第8話:スズキ、話し合います
「……いいだろう。対話を諦めるのはいけないからな」
剣を収めた俺は、身を庇いながら立ち上がるサキュバスに目を向ける。満身創痍に見えるが、服? は一切ズレていなかった。まったく、どういう構造をしてるんだ。
かなり疲れたので、仮にポロリがあっても欲情できないだろうが。
「あ、ありがとう。今は仲良くしましょうね?」
「そうしたいもんだな」
自分の甘さに嫌気がさす。それでも期待は収まらない。「サキュバスと和解できる可能性があるのでは?」それは何とも甘美だが、デリックさんやエステルさんとの約束を反故にすることになる。
「まず聞きたいのだけれど、あなたはどうして怒っているの? 私、何か気に障ることをしてしまったのかしら?」
「……お前、俺の精を搾り尽くすつもりだったんだろ? 殺そうとしてくる相手に優しくできるか?」
「ああ、そういうこと。確かに、牙をむかれたら反撃するのが道理よね。生きるって、そういうことだもの」
サキュバスは「納得いった」とでも言いたげに、手をポンと打つ。自分が何をしたのか、本当に分かっていないのか? いや、俺とコイツは違う存在。価値観の違いを受け入れなければ、話は進まない。
「今度は俺が質問しよう。なぜ村人を殺した? サキュバスの性質上、生きるために精を喰らう必要がある事は理解している。だが、別に殺さなくても腹は膨れるんじゃないか?」
「ええ、あなたの言う通りよ。殺す必要なんてない。殺したのは……そうね、私なりの礼儀とでも言うべきかしら?」
「……礼儀?」
サキュバスも徐々に回復しつつあるようだ。両脚でしっかり立ち、話し方もはっきりしている。アンブッシュされないよう、爪攻撃の間合いの外に俺は移動した。
「想像してみて。誰かの家に招待され、夕飯を頂くことになった時のことを」
「……いきなり何の話だ?」
「いいから。あなたは客人で、その家の人から歓迎されている。そういった状況でお料理を出されたら、どうする?」
「そりゃまぁ、ご相伴にあずかるな」
「そうでしょう? そして食事を出された以上、残さずにいただくのが礼儀だとは思わないかしら?」
「……」
コイツの言いたいことが少し分かった気がする。サキュバスにとっての性行為は食事に過ぎない。それが再確認できた。
「お前の理屈は理解した。だがな、一つだけ致命的な問題がある」
「あら? 何かあったかしら?」
「当然だろう。村人は望んで身を差し出したはずがない。お前が一方的に襲い、喰らいつくしたんだ。客人? 笑わせる。お前は駆除されるべきただのプレデターだ」
「もう、そんな目で見ないで、ゾクゾクしちゃうから♡ それに、私はもてなされて然るべきなのよ」
「……どういう意味だ?」
やはり仲良くできそうにない。どう転んでも追加で一戦こなさなきゃならない気がした俺は、ずた袋から治癒石の欠片を一つ取り出し、砕く。石はやんわりと熱を発し、疲弊した身体に安らぎを与え始めた。
そして問題のサキュバスだ。自分の発言にやたらと自信がある様子。あらあらお姉さん系の笑みが、こんなにも不気味だと思ったことは初めてだ。タマの取り合いをしていたにもかかわらず、なぜこんな穏やかに笑える?
「どういうわけか私にも分からないの。でも魂が望んでいるのよ。この町で食事をすることをね。他の町じゃダメ。ここじゃないと。ここが私のいるべき場所なのよ!」
そういって実に楽しそうに笑うサキュバス。何かを愛し、慈しむように笑うその姿を見ていると、まるで俺が間違っているかのように思えてくる。
「それは勝手すぎる。この町で誰か一人でもお前を歓迎した奴はいるのかよ⁉」
「あら、そんなに興奮しないで♡ 実際、この町で男を食うと最高の気分になれるのよ。みんな脳が焼かれるほどの快楽に溺れ、私と一つになる。この充足感をあなたも知れば、私への評価も変わるはず……そうよ、なら良い考えがあるわ」
両手をパンと叩き、キラキラした顔で話しかけてくる。およそ先ほどまで殺し合いをしていた相手には見えないほどの明るさだ。これが種族の違いと言う奴なのだろうか。
いずれにせよ、やはり俺にはコイツを許すことは出来ない。そして次に彼女が持ち掛けてきた提案は、俺の決意を一層堅牢なものにした。
「私は催淫魔法が使えるわ。これで男を眠らせて、夢の中で一夜を過ごすの。でも女に効果がないわけじゃない。淫らな心はどんな人間にもあるものよ。だから……」
そう言ってサキュバスは右手を俺の前に差し出す。握手を求めているのだろうか? 触ったら死ぬ可能性があるので、もちろん取らないが。
それ以前に、俺の絶許メーターは限界を迎えていた。
「あなたももっと人生を楽しみなさい。どうも変貌する運命からは誰も逃れられないのだから。そうね、手始めにあの娘なんてどうかしら? あなたが寝ていた家に住む娘。確か……エステルとか言ったわね。素朴だけど発育も良い。ぶつけたい欲望があるんじゃないかしら?」
「……なるほどな、分かったよ」
良く分かった。良く分かったとも。俺は本当に救いようのない馬鹿だった。少し考えれば分かったことだろうに。
人間の歴史とは戦争だ。人種、神、経済、政治なんて大仰なものじゃなくても、何か一つでもきっかけがあれば当然のように殺し合う。それが人間って生き物だ。
同じ人間であっても対立が起きるのだ。人間以外の種族との関係がどうなるか。それは推して知るべし。
「ふふ♡ 嬉しいわ、落としどころが見つかったわね。じゃあ……」
手を出したまま、一歩二歩、俺のもとへ歩み寄ってくる。しかし彼女が話し終えるよりも早く俺は口を挟んだ。結論を出すには遅すぎた、だからこそ、俺はサキュバスを強く睨みつけて、今度こそ誓う。
「やはり、お前には死んでもらわなきゃならない。ありがとう、ようやく迷いが消えたよ」
粗製剣を引き抜き、改めて切っ先を向ける。夜に蠢く魔力の風は生暖かく、そしてどこか甘ったるい。そして、やっと俺はそれを斬り裂く準備ができた。
手元にある戦闘用の魔石は心もとない。極端に発光する閃光石と爆発石が一個ずつ。それでも、やるしかない。
「……そう。まぁ、この結果は何となく見えてた事ね」
あいかわらずサキュバスから笑みは消えない。瞳を開眼させることなく、俺の耳に絡みつくような囁きにも似た笑いを漏らしている。
人間と魔物の橋渡しになり得なかった手を彼女は戻し、代わりに赤黒い魔力を体に纏う。彼女を中心に吹き荒れる熱風で、思わず後ずさった。剣を握る手がいっそう力み、嫌な汗が背中を伝う。
「さて、そろそろ二回戦を始めようか?」
「その必要はないわ。だって……私、もう勝っているもの」
「何を言って……っ!」
俺は、とてつもない悪寒を背後から感じた。とっさに身体を動かし、次なる戦いを始めるのだった。