し指を揺らし、自らユウヒと名乗ったその子供は、「はいどうぞ」と手のひらを差し出し復唱を求めてくる。
今のところ、目の前の相手に戦意は見られないが、だからどうしたでしかない。
ここはアイが気付いてくれるという万に一つの可能性へかけ、逆らうべきではないと名を呼べば、キュルンと空色の瞳を輝かせて満足そうに頷いてみせてきた。
「……お前は俺を、殺しに来たのか?」
「まさか。だったら声なんて掛けずとも、お兄ちゃんの実現者が気付く前にこの大きな玩具でズドン! ……そうでしょ?」
こちらが全力で警戒しながら尋ねると、ユウヒはやれやれと手を上げながら首を振り。
次の瞬間には背から手に取った銃をクルクルとバトンみたいに回して見せたと思えば、俊敏な動きで銃口を向けたと思えば、ケラケラケラと悪戯が成功したみたいににやついてくる。
……どうやら本当に殺す意志はないらしいが、だからといって警戒を解けるわけがない。
だってアイやイアのような存在なら、武器なんかなくたって人一人なんて簡単に殺してしまうはず。
どうする、どうすればいい。どうにかしてアイに気付いてもらわないと……!!
「ああ、期待してる所悪いけれど、お兄ちゃんの実現者はもうしばらくは来ないよ? ユウヒは生まれながらに気配が薄くてね。そのせいか、ユウヒの周囲も人から認識されにくくなっちゃうんだよ。もっともあの実現者なら、いつ嗅ぎつけるか分かったもんじゃないけどね?」
回し続けていた思考を遮ってきたユウヒは、「どっこいせ」と声に出しながら俺が先ほどまで座っていた椅子に腰掛けてしまう。
足が地に付かず、プランプランと揺れる様は正しく幼子のそれ。
そんなユウヒの姿に多少毒気抜かれてしまいそうになるも、それでもたった今言われた絶望的すぎる宣告に、その場へ立ち尽くすしか出来なかった。
「警戒しなくても大丈夫だよ? 今日はね、戦いに来たわけじゃない。ただお兄ちゃんへ助言に来たんだ。お兄ちゃんがこの戦いを有利に進めるための情報提供。どう、嬉しいでしょ?」
「……何を、言っているんだ?」
「うーん。詳しいことはよく知らないけど、ユウヒの契約者の意向なんだ。この戦いを勝ち残り、最後へ駒を進めるのは君であるべきだって。ほんと、どういうことなんだろうね?」
ユウヒはこちらを真っ直ぐ見つめ、ゆらゆらと身体を揺らしながら首を傾げてしまう。
どういうことなんだ、契約者の意向……?
「まあそういうわけで……あんまり遊んでるとお兄ちゃんの実現者が来ちゃいそうだし、早速行きましょう、ジャジャーン! なんとなんとー、今回のラッキー情報は二つ! どっちから聞きたい? どっちでもいい? じゃあまずは知りたそうな情報からプレゼントしちゃいましょう!」
そう言った瞬間、膝に置いていた狙撃銃をこちらへ向けて引き金を引いてくる。
パンと、妙に軽い渇いた音が響いたと理解するよりも前に、本能から目を閉じて身構えてしまう。
撃たれた。その事実だけが、鮮烈に突き刺さり、身体よりも心が自身の死を確信させる。
けれど、いつまでも衝撃や痛みが襲ってくることはなく。
今、何が起きたのかと。
ドッと湧いた冷や汗の感触を妙に認識してしまいながら、それでも現状を確かめるべく少しずつ目を開けようとした瞬間、ふさりと頭の上に何かが被さってくる。
躊躇いながら、それでもゆっくりと頭から取り、薄らを目を開けながら確かめてみる。
自らの手にあったのは、トランプほどの大きさな一枚のカード。
黒漆学園、明日の昼間と。
右下にデフォルメされた笑顔のユウヒ描かれているそのカードの中央には、ただそれだけが書かれていた。
「黒漆、学園……?」
「そのとおり! 偏差値六十二! 全校生徒五百三十七名! 七ヶ原にある三つの高校の中で最も伝統と学力を揃えたお嬢さま学校! 次にお兄ちゃん達が調べるべきはここだって、ユウヒの契約者はそう占ってくれたんだ! どう? すごいでしょ!」
