第5話:スズキ、経緯を聞きます
「……教えてください、デリックさん。その魔物はいったい何を?」
サキュバスと出会える機会を前にしたにもかかわらず、俺の心は妙に気分が上がらない。それもそのはず、3人の顔が暗く、声音もやけに重いからだ。
「……そうだな、見てもらったほうが早い。着いてきてくれるか? エステル、エマを頼むな」
「……分かりました。エマ、おいで」
「うん……」
エマちゃんを連れ、エステルさんは部屋を出ていった。去り際に俺の方を見て、そのまま一階へと降りていく。どれだけ不穏な空気を醸し出せが気が済むんだ。
「……さてスズキさん、俺らも行こうか。そう遠くない」
「は、はい……」
言われるがままにデリックさんの後に続く。家の外に出て見れば清々しいくらいの快晴。だってのに、俺たちの頭上にだけ暗雲が立ち込めてやがる。無論、心情的な話だ。いやだね、鬱屈とすると詩人もどきになってしまう。
「……」
「……」
重い沈黙が続く。「なんとか明るい話題を振らなければ」その一心で俺は口を開いた。努めて笑顔で、明るい声音で。
「そ、そうだデリックさん! 聞いてくださいよ! 俺ってば森ん中で変な葉っぱを食べたんですね! そしたらビックリ、体が熱くなって痛みが吹っ飛んだんですよ! あの草の名前とか分かります?」
残念だが、精々笑い話にできる事と言ったらこれくらいしかない。幸い、つたない話題をデリックさんはきちんと回収してくれた。
「……ああ、そりゃあ多分キボの葉だろうな。薬草ってよりかは、精力剤の材料に使われることが多い」
「……精力剤?」
「おう。俺も昔はかみさんに飲まされ……いや、この話はやめとくぞ」
「……はは」
ダメだな、乾いた笑いしか出ない。重い話、湿っぽい話は趣味じゃないんだ。もう逃げてしまおうかね。
再び訪れた沈黙に耐えられず、俺は町並みの観察に務めることにした。
農村にしては発展している印象を受ける。まず俺が歩いている路面なんてどうだろう? 所々割れているところこそあるが、何とも歩きやすい。農村都市と言うだけあって、インフラ面も整備されているということか。
それに市場も盛況だ。野菜や果物はもちろん、武具や薬品のようなものまで幅広く陳列されている。おや、あれは本屋かな?
こうして見ると、魔王の脅威が本当に存在するのか疑わしく思えてくる。歴史に明るいわけではないが、この世界の文明は健全な発展をしているじゃないか。
だからこそ国王の言葉が気にかかる。「世界が汚染に包まれる」とは、いったい? 空はこんなに晴れているんだ。世迷言にすら思えてくる。
「……着いたぞ」
アレコレ思案を巡らせているうちに、目的地に着いたようだ。この世界の文化は把握しきれていない。だが、さすがに目の前に建てられた物が何なのかを理解するだけの知能は俺にだってある。
「これは……お墓、ですか?」
「ああ。例の化け物に殺された奴らのな。今までこんなことはなかったのに……」
「……殺された? ウソだろ」
ダメだ。訳が分からない。サキュバスが人を殺す? そんなことがあるのか?
だって、異世界物のセオリーなら、サキュバスってのは、何だかんだ言って人間寄りじゃないか!
「殺されたのは村の男、それも若い奴らが多い。トミーん家のせがれなんて、まだ8つになったばかりだったのに……」
「そんな、そんなはずが……」
デリックさんは付近の墓石に刻まれた文字を俺に見せる。そこには確かに刻まれていた。サミーと言う男の子が8年間生きた証拠が。視界と思考がぐらりと揺らぐ。
訳も分からず俺は種族図鑑を開き、サキュバスの項目を探した。
さ、さ……サカバンバスピス・アーク、殺人的な加速で襲い来るアルティメット・ダチョウ、サンダードラゴン……
ページをめくってもめくっても、書かれているのは魔物とすら言い難い珍妙な生物ばかり。俺のイメージにあるようなものは見当たらなかった。
なぜだ! なぜサキュバスのページがない⁉ メジャーな魔物だろ奴らはさ!
えっちなお姉さんが冒険者から搾り取る。そんな展開が……
「……あんな人間に近い魔物なんて初めて見たぜ。どうしてこんな惨いことを」
初めて見た、だと? ダメだ、俺は馬鹿じゃないはずだ……でも理解ができない。状況が見えない。
何もかもが分からない。だが一つ、俺は一つの結論に落ち着いた。
墓石の数はゆうに30を超える。それだけの人の命が奪われたのだ。男の精を全て絞りつくして。
生命を動かす動力を奪い、自分だけが生きていく。それがこの世界におけるサキュバスだというのか。そうだ、そうだとも、逆に俺が間違っているんだ。
なぜサキュバスが都合の良い存在だと思った? 馬鹿馬鹿しいことに、俺が今いるこの世界は現実なのだ。エロ漫画でも、エロゲの世界でもない。フィクションとは程遠い、どうしようもないほどのリアル。
「……種として違うなら、これは当然の帰結か。生きるために他者を殺す。だが、これは…………分かりました、デリックさん」
取っ散らかっていた思考を収束させ、俺は一つの決心をした。勇者の在り方はいまだ分からないが、少なくともこの町でやるべきことははっきりした。
「安心して下さい。これ以上の犠牲者は出しません。スズキ、もとい勇者の名にかけて誓います」
せめて自分の迷いを振り払えるよう、俺はしっかり宣誓する。空は快晴だ。俺も晴れ晴れとしなければダメかもしれないから。
「ほ、本当か⁉ すまねぇな、こんな断りにくい雰囲気を出しちまって……」
「構いませんよ。では早速作戦を考えましょう。ケリは早くつけるのが吉ですから」
「おう! 俺と町の奴らにできることがあれば何でも言ってくれ!」
こうして俺はサキュバスの討伐依頼を受けたのだった。その後の話はとんとん拍子で進み、今までの状況を踏まえると今日の夜には襲撃があるだろうとのこと。
俺は「化け物退治のために使ってくれ」とデリックさんから支度金を貰い、戦闘で役立つものがないかを探しに市場へ向かう。釈然としない思いを抱えながら。