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十月三日 1

「──なさい。お・き・な・さ・いッ!!」

「うへぇ!?」


 脳まで通るほどやかましい怒声。そして乱雑に毛布を剝がされ、反射で飛び起きてしまう。

 あまりに強引な、有無を言わさぬ起こし方。

 母さんは基本自己責任と起こしてくれないので、こんなにも乱暴に起こされたのは確か中学の卒業式当日。寒いし眠いと毛布にくるまっていた俺を、あさひの般若の如き顔と怒号に起こされたあの日以来か。


 ……あれ、でも待ってくれ。

 あさひは今いないし、そもそも今の声はあさひのそれとは全然違う。

 あさひより凜々しくて、厚みがあって、棘があって。例えるのなら、まるであのドキツい雅乃宮(みやびのみや)先輩のような──。


「ようやく起きたわね。この雅乃宮雅のモーニングコールなんて幾億積んでもそう出会えない奇跡を経験したとは思えない、食事前のナマケモノのようなアホ面で何よりよ」


 まだ回り出してくれない頭を抱えながら。

 それでも薄らと目を開けて確かめてみると、そこにいたのはあさひでもあさひの姿をしたアイでもなく。

 両手に剥ぎ取った毛布を持ちながら、底冷えしそうな冷たい目で見下ろしてくる制服姿の美少女。最初の想像通り、雅乃宮先輩その人が、何故か俺の部屋に堂々と立っていた。


 ……ああ、そういえば今日は部活だから、代わりに先輩が来てくれるって言ってたな。あれ、本当だったんだ。


「おはよう夜刀神(やとがみ)。まるで最後に残しておいた好物を無神経な友人に食べられてしまったときのような、とっても貴方らしさに溢れた冴えない寝起きで結構よ」

「おはようござ──ぐべっ」

「挨拶は結構。とにかく顔洗って、早く食事にしなさいな。貴方のせいで三年連続皆勤賞を逃したりでもしたら、きっと私は約束の日を待たずして貴方を殺してしまうでしょうね。ふんだ」


 不満げに鼻を鳴らした先輩から数本の鈍色が伸びたと思えば、次の瞬間には身体はごろりと床へ。

 テーブルクロスを引くみたいに布団を抜いた先輩は、抗う暇なく床へと転がされてしまった俺をそっちのけに、鈍色を操りテキパキと布団を畳んでいってしまう。


 そばに置かれた時計と手に取れば、示す時間は七時二十分。

 ……まだ眠いし、ちょっと頭が怠い気もする。けど、先輩に悪いしひとまずは起きないと。

 それにしても、最後に残しておいた好物を友人に食べられた顔とは中々酷い例えだ。最近色々ありすぎたし、寝るのが遅くなっちゃったから疲れてるんだろうか。ただの罵倒でもおかしくはないか。


「ちょっと信司(しんじ)ぃ。なにあの子、すっごく綺麗じゃない! どういう関係!?」

「……他人以上、友人未満」

「嘘おっしゃい! でもあの雅乃宮さん……どことなくあさひちゃんに似てるわよね。母親的には息子の癖を垣間見ちゃったようで複雑な心境ねぇ」

 

 言われるがままに洗面所で顔を洗うも、どうにもまだ気怠さは抜けてくれず。

 相変わらず朝から元気な母親の戯れ言を流しながら、とりあえず体温計を使ってみるが平熱だったので、思い過ごしと既に出来上がっていた朝食をテーブルへと運んで席に座る。

 

 目玉焼きの乗ったトーストが二枚。

 シンプルだが朝食。いつもなら屁でもないし、部活やってた頃はこれじゃあ足りない日だってあったが、あまり食欲のない今日に限って量を調整出来ないメニューなのが少し憎たらしいと思ってしまう。


『昨夜七ヶ原(なながはら)市にて、血を流して倒れていた女性が発見されました。被害者の女性は意識不明の状態で搬送されましたが、無事一命を取り留めたとのことです。七ヶ原市でも今月に入って既に二件、警察は犯人は潜伏している可能性があると各地注意を呼びかけています。では次のニュース、今日のトピックは──』


