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1 戦闘記録

 できるだけ土煙が立たないように走った。夜とはいえ、視界のわずかが曇れば監視員は自分の事を見つけるに違いないと、そう思ったからだ。

「脱走者だ!」

 想定内の反応だった。みなが寝静まった隙を狙ったが監視は代わり番で定住している。頬に傷のある男は入れ替わりの時間を狙ったが甘かったようだ。ここはそういう所だと、再認識した。夜に糸を通す警報が高らかと鳴り響いた。そこは閑散としただだっ広い荒野に点と存在していた。

「ナンバー未授与勇者候補生各位に命ずる。彼の者を捕獲、抹殺した暁にはスターを授与する」威張った女声が数多い睡眠者を覚醒させた。位置座標が伝えられると、即座に扮装した女男が飛び出ていく。

 男は古傷が傷むほど全力で駆け始めた。幼い頃に付けられた傷だったが、夜風に攫われた砂粒が顔に当たって痛い。どうにかして生き延びねばならない。彼の中の本能は生きる事に執着していた。

「いたぞ、止まれ!」追っ手は束となり砂雲を作っている。「おいおい、まさかお前が逃げるなんてな!」烏合の衆の一人が笑った、まるで自分がスターを獲得する前提かのように。「メノウ!」

 メノウ、そう呼ばれた男は振り向くことをしなかった。ひたすら前を向いて腕を振る。しかし、音を立てて怪しまれぬように装備は装着しないでいた。他と比べるなら鎧がなく武器もない、それでいて寝具のままで、魔法を扱う杖もなかった。

「スターは俺のもんだ」先頭の男はそう叫ぶと腰に携えた剣を抜いた。目で距離を測ると、群衆を出し抜いて剣を振るタメを作った。「貰い」

 剣戟を感じ取ったメノウは強く踏み込んだ。荒野の土は柔らかくキメ細かい。それを知っていた彼は大胆に土煙を起こし目くらましを図った。剣先は夜の星をなぞる。間の抜けた声の後、剣の軽さに振り回された男は足が綻び転んでしまう。よく見れば細い木の枝が転がっているものだから、同情してしまう。転がる肉を前に勢いを殺すことは出来ず、後方は巻き添えを食らい追っ手は半分ほどに減った。

「さすが、俺達の世代で最高傑作と言われるだけあるな」メノウと読んだ男は懐から杖を取り出した。そうしている間にも距離は縮まってゆく。「だけどな、多勢に無勢だぜ。レアフレア」杖先に熱がこもる。真っ暗な空気から掠め取った光が粒となった。地面と平行に振るわれた魔法はメノウの背中へと迫る。「悪く思うなよ」

 彼らは仲間として育て上げられた。隔絶された世界で勇者となるようそれ以外を排斥した勇者学校と字面のいい組織で切磋琢磨してきたのだ。

「悪くなんて、思わないさ」

 年齢に差はあれど幼少期からの仲であった。互いの飯を取り合う関係もそこにはあった。色恋も憎しみも、友情も何もかも、青春ができる環境が整ってはいた。個性があって良かった。しかしその実、忘れられない共通点が埋まっていた。

「だからそっちこそ、悪く思わないでくれよ、エスペラ」その目には涙が浮かんでいた。

 彼らは売られた子供だったのだ。

 メノウは空中に身を翻すと魔法の軌道に沿って回転した。受け流した光の粒は等速直線上にあることはなく失速してゆく。彼は手を伸ばした。まるで自由や希望を手にするように、その光を手のひらに収めた。

 群衆の足が止まる。目を見開く者が多いのは、その魔法の威力を知っているからだ。ザワつく間もなく半径二十メートルの光の球体が浮かび上がる。その中心にメノウはいて、外側に仲間たちがいた。

「はは、嘘だろ」

 誰かが呟くと、遅れを取った連中も追い付いて三十人あまりが立ち尽くしていた。柄を握る者、杖を突き出すもの、盾に隠れる者、何も出来ないでいる者、皆一様に一点を見つめ砂嵐が去るのを待った。ただ時間が過ぎるのを待つのは、勝敗がハッキリしていないからだ。影から、二本の棒で身体を支えているのがぼやけていて、まさか生きているのか、そういった様子だった。

「エスペラのあれを握り潰すだと、真っ向から受け止めて生きていられるはずがない、なあ、そうだよなエスペラ」

「俺もそうであって欲しいぜ、だけどあいつは、メノウってやつは憎みてえくらい優秀な最高傑作だ。それでも俺は二番らしいからよ、届いてないはずは」

 月に反射した太陽の光が砂に混じる煌めきに反射して鮮烈なステージが浮かぶ。不良な光量は集結して鮮明に眼へ映った。メノウの手のひらは焼け爛れていた。今にも溶ける氷菓子のように手首を己の皮膚が伝った。そこへ涙の粒が馴染んで、冷たい。