ユウヒは自分の契約者を誇るように、キラキラと目を輝かせながら話してくる。
……確かに、確かにイアはセーラー服を着てはいた。
でもあんなに真っ黒な、コスプレくらいでしか縁のなさそうなセーラー服なんてこの街じゃ見たことがない。黒漆の生徒と何度かすれ違ったことはあるが、あんな個性的な制服ではなかったはずだ。
信じていいのか。
騙し弄ぼうとしているのか。
それとも真実だとして、何故俺に伝えてくるのだろうか。
分からない。目の前の存在の言葉の真意、その何もかもが分からないのが何よりも怖い。
人が一番恐れるのは見える絶望ではなく未知への不安だと、この瞬間何よりも痛感してしまう。
「……うわ、もう気付いちゃうんだ。やっぱりおっかないね、お兄ちゃんの実現者は」
とにかく一つも情報を引き出すべきだと。
回らない頭で必死にするべき質問を考えていると、ユウヒは俺から視線を外し、自分の入ってきた窓の外──あさひの家の方向へと首を向け、心底嫌そうに顔を歪めてしまう。
「それじゃ、シーユーアゲインだよお兄ちゃん! お兄ちゃんのこと気に入ったから、次に会うときも敵同士じゃないといいな!」
「あ、おい!」
「あ、それともう一つね。──お兄ちゃんの実現者は一つ、大きな嘘をついているよ。気をつけてね」
「……は?」
勢いよく立ち上がったユウヒは、最後にそう言い残し、一目散に窓から飛び降りてしまう。
慌てて窓から下を見るも、既にユウヒは逃げてしまったのか、走る姿さえどこにもなく。
あんなにも喧しかったのに急に静かになったと、とりあえず助かったのだと。
理解が現実に追いついたのか、ドッと膝から力が抜け、そのまま布団に尻もち付いてしまった。
そのときだった。
窓の外から金色の何かが一気に部屋へと入ったと思った瞬間、俺の身体はその飛来物に布団に転がされてしまったのは。
「ダーリン! ダーリン大丈夫!? 怪我とかない!? なにかされてない!?」
布団に倒された俺へと覆い被さり、額がくっつきそうなくらい覗き込んでくるのは、立派な白翼を背に宿した金髪赤目の美少女。
赤い宝石のように綺麗な瞳を潤ませ、俺の無事へ心の底から安堵の表情を浮かべてくるアイ。
このアイが嘘を、ついている……?
「ちょっとうるさいわ……あら、あらあらあら?」
懸念の最中、不意に開く部屋の扉。
その先に立っていた、不機嫌な顔をした母さんは、こちらを数秒見つめ、段々と口角を緩ませてくる。
……まずい、アイを見られた。こんなの、なんて説明すれば……!!
「……私的にはコスプレはマンネリを迎えてからの方がいいと思うわよ。それと汚れるから、自室でヤるなら布団にはシーツをかけて、声はなるべく小さめに……ああ、もちろんゴムはしっかり付けるのよ? それじゃ、私は何も見なかったから。お休みー」
「え、あー待って! 違う、違うから! 本当に違うんだって! ねえちょっと!」
きっとアイの真の姿が、あさひと瓜二つだったせいでもあるのだろう。
変な誤解をしながら、ひらひらと手を振って扉を閉めようとしてくる母さん。
そんな母につい手を伸ばして誤解だと声を荒げてしまうも、母さんは分かっているとばかりに親指を立て、軽くウィンクしてから部屋の扉を閉めてしまう。
まずい。まずいまずいまずい!
なんか助かったようで全然助かってないし、むしろ更に酷い誤解されたんだけど……!?
「……このまましちゃっても、いいよ?」
「しない! しないから降りて! 降りろ!」
「いやーん♡」
これ以上は本当にあさひに顔向けできなくなりそうだと。
恥ずかしそうに頬を赤らめながら見下ろしてくるアイを、自らの尊厳をかけて押し退ける。
助かったのか助かってないのか。
本当に良く分からない、最後まで中身たっぷりで疲労しかない、そんな一日の終わりだった。