「物騒な世の中ね。戦いに関係がないといいのだけど」

「そ、そうですね。……えっと、何か?」

「いえ別に。案外育ちが良いと感心していたのよ。是非ご両親に感謝しなさいな」


 とはいえ、残すと母さんがうるさいと。

 いつもと同じチャンネルでテレビのニュースをBGMに。気合いを入れて朝食を進める最中。

 たまに来るあさひの定位置──正面を席へと座った雅乃宮先輩が、頬杖を突いてこちらを見つめてくることに、酷い違和感を覚えてしまう。

 

 いつもあさひか家族しかいない席に、今日は雅乃宮先輩という他人がいる。

 薄らと目を細め、こちらを観察してくるみたいな先輩の視線と存在は、ここが自宅であっても酷く居心地悪くなるもので。

 美人な先輩に起こされて朝食を共にする、なんて嫉妬されそうなシチュエーションではあっても、気持ちが上がることはなかった。


「またね花菜(はな)ちゃん! あ、それと信司! うちの家系は一夫多妻NGだからちゃんと選びなさいよー!」

 

 それでも何とか完食し、朝の支度を済ませて家を出たのは既に八時手前。

 俺が一人のときはそんなことしないのに、今日に限って母さんがデリカシーない見送りを背に感じていると、ただでさえ体調が優れない朝が更に憂鬱になってしまう。


「ふふっ、随分愉快なお母様をお持ちね。貴方のことは偶然拾ったちょっと綺麗な石ころくらいに気に入ってるけど、花菜(はな)さんとはとても親しくなれそう。お料理教室にも誘われちゃったわ」

「……そりゃどうも」


 くすくすと、隣を歩きながら愉しげに微笑む雅乃宮先輩。

 どうやら本当に仲良くなったようなのだが、あの母とこの先輩の何の気が合ったのだろうか。


 ……そういえば、あさひ以外の女性と二人で登校するなんて初めてだったか。

 あさひも周囲の目を引く美人ではあったが、雅乃宮先輩は身長のせいか纏う存在感が違うのか、やけに周囲の視線を集めているような気がする。


 だというのに。

 相手は美人で初めてのデートみたいな登校だというのに、緊張自体はあんまりしていないのは相手が雅乃宮先輩だからだろうか。それともちょっぴり体調がよろしくないせいだろうか。


「言い忘れてましたけど、今日はありがとうございます」

「まったくよ。それにしても、貴方の実現者(ネブラー)はどんな精神構造しているのかしら。いくら同盟を結んだとはいえ、昨日今日の関係でしかない私に契約者を任せて部活優先とか、宝くじ当てて人生一発逆転を本気で人生に組み込む負け犬くらい正気とは思えないんだけど?」

「……まあ、俺が頼んだことなんで、アイは悪くないです」

「ふうん? なら前言撤回するわ。おかしいのは実現者(ネブラー)ではなく、貴方の精神構造なのね」

 

 やれやれと、雅乃宮先輩の直接的な侮蔑はアイをフォローした俺へと向けられてしまうが、これに関しては何も言えないので苦笑いを返すしかない。


 昨日一昨日の出来事があってなお、アイが近くにいないのは、自分の命の危機に繋がると理解はしている。

 この選択があまりに悠長だとも、馬鹿でしかないのが分からないほど俺も考えていないわけじゃない。

 それでも俺は、朝霧あさひという存在の積み重ねがないがしろにされるだけは、俺の命が損なわれる以上に勘弁ならなかったのだ。

 

『本当は部活なんてほっぽっちゃいたいんだけど……うーん、ダーリンがそう頼むなら……仕方ないにゃあ』


 イアのことがあったからか、もちろんアイは反対してきたが、最後には大きなため息と共に折れてくれた。

 本当に嫌そうではあったが、それでも雅乃宮先輩と一緒に登校するという条件で、部活に行ってと頼んだときの三倍くらい嫌そうに顔を歪めながら、それでも最後には仕方ないと了承してくれたのだ。