「野放しにしてられるか、一斉かかって仕留めるぞ」一人が指揮を取った。これは好機だといわんばかりに使命をまっとうしようと踏み込む。「この際、スターによる成績の評価は無視だ。我々は既に組織の思惑通り、メノウを前にしている」剣を抜いた。金属の擦る音が凛々しく鳴って、呼応するようにマントが靡いた。「俺たちで無に還すんだ。それが最後に、メノウにしてやれることだ。いくぞ」

 一閃を振るおうと目頭を熱く前進する男に多くが群がった。首を振って目配せをし、分散させると合図を出した。それは彼が普段から行っていることの一つだった。後方支援のプログラムで好成績を残した男のアプローチ。先行する男が付いた隙に追加攻撃を見舞う方式とシンプルであったが、その統率力は即席の実践において、彼が中心にいることに意味をもたらした。圧倒的な信頼と威厳から引き寄せられる連携は魔王にも有効だと判断されるほどだ。

「それじゃあだめなんだよ」

 メノウの一言に身が強ばったか、剣を握る手に力が入った。隙が生まれのはメノウではなかった。彼の手に目がいった。つい先程の爛れた手のひらは、遅くとも回復していたのだ。

「それじゃあ、自分も守れないじゃないか」

 一切の躊躇いがなかった剣戟はメノウの不完全の手首を切り落とした。

「やれ」唸る声が耳を伝播する。

 次第に連携を取った猛攻がメノウを襲い、瞬く間に砂煙が舞った。それを予見したひとりが風魔法を唱えると、メノウの姿が浮かび上がった。明らかに傷を負っていた。しかし動いているとわかり危機感を持つ。彼の手のには反対の手が握られていたのだ。メノウは切断面とを押し当てると、不快な水が弾ける音と共に手を離した。何事も無かったかのように接合されている。

 ふと目を見開くと、メノウは交戦体勢で向き合っていた。斜めに地面を見ているようで、表情は読み取れない。その刹那、メノウは走り出した。向かう先はかつての仲間だった。

「なら俺がなら俺がなら俺が」

 声にならない声で、それでいて聞こえない、聞き取れない声でボヤいていた。メノウは剣を持つ者の目に向かって砂を投げ、それに対応しようと首を振ったのを見てしゃがみこんだ。相手からすれば姿が消えたようなものだ。メノウは低く飛び込んで足を払った。自由の効かない足に体重を取られた胴体を脇に抱えると、頭部から地面に叩きつけた。メノウは瀕死の男から剣を奪うと、前に突き出して警戒した。

「化け物が、うわあああ!」

 盾を胸にあててやけくそに走り出した者に勝機があるはずもなく、メノウは盾を足裏で受け止めると亀の甲羅からはみ出た四肢を切り落とした。肉塊の萎む音を無視して盾を手に取ろうと腰を下ろしたところ、尖る先に光を見た。

「レアフレア」

 今度こそ、その思いで放たれた魔法は先程よりも密度が濃い。エスペラは何も、指を咥えて待っていたのではなかった。加護のある手向けになればいいと思っていたからか、目が充血している。頬には何度も手の甲で擦った跡が残っていた。

 メノウは盾をできる限り胸に押付けたが、エスペラの全力を受け止め切るほど頑丈ではなく大破してしまう。目の前の光源に眼球の色素が薄くなるも涙は止まらなかった。頬が、腕が、鼻先が泥のように溶けてしまった。けれども彼の治癒性能の高さには及ばず、メノウは数秒と見放された間に完治してしまった。

 砂をすりつぶす音が夜空に吸われた。後ずさる者、立ち向かおうと堪える者、指示を待つ者がいる中で、エスペラは膝で音を立てた。勝ち目はないと項垂れた。夜より深い影に覆われると、顔を上げずともそこにいるのが誰かわかった。「もういい、やれよ」覇気のない声が虚空にさらわれる。エスペラは首を差し出す思いとなった。

「ああ、今度は隣人にでもなれたらいいな」

 メノウはそう言い残すと剣先を突きつけた。周りはそれを黙って見ているしかなかった。誰も彼もが臆病になっていたのだ。腕を上げると剣身に月が反射した。固唾を飲む音が耳を通り抜ける。風を斬る音がした。鍔迫り合いの音が目を覚まさせる。

「黙って見ているだけなら、死んだ方がマシだ」

 唇を噛んで割り入った男は、呆気なく跳ね返されると胴を突かれた。その姿を見てか、一斉にメノウへと殺意が向いた。魔法、実力、拳、剣技、どれをとってもメノウに匹敵するものはなく、束となって折れるものではなかった。かといいメノウも分が悪く、故人の扱いが悪かった剣では長期戦に持ち込めなかった。煙幕を立てるように鍔を地面に叩きつけると、砂地に足をとられながら森へと向かった。その場にいる大半は重篤な傷を負い、看病を優先した多数が座り込むと追っ手は指を折る程もいなくなった。今のメノウであってもそれを相手にする余裕があったが、深緑の森に溶け込んだ。それを敢えて深追いすることも無く、メノウは行方を晦ました。

(・・・ごめんな)

 メノウは雑草を潰すように走った。

(ごめん・・・)

