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 トントントン、と。

 夜が明けて少し経ち、ちょうど時計の短針が六から七へと移る最中。

 どこか懐かしささえ覚えてしまう古く狭い台所に、ぐつぐつと煮える音と、野菜を切る小気味好い音が鳴り続ける。


 台所に立っているのは真っ黒な、どこか時代を遡ったような古風なセーラー服を着た少女。

 真っ黒で光のない、何もかも呑み込んでしまいそうな瞳。

 真っ黒な目と同じくらい深い黒の髪を後ろで一つに結い、襟に白い線の入った真っ黒なセーラー服の上にエプロンを着た少女は包丁を置き、細長く切り分けられた大根を小さな鍋の中へと入れていく。


「……よし」

 

 入れた大根が柔らかくなるまで煮え、セーラー服の少女は火を消してから軽く味を見て頷いた頃。

 ドンと、僅かに台所へ響いた鈍い物音が、セーラー服の少女の耳へと届く。

 少女は火が消えていることを確認してから、エプロンを外し、隣の部屋──寝室へとゆっくり歩いて向かい、静かに扉を開けて中へと入る。


 部屋は六畳ほど。

 白かったであろう壁は少し汚れていて、ある物と言えば小さなテレビにクローゼット、そしてベッドがある程度の簡素な部屋。

 そんな部屋の中で、先ほどの音の主であろうベッドに片腕を置きながら床に座ってしまっている老人に、セーラー服の彼女は笑顔のままゆっくりと近づいていく。


「お父さんおはよう。今日は早いね。大丈夫?」

「ああ、おはよう宏美(ひろみ)。起きようとしたんだが、ちょっと滑ってしまってなぁ」

「まったく、無理しちゃ駄目だよ。お父さん、あんまり若くないんだからね」


 力なく笑う老人へ、セーラー服の少女も笑みを向けながらゆっくりと立ち上がらせる。

 老人はセーラー服の彼女の肩を借りて立ち上がり、やがてはゆっくりと自分の足で、部屋から台所まで歩いていく。


「はいお疲れ様。ご飯よそうから、ちょっとここで待っててね」

「ああ、今日はお味噌汁かい。宏美のご飯はいつも美味そうだ。どれ、今日は野球やってるかなぁ」

「大丈夫、お父さんは座ってて。それと野球はお昼からだよ、お昼」

「……そうか、まだ朝だもんなぁ。やってないのかぁ」


 老人を椅子へと座らせたセーラー服の少女は、てきぱきと食卓へ皿を並べていく。

 茶碗に炊いてすぐの白米。湯気の立つお味噌汁に卵焼き、そして程良く脂の乗った鮭の切り身。

 温かさ、匂い、そして見た目。

 きっと多くの者の食欲をそそるであろう、そんなシンプルながら整った朝食を並べ終えたセーラー服の少女は、老人の正面に座り「いただきます」と手を合わせた。


「……ああ、宏美のご飯は美味しいなぁ。ところで宏美、今日は優子(ゆうこ)はいないのか? もう学校行っちまったか?」

「そうだよお父さん。優子は部活があるから、朝は早いんだよ」

「おお、そうかそうか。部活かぁ。あの子も随分大きくなったなぁ。うんうん」


 食べ進めている最中、ふと箸を止めて発された老人の問いに、少女は何気なく答えを返す。

 老人はそうかそうかと軽く頷いて食事を再開するが、すぐに箸を置き、顔に手を当てながら涙を流し始めてしまう。


「……うう、俺は駄目なやつだぁ。すまねえ宏美ぃ、戻ってきてくれ優子ぉ……」

「どうしたのお父さん。大丈夫だよ、何も怖いことないよ。優子ここにいるよ?」

「うう、なんでこんななんだろうなぁ。俺は本当に、何も駄目な男だぁ。ううっ……」

「大丈夫、優子はずっとここにいるから……ほら、まだご飯残ってるよ? ゆっくり食べて、せっかくの良い天気だからお散歩でも行こっか。ね?」

 

 抑えが効かない子供のように、わんわんと泣きじゃくる老人。

 そんな老人にセーラー服の少女は席を立ち、服の上からでさえ肉を感じさせない、みすぼらしささえ感じさせる骨ばった老人の背を撫で続ける。

 

 いつまでもいつまでも、老人が泣くのを忘れてしまうまで。

 二人だけで完結した、小さい箱庭のような朝が、彼らにとってのいつも通りの朝だった。

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