 ……本当、頭が上がらないよ。あいつはこんな自分勝手な人間の何が好きなんだろうな。


「そういえば、貴方の部屋の片隅にバットとグローブが立て掛けられていたわよね。侍が腰にすげる刀を自らの魂とするように、よく手入れされたバットとグローブ。貴方、どうして野球部に入らなかったの?」

「……別に。野球はもうやめたけど、捨てるにはもったいないってだけです」

「そう。ま、人には人の決断があるのだから、私がとやかく言うつもりもないわ。この話はこれでおしまい」


 ……嗚呼、本当にこの先輩は、憎らしいほど目聡く聡い。

 先輩は俺の精神構造をおかしいと言ったけれど、俺にとっては先輩の心の中の方が何倍も理解出来ないよ。


 先輩へと感嘆を覚えてしまいながら、俺達は二人並んで学校への道を進んでいく。

 意外というか、予想通りというか雅乃宮先輩はおしゃべりで。

 歩きながらも電車に乗ってからも、更に電車を降りてからも延々と話し続けてくれたので、会話に困ることはなかった。


「ねえ知ってる? 人間が一日で分泌する涎の量は約一リットルなのに対し、一日摂取すべき水分量は約二リットルから三リットルと言われているの。つまり数字だけ見れば、どんな美女やイケメンも自ら垂れ流した液体の補充のために一日の半分の水分を費やしていることになるんだから、人間ってとっても愉快な生き物よね……って、どうしたの? そんな解けない問題を解けと教師に当てられないよう願う中学生のようにビクビクしちゃって」

「ああいえ、なんか、すごい見られているなって……」


 不本意そうに話を中断して尋ねてきた雅乃宮先輩に、周囲をチラリと目線を送りながら説明する。

 

 電車を降りて、後は学校までの一本道になってから段違いに増えた視線の数。

 視線は左右は当然として、後ろからも、前からも。

 決して勘違いとか、情緒不安定で過敏になっているとか、自意識過剰という類ではない。

 

雅乃宮(みやびのみや)先輩だ。雅乃宮先輩が男と歩いている……!!」

「うそ、あの雅乃宮先輩……!? 去年の文化祭、演奏トラブルに絶体絶命だった音楽部のガールズバンドの危機に颯爽と舞台へ上がり、アカペラとエアギターだけで場を持たせ歓声まで上げさせたっていう、あの雅乃宮先輩がどこぞの馬の骨なんかと……!?」

「雅乃宮っていや、あの雅乃宮先輩……!? 先週学校一の巨漢、柔道部の五里(ごり)羅男(らお)先輩の告白を一蹴したあの雅乃宮先輩が、どうして、男なんかと……!?」


 何故ならコソコソ話ですらない、もう完全な驚愕と唖然の声が届いてくるから。

 男子生徒も女子生徒も、クラスメイトもカップルも友人グループもボッチも、みんなみんな雅乃宮雅乃宮と馬鹿のひとつ覚えみたいに噂してくる。

 

 ……注目集めすぎだろ、どうなってんだよ雅乃宮先輩は。

 俺は半年通っててもこの先輩のことを少ししか知らないけど、どんな二年を重ねたらこんな注目されるようになるんだ。


「まあ沸き立つのは仕方ないことよ、何せこの雅乃宮雅が男と登校なんて三年間で初めての大イベントだもの。……とはいえ、こういうのって意識してしまうと途端に不愉快になるのよね。ねえ夜刀神、貴方十メートルくらい離れて歩いてくれない?」