 倒木に足を取られると名木に手をついて体勢を保った。駆ける足は速度を落とすことなく深く進んでいゆく。彼からこぼれた涙は樹木の微かな栄養となるだろう。一輪の花を踏み潰して、それすらも知らないで喉が枯れていく。

「みんな・・・助けられなくてごめんなさい」

 視界が揺れて落葉が空を飛んでいるようだった。メノウは体内から水分を吐き切ってなお前に進んだ。

「ごめんなさいごめんなさい」

 彼の中にある葛藤は底を知らない、であるからこそ自身を恨み続ける事になる。それでもメノウは前を向かなければならない。彼もまた成長した人間だからだ。

 金貨のじゃれ合う音の為に集められた人間の輪を抜け出したのだ。

 どれだけ迷宮の糸を絡ませただろうか、メノウは息を深く吐いて浅く小刻みに吸い込んだ。森林の酸素濃度は街と同じはずだが、そこはいくら生きようとしても苦しかった。湿気が多く肌に触れる空気が濡れている。髪の毛が僅かに回り始めた。まるで雨が降った後のようだが、空は日照りとさえ思うほど太陽が独占している。腹が鳴った。メノウは夜が明けてなお水も飲んでいない。

 どこかに水源はないかと睨みつけるように探していた。壮大な緑を見て川か湖がある事は想像できたが、木や土から水を得るまで頭が回らなかった。どこか、どこか、と背丈ほどの草を払いのけた先の光景にメノウは喉を鳴らした。

「みずうみ、だ」

 メノウはベッドに飛び込むように倒れた。体重が湖の浮力に支えられ寝てしまいそうになる。口を開ければ勝手に入ってくる水を体中に流し込んだ。目を開ければ白い光が届いて、スネルの窓でも眺めているような気分になった。もういっそのこと、このまま、深く潜って寝ていたかった。けれどもメノウは、地獄に引きずり込まれるかのように強引に、首根っこを掴まれて空気に覆われる。

「おい、大丈夫か!」

 耳心地のいい喉を透き通った声がメノウを包み込んだ。いささか状況は穏やかではないが、彼は生かされた。なんだ、夢はもう終わりか、と不貞る心情が顔に現れている。水が滴り耳を覆うと声が思うように聞こえなかったが、彼女が必死である様子は見て取れた。どうしてか裸体を晒していることも目で理解した。

「落ち着いてくれよ、俺は大丈夫だから。それより自分を見つめ直すんだ」

 彼女は俯くと自身の格好に赤面した。そしてメノウを水に叩きつけ、背を向けた。

「本当に大丈夫なのか、急に倒れて浮かんでこないから沼にハマったのかと思ったぞ」

「こんな浅瀬で足を取られるグズなんているか」

「そう見えたから、助けたんだ」

 前身を強かな腕で隠そうとも恥じらいが見えた。彼女は背後から女性らしさを隠すために角度を考慮したが、それがメノウに疑問を与えることとなった。

「その腕、何か怪我でもしたのか?」

「ああ、これは怪我ではない」

 そういった彼女の腕には黒い紋章が刻まれていた。

「ならばこんなところで何してるんだ。朝っぱらから水浴びをするなんて幼稚な年頃でもないだろ」

「失敬な、私は、たまの息抜きに開放感を得るのが、好きなんだ」

「恥ずかしいのが好きなのか、なぜ赤面する様なことを敢えてするんだ、痴女か」

「痴女というな、私はフォルト王国第三騎士団長、メグラナ・アーシュハイデンだぞ」

 戦功を証明するために名乗る文化があるというが、真っ裸で高らかとするものではないのは確かだ。メグラナは立派なプロポーションをさらけ出してメノウに向き合った。頭に血が上ったか、自身の痴態に微塵の興味もなくなったようだ。

「メグラナ、そうか。王国の・・・なあ、悪いが俺のことは見なかったことにしてくれ」

 メノウは膝に手を着いて立ち上がると踵を返した。水を吸い込んだ布は厚さを増して体にまとわりつく。地面に引っ張られる様な感覚を枷に重い足を上げた。視界の半分は滴る水分に占領され、水際の土色を遠くに感じていた。すると彼の背後で水を斬る音がして、頭に何かがぶつかった。タオルだ、濡れた髪の僅かな水分が移り変わり視野のもやが減った。

「そのままでは風邪をひくぞ」

「俺は風邪くらいで死なない」

「辛いぞ、誰にも看取られないで苦しむのは」

「・・・悪いな」

「王国に恨みでもあるのかもしれないが、私は今プライベートだ。国の人間ではなく一人の国民として、旅人としてでもいい、まずは名前を教えてくれないだろうか」

 朝日が水面を照らして生きているように光をくねらせている。森の音がすると体が冷えたが、太陽の熱は頼りになる。

「メノウ・・・いや、違うな」

 彼はタオルを手で掴むと頭に押付けた。

「俺に名前は相応しくない。ゼロゼロとでも読んでくれ」

 それはメノウにとっての始まりでもあった。彼と、ゼロゼロとメグラナの出会いは小さい海の中だった。

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