第9話:スズキ、自爆します
ギィィンッ!
背後から命の危機を感じ取った俺は反射的に振り向き、振り下ろされた攻撃を粗製剣で防いだ。だが、何が起きている?
さっきまで俺の目の前にいたのはサキュバスだ。攻撃の圧に耐えながら視線を後ろにやると、薄気味悪い笑みを浮かべる彼女が確かにいる。しかしまさに今、俺を爪で切り裂こうとしているのもまたサキュバス!
「っ分身⁉」
「男の夢なのでしょう? 複数から攻められるのは!」
そう言って背後からもサキュバスの魔力が高鳴るのを感じる。それだけではない。上空にも俺を見下ろす2体の分身。ご丁寧に魔法陣を展開している。洒落にならない! 俺が殺される!
「タダで、ヤらせるものかよぉっ!」
ひとまず眼前の攻撃を上方向に押し返す。分身の身体が大きくのけ反ったところ目掛けて剣を振り下ろした。そしてすぐさま振り返り、俺の喉元目掛けて爪を伸ばすサキュバスの攻撃をしゃがんで躱す。
そのまま剣を一閃。サキュバスの腹部を斬りつけた。あいかわらず切れ味は冴えないが、分身を倒すには十分だったらしい。分身は黒い塵となって夜の闇に溶け込んでいく。
「やはり良い動きね。これならあなたの精も……ああ、期待させるじゃない! 早く! 早く食べさせて!」
「……クソが、埒が明かないとはこのことか」
サキュバスの分裂は止まらない。脳髄に鉄杭を深く打ち込まれた殺人ピエロのような甲高い笑いが夜の凪を震わせていく。一人、また一人と淫らな悪魔が増殖。魔弾射出の態勢に移行していった。
禍々しい光が迸る。強迫観念にも似た危機感が俺を突き動かし、すぐに浮遊する彼女たちの足元目掛けて走り出した。
刹那、放たれたのは激流じみた魔力の光線。災禍の光はさっきまで俺が経っていた場所を焼き尽くし、そのままアグリコの民家に降り注いでいく。残されたのは木片と黒煙。
だが今の俺には振り返り、心を痛める暇はない。民家の煙突を駆けのぼり、星空に向かって跳躍。反撃の一手を握りしめ、サキュバスたちの中心に舞い上がった。
「悪夢を晴らせ! 閃ッ!!!」
「っ! またこの光ぃ⁉」
失敗は繰り返さない。目を固く閉じたまま、俺は手の内で最後の閃光石を握りつぶす。光は瞼越しでも俺の瞳を焦がす。それでも堪え、俺は宙で横回転。水平方向に向かって剣を振るった。
無論、刃が届くはずもない。粗製剣は虚しく空を切り、俺は落下していくのだが……
「ウソ、斬撃が⁉」
「と、飛んできて……きゃあ⁉」
どういうわけか、見えない斬撃が繰り出されたらしい。真空刃をもろに喰らった分身たちは悲鳴を上げ、塵となって消えていく。
「……本当にあるんだな、戦いの中で成長するってのは」
自分でも理解できない。だが、サキュバスが魔力を高めれば高めるほど、俺の力も呼応して強化されているようだ。原理は不明。絶対的な勝利も敗北ももたらさない、中途半端な成長。
戦いはいつだってイーブン。
「それでも、殺すには十分! 気が晴れた! 続けるぞ、サキュバァァスッ!」
いつの間にか屋根の方で湧いていた分身を3体、同時に斬り飛ばす。ここまで一切の被弾もせずに戦闘ができたのは奇跡かもしれない。形勢もどうやら俺の方に傾いているらしい。
消えてゆく分身の奥で、息を荒げながらへたり込むサキュバスが一匹。魔法陣の展開を試みているようだが、魔力がまとまっていないらしい。展開される直前に陣は砕けてしまっている。
「……これで終わりだ。あいにく、この剣の切れ味は悪い。苦しむだろうが、それが報いだ」
「……」
疲弊しきって声も出ないか。サキュバスは物も言わず、うなだれている。しかし、もう容赦しないと決めた。頭を垂れている彼女の傍に立ち、首筋に剣先を添える。
静寂が戻ってきた闇の中、ただ黙って刃を掲げ、透き通るような白いうなじに風呂下ろそうとした時……