「……別に、先輩が十歩下がってくれてもいいんですよ」

「嫌よ、それじゃ私が屈したみたいじゃない。女は男の三歩後ろを歩くべしなんて前時代的要素、この雅乃宮雅の歩みに相応しくないわ」


 ふん、と短く鼻を鳴らした雅乃宮先輩は、逆に自分の歩調を早めて前へと進んでいく。

 追いつくべきか。それとも離れるべきか。

 数秒悩んだ末、結局少しでも注目を減らしたいと数歩後ろを付いていくように歩き、ようやく校門まで到着する。


「それじゃ、私はこの辺で失礼するわ。放課後については……ま、追って連絡するから」

「あ、はい。それじゃ──」

「あ、あの、雅乃宮先輩……! 今ちょっとお時間よろ──」

「悪いけど忙しいの。ところで貴方、誰かは知らないけど告白ならノーよ。人と仲を深めたいのなら、まずは人様の会話に割り込まず、素直に知り合いから目指しなさいな」

「ぐはぁ!」


 別れの会話に割り込んできた男子生徒を一蹴しつつ、長い黒髪を靡かせ優美な足取りで去っていく先輩。

 同情はあるが特に掛ける言葉もないと、校門前で膝から崩れ落ちた男子生徒をそのままにして教室へと向かうも、もう雅乃宮先輩はそばにいないのに、生徒の視線はこちらへ集まるばかり。


「ねえ夜刀神君! 今日、雅乃宮先輩と一緒に登校していたって本当!?」

「本当なのかよ夜刀神! あの高校で告白百人切りを果たした雅乃宮先輩と!? どんな手品使ったんだよ! ダイヤモンドでも賄賂にしたか!? というか夜刀神って呼びにくいな!!」

「見損なったぞ信司! お前は俺と野球に青春を捧げると約束したじゃないか!」

「どういうことなのしんっち! 朝霧さんと付き合ってるんじゃないの!? 浮気は最低だよ!!」

「もしかして、幸運を呼ぶサプリでも始めたの!? ちょっと紹介してくれない!?」


 まるで学校の腫れ物にされたみたいな居心地の悪さも、教室まで行けば一安心だと。

 そんな甘い考えを抱いて早足で教室まで急いだのだが、俺が来たのに気付いたクラスメイト達は早々に囲んできて、やいのやいの好き勝手に騒いでくれる。

 

 ええいうるさい。

 たまに話すやつも、普段はたいして話なんてしないやつも、どいつもこいつも朝から非常に鬱陶しい。

 あと、とおるはふざけてるのバレバレだからな。せめて顔のにやつきくらい隠してから来てくれ。


「……はあ、もう疲れた」

「おはようダ、信司君。朝から人気者で何よりだね」


 クラスメイトによる事情聴取の尋問を偶然の一点張りでどうにか切り抜け。

 ただでさえ身体が重かったのに、もうへとへとになりながら自分の席へ座ると、アイはあさひと同じ優しい微笑みと共に、コトリと机にりんごジュースの入った紙パックを置きながら話しかけてくる。

 

 ……りんごジュース、か。アイは知らないはずの好きな飲み物、偶然っていうのは怖いな。


「……夜刀神君、ちょっと顔色悪いよ。大丈夫?」

「ああ、だいじょう──」

「ううん、熱はなさそうだね。あんまりだったら保健室に行った方がいいかも」


 ちょうどいいとりんごジュースを手に取り、ストローを刺して。

 口を付ける直前に、心配そうに尋ねてくるアイに大丈夫と告げようとしたが、それよりも先に白い手が俺へと伸び、ピタリと額へ当てられてしまう。

 

 ひんやり冷たく、そして柔らかいアイの手のひらとの接触は、心臓を強く跳ねさせ、思わず紙パックを持つ手の力が抜けそうになってしまう。

 相手が本物のあさひではないと、そんなことは、もうとっくに分かっているのに。

 それでもあさひと同じ顔、同じ声をした目の前の彼女にそうされてしまえばまるあさひにされたみたいで、離れてしまう手のひらを惜しく思ってしまう、そんな自分がどうにも情けなかった。


「……まあ、朝から絡まれ過ぎたからな。ちょっと休めば戻ると思うよ」

「そう? 駄目そうだったらちゃんと保健室行くんだよ? 無理しちゃ駄目だからね?」


 額から手を離したアイは、指を立てて念押ししてから自分の席へと帰っていく。

 その背を追ってしまっていると、何やら視線を感じたので右隣を向くと、いつの間にか自席へ戻ってきていた南が口に手を当て、にんまりと細めている目と目が合ってしまう。


「……お熱いねぇお二方、ヒューヒュー」


 ……やかましいぞ南。

 からかうのは結構だが、お前の片思いが実ったときは盛大に茶化してやるから覚えてろよ。

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