「……た、助けてください、スズキさん」
「……は? エ、エステルさん?」
彼女は顔を上げた。涙を流し、縋るような上目遣いで俺を見る彼女の顔は、昼間に俺を介抱してくれた母性溢れる少女と瓜二つであった。いや、これはもはや本人。
誓ったくせに、何とも情けない。また俺は手を止めてしまった。内なる理性も獣性も口を揃えて「殺せ!」と叫んでいるのに。
それが、命取りだった。
「ふふ♡ やっぱり御しやすいわ、男って♡」
「ぐぅっ⁉」
気が付くと、俺の腹部は貫かれていた。いや、正しくはサキュバスの魔力を流し込まれたと言うべきか。
エステルさんがこの場にいるはずがない。全ては淫魔が見せた悪夢。それでも俺には恩人の顔をした化け物を殺すことに躊躇いを覚えてしまった。
「……っ、はは。俺は、本当に……馬鹿だな」
その結果がこれだ、馬鹿馬鹿しい。体中から気力が根こそぎ吸い取られていくのを感じる。
腹部は枯れた老人のように萎びていき、身体を支える両脚も思考とリンクしなくなってきた。
「すごい、すごいわあなた! 最高よ! 凄まじい精力! 滾る! 潤う! 満ち満ちる! あぁっはっははっははっはははああっは!」
「っ……があっ⁉」
これが真の搾精というものか。朦朧とする意識の中、俺は必死に左手を動かす。まだ諦めるわけにはいかない。俺だって人並みに背負っている。責任ってやつを!
「安心しなさい。私、死姦でもイケるから。私をコケにしたツケ、刻んであげるわ、何度でも! あっはは! それに、私を殺そうとした村人も腹が立つ! 殺しましょう! 溺れましょう! 快楽と言う苦痛で、脳を焼き尽くしてしまいましょう! あははははははッはははは♡」
「……はは」
思わず乾いた笑いを漏らす。思えばこの世界に来てから、俺が格好良いシーンなんてなかった気がする。必死こいて戦って、無様に叫んで、怪我をして。
でも、きっとそれが俺なのだ。強さも意思も中途半端な勇者。それが、このスズキだというなら。
「はは、ははは。簡単な話だ。そういう戦いが、俺にはふさわしい」
「……? 何で笑ってるの? 死ぬのが怖いなんて言わないわよね?」
「ああ、言わないさ。だって……」
サキュバスに負けないよう、俺もニィと口角を引き上げ笑って見せた。それを見てたじろぐ魔物の姿は、何とも悦に入る。
実行するなら、今だ。
「……お前も一緒に、地獄に来てくれるんだからな」
「……な、何を言って?」
「旅は道連れ情けなしってな! 爆発石ぃっ!」
「っ、まさか⁉ や、やめっ……」
ドッガァァァァッァァァァアンッ!
ポケットの中で最後の爆発石を砕いた。この至近距離、その破壊力を俺たちは身体全身で受け止める。
炎は互いの皮膚を焼き、衝撃で散乱する木片が深々と肉に突き刺さっていった。だが俺は痛みを感じない。既に意識がぶっ飛びつつあるからな。しかし、サキュバスは違う。
「ウソ、ウソよ! 精力が、抜けていく⁉ お願い、まだ食べ終わってないのに! っうああああああ!? 熱い! 熱いぃいぃぃい!?」
サキュバスの手が俺から離れた。宙へ零れていく精と魔力に追いすがるように手を伸ばしながら、炎に喘ぎ苦しんでいる。
これで、終わらせる!
「うおらあぁぁぁぁぁっぁぁあああぁあぁああああああ!」
「嫌、嫌よ‼ やめ……いやぁああああああああっぁぁぁ!ぁっぁぁぁっぁぁぁ⁉ぁあああぁっぁぁっぁ‼ぁっぁぁ!?」
最後の力を振り絞り、右手を持ち上げる。確実に殺したくて、でも切れ味が悪いなら、残された方法はたった一つだ。
限界まで突き出された粗製剣は、サキュバスの胴を深く、そして致命的なまでに貫いた。彼女の断末魔が冷たい空気を震わせ、赤黒い魔力と血液が俺たちを染めていく。
戦いの終わり。それは今までで一番、生々しいものとなった。
幕を引くため、俺は彼女から剣を引き抜いた。